第841話 『調略』

 慶長二年五月二十三日(西暦1597年7月7日) 

「さて直茂よ、わが国は明国と講和しているわけだが、無論このままではいかん。いずれ明が力を回復すれば、再び大陸統一の野望を抱くやもしれんからの」

 純正は居並ぶ戦略会議室の面々を前にして、直茂に言った。

然に候さにそうろう。そこで今後は、従来の大陸を三分するために才ある人物を探し、明を内よりさらに弱らせるとともに、哱拝ぼはいの子である哱承恩ぼしょうおんきつける策が肝要かと存じます」

 本来は楊応龍にもう少し粘ってほしかったが、結局滅ぼされてしまった。

 明の勢力回復を阻害して弱体化させるためには、農民反乱などの内憂を増やし、寧夏国に強くなってもらう必要がある。

「ふむ、では今一度大陸の有り様を確かめるとしよう。千方、いかがだ?」

 問われた千方は、広げた地図を指し示した。

「ただ今の明国は内憂外患を抱え、疲弊しております。されどその国土は依然として広大であり、内に秘めたる力は侮るべきではないかと存じます」

「……続けよ」

「目立て(注目する)ねばならぬのは北方の蒙古、くわえて西南の少数の民にございましょう。彼の者らを巧みに操り、明の力をそぐべきかと」

「西南の民族とは、かつて楊応龍が担いだ苗族か?」

「然に候。苗族は明国に対して強い不満を抱いております」

 苗族は、初めは楊応龍に加担していたが、形勢が不利とみるや明に寝返った経緯がある。

 優遇されていた楊応龍時代の特権を忘れられないのか? 明が彼らに対して生かさず殺さずの方針を示すと、彼らは明らかに面従腹背の態度で従っている。

 また、反対に楊応龍と敵対していた五司七姓が権勢を振るっていた。

 黄平・草塘・白泥・余慶・重安の五司と、田・張・袁・盧・譚・羅・呉の七姓である。

 五司七姓は明の官吏と結びつき、苗族に対する圧力を強めている。

 この状況は、新たな火種となるかもしれない。

「では民を扇動し、苗族と共に携えさせて乱を起こすよう仕向けよ。なに、賊が勝ったとて長くは続かん。明の禁軍が動くであろうしな。それにもともと違う民じゃ、長くは合力能わぬ」

 明の軍事力は低下していた。

 肥前国は講和条約により明の軍拡を禁止している。そのため、明は全盛期の半分どころか3分の1程度の兵力しか保持していなかった。




 ・保有艦艇数の制限および合計排水量の制限。最大排水量の制限並びに主砲口径の制限および合計搭載主砲数の制限。保有弾薬量の制限(海軍、民兵の制限)。

 ・指定する地域の一部および全てにおける保有陸軍数の制限および保有小銃数の制限。保有小銃の弾薬量の制限並びに大砲の口径の制限、および合計保有大砲数の制限。保有大砲弾薬量の制限(指定地域の一部および全てにおける陸軍、民兵の制限)。




 この制限は随時見直される予定であったが、現在まで見直しの要請はない。明の兵力は25万人であり、これによって全国を統治している。

 肥大化した軍隊はそれだけで明の財政を圧迫していたが、縮小した兵力ですら、現在の明にとっては依然として負担となっていたのだ。

 しかしここで大規模な反乱が起きれば、最悪の場合その全兵力を投入しなければならなくなる。そうなれば他の場所で有事が発生した際に対処できない。

 結果として肥前国の介入を余儀なくされ、明の国威はさらに低下するわけだ。

 明にとっては痛しかゆしの状況である。

 現状を打破するためには経済の立て直しが不可欠だが、それには時間がかかる。その時間こそが、反乱の火種を大きくする可能性を秘めているのだ。

 明は今、まさに瀬戸際に立たされていると言える。

「あい分かった。では然様さよう(そのように)に進めよ。寧夏はいかがだ?」

「それにつきましてはそれがしが」

 そう言って発言を求めてきたのは、帰国したばかりの柳川調信やながわしげのぶである。

「寧夏では……これは某の見立てですが、おそらく哱拝殿の先は短いかと」

 おおお、と万座にざわめきが起こった。

「会った時は気丈に振る舞っていらっしゃいましたが、見た目には化粧を施しているようにございました。病に床から無理にはい上がってきたと思われます。寧夏の統治は哱拝殿の存在に大きく依っており、あの方が倒れれば、蒙古や女真に隙を与えるやもしれませぬ」

 全員が息を飲んで調信の言葉に耳を傾けているが、確かに哱拝の死は明にとっては吉兆であり、寧夏国にとっては国運を左右する一大事であった。

「息子の哱承恩は暗愚なのか?」

「然に候わず(いいえ)」

 純正の問いに対して、調信は即座に答え、さらに続ける。

「父君に似て武勇に秀でた人物ではありますが、いかんせん父親が偉大すぎまする。齢四十を超えておりますが、人望ではいまだ父君には遠く及ばぬかと。哱拝殿亡き後、寧夏をまとめあたうるか(られるか)は、はなはだ疑わしく存じます」

 調信の言葉に、一同は深くうなずいた。哱拝という老練な政治家の死は、明にとって大きな好機となる。

「もし哱拝が死ねば、女真や蒙古は動くであろうが、明はどうであろうか」

「動きますまい。いや、動けぬと言った方が良いでしょう」

 官兵衛が答えた。

「明は今、内政に力を注ぐべきとき。わが国と戦をする前であればともかく、まともな君主であれば、あえて(積極的に)動かぬでしょう」

「然様か、ならば引き続き明の情報を集めよ。扇動し、乱を引き起こすように。されどいてはならぬぞ。万が一にも明に悟られてはならぬ。良いな?」

「ははっ」

 千方はそう言って退座していった。

 明の牙を抜き、弱体化させたとはいえ安心はできない。アジアでは中華思想が崩壊し、肥前国を中心とした新たな秩序が構築されている。

 それを万全にし、恒久化するためには、明がさらに弱体化する必要があった。




 次回予告 第842話 『純勝の帰郷』

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