第837話 『駐ポルトガル肥前国大使とスペイン宰相』

 慶長二年二月二十二日(1597/4/8) ポルトガル リスボン 肥前国大使館

「これはこれは……(招かれざる客か)予想だにしなかったお客人ですね」

 駐ポルトガル肥前国大使の松浦九郎ちかしはわずかに笑みを浮かべて来客を受け入れた。

 アロンソ・ペレス・デ・グスマンはアルマダの開戦時のスペイン艦隊の司令官である。

 フェリペ2世は昨年のイギリス・オランダ連合艦隊によるカディス攻撃の敗北によって彼を罷免していた。

「松浦大使閣下、はじめてお目にかかります。スペイン王国のメディナ・シドニア公であり外交特使のアロンソ・ペレス・デ・グスマンでございます」

 長いな、と親は思った。

 しかしグスマンのそれは上から目線ではない。フェリペ2世は肥前国に敬意を払い、グランデの特権を持つ公爵として彼を特使に任命したのだ。

 彼は肥前国との交渉という重責を担い、名誉挽回ばんかいの機会を得た。

「閣下、この度は機会を設けていただき、感謝します」

 深々と頭を下げ、親も静かにほほえむ。

「グスマン閣下、遠路はるばるようこそ。して、今回はいかなる用件でしょうか」

 親はわかりきった質問をした。この状況でスペインの外交特使が自分に会いに来るなど、理由はひとつしかない。何度もポルトガル外務省から、仲介としてスペインとの和平交渉の打診を受けていたからだ。

 しかし、はいそうですかと簡単に会うわけにもいかない。

 相手は敵国、交戦国の使者なのだ。

 考えられる目的は降伏勧告か講和交渉だが、前者はあり得ない。2度の開戦で完膚なきまでにたたきのめし、アジア・太平洋から駆逐していたからだ。

 講和交渉だとしても、正直なところ肥前国としてはメリットがない。確かに最長期間におよぶ交戦国であり敵性国家ではあるが、現時点で差し迫った脅威ではないのだ。

「大使閣下、単刀直入に申し上げます。わが国は貴国と講和条約を結び、戦争状態を終わらせたいのです」

 真剣なまなざしで話すグスマンであるが、誠実さが表に出ていた。この真面目さがアルマダやカディスの敗因となったと言えるのかもしれない。

「……はて。貴国とわが国は戦争状態にありましたかな?」

 親はわざとはぐらかす。

 スペインの本音を探るためだ。

 宣戦布告はないので厳密に言えば戦争ではない。宣戦布告の概念がヨーロッパ諸国にあったかどうかは別として、グスマンの口から具体的な戦闘行為の詳細を聞くためでもあった。

 肥前国から仕掛けた戦闘ではない。

 すべてはスペインからの攻撃で始まったのだ。一度戦闘が始まれば報復攻撃は当然である。しかし第一次海戦から26年、第2次海戦からすでに19年が経過している。

 事実上の休戦状態と言っても過言ではないが、単にスペインに反撃の余力がなかっただけに過ぎない。でなければ反撃してきたのは誰の目にも明らかなのだ。

 ヨーロッパにおける宗教論争に始まったカトリックとプロテスタントの戦いが、スペインの国力を大いに疲弊させた。オランダ17州の独立を許し、フランス王に即位したアンリ4世とは戦争が続いている。

 アルマダの海戦で敗北した後海軍力の再建を図っていたが、イギリス・オランダに対して劣勢が続いていた。そんな状況下で新大陸での肥前国軍とヌエバ・エスパーニャ軍との接触の報告を聞いたのだ。

 苦渋の決断であったが、現実的に取り得る手段はこれしかない。

「閣下、冗談はおよしください」

 グスマンは真面目な顔で言った。

「では、貴国が考える『戦争状態』とは、具体的に何でしょう?」

「……貴国との最初の海戦は、1571年、フィリピナス諸島のメニイラにおいてでした」

 親の質問に対してグスマンが答える。

 スペインはフィリピンを拠点にアジアへの進出を図っていたが、肥前国の反撃にあって阻まれた。

「その後、1578年には、再び貴国の艦隊と交戦しました」

 19年前の第2次マニラ湾海戦。肥前国は再び勝利し、スペインの勢力をアジアから駆逐した。第一次海戦におけるスペインの損失は11隻で、肥前国も勝ちはしたが損害は大きかった。

 しかし第2次海戦では、肥前国が30隻近いスペイン艦隊を壊滅させている。

「……そうですね。確かに貴国との間には幾度かの戦闘がありました。しかしそれらはすべて、貴国からの侵略行為に対する自衛行為に他なりません」

 親の言葉は歴史の真実を突きつける。スペインは侵略者であり、肥前国は自衛のために戦ったのだ。

 かつてスペインとポルトガルが世界を2分していた時代は終わりを告げている。

 世界は変わり、以前の力関係はもはや存在しないのだ。

 グスマンは親の言葉に静かにうなずいた。

 スペインの凋落ちょうらくは明らかであり、アジアどころか太平洋における覇権は今や肥前国にある。さらにヌエバ・エスパーニャにも触手を伸ばしている事実が、フェリペ2世を動かした。

 グスマンは状況を再認識し、交渉のテーブルに着く。




「ではグスマン閣下、わが国としても平和は望みますが、貴国との講和に利を感じない。今のままでもまったく問題がないからです。貴国が一方的に始めた戦争、終わらせるには相応の条件が必要ですよ」

 グスマンにとって非情ともとれる親の言葉が応接間に響き渡った。




 次回予告 第838話 『条件』

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