慶長二年十月二十九日(西暦1597年12月20日)
「隊長~。いつまで続けるんすか? もう2か月たちますよ」
スペイン王国ペルー副王領の兵士が愚痴をこぼした。
ビルカバンバのインカ帝国残党に対する攻撃部隊の兵士である。
インカ帝国は、1533年に皇帝アタワルパが処刑されて事実上滅亡した。
しかしスペインの傀儡政権を経て反乱を起こし、ビルカバンバに後退して亡命政権とも言える新たな帝国を築いていたのだ。
当初、スペインは宣教師を派遣するなど親和政策をとっていたが、宣教師の殺害事件で態度を変える。
彼らを屈服させるため、討伐軍が何度も派遣されていたのである。
激戦の末、停戦が成立した。
27年前、1572年の出来事である。
停戦は結んだが、新インカ帝国は弱体化していた。チフス、インフルエンザ、天然痘の流行により、人口が激減したのだ。
「上は今回の戦闘で決着をつけるつもりだ。だから入念に調べ上げ、内通者を作って内部から攻撃するとさ」
「でも、今まで何もなかったでしょう? 停戦から30年近くたっていますよ。オレが来てからも大きないざこざはなかったし」
兵士は愚痴をこぼした。
「お前の言うとおりだが、本国からせっつかれてるって話だな」
「何をです?」
「ポトシの銀山をもっと掘り起こせってな。労働力を確保するために、やつらを滅ぼして捕虜を働かせようって考えだ。本国の命令を、副王も無視できんさ」
当時、スペインの財政は切迫していた。
産業振興や貿易を進めても、焼け石に水であり、戦費が財政を圧迫していたのである。
その時、集合の号令が笛の音と共に響いた。
全軍、進撃である。
スペイン軍が谷間を埋め尽くす中、岩陰に潜む肥前国軍の狙撃手たちは静かに銃を構えた。
パーカッションロック式(雷管式)の前装ライフルのスコープに映るのは、鎧を身に着けたスペイン兵の姿。
銃口の先には、金の胸甲を輝かせるスペイン士官がいた。
「撃て!」
小隊長の低い声と共に、60挺の銃口から一斉に硝煙が噴き上がった。銃声は渓谷に響き渡り、鋭い破裂音が谷間に反響する。
鉛の弾丸は標的を正確に捉え、鎧の隙間を突いて肉をえぐる。悲鳴を上げる間もなく、指揮官や周囲の兵士たちが次々と倒れていった。
「な、何だ、どこから撃ってきた?」
スペイン兵は混乱し、立て直そうとするが、銃弾が降り注ぐ。周囲を見渡して反撃すべき敵を探すが、見つけられない。
マスケット銃の有効射程は約50メートルであるのに対し、肥前国の新式銃は約270メートルもある。
200メートル離れた岩場や草陰に隠れたギリースーツの兵士が、スコープ越しに狙っているのだ。
「隊長! 向こうの丘! 丘を見てください!」
兵士が指差す先には無数の白煙が立ち上っている。
「何? 馬鹿な。当たるはずがない!」
隊長らしき指揮官は白煙を見つめるが、兵士の姿は見えない。
恐怖のあまり兵士たちは我先にと逃げ出したが、無情にも銃弾が背中を貫く。
『神の悪戯か悪魔の所業か』
誰もが恐れ、混乱している。
「隊長! 撤退しましょう! 何が何だかわかりません! ヤツらは鉄砲を持っていなかったはずです。とにかく、連隊長も大隊長も全員死にました。今はあなたが先任です、中隊長!」
「くそ! 撤退だ! 生き残った者だけで戻るぞ!」
中隊長は苦渋の決断を下し、残った兵士に撤退命令を出したが、その表情には深い絶望が浮かんでいた。
「Hey, kayta qhawaykuy(おい、見てみろ!)」
「¿imataq wichayman?(どうした?)」
様子を見に来ていたインカ帝国の兵士が、横たわるスペイン軍の死体を見て言った。
ある者は頭を撃たれ、ある者は鎧越しに胸を貫かれている。
「Imataq kay? ¿Chayqa Apocalipsiskillpa lanzanchu?(なんだこれは? アポカテキルの槍か?)」
「Wasiyman kutisun. Mana usqhaylla wasiykuman kutipusun chayqa Supay apawasun.(帰りましょう。早く帰らないとスーパイに連れていかれる)」
アポカキテルはインカ神話の雷神で、スーパイは死の神である。
インカの兵士たちは恐怖を抱いていた。
銃は知っている。
しかし、強力な武器で無惨に殺されたスペイン兵の姿に恐怖を覚えたのだ。
「そうか、わかった。ご苦労」
男はビルカバンバの宮殿で報告を受けていた。インカ帝国との接触、それが彼の任務である。
情報省の命令は、引き続き情報収集と信頼獲得だったが、予期せぬ機会が訪れたのだ。
スペインの侵攻を知った皇帝トゥパク・アマルは、熟慮の末、肥前国に援軍を求めた。帝国を守るためには、背に腹は代えられない。
実は、情報省のこの男は陸軍に依頼し、中隊規模の部隊をチンボテ周辺に駐屯させていた。事前に報告していたが、定期的に人員の交代が行われていたのである。
「陛下、我々が敵ではなく味方であると証明できましたか?」
トゥパク・アマルは涙を流した。
スペイン兵に蹂躙され、神を冒涜された屈辱は忘れない。しかし、目の前の男たちはインカの民を助けてくれた。
信じよう。
インカ帝国のために。
「陛下、再度申し上げます。もし我々がイスパニアと同じく搾取を目的とした侵略をするのであれば、こんな回りくどい順序は踏みません。すぐに攻撃して滅ぼしているでしょう。我々は味方です」
男はそう言うと、トゥパク・アマルに深く頭を下げた。真剣なまなざしから、その言葉に嘘がないのは明らかである。
トゥパク・アマルは静かにうなずき、インカ帝国の未来を彼らに託す決意を固めた。
次回予告 第845話 『電気・電灯・電信』

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