慶長元年一月二十七日(1596/2/25) 諫早
-発 小樽鎮守府 宛 殿下
以下、転送文也。
アラスカ南部の新たに発見、入植せしオレゴンにてイスパニア(スペイン)探検隊と遭いけり。
幸いに打ち合い(戦闘)にはならねども、この地を境にとの話合いとなりけり(国境を定めたいとの議論になった)。
然れどもイスパニアとは戦の最中にて、同ぜざりけり(同意できなかった)ゆえ、対応を請いたし。
追伸
小樽はハワイに比ぶれば近しゆえ、若し軍を遣るならば、鎮守府隷下の艦隊は直ちに可なり。
アンカレジ駐屯第二旅団の移送に関しては警備府隷下の艦艇を用いて可なり。海上戦力を要するならば第五艦隊は直ちに可なり-
「ふう……。南が一段落ついたかと思えば、今度は北か」
純正はアンカレジ警備府発の通信(文書)を読んで、ため息をつく。
「平右衛門(菅達長・第五艦隊司令長官)や森蔵(間宮清右衛門森蔵・ウラジオストク副総督から小樽鎮守府長官へ。領土開発省への出向から海軍管轄)には気が気ではないだろうの」
純正が言う『気が気でない』は、大変だ! の意味ではない。すわ戦だ! さあここで戦働きを! である。
「師弟関係にあった伊能殿は領土開発省に移籍したままにございますからな。自分も早く海軍へ戻りたいとこぼしておりましょう」
純正は苦笑いだ。
「致し方あるまい。北方の探険では一に伊能、二に間宮と言われたほどだ。もう少し三郎右衛門(伊能忠敬)には辛抱してもらうしかないの……。後任の人事は……。ふう、省内の人材は省内で育成せねばな」
「仰せのとおりにございます」
鍋島孫四郎直茂が、こちらも苦笑いで応えた。
「殿下、アラスカ方面の件はいかがいたしますか?」
直茂が改めて問いかける。
「ふむ、彼の地より南へ下ったのは北米の資源はもとより、そのさらに南の土地が当て所(目的)じゃ」
「南? 中米、南米には何があるのでございますか?」
アメリア大陸は発見当初はインディアスと呼ばれていた。
その後マルティン・ヴァルトゼーミュラーによって『アメリカ』と命名されて(1507年)普及し、現在(1596)にいたっている。
スペインでは今でも『インディアス』を用いる者も多いが、すでに少数派となっていた。
肥前国内でも、すでにずいぶん前からアメリカを米と記述し、北米・中米・南米と呼ぶことが通例となっている。
「ペルーじゃ」
「ああ!」
直茂は手をたたいて声を上げた。情報省は国内と国外の諜報部門に分かれており、タイムラグはあるがスペインの情報や中南米の副王領の情報も入手している。
「銀でございますね」
「そうだ。討ち合い(戦闘)がないとはいえ、わが国とイスパニアは戦の最中じゃ。この先イスパニアがどうなるかはわからぬが、こちらから打って出てもよかろう」
「戦は兵のみで行うに非ず、と?」
「うむ。イスパニアはペルーより産する莫大な銀を欧州に持ち帰り、それにより国を支えてきた。然すればその銀を絶てば、たちまち立ちゆかなくなるであろう」
ふふふふふ……と純正の不気味な笑みが浮かんだ。
純正はそもそも、沢森政忠だったころから自存自衛の理念を掲げている。生き延びるために戦う、それが理念であったが、いつの間にか奪われる側から奪う力を持つ側になっていたのだ。
そのため力の行使には慎重さを要する。
絶対に自らが侵略者・略奪者になってはならない。
……転生して30年が過ぎた。
現在の純正の目標は世界政府の樹立である。
せめて連合国家や連邦をつくって、世界中から争いや貧困、(極端な)格差をなくそうと考えていたのだ。
「では、いかがなさいますか? 一気に南へ下り、アカプルコまで落とすのも一手かと存じますが、そこは副王領の最も大きなる溜まりにございます」
アカプルコ……史実ではフィリピンとアメリカ大陸を結ぶ港湾であり、最重要拠点であった。しかし今世ではフィリピンから完全に撤退しているため、ペルー副王領やその他の港湾都市との交易に留まっている。
「ふむ、情報を集めてから取りかかるのが良いであろうの。千方、ヌエバエスパーニャとペルーの戦力情報はいかがだ?」
純正は情報大臣の藤原千方に確認した。
千方は純正の問いに応じて、手元の文書に目を通しながら答える。
「ヌエバエスパーニャとペルーの戦力でございますが、詳細は以下のとおりでございます」
① ヌエバ・エスパーニャ副王領(Viceroyalty of New Spain)
・首都:メキシコシティ(旧テノチティトラン)
・副王:ガスパール・デ・スニガ・イ・アセベド
常備軍(正規スペイン軍):約1,500~2,500人
ミリシア(植民地民兵):約5,000~10,000人
合計6,500~12,500人
海軍(ヌエバ・エスパーニャ艦隊)
常駐する軍艦は少なく(本国に引き揚げさせられた)、脆弱。
主な防衛拠点
ベラクルス・アカプルコ・メキシコシティ・ユカタン半島・カリブ海沿岸
② ペルー副王領(Viceroyalty of Peru)
・首都:リマ(カヤオ港)
・副王:ガルシア・ウルタード・デ・メンドーサ
常備軍(正規スペイン軍):約2,500~4,000人
ミリシア(植民地民兵):約8,000~12,000人
合計10,500~16,000人
海軍(ペルー艦隊)
カヤオ港(リマの外港)に艦船を保有。
スペイン本国からの艦隊が定期的に補給。
太平洋岸の防衛のため、アリカやバルパライソにも拠点を設置。
主な防衛拠点
リマ(カヤオ港)・クスコ・アリカ(チリ北部)・バルパライソ(チリ)
「ふむ……やはり本拠となると備えがあるの。陸軍大臣、海軍大臣、これを制圧し長きにわたって領するに要る兵力と月日はいかほどであろうか」
純正の問いに対して、陸軍大臣の波多隆が口を開く。
「殿下、両副王領すべてを制圧して長きに渡って領有するには、それぞれの土地の特性を考えねばなりません。ヌエバ・エスパーニャは……」
「待て待て、誰が両副王領すべてと言うた?」
波多は突然の純正の言葉に一瞬言葉を失う。先ほどからの流れで両副王領の攻略を前提として話を進めていたため、意表を突かれたのだ。
「は……、はて? 殿下、それではどちらか一方を……?」
純正は波多の問いに答える代わりに、不敵な笑みを浮かべた。
「どちらか一方とは限らんじゃろう。両方とも言っておらぬわ」
その言葉に部屋の空気が一変した。直茂や千方をはじめとした居並ぶ重臣たちは、純正の真意を測りかねて互いに顔を見合わせる。
「両副王領など、日ノ本の何倍あると思うのじゃ? 十倍ではきかぬぞ。その全てを統べるのは今は無理であるし、要もない。要るのはアカプルコをはじめとした沿岸の港と銀山じゃ。ついでにペルーの軍港も押さえればなおよしじゃ」
かっかっかと高らかに笑う純正である。
「それからの、中米のアステカとペルーのインカはいかがじゃ?」
千方が手元の資料を確認しながら答える。千方は常に純正の発言や議題を予測し、それに付随する物まで含めて必要な情報書類を携行して会議に臨んでいた。
「アステカに関しては、イスパニアによる征服から70年以上が経過しております。ゆえにテノチティトランを中心としたアステカ帝国はすでに滅びていると言えましょう。かつての首都はメキシコシティとして、ヌエバ・エスパーニャ副王領の中核として機能しております。しかし山岳地帯や密林地帯にはいまだアステカの|末裔《まつえい》や反乱勢力が潜伏しており、イスパニア側も完全な支配には至っておりませぬ」
「ふむ……」
千方は一息つき、さらに続けた。
「一方南米のインカ帝国は、イスパニアによる征服から60年以上の歳月が流れています。クスコを中心とした旧インカ帝国の支配層は完全に排除されてしまいました。されどアンデス山脈を中心とする高地では、インカの末裔による抵抗運動が今なお続いております。特にウルバンバ渓谷やマチュピチュ周辺では小規模な反乱が頻発しているとの事。その鎮圧のために多くの兵力を費やしています」
純正は千方の報告を聞きながら、地図上でアステカとインカの旧領域を指でなぞる。その指先は、メキシコシティからクスコへと移動し、高地や密林地帯に留まった。
「つまり、イスパニアの支配は完全ではないのじゃな。これらの反乱勢力を利用すれば、我らに有利な展開を期待できるかもしれんの。千方よ、アステカとインカの末裔、できれば王族が良いが、生き残りがいるなら手を回すのじゃ。独立の手助けをするとな」
「ははっ」
「海軍大臣と陸軍大臣はさきのとおり、主な港と要衝たる砦を攻め、長きにわたって銀山を領するにたる兵力を算出せよ」
「ははっ」
ヌエバエスパーニャ、ペルー侵攻作戦が発動された。
純正は数えで48歳。
初老を超えて人生五十年に差し掛かっていた。
■パウ・ブラジル 首都サルヴァドール
「なに? イスパニアの探検隊が肥前国の探検隊と衝突しただと?」
ポルトガルとスペインの関係は冷え切っていたとはいえ、戦争状態ではない。
特に南米大陸においては、ブラジルとヌエバエスパーニャやペルーとの交易に加えて政治的な交流もあったのだ。非公式に近い状態で商人(兼諜報)から取得した情報である。
総督のフランシスコ・デ・ソウザは驚きとともに即座に行動を起こした。
「すぐに本国に文書を送れ。肥前国軍、カリフォルニア北にてイスパニア軍と遭遇、とな」
■諫早城
「殿下、懸案でありました『ないふる(地震)』に対する策と、整え備える事様(状況)が年次報告として上がってきております」
「うむ、見せよ」
内政に軍事に外交と、あまりの業務量に辟易する純正であったが、嫡男の平十郎純勝は奥州へ派遣しているので、今度は次男の利純にも分担させようと考えていた。
次回予告 第825話 『地震対策とトゥパクアマルとクイトラワク』
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