慶長二年二月二十二日(1597/4/8) ポルトガル リスボン 肥前国大使館
「ほう……謝罪ですか」
謝罪の言葉では足りないが、国の威信と誇りに関わる問題だと親は考え、もう少し話を聞いてみようと思った。
それにしても、グスマンの変わり身の早さには感心させられる。
しかし、今さら態度を変えたところで、こちらの要求を受け入れるつもりはないだろう。あくまで、今後の交渉を有利に進めるための時間稼ぎと考えるべきだ。親は警戒を緩めず、次の言葉を待った。
「謝罪とは、過去の戦闘行為に対する公式な陳謝でございます。1571年のフィリピナスでの衝突および1578年のメニイラ湾海戦について、これらを『誤算』と認め、公文書にて謝罪し、新たな関係の構築を提案いたします。現在の敵対関係を清算し、平等な立場での外交関係を結びたいと考えております」
「誤算ですか?」
親の眉がピクリと動いた。
数多くの犠牲を出した戦争を、たった一言で片付けようというのか。
グスマンは言葉を続けた。
「もちろん、これだけではありません。貿易に関しても、特別な条件をご用意しています」
「貿易? ……失礼ながら、グスマン閣下。貴国とわが国は国交がありません。その上、現在は戦争状態にあります。謝罪だけで賠償・領土割譲もなく、いきなり貿易の話を持ち出すのですか? それが無茶な話であることは、子供でも理解できますよ」
現時点では共存不可能な国の外交官同士の会話である。親は、これが建設的な会談になるとは思えなかったが、ポルトガルの高官の前で無下にするわけにはいかなかった。
しかし、それも一度限りである。
『二度はないぞ』と思いつつ、グスマンの言葉を待った。
「貴国の商船に対し、カディスおよびセビリアにおける特別な貿易特権を付与いたします。さらに、新大陸との交易においては、アメリカのベラクルス港での優先的な取引権を提案いたします」
「ふむ、他には何がありますか?」
ちなみに、親は聞いている。
「こちらをご覧ください。わが国は、日本との貿易において、特別に有利な条件を提示いたします。例えば、生糸や陶磁器をはじめとした輸出品への関税軽減、そして日本が必要とする鉄砲や火薬などの輸入品の価格抑制をお約束いたします」
この男はいったい何を言っているのだろうか?
それが親の率直な感想である。
時代錯誤がはなはだしく、状況認識の根本が誤っていた。
実際、当時のスペインは肥前国と国交がなく戦争状態にあり、地理的にも離れていたため、ポルトガルを介して得られる情報しかなかった。
他の情報源としては宣教師経由があるが、それも大差はない。
ポルトガルはスペインと姻戚関係にはあるものの、外交的には距離があり、情報収集をより困難にしている。
「閣下、やはりお帰りいただくしかないようです」
「なぜですか? これではまだ足りないのですか?」
関税?
鉄砲や火薬?
カディス、ベラクルス、セビリア?
親は頭を抱えたくなった。この男は肥前国の国情を理解していない。関税の軽減など、全く意味がないのだ。
「申し上げにくいのですが、今閣下がおっしゃったことは、肥前国には必要ありません」
グスマンの顔色が変わった。
「鉄砲と火薬は自国で生産していますし、生糸や陶磁器もポルトガルや東南アジア、ああ、ここでは東インドと呼ぶんでしたね。十分に輸出できています。本国から遠く離れたベラクスルヤカディスで特権を得たとしても、国益になりません」
グスマンは言葉を失っている。
まさかこれほどまでに状況が異なるとは想像もしていなかった。ポルトガルとの国交の疎遠さが、ここにきて裏目に出たのだ。
「閣下、これ以上はお互いに時間の無駄になるでしょう。お引き取りいただけますか? 次回お越しいただく際には、もう少しわが国の状況を理解してからにしていただきたい」
「お待ちください! わが王は、陛下は戦いを望んでおりません。どうか、これ以上戦いをおこさないようにお願いいたします!」
グスマンは嘆願するしかなかった。
「いいでしょう。ただし、この会談の内容や私の意見が本国に届くまでには数か月かかります。もちろん、戦いは殿下、わが王も望んでいません。しかし、攻撃を受ければ、反撃せざるを得ません」
■マドリード 王宮
「このような次第で、誠に申し訳ございませんが、会談は失敗に終わりました」
アロンソ・ペレス・デ・グスマンの報告を聞いたフェリペ2世と首席秘書官のマテオ・バスケスは、失望した。
失望したとしか表現しようがないのだ。
「ハプスブルク家の太陽は、もはや沈むしかないのか」
フェリペは重々しくつぶやく。
事態は想像以上に深刻である。オランダとの戦いは長期化しており(フェリペは独立を認めていない)、イギリスとの関係も悪化の一途をたどっていた。
その上、フランスは戦争を通じてスペインの弱体化を狙っている。
新大陸における利権をスペインは容易に手放すつもりはない。肥前国に対する貿易の特権供与は方便であり、講和成立後に調整すればよいと考えていた。
交戦中であるフランスや、独立を画策するオランダへの対応に苦慮している現状では、これ以上の火種は避けたいのが本音である。
『なんとかならないか、マテオ』とフェリペは傍らにいる首席秘書官に問いかけたが、マテオの返事は暗かった。
「陛下、現状では難しいかと」
マテオは困難な立場に置かれていた。
主君であるフェリペ2世の期待に応えたい気持ちは強いが、現状はあまりにも厳しい。グスマンの報告は、スペインの外交戦略の誤りを如実に示していた。
彼らは肥前国、すなわち日本の実情をまったく理解していなかったのだ。
「まずは正確な情報収集が不可欠だと考えます。ポルトガルとの関係改善を図り、肥前国の実態を把握する必要があるでしょう」
フェリペは静かにうなずいた。
「そうだな。しかし、時間があまりない。新大陸での我らの権益を守るためには、迅速な対応が必要だ」
ポルトガルとスペインの外交関係は冷え切っているものの、断交には至っていない。肥前国との軋轢を懸念し、両国の関係は好意的とは言えなかったが、貿易に関しては民間の商人の間で小規模ながら行われていた。
「まずは貿易協議をするべきです。課している関税を廃止または引き下げて、経済の活性化を図りましょう。国内のギルドから反発があるかもしれませんが、背に腹は代えられません」
マテオの言葉に対し、フェリペは苦渋の表情を浮かべたが、進言を受け入れるほかないだろう。
「わかった。マテオ、貿易協議の準備を始めてくれ」
フェリペは重い口を開いた。
次回予告 第840話 『3年後の紫禁城』

コメント