第3話 『フレデリックの政治の勉強』

 天正十八年七月二十日(1589/8/30)  <フレデリック>

 クルシウスはライデン大学の教授で、植物学の大家だ。オランダどころかヨーロッパ全体で、植物学についてはかなりの影響力を持った人物である。

 こんなことなら最初っからクルシウスに聞きに行けば良かった。

 ともかく、ジャガイモの栽培にはギリギリ間に合った。あれだけの量を栽培すれば、3年から5年でかなりの量が収穫できるぞ。

「フレデリック様」

「どうぞ」

 執事のヤンが挨拶とともに入ってきた。

 オレは兄貴がアントワープに行っている間に政治の勉強をすることになっていたのだ。ジャガイモの件は帰ってきてから詳しく話すって事で、ライデン大学の植物園とクルシウスの件はOKをもらっている。

「ご依頼の情勢は一通り調べました」

「うん、じゃあ教えて」

「はい」

 ヤンはそう言ってヨーロッパの情勢を教えてくれた。

「現在、イングランドはエリザベス1世の治世下であり、昨年のアルマダの海戦の勝利によって、スペインに対する対抗姿勢がさらに強まっております。新大陸からのスペイン船への私掠しりゃk行為(海賊)をはじめとして、商業活動を妨害して、徐々に海洋進出の傾向が見え始めています」

「なるほど(これは大体同じだな)。フランスは?」

「その前にフレデリック様」

「ん? なに?」

「スペインはイギリスにとっても敵で、わがネーデルランドとは共通の敵をもつ間柄となります。そのため御父君のウィレム様はイギリスに使者を送り、スペインに対して共同戦線をとるよう仕向けたのです」

 さすが親父! というかオレは直接知らないが、感心してしまった。……歴史上の有名な人物であることは確かだ。

 イギリスが史実と変わらずスペインを敵性国家と見なしていることを確認して、オレはフランスの動向とスペインの動向、そしてポルトガルの動向を順に聞いていく。

「フランスに関しては、現在アンリ4世の治世下にあります。ナントで勅令を発布し、これによりユグノーにも信仰の自由が認められ、カトリックとプロテスタントの争いに、一応の終止符を打つ大きな一歩となりました」

 なるほど。アンリ4世のナントの勅令か。これは画期的な出来事だな。フランスの安定化につながるかもしれない……ん? ナントの勅令は1598年じゃなかったか?

 あ、そうかパラレルワールドだった。

「この勅令により、フランスの内政が安定に向かう可能性が高まっています。ただし、一部のカトリック勢力からの反発も予想されます。今後のフランスの動向が、ヨーロッパ全体の勢力図に大きな影響を与えると考えられます」

 うーん、確かにそれはそうだ。

 でもフランス国王にアンリ4世が即位して、スペインに宣戦を布告して、ブルターニュを平定して和平交渉の後、ナントの勅令を9年も早く発布するなんて……。

 かなり歴史の展開が早いぞ。オランダの国内の宗教対立も、本当なら対立しっぱなしでスペインの支援を受けた南部がスペイン領に留まるはずだが、連邦共和国のままだ。

 完全にオランダの独立が早まっている。というか話を聞く限りでは事実上独立している。

「スペインはどうなの?」

 オレはヤンの反応を注視しながら、スペインの状況について尋ねた。この予想外の展開の中で、最大の敵国の動向が気になって仕方がない。

「スペインについてですが、フェリペ2世の統治下で依然として強大な勢力を保っています。しかし、昨年のアルマダの敗北に加え、これまでに新大陸のさらに西、ヒゼンという国に敗れ、フィリピンからの撤退を余儀なくされました」

 なんだって? 肥前? ……日本に負けた? スペインが? こりゃーまた、ぶっとんだパラレルワールドだ。そうなってくると、この世界の日本はかなりの力を持っているのだろうか。

 オレは驚きのあまり、思わず椅子から立ち上がった。

「日本の戦国大……いや、そのどこぞの国が……スペインを倒したのか?」

 ヤンはうなずき、さらに説明を続ける。

「はい。詳細は不明な点も多いのですが、ヒゼンという国の艦隊がスペイン艦隊を撃退したとのことです。そこで閣下はポルトガルを介して航路を開拓し、東インド航路を発見するべく計画を立てております。航路が開拓されれば情報を集め、肥前国にも正式に使者を出す計画だとか」

 え? これは、もしかするともしかするぞ。

 ……ひょっとして同君連合は?

 確かセバスティアン1世の死を契機として、1580年にフェリペ2世はポルトガル王位についていたはずだ。それからスペインは太陽の沈まない帝国として君臨していくはずなんだ。

「同君連合? はて、ポルトガルのセバスティアン1世は存命ですし、ナバラ王、いえ今はフランス王アンリ4世ですが、その妹であるカトリーヌ・ド・ブルボンと結婚して2子がおります。お父上がスペインとの戦争で優位に戦えたのも、ポルトガルの支援の賜物ですぞ。むろん、当時のナバラ王との同盟もありますが。ゆえにポルトガルとの関係は良好でございます」

 ヤンはメガネのズレを直しながら、いぶかしそうな顔をした。
 
「セバスティアン1世が生きてる? フランス王アンリ4世の妹と結婚しているだって?」

 オレは目を見開いて、ヤンの言葉を繰り返した。
 
「はい」

 とヤンはうなずいた。

「セバスティアン1世はポルトガルの賢明な統治者として知られています。フランスとの同盟関係も強固です。しかしフレデリック様、どうなされたのですか? まるでセバスティアン1世は死んでいて、フランスと同盟を結んでいないはず、というような口ぶりですが。それに以前はそこまで各国の政治情勢には関心がなかったのでは? いえ、むしろ喜ばしいことではありますが……」

 やっべ……。調子に乗りすぎた。

「あー、いや、その……なんでもない!」

 オレは無理やり取り繕おうとした。

「まあいずれにしても政治の勉強を始められて、自分なりの見解を持つのは良いことです」

 おお、セーフ!

 オレは話題を変えようと、急いで質問を投げかけた。
 
「それでこの、ヒゼンとやらはどんな国なんだ? スペインを倒すほどの力があるなんて、相当な国力を持ってるんだろう?」

 ヤンは少し困ったように首をかしげる。

「申し訳ありません。ヒゼンについては、私もあまり詳しくは存じ上げません。東洋の島国だということと、最近その名が急に広まってきたということくらいです」

 うーん。この世界の日本については、まだあまり知られていないのか。待てよ、スペインの艦隊を倒すくらいの艦隊なら、今は……本能寺の変の後だから、豊臣秀吉か。

 でも小田原征伐は……来年だ。その前に南方に進出したのか? それにしても朝鮮の役だって3年後だぞ。かなり早い段階で、信長の段階で? いや、そもそも本能寺の変だって起こっているから分からない。

 だとしても、東南アジアに権益をもっているポルトガルが日本の南洋進出を黙って見ているか? ぶつかるに決まっている。

 ……ん? 肥前?

「ヤン、それならポルトガルに聞いてみたらわかるかもしれないね」

「そうですね。友好国ですし、アフリカやインド、それより東はポルトガルが制していますから」

「じゃあ、頼める? 兄上が帰ったら僕からも聞いておくから」

「承知しました」

 うーん、どうなんだ?

 どんな答えがポルトガルからくるかわからないけど、当面はポルトガルとフランス、そしてやがては敵になるであろうイギリスとも今のところは友好関係を継続したほうが良さそうだ。

 でも、ほぼ独立してるし、海洋進出するなら、これだけ歴史が進んでいるなら衝突して蘭英戦争が始まるのも近いかもしれない。




 準備をしなくちゃ。でも、何ができる?




 次回予告 第4話 『デン・ハーグと駐ネーデルランドポルトガル大使館』

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