慶長二年二月二十二日(1597/4/8) ポルトガル リスボン 肥前国大使館
どれくらいの時間がたったのだろうか。グスマンは言葉をしぼり出す。
「奇妙な問いですが、もし閣下が逆の立場に立たれた場合、講和に応じる条件は何でしょうか?」
「? 本当に変な質問ですね。閣下、条件とはそもそも、交渉の打診を受けた側が提示するものではありません。もう一度申し上げますが、わが国は現状のままでも平和を享受しているのですから、まったく問題はないのですよ」
親は問いに対して、笑顔を浮かべながらも、しっかりとした声で答えた。
当然である。
相手が提示した条件を受け入れるかどうか、それだけのことだ。
状況を覆すためには、自国からの譲歩が不可欠であるとグスマンは痛感している。
肥前国の底知れぬ力と親の揺るぎない自信を前に、彼はこの強大な国をどう動かすべきか、深く思考を巡らせるしかなかった。
条件を考えていなかったわけではない。
大きく分けて二つ。
賠償金と領土の割譲。
フェリペ2世は「言語道断だ」と言い放ったが、それは現実的ではない。他に肥前国を納得させる条件があるだろうか。
だが、いきなり賠償金や割譲の話を持ち出せば、後戻りができなくなる。そのため、グスマンは考えられる条件をしぼり出したのだ。
「閣下、トリデシリャス条約とサラゴサ条約についてご存じでしょうか?」
「ええ、知っています」
肥前国では日本史とともに世界史も学んでいた。
もちろん現在ほど系的ではない。しかし、スペインとポルトガルが交わした二つの条約は、外交官として知っておくべき重要な事実である。
「今から103年前に締結されたトリデシリャス条約と、65年前に成立したサラゴサ条約についてです」
「はい、知っていますが、何か特別なことがありますか?」
親は淡々と聞いているが、グスマンがいったい何を言おうとしているのか興味津々である。
「ポルトガルとわが国は、西経46度37分より東、東経133度までをポルトガル領とすることで、世界を二分する取り決めをしました」
「ええ……」
親の表情を確認しながら、グスマンは話を続ける。
「しかし境界線が曖昧なため、貴国がどちらの勢力圏に属するのか一考の余地があります。そこで提案なのですが……」
グスマンは一呼吸置いて、親の目をまっすぐに見つめた。
「貴国とわが国で、新たな条約を結びませんか?」
「ぷ、く……あ、あーはっはっはっは!」
しばらく沈黙していた親は、抑えきれない笑い声をあげる。
「な、何がおかしいのですか?」
グスマンは赤面しながら尋ねた。
「……だって、いや失礼。おかしなことだらけではありませんか」
親は息を整え、居住まいを正して続ける。
「まず一つ目は、講和条約の話に別の条約の話がでている点。二つ目は、その条約は両方とも貴国とポルトガル間の条約であって、わが国はまったく関係ない点。三つ目は根拠。何をもって誰が許すのか、そもそもなぜ世界を2か国で分けるのか意味不明です。数え上げれば切りがありません」
親の言葉は、グスマンの提案を一笑に付した。
いまだに世界を二分する王国だと自称する発言だが、駐ポルトガル肥前国大使である親には冗談にしか聞こえない。
グスマンは内心で『やはり無理か』と思いつつも、悟られてはならないと冷静さを装って反論を試みる。
親が言う矛盾点は下記のとおり。
1.第三国への条約適用の非妥当性
トルデシリャス条約(1494年)とサラゴサ条約(1529年)は、スペインとポルトガルの二国間でのみ結ばれた協定であり、日本を含む第三国を拘束する法的根拠がない。一方的な領有宣言に過ぎず、肥前国がこの条約を認める義務はない。
2.地理的・歴史的文脈の無視
トルデシリャス条約の分割線(西経46度37分)は大西洋上に引かれていて、太平洋側での適用は想定されていない。サラゴサ条約で東経133度が追加されたが、日本は条約締結時(1529年)にはまだ発見されていない(1543年)。
グスマンは『日本がどちらの勢力圏にも属さない』と主張しているが、条約の実態とはかけ離れた解釈をしている。
3.肥前国の主権軽視
提案は『スペインとポルトガルが世界を二分する』前提に立っている。現在日本は大日本国として統一政権が生まれており、事実上の外交部門である肥前国も、北米西岸からアフリカ西岸まで広範囲を領有する独立主権国家。
4.交渉戦略の矛盾
グスマンは『賠償金と領土割譲』以外の条件を模索するために歴史的条約を持ち出しているが、講和交渉の本質から逸脱している。
5.時代錯誤的な国際認識
これまで東アジアでは明や朝鮮との冊封体制が主流であったが、現在は肥前国を中心とした共存共栄の新たな秩序が形成されつつある。そもそもヨーロッパ式の領土分割概念が通用しない。
※結論
グスマンの提案は、ヨーロッパ中心の世界観を一方的に押し付け、肥前国の主権や地域情勢を軽視している。
「ちなみに閣下、さきほどおっしゃった条約とはどんな内容ですか? あくまでちなみに、ですが」
「それは……」
グスマンはくちごもるが、スッと息を吸い、吐き出した。
「東経133度線では肥前国がわが国の領土となってしまいます。ですからモルッカ諸島より北に関しては、さらに東にずらして肥前国の主権を認める、そう言おうとしました」
要するに肥前国としての主権と領土を認め、侵害しない。しかし親にとっては笑い話でしかなく、まったく意味がないのだ。
「閣下、閣下はまことに面白いことを仰せですね。わが肥前国は誰に許しを得なくてもそこにあり、わが民とともにあります。わが国の独立に貴国の許しは必要ありません。それに……」
親はそばにいたポルトガルの外交官に目配せをして、同意を得た。
「すでに領土と主権に関しては、わが国とポルトガルは条約を結んでおります。軍事的な安保条約と同時に正式に結ばれていますが、既存の領土には異議を唱えません。また、新たに得た領土に関しては先取権があり、その後は話し合いにて解決すると決めています」
グスマンの顔色が変わる。
ポルトガルと肥前国の条約は知っていても、詳細までは把握していなかったのだろう。外交とは情報戦であり、常に優位に立たなければならない。
親はその鉄則を忠実に守っていただけであるが、今回はそれ以前の問題である。
「ならば……」
グスマンは食い下がる。
「太平洋の島々はもちろん、アラスカの領有も認めましょう。これならばいかがですか?」
「……」
親はため息をついた。
「閣下、認めてもらう必要などないのです。わが肥前国と国民はすでにそこにあるのですから。存在し、生活しているのです。閣下、私はわが国に有益だと思うからこそ、時間を割きました。これ以上無益な話ならば、お帰りいただきたい」
「お、お待ちください! ……まず謝罪、謝罪いたしましょう!」
「ほう……謝罪ですか」
謝罪など一文にもならないが、国の威信と誇りに関わると親は考え、もう少し話を聞いてみようと思った。
次回予告 第839話 『あり得ぬこと』

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