第369話 『かき集める』

 慶応元年十二月一日(1866/1/17) 

 駐日ロシア領事エヴゲーニイ・ビュツォフとの約束の期日が過ぎていたが、次郎は適当な理由をつけて延期してもらった。

 年末でもあり、ロシア側も早めに進めたい意向があるとはいえ、数か月の猶予があったためである。

「さて、購入資金は十分にあるとして、お慶さんや乾堂くんにも話を通しておかないと、後々面倒になるからな」

 大浦慶と小曽根乾堂は、長崎を代表する商人であった。両者とも坂本龍馬をはじめとする幕末の志士たちを支援したことで有名である。

 大浦屋はもともと油問屋だったが、石けんと茶の取り扱いを始めてから急速に拡大した。

 両者とも国内の石炭や石油を取り扱っているが、茶以外の取り扱い規模は小曽根屋の方が大きい。

 結局大浦屋は20万両、小曽根屋は30万両の出資が決まり、購入費用とは別に投資する形となった。

 史実において兵庫商社が設立される際、大阪の豪商20名が100万両を調達している。

 だが実際には、山中(鴻池)善右衛門、広岡九右衛門、長田作兵衛の3名が半分以上を出資していたのだ。

 大浦屋は大村藩の茶の輸出における利益を折半し、毎年約8万両の収益を上げている。

 出資金額は妥当であった。




 ■大村藩 次郎邸

 次郎が自宅に戻ると、書斎には各部署からの書類が山積みになっていた。

「まじか、これ」

 純顕に勧められて戻ってきたはいいが、報告書の量にうんざりしている次郎は、信之介の言葉を思い出した。

「確か電話を発明したって言っていたな」

 各部門からの報告書は、開発の進捗状況に応じて分類されている。

 ※開発済み

 ・無煙火薬

 無煙火薬の材料はエーテルとアルコールを混合してゼラチン化した綿火薬で、主に陸海軍工廠こうしょうが開発した。

「あれ? これってもしかしてB火薬? すげえな、信之介」

 歴史と軍事オタクの次郎である。

 ・電話

 ベースはグラハム・ベルの発明品と同じだが、基盤となる電信技術を開発していたため、大幅な改良が施された。

 送話器と受話器の性能が向上し、よりクリアな音声での通信が可能になっている。

 ・内燃エンジン

 蒸気機関に代わる動力源として、自動車や航空機への応用が期待される。効率的な燃料噴射装置と軽量化されたピストンにより、小型ながらも高出力を実現。

 自動車はプロトタイプから改良が進み、ガスではなくガソリンで駆動する。

 ・電球

 耐久性と発光効率を向上させるためにフィラメントを改良し、長寿命化を実現した。家庭用照明としての普及が期待できる。ガス灯と同じく城下町の夜を明るく照らし、人々の生活に安全性と利便性をもたらした。

 ・エフェドリン

 ぜん息やせき止め薬として、陸軍からの要請に基づいて研究が進められた。

 麻黄から抽出される天然のアルカロイドを基に、大量生産が可能な合成方法が確立。藩主の純顕も、一之進の立ち会いのもとで服用したことがある。

 ・結核菌およびコレラ菌の発見

 顕微鏡の改良と培養技術の確立により、原因となる細菌の特定に成功。感染症予防のための衛生管理や、治療薬の開発への一助となる。

 ・狂犬病ワクチン、コレラワクチン

 一之進の指導のもと、予防医学の発展に大きく貢献。

 犬への予防接種が義務化された結果、狂犬病の発生件数は大幅に減少した。また、不衛生な水が原因で発生するコレラに対しては、ワクチンの普及により感染の拡大を抑制。

 領民の健康と安全に寄与している。

 ※開発中

 ・計算機

 複雑な計算を効率的に行うための、機械式計算機の開発が進められている。

 設計にはパンチカードによるプログラム入力方式が検討されており、多岐にわたる計算処理の自動化が期待される。試作機は完成し、藩の財政分析や統計処理への応用を計画中。

 なお、異なる理論に基づく計算機も研究中であるが、技術的な問題を解決する必要あり。

「まじすげーなこいつら。オレすげー! って自分を褒めたくなるけど、こいつらの方がすげーや」

 報告書には、他にも自然派化粧品の新作開発や、様々な開発品に関する報告が含まれていた。




 ■大阪

「なるほどな、わかりました。それでは小栗様は、わてらに蝦夷地の草分け(開発)のための御用金を納めよ、ちゅうことでんなぁ」

 鴻池本宅に集まるのは、大阪の豪商たちである。名だたる面々がそろっている。

「いえ、善右衛門様。そうではありません。徴用ではなく、金を投じよと仰せなのです。私は投資と呼んでおりますが、金を出し、利が出れば投資額に応じて配当が得られるのです」

 渋沢はそう言って、山中(鴻池)善右衛門に訂正した。御用金ではなく、あくまで投資なのだ。

「投資でっか……。配当ね……。なんとも、物は言い様でんなあ」

 歯切れの悪い物言いである。

 善右衛門と同様に、期待に胸を膨らませるどころか、厄介事に巻き込まれたくない気持ちが全員に見え隠れしているのだ。

 御用金とは、事実上の上納金である。

 名目上は借り上げ金であり、元金と利息を支払うものであった。しかし年利2~3%の低利で長期返済であった上、時代が進むにつれて強制献金と同義になっていたのだ。

 渋い表情になるのも納得できる。

「確かに、皆様がお疑いになるのもわかります。私も安政三年の岡部でのことは、今でも忘れられません。『お主たちは黙って言われたとおりに金を出せば良いのだ』などと、いっそのことクソ代官を殺してしまおうかとも考えました」

 幕府の使者として訪れた渋沢が公然と批判する姿に、万座はざわついた。

 今世の渋沢栄一は口が悪いようだが、前世はわからない。

「篤太夫さん、あんた、ご公儀の使いで金を集めにここに来たのに、そないな悪口を言ってはあかんとちゃいますか」

「良いのです。幕臣の皆様がクソ代官と同じならば、私もここにはいません。されど一橋の殿様や小栗様は異なります。真に日本のことを考え、そのためには商いの、つまりは皆様の力が要ると考え、御用金ではなく投資としたのです」

 歯に衣を着せぬ物言いと、『クソ代官』という言葉が出たおかげで、渋沢と商人たちの間の壁が崩れ始めてきた。

「なかなかおもろいで、篤太夫さん。よろしい。ほな、詳しいお話を聞かしてもらいまひょか。ええな、皆さん」

 山中善右衛門

 広岡久右衛門

 長田作兵衛

 殿村平右衛門

 辰己屋久左衛門

 平野屋五兵衛

 平瀬亀之助

 石崎喜兵衛

 白山彦五郎

 島屋市之助

 近江屋下之助

 鴻池屋庄兵衛

 炭屋安兵衛

 鴻池屋市兵衛

 加島屋作次郎

 加島屋重郎兵衛

 米屋伊太郎

 米屋長吉郎

 加島屋作五郎

 松屋伊兵衛

 史実では兵庫商社に出資した初期の創設メンバーによる会合が始まった。




 ■各所

 拝啓

 時下ますます御清祥の段、大慶に存じ奉り候。

 今般、国事多難に鑑み、蝦夷地の開発をもって国力増強を図るべく、事業への御出資を募り候間そうそうあいだ(募っているので)、なにとぞ御高配を賜りたく存じ奉り候。

 本事業は金山、湊、田畑の草分け(開拓)など、蝦夷地の豊かなる産物を活かし、わが国の繁栄に資する大事業にて候。

 公儀が直に管轄する事業への参画の機会たるのみならず、先の利益配当のあたうべき事も秘めたる(期待できる)事業にて候。

 つきましては、各位におかれましては本事業の重きを御賢察の上、御出資を御思案賜りたく存じ奉り候。

 御出資額は一口五百両より承り候。詳しき旨(内容)は後日、それがしより直に御説明申し上げたく存じ候。

 なお規定の金額に達した後は締め切り致したく存じ候間、お早めにお知らせいただきたく、重ねてお願い申し上げ候。

 恐々謹言

 勘定奉行

 小栗上野介忠順

 次回予告 第370話 『京都にて』

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