慶応二年一月二十四日(1866年3月10日) 京都病院
「まずは気道の確保、それから酸素投与だ」
一之進は洪庵の顎を持ち上げ、気道を確保する。
助手はすぐにガラス容器とチューブ、マスクを組み合わせた原始的な酸素吸入器を装着した。シュコシュコと音を立てながら、発生したばかりの酸素が洪庵の口元へと送り込まれていく。
「脈が弱い! 輸液の準備を急げ! 血液型はO型で間違いないか?」
一之進の記憶ではO型だったが、万が一にも間違いがあってはならないのだ。
史実において、近代的な血液型判定法はまだ確立されていない。
しかし、今世では一之進の知識をもとに簡易的な血液型判定法を用いている。これは採取した血液と既知の血液を混ぜ合わせ、凝集反応を観察する原始的な方法だ。
その結果洪庵の血液型はO型であったが、患者(洪庵)のカルテを再度確認しておく。
「O型で間違いありません!」
別の助手は手際よく輸液の準備を進め、洪庵の血管に針を刺して輸液を開始した。一之進は念のため、助手に交差適合試験をするよう指示を出す。
「急いで!」
交差適合試験とは、輸血する際に患者と供血者の血液が適合しているかどうかを確認する試験である。この試験により、輸血による副作用のリスクを最小限に抑えられるのだ。
助手が洪庵の血液と持ってきた血液を混ぜ合わせ、凝集反応の有無を確認する。
「適合します! 問題ありません!」
「よし、輸血の準備を始めよう!」
一之進は指示を出しながら、自ら内視鏡の準備を始めた。信之介が開発した豆電球式の光源を備えた、本来ないはずの医療機器である。
「出血部位を特定する」
一之進は内視鏡を挿入し、食道の内部を観察していった。
「くそっ、見えにくい……」
内視鏡で見た映像……正確に言えば鏡に映った像なのだが、現代と比べると粗く、鮮明さには欠ける。それでも一之進は、注意深く鏡を見ながら観察を続けた。
どこだ? どこから出血しているんだ?
オレは『食道静脈瘤破裂』だと診断したが、本当にそうなのか?
もし静脈瘤破裂ではなく、何らかの呼吸器(肺)疾患による出血だとしたら、どんな影響がある?
処置が根本的に変わってくる。
ぼんやりとではあるが、食道の静脈が裂け、そこから鮮血が噴き出しているのが見えた。
「やはり静脈瘤破裂だ。バルーンタンポナーデの準備を!」
一之進は、ゴム管とコンドーム素材のバルーンカテーテルを手に取った。
「先生、O型の血液が到着しました!」
「よし、輸血開始!」
輸液ルートとは別の静脈に針を刺し、輸血が開始される。
一之進は内視鏡を用いて出血部位を確認し、抜去した後に慎重にカテーテルを目算で挿入していく。カテーテルが目標の部位に達したのを確認すると、バルーンを膨らませた。
ゆっくりと、しかし確実に出血が収まっていく。輸液、輸血、そしてバルーンタンポナーデ。この時代には考えられなかった医療技術が、洪庵の命をつなぎ止めていた。
しかし、一之進は気を緩めるわけにはいかない。
「出血は抑えたが、それだけだ。バルーンタンポナーデはあくまで一時的な処置に過ぎない。根本的な治療のためには……」
一之進は考え込んだ。
食道静脈瘤破裂に対する根本的な治療法はまだ確立されていない。それでも、一之進は決して諦めなかった。
「何か方法があるはずだ……先生を救う方法が……」
翌日、洪庵は小康状態を維持していた。
脈拍と呼吸は安定しており、血圧もわずかに上昇している。
「そろそろバルーンを抜去する時期かもしれない」
一之進が低い声で言った。助手たちは緊張した面持ちでうなずく。
「されど、再出血の危険もあります……」
若い医師が不安そうにつぶやいた。
「その通りだ。だからこそ、慎重に行う必要がある」
一之進はバルーンカテーテルに接続された弁をゆっくりと回し始めた。バルーンの空気が少しずつ抜けていく。全員が固唾をのんで見守る中、バルーンは無事に抜去された。
「出血は……なさそうです」
助手は安堵の声を上げた。一之進も胸をなで下ろしたが、表情は依然として厳しい。
「まだ安心できる状況ではない。今後数日間は、注意深く観察を続ける必要がある」
一之進は洪庵の手をしっかりと握りしめ、回復を祈った。
EVL(内視鏡的静脈瘤結紮術)や組織接着剤(ヒストアクリル)を注入して静脈瘤を固める施術も不可能である。
かろうじて出血は止まったが、輸液や輸血を適宜行い、脈拍や血圧などの症状を観察しながら安静にするしかない。
食道静脈瘤破裂の根本的な原因は、門脈圧亢進症だ。
洪庵は飲酒を楽しむが、依存するほどには飲まない。飲酒以外にも原因があるが、それを特定する手段はないのだ。
『なんらか』の原因で門脈の流れが悪くなると、肝臓に運ばれる血液の流れが滞り、その結果、門脈の圧力が上昇する。
一之進は洪庵に絶対安静を命じた。
消化の良い食事を少量ずつ与え、刺激物やアルコールは一切禁じている。また、洪庵の体力を少しでも回復させるために、さまざまな漢方薬を試みたのだ。
しかし、門脈圧亢進症自体を治療する方法はなく、再出血の恐怖は常に患者を脅かしていた。
■慶応二年三月十日(1867年4月24日)
一之進の施術によって洪庵は一命を取り留めたが、後遺症が残った。
食道の粘膜が損傷したため、嚥下困難(飲み込みにくさ)が生じたのである。
しかし、神はまだ洪庵を必要としていたのであろうか。
幸いにも軽度であった。
最初は水や薄い粥しか飲み込めなかったが、今ではみそ汁や柔らかく煮た野菜なども口にできる状態になっている。
しかし根本的な原因が不明なため、さらなる注意と観察が必要であった。
■横浜
「お主もしつこいぞ。七年前に外国商いを差し止め(営業停止)になっておろう」
中居屋は横浜の開港に伴って開業し、貿易によって莫大な利益を得ていた。
しかし、銅葺きの屋根が華美ではないかと批判を受け、また奥州・上州・甲州・信州・越後の糸商人への名義貸しが発覚する。そのせいで営業停止を言い渡されていたのだ。
「はい、それはよく存じております。ですから、屋敷の屋根は葺き替えて、名義貸しも行っておりません。どうか、どうか今一度、貿易をお許しいただけませんでしょうか。三井よりも立派にこなしてみせます」
「くどい!」
奉行は聞く耳を持たない。
生糸は国内市場よりも貿易市場において高値で取引されていた。
そのため江戸などの大都市の問屋を経由せず、直接開港場に生産品を卸す仲介の在郷商人が増えたのだ。
その結果急増する輸出需要に対して生産供給が追いつかず、全般的に物価が高騰するなど、日本経済に大きな混乱が生じている。
もちろん、史実ほどではない。
しかし、それでも確実に影響が出ていたのだ。
『五品江戸廻送令』
小栗上野介はこれを施行して混乱を収束させようとしたが、外国商人の反発もあり、即座に効果は現れなかった。
そのときに反対した商人の一人が、重兵衛である。
今思えば、幕府に逆らったたせいで営業停止になったのかもしれない。ともかく、重兵衛は粘り強く交渉を続けていた。
(くそ……威張りくさりおって……。もはや公儀はだめじゃ)
「御家老様、お聞きになりましたか?」
「ん、何だ?」
助三郎の問いに次郎は『ながら』で答えた。
「中居屋重兵衛を覚えていらっしゃいますか?」
「……ああ! 火薬に詳しい、確か大村の伝習課程で学んでいたな。商人なのか武家なのかよくわからん、オレとは正反対の男だった。全国の家中に伝手を持っていると聞いたが、それがどうかしたのか?」
「いえ、数年前に公儀より貿易差し止めになっておりましたが、どうやら奉行との間に一悶着があったようです」
「何だって?」
次回予告 第374話 『中居屋重兵衛と三野村利左衛門。牧田孫兵衛……』

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