第371話 『金策と犯人』

 慶応二年一月十七日(1866/3/3) 大阪

「ごめんやす。渋沢篤太夫さんおってですか?」

 誰だろう?

 見知らぬ声に不審がる渋沢であった。

「どちら様でしょうか?」

 戸を開けると立っていたのは、二人の見ず知らずの男である。

「ごいされませ。(ごめんください)ここに渋沢篤太夫いう人、おりますかいの?」

 ? 誰だ?

「篤太夫は私ですが、失礼ですがさっきも申し上げた。先に名乗るのが道理であろう」

「ああ、こりゃ失礼した」

「失礼しました」

 二人は同時に謝罪し、名を明かす。

「わいは兵庫の北風家、正造と申します」

「土佐の……いや、亀山社中の坂本龍馬ぜよ」

(ほう?)

 渋沢は二人との面識はなかったが、名前は知っていた。

 北風家は『兵庫の北風か、北風の兵庫か』と呼ばれるほどの豪商で、幕府の御用掛をしている。

 坂本龍馬は上野介と共に大村を見聞しているときに聞いていた。

 史実での龍馬の脱藩は文久二年(1862年)三月二十四日だが、今世では脱藩はしていない。

 土佐藩の藩籍のままで、自由に活動を許されているのだ。

 ただし、まったく制約がなかった訳ではない。

 あくまでも土佐藩ファーストであり、利益相反は厳禁であった。




「ほうほうほう! それで?」

 出会いこそ良い形ではなかったが、渋沢栄一と北風正造、そして坂本龍馬は意気投合し、酒を酌み交わすまでになった。

「社中丸を大村家中から買って、今では自由に商いをしているんですね」

 龍馬は初めは土佐藩出資の船舶を使った交易をしていたが、あまりの制約の多さと実入りの少なさにうんざりしていた。

 そのため意を決して親交のあった諸大名や商人から出資を受けて社中を設立する。中古ではあるが大村で蒸気船を購入し、運用を亀山社中が行っていたのだ。

「いやあ、ただ者ではないと聞いてはいたが、これほどとは」

 渋沢栄一は国益のために行動したイメージが強いが、やはり商人である。自分の力一つで蒸気船を手に入れた龍馬に対して、羨望のまなざしを向けてもおかしくはない。

「いやいや、それほどでもないぜよ」

「龍馬はん、そろそろ」

 三人で歓談していたが、正造の言葉で龍馬も渋沢も我に返った。

 それどころではない。

 アラスカ購入と開発資金を捻出するために、あと50万両集めなければならないのだ。

「篤太夫さん、篤太夫でええがか? 公儀が蝦夷地の草分け(開発)に金を集めちゅうのはまっことなが?」

 兵庫の北風家は幕府の御用掛であり、箱館産物会所兵庫出張所の御用達兼仲買でもあった。

 同時に龍馬のパトロンでもある。

 龍馬は大村の海軍初等伝習所を卒業したあと、神戸に海軍操練所ができた際に教授として教鞭きょうべん(実技のみ)をとっていたのだ。

 そこで正造と知り合う。

 正造は会所の打ち合わせで大阪に来ており、龍馬も所用で同行していたのだ。つまりは渋沢の蝦夷地の話を聞き、龍馬にそそのかされて(?)やってきた形になる。

「は、真に蝦夷地(の方・等)で草分けをします。他言無用に願いますが、実はあと五十万両ほど入り用で」

「五十万両! ?」

 龍馬は大声を上げて驚くが、正造は微動だにしない。

 頭の中で素早く計算をしているのだ。出資して元がとれるのか、出資に見合う利益があるのかどうか。

 現状、幕府が把握しているだけでも蝦夷地と樺太の権益は莫大ばくだいである。

 もっともアラスカに比べれば少ないのだろうが、会所を大阪と兵庫に設けているほどだ。

 その上大村藩と松前藩にもたらしている利益は計り知れない。さらに金が出たとなれば、資金さえあれば幕府も即座に参入したがるのは当然だろう。

 幕府は運上金としていくらかの収入を蝦夷地から得ていたが、金額は微々たるもの。本来ならもっとごっそり絞り取っているはずである。(史実なら)

 なぜなら幕府は通常の会所における海産物以上の収益を見込んでいなかったのだ。

 そのため大村藩と松前藩に課す運上金を、定率ではなく定額で納めるよう決めていた。もし定率で決めていたなら、今よりも数倍、十数倍の歳入になっただろう。

 しかし今世では大村藩の存在もあり、松前藩と共同して北方の警備を完全に担っているため、今さら強制的な搾取ができないでいたのだ。

「篤太夫さん、集めるあてはあってですか?」

 正造は問いかけながら渋沢の本心を探るが、正造には正造の算段があった。

 仮にも大阪を代表する鴻池や加賀屋が出資したのだ。商人は利にさとくなければ立ちゆかない。大店が出資したとなれば、相応の確信があったはずだ。

「無論です! ……と言いたいところですが、思案に暮れていたところです。どこかに……」

「出しましょう!」

「え?」

 確かに喉から手が出るほど欲しい金だが、一見の北風家を信用していいのか……。

 ただ、それを言ってしまえば100万両を出資した20人とも面識がない。

「ありがたいですが、誠に出資していただけるのでしょうか?」

「三十万、出しましょう。そやけどいかほどの利をいかにして配するか、しかと聞かなあきまへんがね」

 詳細な計算は後からやるとして、金の臭いを嗅ぎつける嗅覚はさすがだろう。ある意味『行列のできる~』と同じなのかもしれない。

 大っぴらに金を集めているからには見込みがあるはずだ。

「御公儀の御用掛とはいえ、出してばっかりではなりまへん。廻船かいせん問屋やけど、出資するわい」

 30万両は個人資産である。

 北風家の当主は代々、居間と土蔵の地下に隠された秘密蔵に、私財を60万両以上蓄えていた。

「ありがとうございます。ではさっそく……」

 可能な限りの情報を渋沢は正造に伝え、納得した正造と渋沢は契約を交わした。




「龍馬さん、あなたは?」

「ああ、あしは一枚かましてもろうて、商売で稼がしてもろうたらそれでえい」

 龍馬と渋沢、そして正造の笑い声が響いた。




 ■大村藩邸

「助さん、落首について、何かわかったかい?」

「は。落首は広く市中で見かけます。されど出所を特定するには至っておりません」




 八代やつよかけ 築きし黄金 いかにせん あおいを倒す 今こそときか




 意味は八世代かけて築いた金をどう使うか? 徳川を倒すのは今か?

 こう解釈できるが、徳川はともかく誰が書いたのかが問題だ。

 まったくの事実無根ではあるが、八代を大村藩主の純顕となぞらえて、幕府が知ったら面倒くさい。

 仮にそうなっても潔白を訴え、最終最後、最悪は……。

 そんな結末にはなってほしくない。誰が書いたのかを見つけたい次郎であった。

「ただ……」

「ただ何じゃ?」




「角打ちの居酒屋で聞いた話なのですが、なんでも、御公儀に積年の恨みがある者の仕業ではないかと」

「何? 誰じゃ?」

「申し訳ありません、そこまでは。話していた男衆も聞いた話だそうで」

「うーん」




 次回予告 第372話 『京都病院と江戸参府』

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