元治元年十一月六日(1864/12/23)
「ではわが大村藩からは拿捕したフリゲート艦チェサピーク、そしてコルベット艦バロッサを返還いたしましょう。よろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
次郎の言葉にガウワーは喜びうなずくが、次の言葉に耳を疑った。
「しかし条件として、返還の猶予期間としてチェサピークは5年、バロッサは7年いただきます。よろしいですか?」
「えっ! ? それは無茶な!」
次郎の提案にガウワーは驚愕の表情を浮かべ、開いた口がふさがらない。ようやく出た言葉である。
「何が無茶なのですか? この2隻は我々が拿捕し、戦利品として正当に獲得した艦船です。その上で、返還に応じる善意を示しているのです。5年や7年の猶予期間は決して長すぎるものではありません。古来、戦闘で得たものは勝者のものである。これは古今東西を問わず、誰もが知っていることでしょう? それを、善意で返還するのです」
「善意ですと! ?」
次郎の言葉にガウワーの顔色が変わった。
「5年も7年も艦船を留め置かれては、返還の意味がありません」
「ガウワー殿、少し考えてみてください。この戦に勝ったのはどちら、いや勝っているのはどちらですか?」
ガウワーは言葉につまり、顔を赤らめた。答えは誰の目にも明らかだからだ。
「確かに、日本軍の勝利は認めざるを得ません。しかし、国際法の観点から見れば……」
「もういいですよ」
次郎は冷静に、しかし強い口調で遮った。
「国際法うんぬんを講義していただかなくても結構です。正しいのはわが国ですから。第一、勝ってぶんどった軍艦をなぜ返すのだ! こう世論が騒いだら、どう納得させるのですか。(軍艦の仕組みやノウハウを全部盗んで用なしになったから、外交儀礼で返す)わが国の国内事情も考慮してください。これは、最大限の譲歩なのですよ」
ガウワーは凍りついたように言葉を失った。次郎の論理の壁は厚く、突破口は見えない。会議室の空気が張り詰める。日本側の圧倒的優位は、もはや疑いようもなかった。
「Mr.オオタワ、確かにあなたの言い分にも一理あります。しかし、5年や7年という期間は……」
「ガウワー殿、あなたはいったい何をしに来たのですか?」
次郎は冷静に、しかし断固とした態度で尋ねた。
「もちろん、講和条約の締結のために来ました」
「ではよく考えてください。あなたもおっしゃったが、日本が勝ってイギリスが負けている。しかしあなたは、わが国から軍艦の返還を勝ち取ったのですよ! 十分な成果ではありませんか。誰がそれを責めるというのですか」
ガウワーは迷っている。
確かに次郎の言うとおりだ。明らかに負けている状態で、軍艦の返還がある。例えそれが5年後だろうと、大英帝国の体裁はつくろえるのだ。一方的な負けではないことを世界にアピールできるのだ。
しかし、猶予期間が気にかかって仕方がない。
「ガウワー殿、あなたは先ほど講和条約を結ぶために来たとおっしゃった。では講和条約とは、どのような時に結ぶ条約でしょうか」
勝者の余裕だろうか。
感情をあらわにするときもある次郎であるが、それはもちろん、演技である。
「講和条約は戦争状態を終結させ、平和を回復するために結ぶものです」
ガウワーは次郎の質問に戸惑いを隠せず、言葉を選びながら答えた。
「その通りです。では、その講和条約はどちらがどちらに持ちかけるものですか? 敗者から勝者? それとも勝者から敗者?」
次郎は穏やかな口調で続けた。
「通常、敗者から勝者に講和を申し出るものです」
「その通り。あなたがここにいるということは、イギリスが負けを認めている、もしくは負けている状況を認識していると私は考えます。その上であなたは、本国からどんな指示をうけてきたのですか?」
ガウワーは言葉を選びながら答える。
「本国からは、可能な限り有利な条件で講和を結ぶよう指示を受けています。しかし、現状を考慮すると……」
「我々は既に大きな譲歩をしているのです。チェサピークとバロッサは、我が大村藩が正当に獲得した戦利品です。それを返還すること自体、前例のないことではありませんか」
次郎は冷静に、しかし断固とした態度で遮った。
「Mr.オオタワ、確かにあなたの言うとおりです。しかし、5年や7年という期間は……」
「ガウワー殿、これで最後にしましょう。どうしても無理ですか」
「Mr.オオタワ、確かにあなたの主張には一理あります。しかし、本国政府の了承なしにこの条件を受け入れるのは……」
「ではもういいです。もし講和の意思があるなら、次は全権で決定権をお持ちの方と交渉したい。Mr.ガウワー、あなたではダメです。では……ああ、まったく時間の無駄でした。私も暇ではないのですよ」
次郎はなかば吐き捨てるように立ち上がった。
ガウワーは次郎の態度が再び硬化したことに動揺し、言葉を失った。会議室内の空気が一変し、日本側の優位が明確になった。
「待ってください、Mr.オオタワ。わかりました。その条件で結構です」
ガウワーはあわてて条件をのんだ。
本国の決裁など、ブラフだったのだ。だいたいこの程度の決定ができないようではネゴシエイターとしては力不足である。
「では、ここまでの合意事項を書面で交わしましょう」
・日英両国とも一切の戦闘行為を禁じる。
・イギリス海軍は本条約締結後、琉球王国および日本国の領海に一切の立ち入りを禁じるものとする。(本日より有効)
・日本国はイギリス海軍より拿捕した軍艦チェサピークを5年後、バロッサを7年後に返還するものとする。
「では、握手を」
次郎はガウワーに手を差し伸べたが、ガウワーの顔はいくぶんか引きつっているようにも見えた。この段階では包括的な講和条約は結ばれておらず、仮にお互いが攻撃をうけても文句は言えない。
そのため上記の3項目を含む停戦協定が先に結ばれたのだ。
「では続いて、賠償問題について話し合いましょう。何度も言いますが、この賠償問題が解決しなければ外交も貿易もない、とお考えください」
「……」
次回予告 第348話 『賠償金の多寡』
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