第358話 『ニールの覚悟』

 慶応元年六月二十六日(1865/8/17) 琉球

 次郎の言葉が、重苦しい空気の中に響く。

 その意味するところを、3人の英国人は瞬時に理解した。これは単なる事情聴取ではない。彼らの立場を左右する重大な場であることを、改めて認識したのだ。

 オールコックは無言のままじっと次郎を見つめているが、経験からこの状況の重大さを察知している。

 一方、ニールは汗を額から拭いながら言葉を探している様子だ。パークスは表情を変えず、ただ静かに座っているが、その内面では様々な思考が駆け巡っているに違いない。




「私は……」

 ニールが口を開く。

「私は、自分の行動に……間違いはなかったと考えています。あくまで、国益にそって行動しました」

 その言葉に会場内でざわめきが起こった。日本側の出席者たちは互いに顔を見合わせている。

「本当にそうお考えですか?」

 次郎は冷静に問いかけた。

「これまでの証言と、この文書の内容には明らかな矛盾があります。それでもなお、間違いはなかったとおっしゃるのですか?」

 ニールは黙り込んだ。

 やや下を向いてはいるが、自分のこれまでの言動や、賠償交渉の際の行いの記憶をたどっている。

 その沈黙は、自身の立場の危うさを物語っていた。




 考えろ……。

 いったん保身は忘れ、ただ国益のために、自分の行動が正しかったかを確かめるんだ。

 最初に生麦事件の報告を受けたとき、オレは何を知った? 何をどうすべきだったか?

 以前よりオールコック卿から聞いていたことが起きた。

 この時点で卿の関与を証明はできないし、オレ自身まさか、と思っていた程度だ。可能性を完全に否定できないが、だからといってわが国が事件に関与しているなど、公言できるはずがない。

 オレはあのとき、どう思っていた?

 卿が仕掛けた確信があったのか、なかったのか?

 いや、この際オレの主観などどうでもいい。

 客観的な事実から行動したのだ。

 少なくともあの時は……証拠はなかった。

 その後も事実関係がはっきりしないまま交渉が続き、上海に捜査協力を依頼せざるを得なくなった。その過程で2人の内1人が死んで、領事館員が傷を負って日本側の席にいる。

 いや、ちょっと待て……。

 オレはこれまでの3年間、母国がこの件に関与している(かもしれない)など、まったく知らなかったぞ。オールコック卿との会話の件はタラレバだ。

 少なくともそれを立証する情報を受け取ってはいない。

 そうかもしれないというオレ自身の疑念があっただけだ。不確かな情報のために自国を危機に陥れてはならない、その信念だけで動いた。

 確実ではない情報をもとに、自国の不利になる証言をする外交官はいない。

 それに交渉中、本国からは無関係を貫いていけとの指示だった。




「今回の文書の件に関しては、そこにそう書いてあるということは、事実なのでしょう。『~らしき』や『処置』の記述に関しては、ずさんと言われても仕方ありません。しかし3年前の事件です。断定できる証拠がない以上、私が間違えて書いたのだろうとしか、言えません。これは嘘偽りない事実です」

「……なるほど」

 次郎はじっくりとニールの言葉を聞いていたが、やがて質問を変えた。

「では2通目の、2人を確保した際の対応はいかがですか? わが国に引き渡さずに貴国で確保し、本国送還か保護との文面がありますが、これは事実ですか?」

「……」

 ニールはしばらく黙っていたが、意を決して発言した。

「事実です。しかしこれも、当然の対応だと思っております」

「……当然だと言うのですか? 捜査協力に応じると答えておいて、知らせもしないのは、どういう理由からでしょう?」

 次郎は冷静に聞き入りながら、ニールの言葉の裏にある真意を探ろうとしている。
 
「それは日本側との約束に反することではありませんか?」

 無言のニールに対して次郎がさらに問いかけた。会場内の空気は緊張感を増していく。

「……誤解して欲しくないのは、捜査に協力するとは言ったが、無条件で引き渡すとは言っていない点です。Mr.オオタワ、横浜での会談の際、私は引き渡すといいましたか?」

「……確かに、引き渡すとは明言されませんでした」

 次郎はニールの言葉で会談の現場を思い起こし、持参した議事録を読んで顔を上げた。

 これは事実である。

 日英交渉の会談で、引き渡すとは明言されていなかったのだ。

 ニールは自信を取り戻そうとしているのではなく、むしろ自分が嘘をついていない事実を再確認しようとしているかに見える。

「しかし、ニール殿」

 次郎が口を開いた。

「捜査協力の本質は、真相究明のための情報共有ではないでしょうか。貴国が独自に判断して情報を秘匿した点は、協力の精神に反するのではありませんか」

「それは違います」

「は?」

 ニールの発言に、次郎は意味が分からず聞き返した。

「私が文書で依頼したのは優先順位であり、捜査協力とは別問題です。もちろん捜査協力はしましたよ。そう聞いています。貴国の正式な・・・捜査団が上海に来たときに、捜査には協力したと聞いています」

 確かに、日本から正式な調査団が来た際には、公式に捜査協力がなされている。

 晋作たちはあくまで非公式に次郎が連絡をしたのだ。

 2人の捜索を指示したのであって、それはイギリスとの交渉とは関係がない。

「これは後で聞いた話ですが、正式な調査団の前に、日本側も秘密裏に上海で捜査をしていたと聞いています。その意味ではお互い様では? その件はあなたも私にそれを知らせていない。港での銃撃戦は報告してますよ。そうですよね? パークス領事」

 ずいぶん遅れはしたが、簡素な報告はなされていたのだ。

「え? ええ、その通りです。後日来た日本の調査団に、東洋人らしき集団に欧米人が襲われた事件があったと」

 パークスは突然のニールからの呼びかけに、一瞬驚いたがそのまま答えた。

 もちろんその当事者がビルとパーシー、そして領事館員のアーサーだとは伏せられたが、詳細はパークスしか知らない。

 ニールは2人の死亡報告をパークスから受けた。

 しかし事情聴取の前に日本側に奪われたのだから、確認のしようがなかったのだ。




「そして……」

 沈黙の後、ニールは締めくくるように言った。

「これまでの行動は、代理公使として国益に鑑みての判断です。後悔は一切ありません。その後の行動も全て本国の指示に従ったまでです。疑念があるならば、上海の時と同様に本国と私に関する文書の開示を申請してください。不可能ではないはずです」

 ニールは達観していた。どうせ祖国に見捨てられた身だ。罪を負うにしても、それに見合うものでなければ納得できない。

 パークスは次は自分の番だと唾を飲み込んだ。

 オールコックは……。

 まさか?

 湧き上がってくる思いを抑えるのに精一杯であった。




 次回予告 第359話 『パークスと大英帝国の威信、そして黒幕オールコック』

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