慶長元年十一月十四日(1597/1/2)夜 へトゥアラ <小佐々純正>
オレたちは問題が解決するまで滞在することになり、宿舎に案内された。
『お互いに戦うつもりはない。じっくり腰を据えて話し合おう』
ヌルハチの提案を受けて、居室で一人考え事をしている。
ヤツは言った。
『まあ……いずれにしても、それがいつのまにか膨れ上がり、これだけの広大な領土を治めていると……。ではこれ以上、何を平九郎殿は望むのですか? 余があなたと同じ理由で自衛と繁栄のために豆満江沿岸に港と砦を築き、建州沿岸を治めても構わないでしょう? 何の不都合があるのですか?』
オレは侵略戦争をしてきた覚えはない。
ゆっくりと、ゆっくりと思い出す。最初の戦はいつだった? ……確か転生してすぐの蛎浦の海戦。相手は攻めてきた平戸松浦の軍勢だ。
親父が瀕死の重傷を負い、勝行とはじめて出会った。
あれは間違いなく防衛戦争だったと言える。
次は……葛の峠の戦い。
大村純種の謀反を成敗するために、純忠からの依頼を受けたんだった。直後の佐世保湾海戦も自衛のためで、この時点で大村はまだ友好勢力。オレは松浦隆信を切腹させ、嫡男の鎮信を出家させる。
北の脅威が消滅して、次の問題は龍造寺隆信だ。
当時の龍造寺家は日の出の勢いで、東には大友がいるからに西に進んで少弐氏を降伏させ、平井氏を圧迫していた。大村氏も有馬氏も大敗している。
どう考えてものみ込まれるのがわかりきっていたから、後藤惟明や神代勝利と組んで龍造寺を牽制した。そうこうしているうちに大村領に西郷・深堀の連合軍が攻めてきて、またも大村からの援軍要請。
で、オレは独立する。
深堀と長崎を降伏させて、もともと大村領だった領地を編入した。盟主と仰ぐには頼りなかったし、なにより身内の血で勝ち取った宮の村をキリストの村にすると抜かしたからだ。
領土の野心はない。自衛のためだ。
龍造寺戦は身を守るため。攻めてきたから返り討ちにしてやった。冷や冷やもんだったが、なんとか勝てた。
ようやく肥前にオレたちを脅かす勢力はいなくなったわけだけど、まだ東の大友がいる。戦をしたくなかったから大友には恭順の姿勢をみせたんだ。
ただし反抗勢力はつぶしたよ。戦は最後の手段だったけどね。
でも小佐々家の勢力が肥前・筑前の二か国に及んでくると、宗麟は同盟を結ぼうとしてきたんだ。
ただ、ここで毛利が出てくる。
オレとしてはもうほっといてくれと言いたかったけど、そうもいかない。
毛利は大友と、大友は毛利と雌雄を決するためにオレたちと結びたかった。結局オレは毛利を選ぶ。遠交近攻だ。どっちかを選ばなくちゃいけないなら、より可能性の高い方、将来性のある方を選ばなくちゃならない。
大友とは同盟を結んでいなかったから不義にはならなかった。
とまあこんな感じだが、当然大友も島津も領土拡大の野心がある。大友に関しては九州探題の権威を取り戻したい、島津は三州太守が宿願で、肥後から北上するのは目に見えていた。
あ、そのころ……いや、もっと前か。
ポルトガルとの交易や留学生の派遣は、オレが転生者だからできた。でもヌルハチにはそうは言えない。理由は単純に『金のため』としておこう。
台湾やフィリピンへの入植も、領土拡大より収益拡大のため。収益を最大化するために、入植して産業を取り仕切ってマージンなしで取引する。
やってきた商人と取引するより自国の商人の方が利益があるからな。
ヌルハチにはざっくり(収益目的の部分だけ)説明したから問題ない。
信長との友好関係を結んだのは宗麟との争いで余計な介入をしてほしくなかったから。同盟したけどね。
そして大友が豊前に攻め込んだので、助けるために大友と開戦。
その後は一条からの援軍要請で四国に出兵。このころから単純な自衛よりも、要請されての戦いと、戦略的な戦いが多くなる。
結果的に先手必勝で経済戦争しているうちに、領土が膨れ上がってしまった。
ああそうだ。
直茂や他の戦略会議衆に言われた件を思い出す。
『弾正忠様の代はよいかもしれませぬ。しかし次の勘九郎殿、その次の代。このまま終わりましょうや。織田の天下を、と望む者が現れぬとは言い切れませぬ』
将来を考えて盤石にしとかなくちゃならない。守るべきものが大きく増えてくれば、必要な人・物・金が当然増える。
そのための(間接的)領土拡大だ。
……ヌルハチの言葉に反論はできんな。
完全なブーメランだ。
■翌日
「……わかりました。認めましょう。……失礼、認めましょうはおかしな表現ですね。その代わり、朝鮮族との争いをなくすために兵を引き上げてもらえませんか? もちろん砦も破却していただく。朝鮮にはこちらから話を通しておきます。また、明確に豆満江が両国の国境であり、西岸と東岸がそれぞれの領土である内容の条約を交わせば問題ないかと」
純正はヌルハチに断言した。
「ほう?」
瞬時にヌルハチは反応した。純正の返事が意外だったようだ。
「随分と素直にお認めになるのですね? 前回のウラジオストクでの会談とはまるで別人だ。何か思い当たる節でもあったのですか?」
いたずらっ子のような表情が見え隠れするヌルハチに純正は困惑するが、笑顔で返す。
「別に何もありません。ただ、あなたの言うことに同意しただけです」
本心である。
昨晩、過去を思い起こし、いまのヌルハチを自分に置き換えて結論が出たのだ。
「何をこれ以上望むのか? 問いの答えは、ざっくり言えば世界の平和です。そのために領土が必要なら、得るしかない。何が悪いのか、と問われれば……何も悪くはありませんね」
「ふむ」
ヌルハチは考え込み、純正に投げかける。
「……了承を得た後に聞くべきことではありませんが、沿海州をめぐるウラジオストクでの会合では一歩も引かず、あなたはそれを得ました。今回と何が違うのでしょう?」
純正の返事に拍子抜けしたのだろうか。
沿海州も建州沿岸も、肥前国にとっては同じ海を隔てた土地であり、女真との国境である。なぜあの時は頑強に粘って領土としたのに、今回はあっさりと引き下がったのか。
それが不思議なのだ。
「あの時はロシアの脅威に備えるためです。それにすでにわが国の民が入植し、女真の人々とも交易して潤い、商圏として成立していたからです。ゆえに領土として譲らなかった。今回は違います」
ヌルハチはしばらく黙り込み、純正の言葉を深く考えているようだった。二人の間に流れる静寂には、遠くから聞こえる兵士たちの訓練の声だけが破っている。
「なるほど。つまりあなたの国にとって必要だったから領土としたが、今回は必要ではない、と」
「ええ。正確にはあの場所は既に我々の領土となっていましたからね。民もいて産業も育っていた。建州沿岸はまだわが国の領域外です。率直に言えば、そこまで拡大する必要性を感じていないのです」
ではなぜ陸海軍を出動させ、領土化を急いだのか?
女真の領土になる前に取ってしまえ、それが本音だったのではないか?
満州王たるヌルハチは両手を膝の上に置き、やや前のめりになる。
「しかし、将来的には必要になるかもしれませんな」
「その時はその時で考えねばなりませんが、可能性は低いと思います。今は両国の誤解を解いて友好関係を築くことの方が重要ですよ」
「なるほど。では少なくともわれらが生きている間はお互いに敵ではありませんな」
純正は考え込んだ。
二人が共通の認識を持っている限り、という意味なのか。
「そうですね」
もちろん純正にも打算はあった。
いま満州国と戦争しても勝てるだろう。あまり大陸内部に踏み込みたくはないが、明との戦争と同様に、軍事力で圧倒できる。
ただ、海軍の出番はないかもしれない。
それに建州沿岸を満州国が領有したとしても、外洋航行が可能な船を建造できるようになるまで何年もかかるはずだ。
蒸気船などそれこそ100年たっても無理だ。
ヌルハチの言葉を借りれば、確かに支障はない。
250年以上の技術格差があるのだ。
結局、純正はヌルハチとの会談で土拉子(スラヴャンカ)より南を満州国とし、以北を肥前国領とした。
豆満江沿いの砦は破却して兵も退いたが、海賊や野盗対策のための最低限の兵力は残している。これは朝鮮側も同じだ。警察レベルに毛が生えたような規模の警備隊である。
建州沿岸を占領するよう命じた陸海軍には撤退を命じた。
海軍に関しては越中・岩瀬の鎮守府をウラジオストクに移転させ、警備府に降格させる。
あくまで可能性の話だが、有事のためであった。
次回予告 第836話 『明の内情と三国志』

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