慶応二年九月二十二日(1866年10月30日)
当初、次郎は大村海軍の両艦隊の旗艦である『知行』と『大成』、さらに補給艦2隻と潜水艦『大鯨』、水雷艇『神雷』を伴ってパリ万博に臨む予定であった。
しかし、幕府と諸藩の強い要望を受けて、幕府と各藩からそれぞれ1隻ずつ軍艦が参加し、日本艦隊と言っても過言ではない壮大な陣容で出港する結果となった。
次郎の懸念は燃料などの補給物資の確保と、機関の故障による航路計画の遅延である。
そのため補給艦を1隻追加し、合計3隻での航海となった。
幕府の軍艦は富士山と補給艦の神速丸。
薩摩は翔鳳丸。
長州は壬戌丸。
佐賀は孟春丸。
宇和島は天保録。
土佐は南海丸。
福井は八雲丸。
加賀は李百里。
仙台は開成丸。
大村海軍の艦艇にはオランダ海軍の軍人も乗り込み、指導にあたる。しかし通常の艦の運用は大村海軍の士官が担当するので、彼らはあくまで遠洋航海のオブザーバーであった。
幕府の場合はこれがフランスにあたる。
アメリカ海軍の協力を得たとはいえ、咸臨丸での太平洋航海は非常に貴重な経験であり、その点において幕府海軍が先駆者であったと言える。
さらに、次郎は後で聞いたのだが、幕府の兵備取締令が事実上撤廃され、ほとんど管理や監督なしに外国から軍艦や兵器を購入可能になった。
今後、幕府と各藩の間で建艦競争が始まる可能性があるが、次郎にとってはそれはどうでもいい。
今さら倒幕を考えるなんて、ナンセンスであり得ないと思っていたのだ。
少しずつ、明治政府と同様に進めていけばいい。
「父上、出港準備が整いましてございます」
「うむ、では甲吉郎様(大村純武・純顕の次男、長男が亡くなったため嫡男となる)にお知らせしてまいれ、出港するといたそう」
大村藩艦隊は純顕の名代として嫡男の甲吉郎純武(史実では武純)を迎え、すべての準備が整えば出港する。
次郎の肩書きは、一応名代補佐となっていた。
しかし実際の艦隊運用は司令の江頭隼人助、大成艦長の新右衛門、そして次郎の嫡男であり『知行』艦長の顕武が行っている。
また名代の純武は幼少期から知っており、純顕と同様に信頼を得ていたために、必要以上に気を遣わずにすんだ。
『知行』は大村海軍第1艦隊の旗艦であり、今回もその役割を担っている。
ただ、他にも問題が存在していたのだ。
■富士山丸の艦上
家茂の信任を受けた勝海舟が、幕府海軍総裁として乗艦している。一方、幕府の代表(将軍の名代)は家茂の後見役であった慶勝だが、この会議には出席していない。
議題としてのぼったのは、旗艦の選定である。
日本国として万博に参加する以上、名代が座乗する艦が旗艦であり、幕府海軍が総指揮をとるべきだと主張する声が上がったのだ。
大村海軍の軍艦は確かに最大であるが、大村藩はあくまで一つの藩に過ぎない。
したがって幕府の指揮下に入って『知行』を幕府旗艦とするべきだ、と。
幕府からは海軍総裁の勝海舟、副総裁の矢田堀鴻が参加している。
さらに外国奉行の小出秀美、向山黄村、石川利政も参加していた。
「さて各々方、出港の日が近づいておりますが、いかがお考えでしょうか。そろそろ決めませんと、万博への参加にあたり公儀としての示しがつきませんぞ」
勝が全員を見渡しながら話し始めると、副総裁の矢田堀もうなずいた。
「然様、この軍艦『富士山』も大村家中によって建造された艦にございます。わが公儀の海軍は太平洋横断の経験こそあれ、彼の家中の力は推して知るべしかと存じます。それがしは、旗艦には『知行』が最も適しておると考えます」
これは矢田堀の意見だ。
勝は、誰の意見も否定せず、また肯定もせずに、全員の意見が出るのを静かに待っている。
「待たれよ、仮に彼の家中の軍艦がこの『冨士山』より上だとしても、それはあくまで軍艦の話。公儀と一家中とを比べてはなりますまい。われらの意をまとめてから蔵人(次郎)殿へ伝えねばならん。あくまで大村家中は公儀の管轄下であると。ならば、旗艦は『冨士山』でしかるべきでは?」
小出秀美はそう言いながら、首を横に振った。
確かに、軍艦の性能や技術力において大村藩には及ばないかもしれない。しかし、それを認めれば幕府の威信にかかわる。
イギリスにさえ、薩摩は幕府の管理下にはないと思われたのだ。
同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
本来であれば、幕府が強大な軍事力と経済力を駆使して統制を図るべきだが、残念ながら大村藩にすでに10年、20年も先を行かれてしまっている。
「然り。『知行』を旗艦とすれば、大村家中がまるで公儀を超えているかの様な印象を与えかねません」
向山黄村も同意し、うなずいた。
その表情には、大村藩に対する複雑な感情が表れている。しかし悪意は感じられない。
悪意はないのだが、幕臣であるがゆえに忠誠心が非常に強く、改革を進める一方で、その中心には幕府と徳川宗家がなければならないと考えているのだ。
「されど」
勝は静かに口を開いた。
「諸外国に対して示すべきは、わが国の力。中身は、正味のところどうでもよいのです。どうにもならぬのに、あれこれ考えても詮なき事。『知行』を旗艦とすれば管理している実績が生まれ、その挙句に(結果的に)諸外国からの信用を得るのではございませぬか」
矢田堀は深くうなずく。勝の言葉には非常に説得力があった。
「然様。大村家中の技術力は、もはや単なる一家中のものではございませぬ。要は、これが最も大事にございますが、総じて、公儀が大村家中を管理している事実です。この事実をしかと続けていけば、そのうち真の事実となりましょう」
要するに、運用の実態や内容にかかわらず、この艦隊の総指揮が幕府によって行われている形が整えばそれで良いのだ。
それでも、と石川利政は眉をひそめた。その表情には、複雑な感情が浮かんでいる。
「されど、蔵人どのが納得されようか……」
「それは、言ってみなければわかりませんな」
「いや、勝どの、こちらにいらっしゃいましたか。出港の段取りを……やや、皆様いかがなさいましたか?」
『知行』から乗艦してきた次郎だが、勝海舟を探していたのだ。
「ああ、なるほど。然様な事なれば、まったく障りございませぬ。みなさま、こちらにお越しください」
次郎はそう言って全員を士官室から退出させ、上甲板に連れて行った。
「あれをご覧ください」
大村艦隊の旗艦『知行』のメインマストには、最上部に日の丸が掲揚されている。
その下に葵のご紋、さらにその下には大村家の家紋である大村瓜が掲揚されていた。
事実関係はどうあれ、序列を明確に表していたのだ。
薩摩藩をはじめ、長州藩や佐賀藩など、すべての藩が次郎の説得によって同じ方法で掲揚している。
(どうでもいい。どうでもいいんだよ、そんなの)
次回予告 第383話 『仏領コーチシナ』

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