第391話 『レユニオン島』

 慶応二年十二月七日(1867年1月12日)レユニオン島

「いやー、いいねえ。熱帯、南国だねえ……」

 次郎は上半身裸の半ズボンになって、どこから持ってきたのか作らせたのか、海水浴でよく見かける折りたたみの椅子に横になって日光浴をしている。

 現地で調達したココナッツをキンキンに冷やし、氷を入れたグラスに注いで飲んでいたのだ。

「兄上、藩の、日本の命で万博へ行くのに、斯様な有り様でよいのでしょうか」

 横には同じように隼人、廉之助、そして彦次郎がならんでいる。

 俊之助もいた。

 俊之助は医者だがインドア派ではなく(別に固定観念はない)、アウトドア派で、なんだか戦場ドクターの雰囲気がある。

 師匠の一之進の影響なのか、それとも正確なのか。

 幼児の俊之助が走り回ってビーカーを割っていたころを次郎は思い出して、クスッと笑う。

「隼人兄さん、そこが堅いんですよ。抜くときは抜く、こうでなくては」

「なにっ 彦次郎、兄に向かって講釈をたれるとはいい度胸だ」

 隼人が起き上がって彦次郎に向かって声をあげるが、次郎はニコニコしながら眺めている。

「おー、隼人ー言われてるぞー」

「やかましいっ」

 ははははは、と笑いが起きるた。

「まあ、隼人よ。此度はゆるりとせよ。彦次郎の言うとおり、羽根を伸ばすのも大事ぞ」

 長い航海、いったん海へ出てしまえば命の危険にさらされることすらある。

 そんな航海を続けているのだから、入港しているときくらいはくつろいで、英気を養う必要がある。

 次郎が言いたいのはそういうことだ。

 ジャカルタでも平均気温は30度を超えており、慣れない気候に体を壊す乗組員もいたからである。

「はあ……」

 ちなみに大村海軍艦艇には冷暖房が完備されていた。

「次郎、何やら楽しそうだな」

「あっ これは甲吉郎様!」 

 サングラスをかけてくつろいでいた次郎は、起き上がって挨拶をする。

 さすがの次郎も、藩主の嫡男である名代が来たのだから、動かないわけにはいかない。

「いやいや、気にするな。わしも暑いので、上着を脱がせてもらったところじゃ」

 手を振って笑う甲吉郎のその様子は、次郎よりもさらにリラックスして見える。

 甲吉郎はいつもの着物姿とは違い、軽装なのだ。

 甲吉郎は常に藩主の嫡男として英才教育を施されている。

 そのプレシャーもあり、適度にバランスをとらなければ精神的にまいってしまうのだろう。

 甲吉郎はその点には長けているようであった。

「次郎の言うとおり、お役目は確かに大事、然れどそれを成すためには、休むべきは休まねばならん。遠慮するな隼人よ、わしが許す」

「ははっ」

 横で聞いていた隼人はそう返事をして、彦次郎に目をやる。

 彦次郎はニヤニヤしていた。

「やあ、次郎様。今日は暑いですろうに、なんだか楽しそうにしゆうがですね。あ、そうそう次郎様、この前いただいた免状は、期限とか無いがですよね?」

 聞き覚えのある、一度聞いたら忘れられない声である。

「おお、龍馬ではないか。如何した?」

 意外な来客に驚きながらも喜ぶ次郎である。

「いやあ次郎様、こりゃあ暑うてたまりませんぜ。この陽気じゃ、まっこと蒸し風呂みたいなもんですき」

 そう言いながら龍馬は手で顔をあおぐ。

「聞きますと、『知行』には冷蔵庫っちゅう珍しいもんがあって、えあこん、いうもんまであるとか。いやあ、先生、こりゃあ見事としか申し上げようがありませんき。あんまり冷えすぎて外に出てきたら、先生のお姿が見えましたき、つい声をかけさせてもろうたがです」

 要するに涼みに来て、冷えすぎて外に出たら次郎たちを見つけて声をかけた、というわけだ。

「そうか龍馬、まあ、ゆっくりしていくといい。そうだ、こちらは殿の御嫡男で……」

「あっ! 何やかこれ? うまいがですろうか?」

 聞いちゃいない。

「うまい! いや違う、待たぬか龍馬。今甲吉郎様のご紹介をしておるのに。こちらは殿の御嫡男、甲吉郎様におわずぞ」

「これは失礼しました!」

 さすがの龍馬も居住まいをただし、純武に向き直った。

「よい、わしも斯様な格好じゃ、気にするでない」

 笑顔で返す純武である。

「では、遠慮なく」

 まったく、と次郎は息を吐いた。

 自分もどちらかというと格式張ったことは嫌いで、フランクな付き合いを周りとしている次郎であるが、龍馬は別格であった。

「ああ、あんたが龍馬さんか」

「ん、おんしは?」

「太田和彦次郎と申す」

「ああ、こりゃあ、次郎様の弟やったがですか。こりゃあ、失礼いたしました」

 龍馬はさっと謝罪をしつつ挨拶をした。

「ああ、よかよか。三男坊やけん、武家って言うても町人と変わらんけん」

「お、そうか」

 阿吽の呼吸というのだろうか。

 次郎が言っていたとおり、龍馬と彦次郎はウマが合いそうである。

「龍馬、航海の調子はどうじゃ?」

「はい、おかげさまで順調にいっちょります。機関の具合も何の障りもなく、乗組の者らもみな元気にしちょりますき」

「そうかそうか、それは良かった」

 連れてきた手前、そうでなくてはならない。

 次郎は内心ホッとした。

「それで次郎様、ちっくとお願いがあるがですけんど」

「ん、何だ?」

 ニコニコ顔で答える次郎だが、いったい龍馬は何を頼むのだろうか。

「ほかの社中の連中も連れて来てもかまんろうか。みんな暑さでまっことへばっちゅうがよ」

「ああ、何だそんなことか。構わん……あ、あの、甲吉郎さま、よろしいでしょうか」

 横で聞いてきた純武は苦笑いをする。

「良いも何も、お主が出した免状であろう? ここで断ればわしの面子も立たんし、藩の面子も立たぬではないか」

 何の問題もないようだ。

 オレのことなど気にするな、とでもいいたげだが、決して嫌味なところはない。

「は、それでは」

 次郎はそういって亀山社中の仲間も『知行』に招き入れたのであった。

 次回予告 第392話 (仮)『喜望峰沖の嵐』

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