権威

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第249話 『朝廷の和宮降嫁に対する意向とイギリスと薩摩の情勢』

万延元年七月二十日(1860/9/5) 京都御所 陣座  太閤鷹司政通、関白九条尚忠、正四位下右近衛権少将の三条実美、同じく正四位下右近衛権少将の岩倉具視の4人の重臣が集まっていた。  同じ官位官職ではあるが、実美は具視を格下に見ている。 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第237話 『布衣ならよかろう。または六位のいずれか』

安政六年八月三日(1859/8/30) 京都 鷹司邸 「大変光栄な仕儀にございますが、諸般の事様を鑑みまして、主君丹後守様曰いわく、慎んでお断り申し上げたいとの事にございます」  次郎は京の鷹司邸にて、先日掴んだ情報による純顕すみあきの昇進...
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第235話 『薩摩、佐賀、長州』

安政六年七月五日(1859/8/3)  ここで1度、現時点における思想的な事を整理しなければならないので述べておく。  1. 尊王論:天皇を国家の中心と位置づけ、その権威を重んじる思想……次郎たち。ほとんどの勢力。  2. 攘夷じょうい論:...
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第227話 『朝廷の反幕府勢力と処罰の対象者』

安政五年十一月七日(1858/12/11)  大村藩領内では道路整備が行われ、人、馬、馬車、籠などの通行に耐えうるレベルにまで達していた。しかし他の地域は例え天下の台所、京の都といえども、整備はされているものの、そのレベルはお粗末なものであ...
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第226話 『島津斉彬と出兵上洛』

安政五年十月二日(1858/11/7) 鹿児島城 「おお、よくぞ参った。次郎左衛門よ。丹後守殿はご承知なされたか?」  島津斉彬の第一声である。  斉彬の目的は挙兵して幕府に対して明確な反対の意を表し、まだ朝廷より宣下を受けていない家茂を廃...
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第224話 『大獄前夜と朝廷』

安政五年七月十五日(1858/8/23)~八月八日(1858/9/14) 「どうするどうするどうする?」  井伊直弼による襲撃の幇助ほうじょの事実が本当であれば……いや、恐らくは本当であろう。  証人もいて犯行動機もある。  井伊直弼は幕政...
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第196話 『一触即発、大村藩改易か?』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1) 江戸城 老中御用部屋 「本音が、でたな」  堀田正篤まさひろの言葉に次郎は心の中で深呼吸をする。表情を崩さぬよう注意しながら視線を合わせると、正篤は手にしていた扇子を膝の上に置き、じっと次郎を観察...
天下百年の計?

第716話 『朝鮮出兵の話』

天正十三年四月十三日(1584/5/22)  「なに? 右議政は小佐々との通商をさらに進めるに留まらず、同盟を結べと申すのか?」  李氏朝鮮王朝第14代国王の宣祖は、右議政の柳成龍に向かって驚きの声を上げる。史実では1590年に右議政となっ...
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第704話 『純正の三職推任と第一次港湾整備計画。もう色々と面倒臭いから、全部うちからの借款にして先行投資しまくろうか』

天正十二年一月十九日(1583/2/11) 肥前国庁舎 <純正>  前々から、えーっと天正元年(1572年・作中では改元が1年早い)からずーっと言われてきた事。やっと受ける事にした。面倒くさい事この上ないが、実質新政府のトップなんだから、期...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館 「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」  純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第660話 『明国と北条』(1578/12/2) 

遡って天正七年八月十七日(1578/9/18)  「申し上げます! 呂宋にて、シーバンニャ(西班牙・Hispania・イスパニア)艦隊壊滅! 小佐々に敗れたそうでございます!」  紫禁城にて首輔である張居正は忙しく業務をこなしていた。  税...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第105回 『蝦夷地の石炭と越後、松代、相良の油田。買い占めへの道』(1848/11/27)

嘉永元年十一月二日(1848/11/27) <次郎左衛門>  適塾の5人が戻ってきた。  洪庵先生の体調は問題ないようだけど、毎月の食事と運動の記録は送って貰っている。そしてその5人は、帰郷の喜びを味わわせる暇もなく、信之介のところに問答無...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28)

弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。  願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。  貴...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城 「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」  会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様  秘メ 明国 張居正 ト イスパニア ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所 「皆様、よろしいでしょうか?」  発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。  大同盟合議所では、加盟している大名...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所 織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。 3年前の元...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第585話 合議制による銭の力で日ノ本一統。(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城  「すなわち知行ではなく、銭にて報いると?」 「その通り」 「然されど、銭の配分なり、いずれの大名に如何いかに銭をまわすかなど、後々差し障りがございませぬか?」 「無用じゃ」  純正には...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第21話 『黒幕と顛末』(1837/7/6)

天保八年 六月四日(1837/7/6) 雪浦村 冨永屋敷 <次郎左衛門> 「あ痛……」  痛みと共に目が覚めた。 「おお! 目が覚めたぞ!」  一之進が俺の顔を見て安堵の声を上げる。それを聞いて、交代で仮眠をとっていた信之介にお里が駆け寄っ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第569話 難航する交渉と上杉小佐々代理戦争の余波

天正元年(1572) 四月十五日 富山城   「……他国に軍いくさに出ず、守るに要るだけの最も少なき軍旅を養えればよい、と分きたる(理解している)が、よろしいか」  利三郎のこの言葉が頭から離れない須田満親は、難航した初日を振り返って二日目...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第565話 続く謙信の誤算と和睦への流れ

天正元年 四月十日 京都 大使館 「大使、関白様がお見えです」  大使館の近習が純久につげる。 「叔父上、これは……」 「うむ、昨日の和議の件に関しての事であろうな」 「……よし、お通ししろ」  ちょうど二人の時の来客であった。  純正は四...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第564話 和睦の題目と謙信の最後の秘策

天正元年 四月九日 京都 大使館  発 道雪 宛 権中納言  秘メ 上杉ヨリ 和睦ノ 申出 アリ 然レドモ 戦況 優位ニテ 御裁可 ナラビニ 題目ヲ 知ラサレタシ 秘メ ○四○六 「御屋形様、これは……」 「ふむ、和睦の申出であるな。必ず勝...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第531話 風神・雷神。畠山義慶の苦悩と決断

天正元年(1572) 三月二十八日 京都 大使館  先日十三日の御申出、石山の御坊の御意趣(石山本願寺の意向)にも沿うものにて、お受け致したく存じ候。  以後は幾久しく誼よしみを通わし、盛んに商いを行いたく存じ候。  さて、権中納言様(純正...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第521話 上杉謙信と武田信玄 戦国のカリスマと純正の外交戦略

天正元年 三月十七日 越中射水いみず郡 守山城(富山県高岡市東海老坂) 「申し上げます。小佐々権中納言様が郎等ろうどう(家臣)、日高甲斐守と仰せの方がお見えです」 「なんと? 今一度申せ」 「は、権中納言様が郎等、日高甲斐守様、お見えにござ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第518話 軍神・上杉謙信との対決 島津義弘はじめ島津家はやはり戦闘民族だった?

天正元年 三月十四日 能登国鹿島郡 在能所口湊番所  原田孫七郎は能登在番として、七尾城への兵糧の搬入と、それを隠れ蓑にして鉄砲、武具、弾薬などの搬入も行っていた。  ちなみに滞在と活動資金に関しては、能登を通る小佐々商人から受け取っている...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第515話 越中守護の書 上杉謙信と畠山氏の対立

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十一日 台湾 基隆キールンの湊 籠手田安経  琉球へ寄港してすぐに南下する予定が、明への対応協議のために滞在することになり遅くなってしまった。  わが艦隊(元練習艦隊)は海軍内での組織編制で、南方探険艦...
緊迫の極東と、より東へ

第512話 能登にて七人衆との会談と、岐阜での一節

天正元年(元亀三年・1572年) 三月五日 能登国 |鳳至《ふげし》郡 天堂城  純正一行は天堂城下で昨日歓待を受け、翌日登城して改めて挨拶を受けた。 「畠山修理大夫義慶よしのりにございます。権中納言様におかれましては、ことさら西国より能登...
緊迫の極東と、より東へ

第511話 能登の輪島湊から天堂城へ 能登畠山氏第十代畠山義慶と会う

天正元年(元亀三年・1572年) 三月四日 能登国 鳳至ふげし郡 輪島湊  二月の二十五日に敦賀を出たのだが、風が悪かった。  途中の甲楽城かぶらき浦、新保浦、鮎川浦、三国浦……風待ちをしながら一週間かかってようやく輪島湊に到着した。 「ぶ...
緊迫の極東と、より東へ

第510話 肥前より能登へ、敦賀にて純正、長政と初対面す。

天正元年(1572) 二月二十四日 越前国 敦賀郡 敦賀 「何? 権中納言様が敦賀にお越しになっていると?」  長政は仰天した。  越前の統治においては前波吉継をはじめとした朝倉旧臣が行ってはいたが、三国浦をあらたな領地とした長政は、小谷城...
緊迫の極東と、より東へ

第500話 上杉不識庵謙信という男の本性

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十八日 越後 春日山城 「……。せっかくおいでになったのだ。通すが良い」  上杉謙信と須田満親の前に、小佐々の狐、利三郎が相まみえる。 「はじめてご尊顔を拝しまする、小佐々権中納言様が家臣、太田和治部少...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第475話 義昭、流浪将軍となる

元亀二年 九月二日 京都 室町御所  信長が義昭に提示した条件は二つであった。  人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。  なにせ和睦という体の降伏なのである。 ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第474話 異見十七か条と義昭の決断

元亀二年 八月二十二日 鯰江城下  純久は信長の陣中に一泊し、手渡された草案を熟読し、考えた。  異見十七か条と名づけられたその条文は、いかに義昭が無能であるか、将軍としての品位に欠けるかと、散々にこき下ろしたものであった。  信長に義昭と...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第450話 雑賀党と太田党、そして西国では嵐の前の静けさ

元亀二年 三月二十一日 京都大使館 「さて、まったく変なやつだと昔から思っていたが、その変わったやつが、ここまで家中を大きくしたのだからな。こたびの差配も、考えたら的を得ている」  小佐々治部少丞純久は、純正の書状をみながら、つぶやく。  ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第435話 尼子家の苦悩と復興

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800)  ■別所家中 「叔父上、やはり中将様はひとかどの人物ですね。くぐってきた修羅場もそうであるし、話も飽きぬ。なにより、戦を好まぬ姿は好きです」  別所長治は叔父で一門、家老の別所重...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第427話 純正上洛ス 将軍義昭二問フ

元亀元年 十一月一日 京都 室町御所  発 純久 宛 近衛中将  秘メ 公方様ヘ 宇喜多ノ 使者 謁見セリ 御教書ヲ 当家 ナラビニ 毛利 山陽 山陰 各大名ニ 送ルトノ 風聞アリ 内容ハ 播磨、美作、備前ノ 輩ハ 毛利ノ家人 タルベシ ト...
新たなる戦乱の幕開け

第422話 歴史の変化が人の死を早め、それがまた歴史を変える

元亀元年 十月十日 京都 室町御所 「公方様、備前の宇喜多の遣いと申す者が、お目通りを願っております」 「宇喜多……? 浦上ではなく、宇喜多だと?」  義昭は献上品の刀剣の品定めをしている最中に、政所執事である摂津広門から声をかけられ不機嫌...
新たなる戦乱の幕開け

第419話 謀将宇喜多直家の処世術~使える物はなんでも使う。そして混沌へ~

元亀元年 十月三日 岡山城 「殿、一つだけ、策がないこともございませぬ」  なに? と直家は秀安の言葉に目を輝かせる。さて、戸川秀安の腹案とはいったいなんであろうか? 「おお、なんじゃ」 「毛利にございます」 「何を言っておる。さきほど毛利...
新たなる戦乱の幕開け

第411話 専守防衛?第二次尼子再興運動と対毛利、そして信長を考える②

元亀元年 九月一日 諫早城   「殿」 「なんだ?」  土居清良が発言した。 「表向きが無理なら、裏からで良いのではないでしょうか」 「どういう事だ?」 「昨年の尼子蜂起軍には、山名の助力がありました。ゆえにこたびも尼子を直接助けるのではな...
新たなる戦乱の幕開け

第407話 元亀通宝=永楽通宝?

元亀元年 六月某日 諫早城  三年前の永禄十年十一月より、純正は小佐々領内で撰銭令を発布して貨幣の流通を促進していた。  金一枚が金十両、金一両が四分で、それが十六朱となり銀一枚と同じ価値になる。銀一枚は銀五十匁で銭四貫文、すなわち四千文と...
新たなる戦乱の幕開け

第403話 第一次信長包囲網の終焉と新たなる鳴動

元亀元年 六月六日   大安である六日を選んで、織田家と包囲網陣営の和議が結ばれた。  信長にしてみれば和泉は戻ってきたものの、摂津の領地は奪われたままで、決して良い条件ではなかった。  山城、河内、紀伊の状況は変わらず、良い面と言えば、大...
新たなる戦乱の幕開け

第387話 vs.スペイン③マニラ侵攻

永禄十二年(1570年) 十二月二十二日(1月28日) 諫早城  予想どおり十二月に入って、スペインがマニラに侵攻してきた。スペイン軍の司令官は大隊長マルティン・デ・ゴイチ。  兵士 100 名とビサヤ人(フィリピン中部セブ島エリア)の協力...
西国の動乱、まだ止まぬ

第373話 土佐安芸郡一揆⑤陰のフィクサー?小佐々治部少丞純久

永禄十二年 十一月十五日 京都 室町御所 「公方様、小佐々弾正大弼純正が家臣、小佐々治部少丞純久にございます」  純久は京都にあって大使として各国(各勢力)の重要人物と会うことが多いが、義昭は少し面倒くさいので、必要最小限にしていたのだ。 ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第366話 観音寺騒動ならぬ三雲騒動

永禄十二年 十一月十日 南近江 三雲城  織田信長の圧倒的な軍事力の前に、昨年の永禄十一年、六角氏の主城である観音寺城が落とされた。  実際には支城である箕作城がわずか一日で落とされ、次いで和田山城の城兵の離散にともない、守れぬと判断しての...
西国の動乱、まだ止まぬ

第364話 土佐安芸郡一揆、安芸千寿丸改め弘恒蜂起する。

平凡なサラリーマン沢森武は気絶し、戦国時代の超弱小地方領主の跡取りとして転生する。平和を望みつつも周囲がそれを許さない。歴史知識と現代経験を活かし、技術革新や産業の革命を起こしながら周囲の脅威に立ち向かう、戦国歴史改変小説。
西国の動乱、まだ止まぬ

第355話 徳川六角浅井朝倉。手紙が起こすバタフライ・エフェクト

永禄十二年 十月二十三日 三河 岡崎城 「忠次よ、小佐々との件どうなっておる」 「は、弾正忠(織田)様のお許しも得たゆえ、正式に小佐々家との通商を開始する運びとなりました。ただいま商人を通じた取引の協議が行われております」  うむ、と家康は...
肥薩戦争と四国戦役

第344話 肥薩戦争⑬九州探題と三州守護

永禄十二年(1569) 十月十三日 未一つ刻(1300) 内城沖 金剛丸   純正の一言で場がよくわからない雰囲気になってしまったが、もう昼である。小腹も空いたことで、昼食となった。  食事をしてコミュニケーションをとり、相手との親和度を高...
肥薩戦争と四国戦役

第343話 肥薩戦争⑫無条件降伏か滅亡か 四百年の名門島津家の危機

永禄十二年(1569) 十月十三日 巳の三つ刻(1000) 内城沖 金剛丸  「それで始めましょうか」  外務大臣の利三郎が話を進めようとする。小佐々側は純正と利三郎、鍋島直茂に尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛である。  島津側は義久に義弘、歳久...
歴史改変仕方ない。やること多すぎです。

第20話 新型帆船?! 蛎浦の海戦②

太田の港に降りていくと、人でごった返していた。 叔父の利三郎政直と忠右衛門藤政がテキパキと指示をあたえている。 「よし、乗り込むぞ。平九郎は俺と一緒にこい」 「はい!」 と元気よく返事をして親父のあとについていく。 あ! 思わず息をのんだ。...