第10話 『軍人としての矜持』

 令和7年3月16日(2025年3月16日) 護衛艦『いずも』 多目的室

「小松司令、そして石川艦長、一つお伺いしたいのですが、よろしいですか?」

「どうぞ」

 山口に聞かれて小松は返事をした。石川は黙ってうなずいている。

「この戦争はなぜ始まったのですか?」

 小松は深いため息をつき、映像を一時停止した。複雑な国際情勢をいかに説明すべきか、言葉を選んでいる様子だった。

「大きく分けて三つの要因があります。一つは、NATOの東方拡大に対するロシアの警戒感。二つ目は、ウクライナの親欧米路線への反発。そして三つ目が、プーチン大統領の歴史観です」

 山口は眉をひそめた。

 個人のケンカにすら理由がある。

 例えば男性なら、分かりやすく言えば彼女をとられたとか、性別を抜きにすれば金銭問題とか。離婚にしても様々な要因が絡まっている。

 国家対国家となればなおさらだ。

 その表情には、現代の国際情勢への戸惑いがあった。

「NATO……北大西洋条約機構ですね。米国を中心とした軍事同盟。かつての敵国が、今は同盟国……まあそれは、この問題とは関係ありません」

「ウクライナは、NATOへの加盟を目指していました。それをロシアは、自国への脅威と捉えたのです」

 石川が補足する。

「ロシアにとって、ウクライナは単なる隣国ではありません。キエフ公国の時代から、ロシアとウクライナは深い歴史的つながりを持っています」

 同胞、つまり同じ民族である。

 説明を聞くにつれて、山口の目は次第に鋭さを増していった。

「つまり、この戦争は……」

「はい。領土の問題であると同時に、アイデンティティの戦いでもあるのです」

 小松の言葉に、多目的室は重い沈黙に包まれた。

「一つ気になったのですが、三つの理由全部がロシアにあるように聞こえましたが……」

 山口の鋭い指摘に、小松は一瞬言葉を詰まらせた。確かに彼の説明は一方的な見方だったかもしれない。

「ご指摘ありがとうございます。そのとおりです。実は、この問題にはもっと複雑な背景があります」

 小松は姿勢を正し直した。

「ウクライナ東部には、ロシア系住民が多く住む地域があります。2014年以降、彼らの権利や自治を巡って対立が続いていました」

「つまり、民族の問題ですか」

 山口の声には、何か含みがあった。

「はい。ドンバス地方では、ウクライナ政府とロシア系住民との間で内戦状態が続いていました。ロシアはこの地域の独立を支持し……」

「それは、私たちが満州で見た光景と似ていますね」

 加来が静かに言葉を挟んだ。

 山口は腕を組んだまま、黙ってうなずいている。

 彼らの時代、満州における民族問題は切実な課題だった。ロシアとウクライナの対立に、かつての東アジアの影を見る。それは決して他人事ではなかった。

「悲しいが、民族の対立は今も続いている。ただ、先に戦争を仕掛けたのはロシアだ。いかなる理由があろうとも、武力によって他国を侵略する行為は現在では悪とされている。これで間違いありませんね?」

 山口が小松に確認した。

 何か言いたいようだ。

「はい、端的に言えばそうです。いかなる理由があっても、他国を武力によって侵略してはいけません」

「なるほど。では、攻め込んだロシアが悪とされているようですが、この戦争は全てロシアが悪ですか? どうもこれまで読んだ新聞やニュースは、ことさらロシアの悪ばかりを強調しているようです。小松司令、いかがお考えですか?」

 小松は一瞬言葉に詰まった。山口の鋭い指摘は、この問題の本質を突いている。

「実は……私も同じ疑問を持っています」

 小松は慎重に言葉を選びながら続けた。

「確かに、メディアの報道には偏りがあるかもしれません。しかし、それを指摘することは、現役の自衛官である私の立場では難しい」

「なるほど」

 その表情には、現代の複雑な立場への理解が浮かんでいる。

 自分たちが生きていた時代とは、自衛隊の立場が全くと言っていいほど違うのだ。

 どう見ても軍人を、自衛隊員と呼んでいる不思議な国である。

 憲法との整合性を維持しつつ、他国からの防衛も担わなければならない。
 
 苦肉の策の連続が限界にきている現状は事実であり、その弊害は多方面から指摘されている。

  改憲論議がそうだ。

「ロシアの行為は正当化できません。どんな理由があったとしても、他国を武力によって侵略してはならないのです。しかし……」

「しかし?」

 小松は一旦言葉を切った。周囲の視線を感じながら、彼は続ける。

「なぜそうしなければならなかったのか? これは、そうですね……人間の数だけ主義主張があるのと同様に、戦争の根本原因を考えなければなりません。どちらか一方を悪と決めつけるのは簡単ですが、それでは問題の解決にはならないと考えています」

 山口は眉を寄せ、視線を落とした。

「それを聞けて良かった。もしあなたが、一方的にロシアを非難する考えなら、同じ軍人として、相容あいいれる事はなかったでしょう。私も同感です。戦争には、一方的な正義など存在しない。我々の時代も、大義はそれぞれの側にあった」

 その言葉に、多目的室の空気が変わった。旧海軍将校たちの表情が引き締まる。

「大東亜戦争でも、我々には我々の大義があった。アジアの解放、白人による植民地支配からの独立。それは決して間違った理想ではなかった」

 横で聞いていた加来が、静かに入ってくる。

 彼らは開戦に是ではなかった。

 しかし、開戦が悪だったというと、決して簡単には断言できない。

 これは、侵略を正当化するものではなく、外交の選択肢としての結果なのである。

 もし日本が開戦していなかったら?

 果たしてフィリピンは独立していただろうか?

 オランダ領東インド(インドネシア)は? フランス領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア他)は?

 イギリスの植民地、シンガポール・ミャンマー・マレーシア・ブルネイは?

 していた、ともいえるだろうし、していない、とも言える。




 ロシアとウクライナの戦争。

 2022年2月24日、ロシア連邦がウクライナへの軍事侵攻を開始した。




 ――連合国と枢軸国。

 世界を二分して戦った(加盟国で言えば圧倒的に連合国が多いが)大戦。

 その後は西側(資本主義陣営)のNATOと、東側(共産主義陣営)のワルシャワ条約機構との間の冷戦。

 ソ連崩壊後にワルシャワ条約機構は解体したが、NATOは存続し、拡大を続けた。

 中国は参加していないが、現在ではロシアのパートナーとして、国連の常任理事国として存在感を増している。

 大戦後80年たった今も、世界規模の対立が戦争を生んでいるのだ。




 現代の海上自衛官と、今後海上自衛官となる旧帝国軍人とのディスカッションは続く。




 次回予告 第11話 『幹部候補生学校と航空学生』

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