第8話 『砂糖と塩』

 1590年2月9日 オランダ デン・ハーグ 

「ポルトガルやフランスの一部では、砂糖が3分の2程度にまで安くなっているそうですよ。どうやらアメリカ南部のブラジルで大量生産に成功したようで。まあ、あくまで噂に過ぎませんがね。本当ならば輸入されるかもしれませんね」




「まずい、まずい、まずい、まずい……」

 フレデリックは市場調査で知った驚くべき事実に、いても立ってもいられなくなった。史実とは異なる事実が、歴史として進展しているのである。

 ブラジルでは砂糖の栽培が盛んだった。

 しかし今世では、アフリカ大陸からの奴隷供給は存在しない。もともと砂糖は調味料ではなく、貴重な薬品として使用されており、徐々に普及していった。
 
 現在も地中海沿岸やポルトガル本土では砂糖が生産されている。しかし次第に生産の中心が大西洋の島々、マデイラ島やカナリア諸島、そしてブラジルに移っていったのだ。

 ポルトガル商人はアフリカから連れてきた黒人奴隷を働かせていたが、セバスティアン1世は今世では売買を廃止している。

 その結果、ほぼ無償の労働力で計り知れない利益を上げていた砂糖生産は、重大な転換期を迎えたのだ。

 ここでセバスティアンは正規の労働者として黒人を雇用し、徹底したコスト削減と効率化、生産性の向上を図る。さらに、高速輸送船を活用してヨーロッパ市場への供給を開始したのだ。

 供給量が増加して価格も下がったため、利益率は低下したが、結果的にポルトガルにおける新しいビジネスモデルは成功を収めた。

「ともかく情報収集しながら、利益率を計算してみよう」

 フレデリックは、砂糖、石けん、塩、ロウソク、ストーブの利益率を計算しようと試みた。

 地中海はもちろん、大西洋の島々や中米にはオランダの植民地は存在しない。

 サトウキビの栽培が不可能であったため、代わりにテンサイを育ててショ糖を製造する。砂糖に加工して販売しようと考えたのだ。

 そうは言ってもフレデリックはテンサイの存在を知っているが、その形状は全くわからない。彼は可能性のある植物を求めて、市場の八百屋を巡りながら探し回った。

 葉っぱが飼料用に生産され、販売されていることしかわからない。1か月間探し回ってようやく見つけたが、種になるカブや人件費などを考慮すると、以下の計算式が成り立った。




 まず、10アールの畑で収穫できるテンサイの量は1,662kg。

 製造できる砂糖は250kg(約550ポンド)で、値段は1ポンドあたり24ギルダーから36.5ギルダーとする。売上は1万3千200ギルダーから2万75ギルダーになる計算だ。

 10アール(バレーボールのコート6面分)あたりのコストは、一人で管理できる場合、年間約1,800ギルダーとなる。したがって年間利益は1万千400~1万8千275ギルダー。




 よし! よしよし!

 フレデリックは小躍りした。

 十分すぎる利益率であり、価格破壊を引き起こして欧州全体の砂糖市場を独占できると言っても過言ではない。

 ただしこれは天候に左右されるため、品種改良やろ過などの技術開発が必要である。そのため、順調な生産が実現するまでには2~3年かかるかもしれない。

 それに安くなったとはいえ高級品に変わりはない。ポルトガル産の砂糖を駆逐するには、最適な価格と販売可能な数量を調整していく必要があるだろう。




 2番目に考えたのは塩である。

 塩の価格はフランスの天日塩が1ポンドあたり1スタイバー、リューネブルク産が3スタイバーであった。

 フランスやポルトガル産の塩は安価だが、褐色で不純物が含まれている。一方、リューネブルク産の塩は白色で純度が高く、その分価格も高い。

「現実的なのは……流下式塩田だな」

 フレデリックは人件費、技術的な可否、生産量に着目して考察した。

 問題はコストである。

 計算にはかなりの時間を要したが、燃料費や人件費を考慮しても大量生産が可能であるため、十分に実現可能だ。

 生産量は1ヘクタールあたり年間220トンで、人件費は1ヘクタールあたり年間5,616ギルダー(20人分)。

 燃料費は泥炭を使用して2,910ギルダー。合計で1ヘクタール(220トン)あたり8,526ギルダーとなる。1ポンドで0.018スタイバー。

 よしっ! よしよし!

 これも大もうけだ。




 フレデリックはほくそ笑んだ。

 この時代、オランダはフランスやポルトガルから天日塩を輸入し、再精製して輸出していた。その技術があったため、高価なリューネブルク産の塩の流通量は次第に減少していくことになる。

 それでも仕入れの原価(輸入天日塩)が1ポンド1スタイバーであるため、精製して売るとなると価格は1.××~3スタイバーだ。

 ここに殴り込みを入れようと思うが、そう簡単にはいかない。

 塩には塩のギルドが存在していたのだ。

 猛烈な反発があるに違いない。

 フレデリックは考えたが、兄のマウリッツもオランダの商業の根幹を支えている各種ギルドを敵には回せないはずだ。

 !

 できないのであれば、取り込めば良い。

 対立するのではなく、丸投げして利益を折半するのが良いのではないか?

 まさに発想の転換である。

 中世の街では、大工、鉄工、肉屋、布屋など、あらゆる職業にギルドが存在していた。

 オランダも例外ではない。

 それぞれのギルドは徒弟制度という厳格な身分制度に基づき、製品の品質、規格、価格を厳格に管理し、高い水準を維持していたのだ。

 ギルドは販売、営業、雇用、さらには職業教育に至るまで独占的に支配していたため、自由競争は存在しない。構成員は互いに協力し合い、安定した生活を享受していた。

 そこに殴り込めば、当然ながら紛争が発生する。

 ならば、精製の技術は極秘中の極秘として、すべてを囲い込めばいい。

「ふふふふふ……。折半でも相当な利益が出るぞ」

 笑いが止まらないフレデリックだったが、ひとつ気がかりな点があった。

 実は、市場を見て回る中で、『ポルトガル産』と呼ばれる真っ白な精製塩を見つけたのだ。価格は1ポンドあたり2~2.5スタイバーで、時期によって変動する。

 オランダが精製し、輸出・販売している精製塩ではない。

 間違いなく『ポルトガル産』と書かれているが……。

 ここから導き出される答えは一つ。

 ポルトガルには、フレデリックとは異なる製法で塩を精製する技術を持つ人々がいる。彼らが現地で精製した塩を輸出し、販売しているのだ。

「まずいな……」

 フレデリックは小さな声でつぶやいた。

 輸送費は価格の約3分の1から半分であると、港で聞いて知っていた。

 ポルトガル産はフランス産よりも輸送費がかかるため割高となる。しかし1ポンドあたり1.2スタイバーで粗塩が販売されているので、精製にかかる人件費を加えてもそのままの価格で売れるはずだ。

 それにもかかわらず、2~2.5スタイバーで販売されている。

 人件費をフレデリックの計算の10倍と見積もっても、十分な利益となるはずなのに……。




「関税だ」

 フレデリックはつぶやいた。

 それ以外に考えられない。おそらく……ギルドの反発を受けて輸入自由化を阻止するようマウリッツに進言があったため、関税が課されたのだろう。

 謎のポルトガル塩には、100~150%の関税が課せられていることになる。

 通常ならあり得ない関税率だが、ほぼ同じ品質の商品が同じ価格で販売されているため、辛うじて貿易戦争には至っていない。

 フレデリックがマウリッツに提案したように、以前からオランダとポルトガルは友好関係にあった。この関係は、政治的な交渉によるものだろう。

 例えば、ポルトガル産の積荷に対してのみオランダ船舶の輸送料を優遇するなどの措置がある。




 ……いずれにしても、フレデリックの心配は尽きなかった。

 転生したこの世界では肥前国によって歴史が変わり、その影響で友好国であるポルトガルが進歩していないはずがないのだ。

 もしポルトガルが肥前国の技術を導入し、技術革新を進めていたら?

 間違いなくオーパーツ的な技術がヨーロッパを席巻するだろう。

 その可能性を考慮すれば、ろ過技術にも納得がいく。




「……さて、次は石けんだが」

 フレデリックは気になったが、詳細はさらに調査する必要があった。




 次回予告 第9話 『石けんとロウソクとストーブ』

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