第346話 『イギリスの時間稼ぎ?』

 元治元年十一月五日(1864/12/22) 会見終了後

「Mr.オオタワ、今回はどのような協議がなされたのですか?」

 ジャパン・タイムズ: チャールズ・D・リッカービーがまず第一声をあげ、次郎に質問をした。川路聖謨はいない。英語が次郎ほど流暢でない川路は、通訳を介しての会談であった。

 それが理由のひとつで、もうひとつは次郎から『細々とした対応は私がやるので、川路様はドンと構えていてください』と言われていたからだ。

「まずはイギリス側から戦争状態の終結について打診があり、これについてはおおむね賛同いたしました」

 と次郎は落ち着いた声でリッカービーに告げた。会見場の緊張感は依然として高く、記者の視線が次郎に注がれている。

「しかし、それ以外の点ではあまりにも見解の相違があり、大きな隔たりがあると言わざるを得ません。まず我々が|拿捕《だほ》した艦を返還するようイギリス側は要望していますが、のむことは出来ませんし、賠償金を支払うよう求めてきましたが、賠償金を供給するのはこちらの方であって、イギリス側ではありません」

 次郎の言葉に記者たちの間でざわめきが起こった。デイリー・ジャパン・ヘラルドのアルバート・ウィリアム・ハンサードが手を挙げ、質問を投げかける。
 
「具体的な賠償金の額は示されたのでしょうか? また、日本側はどの程度の賠償を求めているのですか?」

 次郎は冷静に応じる。

「我々は具体的な金額の交渉までは至っていません。なぜならば支払う側のイギリスが賠償金を求めているからです。そもそも根本的に見解が違うのですから、金額の話になど到達しません」

 次郎はそう言って続けた。

「我々の要求は戦争によって被った損害の全額です。これは艦船の損傷や人的被害を含みます。またこの戦争の発端となった生麦事件も、その謝罪や賠償も解決していません。これらを分けて考えるか、同じとして考えるかで変わってくるでしょう」

 記者たちのペンが止まり、静寂が会見場を支配する。室内にいくつも設けられたランプの灯火が会場をおおい、外国人記者たちの表情を柔らかく照らしていた。
 
「生麦事件と今回の戦闘を同一の問題として扱うことに、イギリス側は難色を示しているとの情報がありますが」

 ロイター通信のジョージ・プラットが新たな質問を投げかけると、次郎は背筋を正してプラットをみて発言する。

「両者は密接に関連する事案ですが、我々としては別個で考えても同一で考えても同じ事です。生麦でもイギリスに非があり、今回の戦争でもイギリスに非がある。それ以上でもそれ以下でもありません」

 次郎の言葉に会見場の空気が張り詰めた。記者たちは息を呑み、ペンを走らせる音だけが聞こえる。
 
「生麦事件の際、イギリスは幕府に10万ポンド、薩摩藩に2万5千ポンドの賠償金を要求しました。今回の戦争での賠償金額はこれを上回るものになるのでしょうか」

 ジャパン・コマーシャル・ニュースのF・ダ・ローザが立ち上がり、鋭い質問を投げかけた。

「わが国はそれと同じ金額をイギリス側に要求しました。返事はなしのつぶてのまま今回の戦争になったのであり、本来は個人的な事件と国家間の戦争は比べられません。しかし、それを基準に考えるならば、倍の25万ポンドが合計の賠償額になるでしょうね」

 おおお! なんと! 法外だ! あり得ない! ……。

 さまざまな声が記者席から上がり、驚きの表情を浮かべた記者がペンを走らせる音がひときわ目立つ。ジャパン・ガゼットのジョン・レッディ・ブラックが立ち上がり、声を張り上げる。
 
「25万ポンドは相当な額です。このような高額な要求をイギリス側が受け入れるとは考えにくいのではないでしょうか」

「確かに高額ではありますが、これは別にわが国が考えた事ではありません。生麦事件の賠償額を、どういう基準で算出したかわかりませんが、イギリスが提示して支払えと言ってきたのです。わが国はそれをそのまま返し、倍にしただけです。基準というならばイギリス政府に聞いて下さい」

 さらに言えば、と次郎は続けた。

「我々は戦勝国として正当な要求をしているに過ぎません。イギリスも国際社会の一員として、この現実を受け入れるべきでしょう」

 その後も記者からの質問は相次ぎ、長時間の会見が終わったのは日付が変わってからである。

 ■元治元年十一月六日(1864/12/23) 

「さて、昨日は全く議論が進みませんでしたが、今日は少なくとも一つないし二つの項目で締結といきたいところですね」

 次郎は余裕の表情を見せながら川路と笑顔で挨拶をかわし、議論へと臨む。

「ではまず、馬関海戦におけるイギリス海軍艦艇の返還についてですが、わが軍が勝利し、拿捕した艦艇をなぜ返還しなければならないのか、国際社会が納得する理由を述べてください、ガウワー殿」

 次郎の言葉に、重苦しい沈黙が室内を支配した。ガウワーは顔を強張らせ、言葉を選びながら返答を始める。

「Mr.オオタワ、確かに日本軍の勝利は認めざるを得ません。しかし、国際法の観点から見れば、戦時中に拿捕された艦船は、講和条約締結後に返還されるのが通例です。これは国際社会の慣習であり、将来の外交関係の改善にも寄与するものです」

「国際社会? 面白い事をおっしゃる。それは通例ではなく、講和条約にその旨記載されていれば、の話でしょう? 多くは賠償金の一部とされたり、そのまま拿捕した側が艦艇として利用している。ちなみにアヘン戦争では多数の清国海軍のジャンク船を拿捕したようですが、返還しましたか?」

 次郎はガウワーの事を聞いた後、少し間を置いてから皮肉を込めたように繰り返した。ガウワーは言葉に詰まり、顔を赤らめる。

「それは……その……当時の状況は……」

 ガウワーは言葉を濁し、明確な回答を避けた。

「返還していないでしょう? それどころか、清国に対し多額の賠償金を要求し、香港を割譲させました。これが西欧列強のやり方ですね」

 次郎は冷ややかに言い放った。

「しかし、今回は違います。日本は清国とは違います」

 ガウワーは必死に反論を試みた。

「どこが違うのですか? 日本も清国も、西欧列強にとっては侵略の対象でしかない。植民地支配の野望を隠そうともしない。あなた方が言う国際法とは、西欧列強の都合の良いように解釈されたものに過ぎません」

 次郎の言葉は鋭く、ガウワーの反論を容赦なく切り裂いた。横にいたポルスブルックと宜野湾朝保は何も言えない。

「しかしわが国は、貴国と戦争をしたいわけではありません。これ以上無意味な戦闘をしないための協議です。ガウワー殿、いい加減折れてください。日本はこれ以上譲歩することはありません」

「それでも、艦船の返還は国際的な慣習です」

 ガウワーは食い下がった。

「なるほど、あくまでもそれを通しますか」

「……」

「なるほど、わかりました。イギリスは戦争をやめるつもりはないらしい。それならば我らは日本に戻り、戦支度をするのみです。さあ川路様、帰りましょう」

 次郎はサッと立ち上がり、嫌味なように尻をパンパンとはたいて帰る素振りをした。

「ま! 待たれよMr.オオタワ! あなたは! ……貴国は本当にわがイギリスと戦争を続けるつもりなのか?」

「……馬鹿な事を。こちらは止めたいが、貴国にその気がなければどうにもならないでしょう。さ、帰って本国に伝えてください。しかしわが国は清国のようにはいきませんぞ」

 会議室の空気が凍りついた。ガウワーの顔から血の気が引き、ポルスブルックと宜野湾朝保は息をのむ。

「Mr.オオタワ、こんな事はいいたくないが、本当にわがイギリスとこのまま戦争を続けるつもりか? わが艦隊は1,000隻の艦艇を有しているのだぞ? その気になれば……」

「その気になれば、どうするのです? では聞きますが、いつまでにどれほどの艦隊を日本に向かわせることができるのですか? 貴国はすでに十五隻を失っているのですよ。少なくとも倍の三十隻は用意しないとならんと覚悟していただきたい。しかも戦列艦やフリゲート、スループ艦などの戦闘艦です。お答えください」

 ガウワーは次郎の鋭い質問に言葉を失い、顔を紅潮させながら答えに窮した。イギリス側の交渉団は明らかに動揺を隠せずにいる。
 
「それは……具体的な数字を今ここで申し上げるのは難しいですが……」
 
 次郎は冷静に、しかし強い口調で畳みかけた。

「でしょうね。もう結構です。つまり、すぐには対応できないということですね」

 ガウワーは顔を青ざめさせて言葉を失うが、極力それを見せないように繕っているのがわかる。ポルスブルックも朝保も、あまりのイギリスの劣勢に驚きを隠せない。それほど次郎の発言は的を得ていたのだ。
 
「我が国は平和を望んでいます。しかし、それは対等な立場での平和でなければなりません。イギリスが我が国を清国と同様に扱おうとするなら、我々は断固として戦います」

 川路は次郎の言葉に賛同の意を示した。

「良いでしょう。では一度整理しましょう。この会談における要点を以下とします。よろしいですか?」

 次郎はそういっていくつかの要点をあげた。

 1.戦闘終結の条件
 2.外交関係の修復に関する条件
 3.貿易と経済関係における条件

「まずはひとつめの戦闘終結の条件ですが、これは即時撤退というより、すでにイギリス海軍艦艇はいませんが、琉球王国および日本の領海にいっさい立ち入りを禁ずる、という条件でよろしいか?」

「そ、それは致し方ないでしょう……。しかし拿捕した艦艇の返還は……」

「……ここは大幅に譲歩しましょう。よいですか、私は副使で正使はこちらにいらっしゃる川路様ですが、われらの独断で、二隻までは返還に応じることは可能です」

「おお……!」

 ガウワーの喜びの表情とは対照的に、次郎は心の奥でニヤリと笑うのであった。

(チェサピークは確か1855年進水で1867年に除籍される艦だ。バロッサは新鋭艦だが、やりようはある……ふふふ)

 次回予告 第345話 『戦勝国と敗戦国』

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