第338話 『くすぶる火種、されど購入は決まりけり?』

 慶応元年十一月三日(1865/12/20) 江戸城 御用部屋 夜

「安藤様、真にあのままで良かったのですか?」

 小栗上野介と渋沢篤太夫、大村純顕と太田和次郎左衛門が下城した後の御用部屋での会話である。

 板倉勝静や稲葉正邦ら老中院の面々は、安藤の『優先すべきは国益』との発言を受けて、大村藩の行動を半ば黙認する形で会議を終えた。

「良いとは言えませぬが、今はこれが最善にござろう。大村家中を糾弾していかが致す? 蟄居ちっきょか? 謹慎か? 登城停止か? どれも公儀……日本全体にとって益のないことではないか」

 信正は老中衆の意見を一通り聞いた後、目を閉じて一呼吸おいてから答えた。

「それは承知しております。然りとてこのままでは公儀の沽券こけんに関わりますぞ」

「然様、沽券に関わりはするが、消え失せはせぬ」

 消え失せ?

 誰もが信正の発言に耳を疑い、顔を見合わせた。

「消え失せ……? いったい何が消え失するのですか?」

「……公儀じゃ」

「な、何を仰せか! いかに大老の安藤様であっても言葉が過ぎましょう! 公儀が消え失するなど、口が裂けても仰せになってはなりませぬぞ」

「然様! 何をもって公儀が消え失するなどと仰せか?」

 思わず膝を立てて信正に正対する稲葉に続いて、板倉も声を上げて信正の失言(だと彼らは思っている)を追及した。

「古来、考えを一にし、志を同じくしていた者たちは、末永く生を全うした。さりながら終に(ついに・最終的)は、その者たちでさえ心変わりによっていさかいを起こし、閉じめ(最後)には戦に至ってきた。大村家中と公儀が、そうならぬと言い切れますかな」

「な……」

 安藤の言葉は、老中たちの心に深く突き刺さった。

「然様な……公儀に弓を引く者など、いるはずがございませぬ。いかに大村家中の功が大きいとはいえ、そこまで増長いたしますまい」

「然様、せぬでしょう。然りながらこたびの儀で、前例がないからと厳しい沙汰を申し渡せばいかが相成ろうか? いかほど真かは分からぬが、公儀のためとまで申したのだ。それとがを重き罰に処せば、必ずや大き恨みとなろう。座して死を待つであろうか?」

 安藤の言葉に、老中たちは黙り込んだ。

 彼らは安藤の危惧が杞憂きゆうではないと理解したのだ。

 大村藩の勢力は幕府にとって無視できないほど膨れ上がっており、彼らを安易に罰すれば内乱の火種となりかねない。

 しかしそうは言っても、大村家中の行為を黙認すれば、幕府の権威は地に落ちるだろう。

「それは……然りながら、おとがめなしでは示しがつきませぬ」

「ゆえに何もせぬ、とは申しておりませぬ」

「え?」

「今は、と申したのです。しかるべき時が来れば罰を与えればよい。しかと記し、沙汰は先に延ばすと伝えるのです。情けないが、今は大村家中の力が要りましょう」

 安藤の言葉に、老中たちは顔を見合わせた。

 苦渋に満ちた表情からは、彼らが幕府の置かれた苦境を痛感していることが伺える。外国とのさまざまな問題や、内憂となりかねない大村家の存在。

 この二つの難題を同時に解決しなければ、幕府の未来はない。




 ■江戸 大村藩邸

「殿、申し訳ございませぬ。それがしの言が、家中を危うくするところにございました」

 次郎は藩邸で純顕に謝罪した。

「なに、構わぬ。お主が言わねばわしが言っておった。決して公儀を軽んじているわけではない。開闢かいびゃく以来、国を守り続けてきた政体であるからの。然れど前例がないとはいえ、今にも改易しそうな勢いではあったな。お主のおかげで、わしも心の臓が強くなったのではないか」

 頭を下げている次郎に向かって、純顕はカラカラと笑いながら答えてさらに続ける。

「それよりも次郎、金は大丈夫なのか? アラスカを買うための金はいくらだと申したかの」

「二百六十三万両でございます」

「うむ、相当な金額ではあるが、つつがなく払えるのか?」

「まったく子細なし(問題なし)にございます。イギリスからの賠償金もありますし、大浦屋や小曽根屋も興味を示して出資を申し出ておりました」

「ははははは! 然様か、さすがは次郎であるな」

 大いに笑う純顕であったが、次郎が抱えている悩みには気づいていた。

「して次郎、入る金はあっても、出る金も多いのではないか?」

 純顕の的を射た言葉に、次郎はハッとした。幕末の世に転生してから30年。長い付き合いである。以心伝心と言うべきか、次郎の悩みは筒抜けなのだろう。

「恐れ入ります、いやはや殿には隠し事はできませんな」

「何年の付き合いじゃと思うておるのだ」

 再び二人の間に笑いが生まれる。

 本当に良かった……。

 転生して一時はどうなるかと思ったが、本当にこの主君で良かったと次郎は再確認した。

「実は、海軍と陸軍の維持費が高いため、近年は歳出が歳入を上回っております。ゆえに歳入を増やさねば、やがて借金をせねばならなくなります」

「うむ、然様か。お主のおかげで家中はここまで大きくなった。ゆえに口出しはせぬが、いかがだ? 箱館に行く前に一度大村に帰ってみてはいかがであろうか。わしも参勤せずともよくなったゆえ、帰ろうと考えておる。どうにも江戸は、居心地が悪うてな」

「帰藩ですか……。良いかもしれません。一度、腰を据えて有り様(状況)をつかみ、新たな歳入の算段をするのも悪くないでしょう。殿がお帰りになるのであれば、それがしもともに帰りましょう」

 次郎はそう答えると、表情を引き締めた。

 そうだ、信之介が言っていた報告をまとめて聞こう。それからお里にも産業について相談しないとな。




 ■江戸 駿河台 小栗家屋敷

「篤太夫よ、お主と同じ考えをわしも持っておったが、鉱脈の儀は伏せることに相成った。万が一にもロシアや列強の耳に入れば、これまでの信用を失うゆえな。それでも篤太夫、集めること能うか? 二百六十万両もの金ぞ」

 小栗上野介の言葉に対して、渋沢篤太夫は首をかしげた。

「上野介様、必ずや集めてみせます……と申し上げましたが、実は……少々厳しいかと存じます。商人は利によって動くものです。どこにあるかも分からぬ物には、たとえ一文でも出さぬでしょう。金脈の儀を伏せるとは、私もそこまでは考えがおよびませんでした。それゆえ、いかにして商人の信を得るか、それにかかっております」

 小栗は『ふむ』と一言つぶやき、しばらく考え込んだ。

「うむ、かたしところだな。されど金山かなやまの儀を伏せるとは申したが、どこの金山かまでは安藤様は仰せではなかった。くわえて蝦夷地で金が出たことは真であろう? アラスカではなく、蝦夷地を開拓すると伝えて集めてはいかがだ?」

「蝦夷地にございますか?」

 渋沢は頭の中で思い描く。

「蝦夷地の金山はウソではない。次郎殿の言によれば、蝦夷地よりもアラスカの方が金が出る見込みが高いのであろう? ならば蝦夷地もアラスカも同じではないか」

 樺太も北蝦夷地である。蝦夷地を蝦夷が住む未開の地と定義するなら、その理屈は必ずしも間違いではない。

「全額が難しなのは心得ておる。されど少なくとも半分、いや草分け(開拓)の金も含めると、百五十万両は要る。成せるか?」

「……身命を賭して、集めまする」

「うむ」

 上野介は満足げにうなずくが、その表情には、困難な状況を乗り越えていくであろう渋沢への期待が込められていた。




 次回予告 第339話 『かき集める』

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