第696話 『冷蔵と冷凍に関する話』(1582/5/18) 

 天正十一年四月二十六日(1582/5/18) 

 ジエチルエーテルの気化による冷却で氷ができることがわかり、冷蔵庫の発明となった。これは手動で喞筒そくとう(ポンプ)を押し、その動力で氷を作って冷却するという物である。

 現在の冷蔵庫に比べると大型で仕組みも原始的ではあったが、各家庭(表現としてであり、実際に各家庭にあった訳ではない)で用いる事は、設置さえできれば可能であった。

 忠右衛門は、この冷蔵庫の普及により、人々の生活が大きく変わることを確信していた。食品の保存期間が延び、暑い夏でも冷たい飲み物を楽しめるようになる。
 
 医療の現場でも、ワクチンや薬品の保存に役立つはずだ。

「この冷蔵庫を、より多くの人々に届けたい」

 そう考えた忠右衛門は、冷蔵庫の量産化に向けて、さらなる改良を重ねていった。しかし、改良の過程でいくつかの課題が浮き上がってきたのだ。

 ・装置が大型であり、高価。
 ・手動ポンプのため定期的に人が動かさなくてはならない。

 しかし、冷凍・冷蔵設備を必要とする需要は、小佐々領内では既に出来上がっていたのである。

 領内では戦がなくなり、領民も経済的に豊かになって、外食をする余裕ができていた。農村でさえ、例えば祭りや祝い事で、贅沢な食事をする余裕も生まれていたのだ。

 領内のいたるところに飲食店があり、新鮮な魚介類を運ぶために巨大な生けを用意して、運搬して提供していた。

 商用船舶への蒸気機関の導入はまだまだであったが、洋式の帆船は普及しており、遠洋で魚の鮮度を保つための冷凍・冷蔵技術が必要とされていたという事もある。

 蒸気機関が普及すれば、間違いなく遠洋漁業が盛んになる。そうなれば、間違いなく必要になるのだ。




 忠右衛門は、開発した冷蔵庫の課題について、経済産業大臣の岡甚右衛門に相談することにした。

「甚右衛門殿、わしが作った冷凍冷蔵庫は、御屋形様をはじめ一部ではお使い頂いているものの、市井に流すにはまだまだ障りが多いのです」

「ほう……忠右衛門殿のこしらえた冷蔵庫は、それがしも使った事があるが、実に勝手が良く重宝すると思うがいかがか?」

 忠右衛門は、冷蔵庫の現状について説明した。

「大きくしかも値が張る。加えて人力で喞筒を動かさねばならぬために、人が毎度操らねばならぬのです。このままでは、民が使えるように値を下げ、何もせずとも良いようにはなりませぬ」

 うべなるかな、と甚右衛門は言って忠右衛門の説明にうなずいた。

「そのような障り(問題・課題)が……では如何いかに改め、良くしていくおつもりか?」

「手動喞筒ではなく自ら動く様にするために、蒸気機関を取り入れる事を考えています。然れどそうすると、さらに大型で高値になってしまう」

 人力ではなく蒸気動力を試みるつもりのようだ。

「然れど、蒸気機関を用いたとは言え、人の力が要るのは変わらぬのではありませぬか?」

 甚右衛門が当然の疑問を投げかけた。

「その通りです。蒸気機関を使えば喞筒を動かす人力は要らなくなりますが、機関を動かし続けるための薪や石炭をく人手は要りまする。そのために大きくなり、値も張ってしまうのです。加えて、蒸気機関の管領かんれい(管理)をする者も要ります」
 
  忠右衛門は甚右衛門の指摘を受け、さらに詳しく説明した。

「うべなるかな」

 甚右衛門の提案は続く。
 
「然らばなおの事、まずは領民へ向けてではなく、店を商う者へ向けて、広く行き渡らせるようにするのは如何か? 飯屋や旅籠に漁船など、冷蔵庫の要る所なら、多少の手間はいとわぬはずじゃ」

「商いの場で用いてもらう事で、冷蔵庫の利を知らしめる。その良い評判を基に、少しずつ改めて良くしていく事で、手間を減らしていく。然様な道筋を踏むのが良さそうですね」
 
  忠右衛門は甚右衛門の提案を受け、開発のプロセスを描いたようだ。

「然に候(そうじゃ)。はじめは多少の手間があっても、冷蔵庫の恩恵を感じれば、自ずと広まっていこう。しかしてその過程で技や術も進み、いずれは誰もが使うに易きものになるであろう」
 
  甚右衛門は、長期的な視点で可能性を説いた。

 技術の進歩や普及は一定のプロセスを通る事がよくある。一例をあげれば、まず軍事目的で研究開発されるのだ。

 ついで民間では大企業や特定の業種に広まり、最後に性能の向上と価格の低下とともに一般消費者へと普及していく。

 GPSなどがその良い例であろう。人工衛星を用いた位置測定システムはトランシットやNAVSAT(Navy Navigation Satellite System)でGPSより古いが、最初は軍用であった。

「商売人に使ってもらうには、冷蔵庫の力を示す必要があります。例えば、活きの良い魚を運べる事を船頭に知ってもらう。料理店では、食材を長い間保てる事を示す。然様な事を見せ続ける事が肝要でございますね」
 
  忠右衛門は、具体的な普及の方法を考えた。

「そのための民への助けも考えねばなるまい。冷蔵庫を買い入れる際の銭の援助など、御屋形様にも上書して、閣議で諮るといたしましょう」
 
  甚右衛門は、官の立場からの後押しを約束した。

「然様にございますな。銭や品物の流れ、費えの事には詳しくない故、その際には甚右衛門殿のお力添えを願いましょう」

 こうして忠右衛門は甚右衛門のアドバイスのもとに、商売の場から冷蔵庫の普及を進め、徐々に改良を重ねていく方針を固めた。手間を減らし、誰もが使える物へと進化させる。

 開発費がでなければ、より良い物など出来ないのだ。純正は重々その事を承知していたが、流通や販売などをからめて話した方がイメージがしやすい。




 電気冷蔵庫は、まだ先の話である。




 次回 697話 (仮)『本能寺の変』

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