第67話 『ライブハウスの夜』

 1986年(昭和61年)3月29日(土) 夕方~夜

「おい、悠真。これはいったい、どういうことなんだよ?」

 風間悠真の先輩でバンドマン、川下楽器のアルバイトの新城悟である。

 悟は笑いながら悠真の肩をたたいて言った。

「え? さとにい、何が?」

 10歳近く年上の悟に対して、悠真は親しみを込めて悟(さと)にいと呼んでいる。

「何が、じゃねえよ。チケットだよ。この客の入り、見てわかんねえか? 女子が多いんだよ、女子が! しかもオレの大学の女子が3分の2以上だ」

 悟は興奮していた。

 これまで何度もライブを経験し、父親のライブハウスである『BUMP!』以外でも演奏している悟だが、100人キャパのライブハウスで130人動員できたのは初めてなのだ。
 
 しかも自分たちのバンドではない。後輩で中学生の悠真たちのバンド目当てのチケットが、直前になってノルマの倍近く売れたのだからうれしさ半分驚き半分だ。

「え? そんなに売れたんですか?」

 転生者である悠真はチケット販売のために試行錯誤したが、結局まったく認知度のない佐世保の人たちを集客するしかなかった。

 フェリー代や宿泊費を考えたら、ついででもない限り、700円のチケットのライブをみるために数千円払う人などいない。デモテープにメッセージや写真をつけて、悟に頼んで大学生に配ってもらったのだ。




「ねぇ悟、ライブのチケットまだ余ってる?」

「え? どうした? 追加で買うのか?」

「うん、友達がね、あの……なんて言った? 純美の友達がやってるバンド、面白そうだから見に行くって。5枚」

「お、ご、5枚ね……」




「ねぇ悟、今度ライブ出るんでしょ? チケット取っといてくれない?」

「お、恵子。珍しいな、俺のライブ見に来るなんて。ついにオレのギターにホレたか?」

「違う違う、噂のイケメン中学生バンド見たさに決まってんじゃん! 6枚取っといてよ」

「お、おう……」




「悟、次のライブのチケット、取れる?」

「ん? ああ、美穂か。珍しいなぁ……お前、ふだんハードロック聞かないだろ?」

「うん。だけど、あのデモテープすごかったじゃん。中学生であのレベルはびっくりよ。特にギターの子、将来有望ね。絶対見に行く」

「だろ? (悠真じゃないな)名前は……思い出せん! ただまあ上手いのは上手いな。チケット、何枚?」

「4枚で。ハードロック好きな友達も一緒に行くって」

「……サンキュー」




「……てなことがあったんだよ!」

「そうなの? よかった……」

 まじかああああああああ!

 悠真は本当は飛び上がらんばかりの喜びだった。だがなぜかクールを装ったのだ。

 なぜだ?

 思春期のなせるわざ。思春期特有の矛盾した行動パターンの一言につきる。

「おいおい、もっと喜べよ。お前らのバンド、すげえんだぞ。はじめてのライブで、こんだけ集めるなんて異常なんだからな! 文化祭や町の音楽祭りじゃないんだ! 金払ってんだぞ!」

 130人の動員のうち悠真たち目当てが45人、悟のバンドが35人、そして社会人バンドが合計50人だ。

 ルーキーが完全にベテランをくっている。

 まさにそんな状態だった。

「ありがとうございます。悟にいのおかげだよ。いつもありがとう」

「お、おう……」

「ああそうだ、これ」

 悟はポケットから財布を取り出して28,350円を渡す。

「え? なにこれ?」

「売り上げの余りだよ。まったく、オレたちだって今回は黒だったけど、ほとんどが赤なんだぜ。いきなり黒字でノルマのほぼ倍ってあり得るかね、まったく」

 悟は笑っている。

「ああ、でも1割はもらったぞ。手数料だ。世の中はそんなに甘くない。オレだって動いたんだからな」

「ああ、うん。もちろんだよ!」

 わはははは! 2人の笑い声が響いた。




「おい! これ見ろよ!」

 ステージでのリハーサルが終わって楽屋に……といってもそんな立派なものじゃない。全部のバンドが大部屋に詰め込まれている状態だ。

 悠真は悟からもらった売り上げを祐介と蓮、湊に見せた。

「げ! 万札! どうしたんだよ、これ?」

 3人はいっせいに悠真の手をのぞき込んだ。

「稼ぎだよ、オレたちの」

「?」

 宇久蓮と湊の兄弟は、お互いの顔と悠真の顔を交互に見ている。

 祐介は悠真から目をそらさない。

「どうしたんだ、これ?」

 祐介が悠真に聞いた。

「実はデモテープを作って、悟にいに大学で配ってもらったんだ。そしたら、予想以上に反響があって……」

 SNSもなければ動画配信サイトもない。

 それどころかインターネットもないこの時代、デモテープは新人アーティストにとって重要なプロモーションツールだった。地元の大学生に配ってもらった結果、意外なほどの注目を集めたのだ。

「すげえな、悠真!」

 蓮が感嘆の声を上げる。

「俺たち、本当にプロになれるかもしれないな」

 湊も興奮気味に付け加えた。

「そうだな! BOØWYみたいに、いつか大きなステージに立てるかも!」

 1986年にはBOØWYは既に人気バンドとして認知度があり、若いミュージシャンたちの憧れの的だった。

 バンドの方向性としてはハードロックでいくが、間口を広くしてファン層を広げ、その後自分たち色に染めていこう。

 それが宇久兄弟のやり方だった。

 だから悠真にとっては、蓮の口からBOØWYが出てきたのは予想どおりだ。

「そうじゃない」

 祐介は少しだけイライラしているようだ。

「なにが?」

「なんでオレに相談しなかった? お前だけのバンドじゃないだろう? オレがバンドのリーダーだって言い出したのはお前だぞ、悠真」

 確かにリーダーは祐介で、そうさせたのも悠真であった。

 ふだんはコミュ障の祐介だが、バンドと音楽は妥協を許さない。事の良し悪しより、相談されなかったのが少しショックだったようだ。

「ごめん、祐介。そうだった。オレ、つい調子に乗っちゃって……」




「おーい! なにしけたツラしてんだよ! セックス・ドラッグ・ロックンロールだろう? そんな顔すんな! わはははは!」

 宇久蓮である。

 意味分かっていってんのか? ドラッグはもちろんダメだし、セックスは相手がいての話だろう?

 酒やタバコは人には迷惑をかけないが、少なくともこの時点では全員が童貞……だよな?

 悠真はそう思ったが、蓮はバンドのムードメーカーであり、弟の湊は兄貴の蓮に引っ張られている感じだ。

「ライブが終わったらパーっといこうぜ! 軍資金もあるしな!」

「まったく、お前はいつもそうだな」

 悠真はそう言って祐介を見るが、祐介もすっかり苦笑いである。




「ちっ……。ガキがいい気になりやがって……」

 大人のバンドの方からそんな捨て台詞が聞こえた気がしたが、4人は気にも留めなかった。




 開始から30分以上経過して、会場内は熱気に包まれている。

 悟のバンド『SAMURAI』がアンコール1曲を演奏し終わって出てきた。

「頑張れよ!」

「はい!」

 バシンっと音を立てて悟が悠真にハイファイブで挨拶を交わす。

「さあ、行こうか!」

 蓮が元気よく声を上げると、他のメンバーも続いて楽屋を出た。悠真はステージ前の観客の熱気が渦巻いているのをみて、一層心が躍る。

「これが俺たちの初めてのライブだ。全力でやろう!」

 悠真の言葉に全員が力強くうなずいた。期待と緊張が入り混じっている。

 ステージに上がると、観客の視線が一斉に集まった。

 悠真はマイクを握りしめ、鼓動が高鳴るのを感じる。

 ”Hello everyone! Thanks for coming! ”

「これから最高の演奏をお届けするんで、楽しんでいってくれ!」

 歓声が上がった。

 カタコト英語と日本語のトークは考えていたとおりだ。

 動員数は『SAMURAI』と『NYG』で80人。それから社会人バンドで50人。まだ客は誰も帰っていない。悟たちが盛り上げて、まだ悠真たちの演奏を聴こうと残っていた。




「よっしゃー! いくぜ!」

 悠真が叫び、力強くギターをかき鳴らす。間髪を入れずに強烈な蓮のドラムがドンッドンッと響き渡り、それに続いて湊の重く響くメインギターが会場全体を飲み込んだ。

 ”It’s early morning” 

 悠真が歌い出すと、佐世保の小さなライブハウスは、巨大なスタジアムにも劣らない熱狂に満ちた空間に変わる。

 悠真のボーカルとリズムギター、湊のリードギター、祐介のベース、そして蓮のドラム。

 四人の音が完璧に調和し、観客を圧倒する。中学生とは思えない演奏力の高さに、観客は驚き、興奮を隠せない。曲が終わると、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。




「マジかよこいつら……。この前聴いたときより上手くなってんじゃねえか……」

 自分達の演奏の時より会場が盛り上がっているのを感じた悟は、驚きを隠せない。

 去年の正月にはじめてギターを買いに来た小僧とは、まるで別人だ。中学生ってこんなに成長すんのか? 悟の本音であった。




 ”Next! Oriental Beat! ”

 悠真は余計なトークは挟まなかった。

 軽快なギターリフが響き渡り、ドラムがリズムを刻む。

 悠真がゆっくりと息を吸い”Ugh! ”と息を吐いた。

 しばらくしてから”Im gonna take a holiday……”と歌い出す。

 グラムロックの華やかなサウンドが会場を包み込み、観客はリズムに合わせて体を揺らし始めた。

「悠真~♡」

「祐介~♡」

「蓮~♡」

「湊~♡」

 黄色い歓声(死語?)が湧き上がるが数は悠真が圧倒的に多い。とはいっても9人は全体の1割にも満たない。

 曲の途中、悠真と祐介がアイコンタクトを交わし、互いにニヤリと笑う。
 
 ”Base is Nikki! ”や”Drums is Ren! ”など、それっぽい紹介でつなぎながら演奏を続けた。

 3曲目にTonight (Mötley Crüe)、4曲目にBlackout (Scorpions)、そして最後にTragedy (Hanoi Rocks)で締めくくる。




 ”Nice gig! You’re missing one though.”

 演奏後、ライブハウスの外の自動販売機でジュースを飲んで休憩している悠真たちに、青い眼をした金髪の少年が言った。




 次回予告 第68話 『青い眼の金髪少年』

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