外敵

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第375話 『淀屋清兵衛の策略』

慶応二年三月十五日(1866年4月29日) 江戸 加賀藩邸「兵備輸入取締令? あの……あれは確か万延、いや安政六年に御公儀が出した法であったな」 前田斉泰が思い出しながら牧田孫兵衛(淀屋清兵衛)に聞き直した。『兵備輸入取締令』 大名・家臣に...
八紘共栄圏を目指して

第834話 『関白太政大臣小佐々純正の大義』

慶長元年十一月十四日(1597/1/2)へトゥアラ「なぜそこまで領土を広げる必要があったのですか? 日本だけでは足りなかったのですか? 倭寇わこうは途絶えて久しいし、日本に攻め入る国もない。琉球や朝鮮と交易すればよかったのでは? 呂宋やアユ...
八紘共栄圏を目指して

第833話 『遼東では足りぬのか、沿海州では足りぬのか』

慶長元年十一月十四日(1597/1/2)へトゥアラ「はっきり言っておきますが、余は肥前国はもちろん、その冊封国である朝鮮と戦うつもりはありませんぞ」 ヌルハチはそう言って純正の言葉を待った。「戦うつもりがないのであれば、なおさら兵を引き上げ...
東アジアの風雲

第763話 『陸軍再編』

天正十九年六月十九日(1590/7/20) 諫早 海軍に続いて行ったのが陸軍の再編である。 インド・アフリカなど、南方から西方へ国土が拡張し、北方ではアラスカから沿海州まで統治するようになった。そのためこれまで連隊規模や小隊~大隊規模の部隊...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第259話 『ロシアはいいのに、日本は悪いのか?』

文久元年四月二十二日(1861/5/31) 箱館在日ロシア領事館「さて領事、貴国としては如何いかがなさいますか?」  次郎は昨日と全く変わらず、無表情で駐日ロシア帝国領事のヨシフ・ゴシケーヴィチに質問した。「我が国としては、この事態を平和的...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第219話 『南紀派の開国・攘夷、一橋派の開国・攘夷』

安政五年四月二十三日(1858/6/4) 江戸城 御用部屋「各々方、井伊掃部頭直弼にございます。此度こたび大老という重責を担うこととなり、身の引き締まる思いにございますれば、今後より一層の皆様のご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げま...
天下百年の計?

第737話 『ウラジオストクにて、ヌルハチと』

天正十六年八月二十九日(1587/10/1)~の1か月前 へトゥアラ「なに? 肥前国の国王が海參崴かいわんわい(ウラジオストク)へ来ているだと?」 海西女真との戦いを終えて、本拠地であるへトゥアラへ戻ってきたヌルハチは、斥候の報告を聞いて驚...
天下百年の計?

第726話 『上知か転封か減封か』

天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」 肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。  そのため純久は以...
天下百年の計?

第716話 『朝鮮出兵の話』

天正十三年四月十三日(1584/5/22) 「なに? 右議政は小佐々との通商をさらに進めるに留まらず、同盟を結べと申すのか?」 李氏朝鮮王朝第14代国王の宣祖は、右議政の柳成龍に向かって驚きの声を上げる。史実では1590年に右議政となった柳...
天下百年の計?

第709話 『瓶詰めの開発と琉球州顛末。琉球国か琉球州か』  

天正十二年六月十六日(1583/8/3) 諫早城 「ところで忠右衛門。その後缶詰はどうなっている?」 純正は唐突に忠右衛門に尋ねた。 忠右衛門は14年前に真空ポンプを使って実験をして以来、純正から缶詰の開発を依頼されていたのだ。 しかし実際...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』

天正十年十二月十二日(1582/1/6) 織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。 これは何も信忠に限った事ではない。 小...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第159話 対信長外交団②

永禄十年 十一月 堺湊 鍋島直茂 堺湊についた。少しだけ、寒い。コタツが恋しくなる季節です。コタツは小佐々の名物ではないか。 なぜ商品化して売っていないのだろう? 冬場だけだからか? もっと北にいけばもっと売れる。間違いない……。 京の都に...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第11話 横瀬浦の秘密 ~ 歴史改変と南蛮貿易の舞台~

たった1年とはいえ、前世では戦国時代に南蛮貿易港として賑にぎわった横瀬浦。 確か史実では横瀬浦は大村領で、来年の永禄5年(1562年)、歴史の檜ひのき舞台に姿を現す。現世ではそれさえもかなわないのか? 横瀬が沢森領になったのは去年だけど、そ...