第651話 『レイテ沖海戦~参~接敵! スリガオ海峡!』

 天正七年五月十日 マゼラン湾

 夜間ずっと降り続いていた雨が止み、霧が晴れた頃に小佐々連合艦隊は出港した。第四艦隊は東進して、カ二ガオ海峡を抜けてミンダナオ海に入る。

 その後パナオン島南端のサン・リカルド岬を経て北上する。

 本隊である第一連合艦隊と第二連合艦隊(第三艦隊と織田艦隊)はそのまま北上し、サン・ベルナルディノ海峡を通過して東進、南下してレイテ湾に侵入する経路である。

 所要時間は第四艦隊が二日、本隊が六日である。

 遊撃隊である第四艦隊が予定戦場であるレイテ湾の南にあるスリガオ海峡に侵入する訳だが、ここで接敵してしまうと、本隊到着まで最低でも四日は待たなければならない。




 ■出航前

「航路が違えば距離も違うゆえ、着到の時間が異なる。おおよそであるが、全艦7ノットと計算して、遊撃隊は二日、本隊は六日で当該海域へと着到となる。そのため、七日を海域侵入と定めておくのはいかがか?」

 勝行の提案に全員がうなずく。

「そうですな。仮に接敵したとしても盛んに打ち合う事はせず、時期をまつ事といたそう」

「左様、敵を二手に分けるのがこたびの策にて、敵の全兵力が遊撃隊に向かうようであってはならぬ」




 ■天正六年五月十七日(1577/6/3) ミンダナオ島 スリガオ沖 第四艦隊

「司令官。敵はうまく分断してくれるでしょうか?」

 決戦予定日は本日である。

 五日前に決戦予定海域の南にあるスリガオ沖に到着した第四艦隊の参謀長が、加雲に問う。

「うむ、それは分からぬな。敵も我らと同じく、必死に策を練っているはずだ」

 加雲は頭を抱えながら、敵の出方と、どうやって引きつけるかを考えていた。
 
「同感です。それゆえ我らがおとりとなって敵を引きつければ、それだけ本隊の負担が減り、勝ち筋が見えて参ります」

「されどもし、敵が全軍をもって掛かってきたならば、我らは孤立無援となろう。本隊到着まで持ちこたえられるかどうか……もし最も悪しき事の様となれば、我らは玉砕覚悟で敵を引きつけねばならぬぞ」

「玉砕、ですか?」

 参謀長の問いかけに、加雲は真剣な面持ちで答える。スリガオ海峡の海上で聞こえるのは、いくつもの水しぶきの音だけである。艦隊は静かに進んでいた。

「そうじゃ。戦であるから失は免れん。されどその失をいかに抑え、いかに大きな戦果をあげるかが肝要。さりながらこたびは、玉砕を覚悟する気迫で臨まねばならぬ、という事じゃ」

 加雲の言葉に、艦橋に緊張が走る。

「我ら第四艦隊の務めは敵を分かち、本隊の勝ち筋を見いだして敵の殲滅せんめつを容易ならしめる事。たとえ敵を分かつ事能わねど、全力をもって敵を受け止め、もって敵の背後を本隊により掛からせん」

 海風が旗をなびかせる中、加雲は冷静に戦況を分析する。

「各隊各艦と密に知らせをやり取りし、敵の出方を見極めなければならぬ。ゆめゆめ油断するでないぞ。今こそ我らの真価が問われる時じゃ。気を引き締めていくぞ!」

 加雲のげきに、部下たちは心を一つにして敵を待ち構えるのであった。




「司令官! 見張りより報告! 敵艦見ゆ! しかし一隻しかおりませぬ!」 

「なに? 敵艦はたった一隻だと?」

 水平線上に敵の艦影が現れた。加雲は望遠鏡を凝らすが、確かに一隻だけのようだ。艦橋内に驚きの声が広がる。これほどの兵力差で、敵がたった一隻で現れるとは考えにくい。

「何かの罠でしょうか?」

「わからぬ。されど敵もさすがに、そこまで単純ではあるまい」

 加雲は眉間にしわを寄せ、部下たちに指示を下す。

「総員見張りを厳と為せ!」

 ははぁっ! と士気高く応える部下たち。加雲は、さらに念を押すかのように言葉を継ぐ。

(敵は一体何を考えておるのか。この一隻は囮なのか、それとも何か別の狙いがあるのか……)

 独り言のようにつぶやくと、加雲は顎に手をあて、海図を凝視しながら敵の意図を探る。

「艦隊、このまま前進しますか?」

 艦長が尋ねる。遥か沖合、敵艦の向こうには、未だ敵本隊とおぼしき艦影はみあたらない。

「うむ、難しい判断じゃな。敵の罠である可能性も捨てきれぬが、かといってこのまま、という訳にもいかぬ」

 加雲の言葉を艦橋の士官は黙って聞いている。

「敵一隻が囮であれば、これを追う事で本隊を誘い出せるやもしれぬ。されど追うと言うても深追いをするでないぞ。各隊は戦闘態勢を維持しつつ、敵艦との距離を詰めていけ。ただし、決して艦隊が分断されぬよう、陣形は崩すな」

 他の敵艦はまだ見えない。加雲は冷静に指示を下していく。

「敵艦、逃げていきます! 追いますか?」

 見張り役からの報告を受けた艦長の言葉に、加雲の表情が曇る。

「逃げたと? これは明らかに誘いであるな。罠の見込みが高い。追うのはやめじゃ。今は敵の出方を見極めることが肝要よ」

 苦渋の決断に部下たちもうなずく。いったいスペイン艦隊の狙いは何なのか? まだまだ予断を許さない。緊迫した空気の中、一人の若い士官が進言する。

「しかし司令官! あの偵察艦が戻れば我らの兵力が露見してしまいます! このままでは敵はこちらの陽動にのらず動かないのでは?」

「うむ、それももっともな考えじゃ。敵の偵察を許せば、我が軍の意図を見抜かれてしまうかもしれんな」

 待つか、追うか。決断に迫られる。

「されど無闇に追うては敵の思うつぼというもの。判ずるのは難しじゃが、ここは……仕掛けるしかあるまい」

 その時、ある策が加雲の脳裏をよぎる。

「よし、第四十五水雷戦隊(軽巡夕張・駆逐艦秋風・夕風・太刀風・帆風)は敵の偵察艦を追え、必ず撃沈するのだ」

 さらに加雲は続ける。

「残る艦隊はこれまで通り陣形を保ちつつ前進する。しかるのちに敵本隊が現れたら、四十五隊は全力で敵を引き付けつつ戻るのだ」

 部下たちは息をんで加雲を見つめる。

「敵の意図がわからぬゆえ、これは賭けに近い。されどこのまま待っても勝機は訪れぬ。今こそ、我が第四艦隊の意地をみせようぞ! よいか、作戦開始だ! 勝利を信じて、各員奮闘せよ!」

 加雲の檄に、艦隊士官たちは心を一つにして応える。

「「「了解! ! !」」」




 ■天正六年五月十八日(1577/6/4) レイテ島北端 キャンカバト湾 スペイン艦隊本隊

「総司令! なぜ動かぬのですか! 我が艦隊の哨戒しょうかい艦は敵の位置を捕捉しておるのですぞ! 今動かねば、取り返しのつかぬ事になりますぞ!」
 
 第一分艦隊司令官のフアンは、総司令官のオニャーテに詰め寄る。艦橋中に響き渡るような大声であったが、オニャーテは窓の外に視線を向けたまま、静かに答える。
 
「フアン提督、あれから余も考えたのじゃ。やはりここはいたずらに動かず、敵を受け止め正々堂々と戦うべきだとな」
 
「な! 馬鹿な! 敵はわが軍の倍なのですぞ! そのような敵に正面からぶつかって勝てるとお思いか? 先日の会議で決まったではありませんか!」
 
 フアンの顔は怒りに紅潮し、拳を握りしめている。
 
 余、だと? 新しいフィリピンの総督にでもなったつもりか? フアンの怒りが増す。
 
 オニャーテはゆっくりとフアンに振り向く。その眼差しは冷徹だ。
 
「勝てるかどうかは、やってみなければわかるまい」
 
「わかります! 敵の艦砲はこちらより射程が長いのですぞ。それも恐ろしく正確であります! そのような敵に正面きって戦いを挑むなど愚の骨頂! 今すぐ艦隊を動かしてください!」
 
 フアンは机を叩き、地図を指し示す。その手は微かに震えている。
 
「なにい! 愚の骨頂だと! おのれ言わせておけば成り上がり者が!」
 
 オニャーテの言葉に、フアンの表情が険しくなる。
 
「成り上がり者で結構! 今は私個人の事などどうでも良いのです! しかも哨戒艦からの報告では敵艦数はおよそ40。まさしく本隊であります! よしんばこれが敵の策略で数を多くみせているとしても、ここで全力でもって敵を殲滅すれば、後から本隊が来たとしても、五分以上の戦いができるのです! さあ! 今すぐ!」
 
 フアンは熱弁を振るう。額には汗が浮かび、その瞳はもどかしさと怒りとが混在している。
 
「くどい! そこまでやりたければ貴公らだけでやれば良いではないか! そこまで自分の策に自信があるのなら、余の艦隊など必要あるまい。さっさと敵を葬ってまいれ。大将たるもの、軽々に動いてはならん!」
 
 オニャーテは冷ややかに言い放つ。勝利を確信しているかのようなその態度の根拠は、一体何なのだろう。
 
「ぐ……!」
 
 フアンはテーブルの上に置いてあったグラスをたたき割り、出て行った。

「閣下。愚考しますが、フアン提督の考えにも一理あり、少ない選択肢のうちの一つだと考えます。今一度ご再考になってはいかがでしょうか? 今ならば敵の機先を制する事も可能かと」

 副官は表情を変えずに、淡々と進言する。
 
「? 何を言っておるのだ愚か者。余はもう決めたのだ。こざかしいことを申すでない」
 
 オニャーテは鼻で笑い、再び窓の外に目をやる。
 
「は……」




 次回 第652話 (仮)『レイテ沖海戦~四~千変万化。機を見るに敏であれ』

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