天正三年十月十二日(1574/10/26) 交渉2日目 茂木城
北条氏と里見氏の間の和睦は、北条氏が里見氏に対して安房・上総・下総(千葉氏の佐倉城以東)の領有を認める事で成立した。もっとも下総に関しては書面上だけの事である。
それは氏政もわかっていた事であろう。
下総においては千葉氏とその一族の影響力を排除するなど、並大抵の事ではない。今回の戦いの目的ではないと、義弘もわかっていたのだ。
氏政はそれを見越して、譲歩した形をとったのかもしれない。
勝行は忠棟と同じく氏政の真意を測りかねたが、調停者としてきている以上、詮索するのはよろしくない。
残る問題は北条対宇都宮・佐竹と、蘆名・那須対宇都宮の交渉である。
「さて続いては、宇都宮勢と佐竹勢、それに北条勢の領地の国分(領土分割・国境協定)にござる。陸奥守(氏照)殿、下野守(宇都宮広綱)殿、常陸介(佐竹義重)殿、よろしいか?」
「「「異論ござらぬ」」」
「ではまず、下野守殿、題目(条件)をどうぞ」
勝行は広綱へ聞いた。
「われらはこたびの北条の討ち入りに際し、すべての所領をお返しいただく事を所望いたす」
「それがしも、同じにござる」
宇都宮広綱への問いにも拘わらず、佐竹義重も追従するように答えた。
「常陸介殿(義重)、いまは下野守殿(広綱)に伺っておるのです。しばし待たれよ」
勝行は義重を制止したが、氏照は意に介していないようだ。
「よろしいのです、肥前介殿(勝行)。それがしの答えは決まっておりますゆえ」
全員が氏照の顔を見た。
「それはいかなる答えにござろうか」
「……その題目には、応じかねまする」
それはそうだろう、と誰もが思った。
占領地をすべて返還するなど、それではなんのために攻め入ったのか意味がない。条件のすりあわせだと誰もが思ったのだ。
「うべなるかな(なるほど)。では下野守殿、いかがされるか?」
勝行の言葉に広綱が答える。
「されば申し上げる。益子・芳賀・多功・壬生の他、国人の所領のいずれかを返していただくとして、いずれの土地をいかほどかと考えねばなりませぬな」
「うむ」
と勝行が答え、氏照の方を向く。
「これは異な事を承る。そのような事を論ずるなど、詮無き事にござる」
「な、に? 陸奥守殿、戯れ言を言うてもらっては困る」
広綱が敏感に反応した。
「戯れ言ではございませぬ。そもそもこの和議、当方が望んだものに非ず。内府様(純正)の仰せにて、我が殿の命によりここにいるに過ぎませぬ。それにさきほどの国衆は、われらが掛かりて(攻めて)降り、または調略にて降っておる。その国衆らの所領にござろう。それがしが返す返さぬの話ではござらぬ」
これも、下総の論理や武田家の三河や遠江の論理と同じである。
完全に北条の郎党となって、北条領内の知行としてあてがわれているわけではない。所有権はあくまで国人にあるのだ。
宇都宮家は勢力の三分の二が国人衆であった。逆に北条家は三分の二が直轄地である。
氏照は国人が降伏する際に、完全に本領を安堵したものもいれば、減封して取り込んだものもいる。後者は戦って降伏した国人だ。
その際に吸収した所領はあるが、飛び地である。
返還したとて、統治が難しい土地ばかりだ。
「われらに一旦服したものが、手のひらを返すように貴殿に従いましょうか? また貴殿も一旦離反した者を、以前と同じように扱えますか?」
「……」
「仮にそれがしが返す、と申して、国衆らを説かねばならぬのですか? ……ふたたび話を戻しますが、和睦とはすなわち双方が戦を止めることを望む場合に行いまする。こたびは我らに、そもそも和睦の意思はなかった。戦を止める、そうすればこれ以上所領を失う事はありませぬ。これこそ重し題目ではござらぬか」
「それでは身も蓋もない!」
「そうじゃ! この上は戻って一戦も止むなし!」
■里見軍宿舎
「さて、なにやら騒がしくなってきたの」
「は。されど我らにとってはあずかり知らぬ事。上総と残りの下総の事のみ考えれば良いのではありませぬか」
里見義弘と正木頼忠は高みの見物である。
「そうよの。氏照はああ言っておるが、まあ、多少は譲るであろう。あまりに厳しい題目じゃと、ほれ、窮鼠猫を噛むというではないか」
義弘は反北条のために佐竹と宇都宮と組んだ。
そして幸運な事にスペイン、つまり北条戦を見据えた純正の思わくと重なって、小佐々と同盟を結ぶことができたのだ。
佐竹と宇都宮とは誼を通わせてはいたものの、それは共通の敵である北条と戦うためである。結局は自分が一番大事なのだ。
それに、里見家は(北条と宇都宮・佐竹との戦いの)当事者ではない。
■宇都宮軍宿舎
「ぐぬぬぬぬぬ……! 氏照め、ほざきおって! この上は城を枕に討死覚悟で一矢報いようではないか」
「殿、それはあまりにも無謀にすぎまする。いったん心を鎮め、事の様(状況)を見定めねばなりませぬ」
広綱は怒り心頭で、家老の今泉泰光はそれを抑えるべく声をかけた。
「事の様も何も、氏照はとりつく島もないではないか。一切返さぬと言うておろう」
「そこにございます。誠に氏照は返す気がないのでしょうか」
「その気がないゆえ、あのような物言いになったのであろう?」
ようやく怒りが収まりかけた広綱は答えた。
「されど、誠にそうだとして、我らが呑めば、この上ない屈辱にございます。それは佐竹も同じでござろう。必ずや禍根を残し、以後の戦の種になるのは必定。それをわかった上で、無理に通しましょうや?」
「ふむ……」
「それにこたびは、内府様の扱い(調停)にございます。紛糾すれば顔に泥を塗ることにもなりまする。氏照、いや氏政がそこまで浅慮だとは思えませぬが」
「であれば、わざと我らを怒らせるために、ああ言ったというのか?」
「は。明日、つぶさ(詳細)な題目を示せば、何とかなるかと存じます。と、その前に肥前介(勝行)殿に口添えを頼まねばなりませぬ」
「あいわかった」
■佐竹軍宿舎
「おのれ、氏照め! 禅哲よ、誠に氏照は譲らぬと思うか?」
「は。確たることは申せませぬが、いささかおかしな点がございます」
僧籍にありながら佐竹義篤・義昭・義重の3代に仕える禅哲は、佐竹の外交僧として活躍していた。
「おかしな点?」
「おかしな点と申しますか、あのような和睦を壊すような強引な題目では、我らが応じぬ事はわかっておったはずにございます。北条としても、ああはいったものの、内府様の手前、落とし所を探っているかと思われます」
「和睦が破談になれば、面目がないからの」
「ゆえに我らは、北条が許すであろう、できうる限りの題目を導きださねばなりませぬ」
■蘆名軍宿舎
「題目は、後からあれもこれもと、付け加えるものではございませぬ。まずはっきりと態度を示し、それから徐々に緩めていくのが肝要かと」
宿老の佐瀬大和守種常は、若き当主盛興の質問に答え、蘆名も北条と同じく、条件は譲らない路線である。
■那須軍宿舎
「わが那須家にとっては千載一遇の機会である。一歩(一坪)たりとも譲る気はない」
那須資胤は意気揚々としている。
「仰せの通りにございます。されど、北条がもし譲るのであれば、我らも多少は譲らねばなりますまい」
その資胤をたしなめるのは家老の千本資俊である。那須家の実力者で、資胤は資俊に擁立された。
■北条軍宿舎
「落とし所は決めてある。これで納得せねば、再び戦をするまでじゃ」
氏照は氏政に指示された提示条件を考え、絵図に印を入れながら考えている。
「殿、これで両家は乗ってくるでしょうか?」
「わからぬ。されどもし乗ってこないのなら、知恵者がおらぬのだろう。その時は致し方あるまい。いずれにしても、内府様の顔に泥を塗ることにはなるまいて」
■小佐々軍宿舎
「肥前介殿、これは宇都宮と佐竹が題目を呑まねば、和睦はなりませぬぞ」
「そうですな。されど呑まぬでしょう。北条もそれをわかった上であのような題目を出したのでは?」
忠棟の問いに勝行が答えた。
「それはあり得ますな。確かに、北条としては戦を続けるという道もある。されどそれでは我らの顔に泥を塗る事になる。加えて、われらの盟友である里見とは、北条はすでに話がついております」
小佐々の盟友である里見には、北条は大幅に譲歩している。
これで十分に小佐々の顔を立てたと考えれば、宇都宮や佐竹に多少無理をいっても、呑んでもらえるだろう、という考えなのだろうか。
それとも最初に過大な条件を突きつけ、徐々に落として、最適な条件で締結するという手法なのだろうか。
そんな話を二人でしている時に、宇都宮と佐竹の使者が入ってきた。
次回 関東騒乱終結。北条の勢力拡大と、宇都宮と佐竹の弱体化
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