2025年2月14日(令和7年2月14日) 佐世保市内
適応プログラムと言っても特に難しくはない。4月1日から各教育課程が始まるが、それまでの3か月間に現代人としての素養を身につけるのが目的である。
2024年度の教育課程全てが修了する3月までは護衛艦いずもが住居となり、その後に教育隊に移動する。
『いずも』が佐世保に帰港してから二週間が経過したが、これまで飛龍の乗組員たちはグループに分かれて行動していた。
海上自衛隊佐世保史料館や米海軍と海上自衛隊の共同使用基地を見学し、現代の技術や歴史、日米同盟の現状を学んだのだ。
その後、市内を自由に見学している。
佐世保バーガーの試食やスマートフォンの体験など、現代の文化や技術に触れながら数十年の隔たりを埋めていった。
「お目にかかれて光栄です。海東と申します。階級は二尉で、F-35Bのパイロットです。これから皆さんの案内役をいたします」
航空自衛隊から配属された海東が角野に向かって挨拶した。
「私は航空学生です。あ、失礼しました。大戦中で言うところの予科練みたいなものです」
明るくフレンドリーな性格の海東が案内役に選ばれたのも納得できる。
「さて皆さん。そろそろお酒が恋しくなってきたんじゃありませんか?」
外出後、数時間市内見学をかねてブラブラした一行は、繁華街で一休みしていた。
海東は酒が好きだが、宅飲みはしない。
外で飲む酒が好きなのだ。特に、若い女性がいるいわゆるキャバクラやラウンジ、クラブで飲む酒を好む。
海東の提案に対して、角野は少し戸惑った表情を浮かべた。
「酒ですか。そうですね、確かに飲みたい気もしますが……」
「敬語はやめてください、角野一尉。あ、大尉の方が良いですか?」
「ああ、うん。いや、一尉で構わないよ。どうせ一尉になるんだから、呼び方はあまり関係ない。重松や橋本は角野さんって呼んでるけどな」
角野の言葉に、海東はホッとして笑顔を浮かべた。
「では一尉、あの居酒屋で休憩しながら飲みましょう。皆さん、よろしいですか?」
明確な同意があったかは不明だが、海東に勧められ、3人は居酒屋『二束三文』に入っていく。
「刺身もありますが、おすすめは『じゃがバター』と『月見つくねボール』です。日本酒もとてもおいしいですよ。さあ、まずはビールで乾杯しましょう。門限はありませんから……夜は長い。ゆっくり楽しみましょう」
海東の気遣いなのか、自分が飲みたいだけなのか、いずれにしても3人にとってうれしく、また新鮮な体験であった。
「とりあえず、生ビールをください。あとは『じゃがバター』と『月見つくね』をお願いします。他にもいろいろありますんで、ぜひ頼んでみてください」
海東の注文に続いて、角野たちもそれぞれ思い思いの料理を注文した。
「まずは乾杯しましょう」
海東が音頭を取り、一同はグラスを掲げた。
「 「 「 「乾杯!」 」 」 」
元気な声が店内に響き渡り、全員がジョッキを傾ける。
冷えたビールが喉を潤し、角野は思わず『ぷはー!』と声を上げた。その様子を見て、橋本と重松も思わず笑みを浮かべる。
「どうですか? 飲みやすいでしょう? お酒は楽しく飲むのが一番ですよ」
海東はそう言いながら自分のジョッキを軽く掲げた。角野たちは、そんな海東の飾らない人柄に少しずつ心を開き始めていく。
料理が運ばれてくる間、角野は改めて店内を見回した。
昭和のレトロな雰囲気を残しているのではなく、古びているわけでもない。自分たちが過ごしていた時代、つまり生きていた時代の酒場を彷彿とさせる内装である。
店内に貼ってあるポスターの文字やお品書きなどが、旧仮名遣いで書かれているのだ。
達筆な文字で書かれたメニューを見ていると、まるで元いた場所に戻ったみたいな錯覚を覚える。しかしもちろん、それは似せているだけで、昭和17年の物ではない。
「なんだか懐かしい雰囲気ですね」
橋本がそう言ったとき、テーブルには次々と料理が運ばれてきた。
まずは、店の名物である手羽先の唐揚げ。
甘辛いタレが香ばしい香りを放ち、食欲をそそる。次に登場するのは、新鮮な魚介を使った刺身の盛り合わせだが、どれも丁寧に盛り付けがしてあり、見た目にも美しい。
さらに熱々のもつ煮込み。じっくりと煮込まれたモツは柔らかく、口の中でとろける。
その後もそれぞれが好きな品を頼んでは、話がはずんだ――。
午後8時、飲み始めてから2時間が経過した頃。
「さて、そろそろ出ますか?」
海東が切り出すと、角野と橋本は顔を見合わせた。
海上自衛隊では課業始めが朝の8時。早朝の5時までに外泊証を当直室に返却すれば、特に問題はない。
海東の実家は佐世保なので、念のため全員の外泊許可を取得していたのだ。特にそのつもりはなかったが、飲みに行く予定があるため、念のための措置である。
「なーんだ、海東、もうへばったのか? だらしないぞ、それでも帝国軍人か?」
重松がニヤニヤしながら海東を見る。
「重松、飲み過ぎだぞ。お前こそ、あまりだらしない姿をさらすんじゃない」
橋本が重松に苦笑いを浮かべながら言ったが、2人は同期であり、階級も同じ大尉で同い年である。
「何言ってるんですか? 河岸を変えるって言っているんですよ」
「 「え?」 」
2人とも驚いていたが、酒好きの海東は止まらない。
「いいですか、角野大尉?」
海東は先輩大尉の角野に向かってにやりと笑った。角野は酒豪なので嫌とは言わないと見込んだのである。
「どうせなら、佐世保の夜を存分に楽しんでみませんか? 老舗のバーから隠れ家的なお店まで、いろいろとご案内しますよ」
「……ふん、いいだろう。おい、お前たち! 何をやってんだだらしない! 帝国軍人の心得を海東に教えてやろうではないか! ほら、重松、しゃんとしろ!」
角野の号令のもと、一同は再び勢いを取り戻した。
『二束三文』を出て佐世保の夜へと繰り出すと、海東は先頭に立ち、慣れた足取りで街の奥へと進んでいく。
重松は相変わらず呂律が怪しいが、気合だけは十分だ。橋本は苦笑いを浮かべながらも、2人に付き合う覚悟を決めた。
佐世保の夜は、これからが本番である。
海東が案内したのはライオンタワー。
佐世保には多くの飲食店やバー、いわゆる飲み屋がテナントとして入っているビルが存在する。その中でもライオンタワーは最大だ。
正面には『ライオンタワー佐世保』と書かれたネオン管が光っている。ガラス張りのエレベーターが見えるが、その光はまるで佐世保の夜を照らす灯台のようだ。
「な、何だこりゃ」
海東は涼しい顔をしてボタンを押し、エレベーターは最上階へと向かっている。
佐世保の街並みが一望でき、港も見渡せた。
重松は、さっきまでの飲んだくれの様子が嘘みたいに『すげえ……』とつぶやいている。
角野達は、その景色に心を奪われた。
「今日は特別なお店を用意しています。期待してください」
エレベーターが上昇するにつれて、期待感が高まっていく。
『LOUNGE MARICA』
最上階に到着し、店名が書かれたドアをくぐる。
「いらっしゃいませ~」
数人の女性の声が聞こえた。
角野たちは目の前の光景に驚き、目を丸くする。
店内は落ち着いた照明に包まれ、シックな内装が広がっている。カウンター越しに、数人の若い女性が笑顔で迎えてくれた。
「あ、海東さん、いらっしゃいませ!」
「久しぶりですね~」
女の子たちは海東の顔を見ると、うれしそうに声を上げた。
海東が常連客なのは明らかだ。
「今日はお友達と一緒なんですね」
そのうちの一人が角野たちを見て、にっこりとほほえんだ。ドレス姿の女性に慣れていない角野たちは、露出の高さに思わず視線をそらす。
戦前にも、現在のキャバクラやラウンジとは異なるが、女性スタッフが接客する店は存在していた。
しかし銀座のカフェではエプロンに長袖のブラウスを着用し、キャバレーの原型とも言える店ではドレスを身に着けてはいたが、露出はなかった。
「ああ、今日は特別なお客様だよ。よろしく頼むね~」
海東は慣れた様子で案内されたボックス席に座り、角野たちを促した。重松は少し戸惑いながらも席に着く。橋本は真っ赤な顔をして、なんとか椅子に腰掛けた。
「まずはウイスキーの水割りを。えーっと、角野大尉、みんなも同じで良いですか?」
角野は一瞬戸惑ったが、すぐにうなずく。
「うん、それでお願いしようか」
「いただきます」
ボーイが海東が入れているボトルと氷など一式をテーブルに運んできた。
「あの、海東二尉。このお店って、どういう……」
橋本が遠慮がちに尋ねた。まだ慣れない雰囲気に戸惑いがあるようだ。
「ああ、ここは女の子と会話を楽しむお店です。お酒を飲みながら、リラックスして過ごせますよ」
その時、カウンターから2人の女性が笑顔で近づいてきた。
「ご紹介いたします。美咲さんと真希さんです」
「はじめまして」
「よろしくお願いします」
艶やかなドレス姿の2人を見て、角野たちは思わず背筋を伸ばした。
角野たちは少し緊張した面持ちで琥珀色の液体を見つめている。海東は自然な様子でグラスを手に取った。
「乾杯しましょう! 今夜は佐世保の夜を存分に楽しもうじゃありませんか」
全員がグラスを合わせる。
が、3人とも気が気ではない。露出した胸元や太もも、そして何とも言えない色気を漂わせる香りが周囲に広がっているからだ。
美咲と真希は、明らかに緊張している3人を和らげるために、自然な会話を心がけている。
「お仕事は大変なんですか?」
美咲が角野に尋ねた。
角野はせき払いをして、なるべく視線を合わせずに答える。
「ああ、そうですね……訓練が多くて」
「すごいですね。私、自衛隊の人って憧れます」
真希が重松の横に座り、グラスを手に取った。重松は思わず姿勢を正す。誰にでも言っている社交辞令だろうが、彼には免疫がなかった。
もちろん嘘ではないのだろうが、真に受けると火傷をしてしまう。
「あの、実は私たち……」
橋本が何か言いかけたが、海東が軽くせき払いをして遮る。現代にタイムスリップしてきた事実は、極秘情報だ。
酒は飲んでも、飲まれるな。
海東は楽しんでいたが、忘れてはいない。
「みんな真面目だから、こういう場所には慣れていないんですよ」
すかさずフォローを入れる。
美咲と真希は、彼らの様子を面白がってほほえんだ。
「かわいい! ストイックな男性って素敵ですね」
女性たちの自然な会話に、赤面しながらも少しずつ場の空気が和らいでいく。角野たちの肩の力も、徐々に抜けていった。
「へえー。じゃあ皆さん、大尉さんなんですね。海東さんよりも偉い人?」
「あはははは、まあ、そんな感じ」
店内の笑い声とともに、夜は更けていった。
次回予告 第9話 『ロシア・ウクライナ戦争』

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