彼杵

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第271話 『坂下門外』

文久二年一月十五日(1862/2/13)  江戸城 「申し上げます! 御大老様、坂下門外にて襲われましてございます!」 「なに! ? 真か?」  大老安藤信正襲撃の報はまたたく間に江戸城をかけめぐり、久世広周は信正の安否を問うた。 「幸いに...
東と西の転生者

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード>  フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳)  11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第234話 『勘定奉行並びに外国奉行小栗上野介、彼を知り己を知れば百戦殆からず』

安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸 一橋慶喜邸 『勅みことのりを以もって~中略~一橋刑部卿きょう慶喜、隠居の沙汰を取りやめるものとする』 「ふむ、これはまた、如何いかなる事か」  一橋慶喜は江戸の邸宅で読み上げられた沙汰を、再度頭の...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第192話 『第12代アメリカ東インド艦隊司令長官ジェームス・アームストロング』

安政二年八月二十四日(1855/10/4)   ようやく涼しくなってきた十月(旧暦八月)の四日、大村藩庁海防掛に驚くべき電信が入った。 発 瀬戸台場 宛 海防掛  我 異国船 発見セリ 指示ヲ願フ 大村藩領内の瀬戸村の台場からの電信である。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第167話 『外海台場と長崎台場。プチャーチン艦隊と大村艦隊』

嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日)  「長官、長崎の湾内の砲台と、この半島沿岸の大砲は明らかに違います」 「うむ……青銅砲ではないな。あきらかに西洋式の鉄製大砲ではないか。……いったいどうした事だ。日本は旧式の青銅の大砲しか持って...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第9回 『大官彌勇馬と邪馬壱国の国際情勢』

正元二年六月二十五日 邪馬壱国 方保田東原宮処かとうだひがしばるのみやこ 「申し上げます! 彌勇馬みゆま大官様、お戻りにございます!」  兵士が大きな声で叫び、邪馬壱国大官である彌勇馬将軍の帰国を知らせた。ドタドタドタと宮殿正面の庭を歩いて...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第4話 『烏丸鮮卑東夷伝倭人条』2024年6月10日(月)深夜

2024年6月10日(月) 深夜 福岡市博多区自宅マンション <修一>  俺は大学の非常勤講師であり、考古学者(論文評価されていないから卵?)であり、関連する本を書いたり(売れてない)、ウェブサイトの運営(ブログ)をして生活している。  分...
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第143話 『横瀬参号船渠と七ツ釜四号船渠並びに幕臣報告書』(1851/12/20) 

嘉永四年十一月二十八日(1851/12/20)   次郎は2号ドックが8月に完成した後、新たに予算を計上した。  ・横瀬村(横瀬浦)に3号ドック(長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)、七ツ釜村に4号ドック(長さ158.4m幅...
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第142話 『商船学校と海軍兵学校』(1851/11/28) 

嘉永四年十一月六日(1851/11/28)   大村藩で最初の洋式帆船の船乗りは、深澤家の漁師である。  14年前に捕鯨衆深澤組の復活を条件に、出島のオランダ商館に入り浸り、洋式帆船の造船術や操船術、航海術を時間をかけながら習得した者達だ。...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第1話 『扉』2024年6月8日(土)

2024年6月8日(土) 九州大学 「であるからして、九州地方、特に長崎県の西彼杵半島においては平野部が少なく、特に西岸の角力すもう灘沿岸には……」  講義の時間が終わり、片付けをする生徒達が目立つ。考古学の非常勤講師である中村修一は、ふう...
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第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「なに? では何を望むのだ?」  正弘が聞く。 「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」  次郎...
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第117話 『ゴムの実験と真田幸貫』(1849/9/28)

嘉永二年八月十二日(1849/9/28) <お里>  6万斤は……人吉球磨茶、知覧茶、霧島茶、日向茶……九州全域で、なんとか、なんとかなった。良かった~!  残りの2万千600斤は少し待って貰ってかき集める。  そのぎ茶の増産。440haま...
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第115話 『蒸気機関鉱山導入と京都へ』(1849/8/2)

嘉永二年六月十四日(1849/8/2) <次郎左衛門>  大島・崎戸・池島の三カ所の炭鉱と、六カ所の鉄鉱石他の鉱山へ蒸気機関の導入が決まった。  排水ポンプや巻上機の動作確認は何度も行っているので、今のところは問題ないだろう。これで石炭の増...
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第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 

弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門>  この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。  なるほどな、と。  事の始まりは今...
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第89話 『佐賀藩主鍋島直正、伊東玄朴をして、和蘭より取り寄せたる種痘を藩内に広めけり』(1847/12/9)

遡って弘化四年六月二十八日(1847/8/8) 佐賀城  二日前の六月二十六日にオランダ船が長崎に来航し、聞役よりすぐに佐賀へ通達され、玄朴は長崎へ向かい種痘を受け取って佐賀へ戻ったのである。  史実ではこの年に依頼し、来年の嘉永元年に種痘...
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第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城  幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。  以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オ...
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第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門>  2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。  もうどこにも耀蔵...
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第74話 『過マンガンカリウムの生成とコカインの単離』(1846/4/20)

弘化三年三月二十五日(1846/4/20) 精煉せいれん方   大村藩領内ではまだ普及していないが、次郎のまわり、いわゆる医学方と精煉方についてはメートル法(長さ・質量の単位で10進法)を浸透させていた。  正直なところ次郎はもちろんの事、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9) 永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。 その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。...
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第51話 『開明塾の授業と3度目の参勤交代』(1842/9/15) 

天保十三年八月十一日(1842/9/15) 大村藩 開明塾 「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」  次郎は当然そうだろうと考え...
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第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)   この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。  そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入し...
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第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村 『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。 「御免候、こちらに深澤太郎殿はおら...
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第25話 『ゲベール銃』(1837/10/01)

天保八年九月二日(1837/10/01) 長崎 次郎左衛門 『ゲベール銃』  1670年代にフランスで開発されて1777年にオランダが正式採用した小銃で、一般的に言われる火縄銃と同じように火薬と弾を銃口から込めるが、点火方式が火縄ではない。...
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第20話 『偽物と刺客』(1837/7/5)

天保八年 六月三日(1837/7/5)  肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。  その中でも西側に位置する大村藩は彼杵そのき地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵にしそのぎ半島(西...
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第17話 『大村藩の食糧事情とその改善。全国平均ってどうなんだ?』(1837/5/19)

天保八年 四月十五日(1837/5/19)  サツマイモ(唐芋)はサツマ(薩摩)、つまり今の鹿児島県に、江戸時代に琉球王国(現・沖縄県)を経て伝来したと言うのが定説だ。  そしてその後、広く栽培されて全国に広まった。  しかし実はそれよりも...
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第6話 『まずは五万石を、十万石にしよう。それも手っ取り早く』(1837/1/9)

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け五つ(0805) 玖島城下~雪浦村   信之介と俺は朝餉あさげを食べたあと、船着き場へ向かった。  そこから船に乗り対岸の時津村まで行くのだ。時津村についたら北上し、長浦村から山越えし、外海(西...
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第2話 『玖島城へ向かう途上にて、心強い味方に出会う』(1837/1/7) 

天保七年 十二月一日(1837/1/7) 明け六つ(0615) 肥前大村藩 彼杵そのぎ郡 太田和氏館  こーこーコケコッコー。  鶏の鳴き声とあまりの寒さに起こされ、何度も二度寝をしようと試みたが、日の出とともに、完全に目が覚めた。  周囲...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

年表

以下、旧暦表示。随時更新します。 天保七年(1836~1837) 十一月 清水亨、太田和次郎左衛門武秋として肥前大村藩へ転生。 十二月 十一代大村藩主、大村純顕に謁見し、藩の財政再建ならびに軍制改革、富国強兵の(裏)家老に任じられる。(裏家...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

人物紹介

※()内の年齢は1837/1/6時点の年齢(数え)です。 ※随時更新します。 ※印の人物は実在の人物ですが、作中では史実とは違う行動思想かもしれません。  太田和次郎左衛門武秋(15)1822生まれ。 本作品の主人公。前世名は清水亨(50)...
緊迫の極東と、より東へ

第514話 第二次蒸気機関革命 人類にとっては偉大な一歩だ! 秀政と十益新右衛門(トーマス・ニューコメン)

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十日 肥前国彼杵郡鳥加村  大串鉱山  技術者で科学技術省大臣の太田和政藤の息子で、小佐々純正の従兄弟でもある太田和秀政は、肥前国彼杵郡の鳥加村にある大串金山で、新たな取り組みをしていた。  大串金山は...
緊迫の極東と、より東へ

第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ

天正元年(元亀三年・1572年) 二月十五日 琉球 首里城  皇帝勅諭琉球王国中山王尚元  奉天承運皇帝制曰  琉球与明朝的関係併不新鮮很久以前洪武五年就開始進貢二百年来一直以諸侯的名義進貢祭祀正朔  這不僅是以皇帝的名義出兵更是在琉球危難...
緊迫の極東と、より東へ

第488話 耐火レンガと反射炉への道

元亀二年 十一月十五日  信長は勅書に基づき、延暦寺や本願寺、伊賀衆や雑賀、松永弾正、そして朝倉義景に対して事実上の降伏勧告とも言える和議の申し出を行った。  条件は次の通り。  ・延暦寺は武装解除して賠償金二千貫。そもそも何の理由があって...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第475話 義昭、流浪将軍となる

元亀二年 九月二日 京都 室町御所  信長が義昭に提示した条件は二つであった。  人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。  なにせ和睦という体の降伏なのである。 ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第429話 西国騒乱!?史上最悪の兄弟喧嘩。完膚なきまでに叩きのめされる。

元亀元年 十一月十五日 吉田郡山城 「本気で呑むというのか、隆景」  諫早城で純正との会談を終えて戻ってきた隆景は、輝元と元春、ならびに恵瓊ほか数人の重臣にその内容を告げた。  小佐々と四分六(毛利が四:感覚的な表現)の同盟を結ぶことを提案...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第427話 純正上洛ス 将軍義昭二問フ

元亀元年 十一月一日 京都 室町御所  発 純久 宛 近衛中将  秘メ 公方様ヘ 宇喜多ノ 使者 謁見セリ 御教書ヲ 当家 ナラビニ 毛利 山陽 山陰 各大名ニ 送ルトノ 風聞アリ 内容ハ 播磨、美作、備前ノ 輩ハ 毛利ノ家人 タルベシ ト...
新たなる戦乱の幕開け

第395話 ポルトガル大艦隊と彼我の戦力差を考える

元亀元年 三月  5万の大軍で越前に攻め入った織田軍は、田植え前という短期間ではあるが、当初一向一揆と織田・浅井軍で挟撃する予定であった。  しかしここで、織田・浅井連合軍(以下連合軍)にとって予想外の事が起きたのだ。  一揆衆が撤退した。...
西国の動乱、まだ止まぬ

第356話 小佐々領の第一次農業改革と第一次産業革命

永禄十二年 十月二十三日 諫早城  永禄九年の八月に始まった領内の街道のコンクリート舗装は、肥前においてはほぼ主要な街道で終了している。政庁である城同士をつなぐ街道と、湊や信号所のある地点間での舗装だ。  主要街道から始めているが、筑前、筑...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第95話 北がダメなら南にすすめ 俵石城攻略戦

十一月 小佐々城 小佐々弾正大弼純正 「さて、どうする?」  俺は深沢義太夫、深作治郎兵衛、藤原千方、沢森利三郎の四人と、特別参謀として佐志方杢兵衛を加えた五人で、戦略会議を行っていた。 「外務大臣、どうだ、外交状況が悪いところはあるか?」...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第96話 後藤惟明、命に服す

同年 十一月 武雄城 後藤惟明  義父上である後藤貴明の命令は絶対である。私が反抗できるはずもない。私は後ろ盾を失った、ただの十九の居候である。しかし、此度こたびばかりは……。 「義父上! いらっしゃいますか?」  私ははっきりと在室を確認...
5強まであと7,000石(現在36,824石)

第87話 空閑三河守光家、暗躍す。

永禄六年 十月 伊万里城下 「ごめんよ~」 「へい、らっしゃい! 何にしますか?」 「そうだなあ。まず酒一合と、あと、とりあえず何かみつくろって」 「かしこまりました~。酒一合におまかせ一丁~」  旅人だろうか。いくつもある飯屋で食事と一緒...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第74話 平戸松浦氏の処遇 運命の岐路

同年 五月 沢森城 沢森政忠  さて最後は、これが一番の難事で、やり方によっては肥前の情勢を一変させる。我らが生きるも死ぬも、これにかかっていると言っても過言ではない。  ……。  主だった者を城に呼んで評定を開いた。  まずは俺の隣に親父...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第62話 大友の代理戦争 有馬大村連合軍

永禄六年 正月 沢森城 沢森政忠  有馬義貞と大村純忠の連合軍一万が杵島から小城郡へ侵攻した。  今回の連合軍の意図は明確で、膨れ上がる龍造寺隆信の領土拡張を食い止めるためである。龍造寺は東肥前を統一し、北肥前の松浦衆を降しつつ、多方面で領...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第57話 キリストVS仏教 白熱?の彼杵問答

永禄五年 九月 沢森城 太田小平太  殿は戦を嫌われております。もちろん、某も嫌いにございます。  他国になめられない様に国力を高め、調略によって情報を集め盟を駆使し、なるべく他国に攻め入らなくても済む様に、とお考えです。  しかし、世はそ...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第48話 永禄五年 大友義鎮、動く

同年 四月 沢森城 沢森政忠 「大友義鎮は少弐家を再興すべく、少弐政興を擁立いたしました」  やっぱりかあ!   千方の報告に、文字通りの感情が湧き上がった。これからいよいよきな臭くなるぞ。一歩間違えば家が潰れる。  最悪、相神浦や大村が潰...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第43話 山内二十六ヶ山の総領 神代勝利

肥前国 波佐見 内海城 神代勝利 「お初に御意を得まする。沢森平九郎政忠にございます。」  若いな、息子長良より一回り下位か。  内海殿と私は同時に挨拶をし、まずは内海殿がこの若い彼杵の領主に話しかけた。 「堅苦しい挨拶は良い。先だってから...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第11話 横瀬浦の秘密 ~ 歴史改変と南蛮貿易の舞台~

たった1年とはいえ、前世では戦国時代に南蛮貿易港として賑にぎわった横瀬浦。  確か史実では横瀬浦は大村領で、来年の永禄5年(1562年)、歴史の檜ひのき舞台に姿を現す。現世ではそれさえもかなわないのか?  横瀬が沢森領になったのは去年だけど...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第10話 674石のしょぼ領主

親父と話をしに行く前に、いろいろと整理しておこう。    状況を分析し、最善の提案をして領内を豊かにしなくてはならないからだ。舐められないためには武力が必要。    しかしそのためには、鉄砲や弾薬、大砲はもちろん、人員も必要だ。戦のための食...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第5話 戦国にて初の決断の時〜横瀬への南蛮船寄港計画〜

鋭い! 絶妙に鋭い! ベタすぎるくらい鋭い! ていうか、意味不明なこと書いてぶつぶつ言ってたら誰でも(どうした?)ってなるよね。  前世でも弟いたけど、どっちかって言うと無口で職人気質しょくにんかたぎだったから、新鮮っちゃ新鮮。……いやいや...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第2話 謎の転生〜永禄の変と消えた村、運命の軌跡〜

独り言のつもりだった。つもりだったのが、しっかりがっつり聞こえていたみたいだ。 「? ? 何をおっしゃってるんですか。今は永禄四年に決まっています。ここは彼杵そのぎの沢森村で、あなた様はご当主様のご嫡男、武若丸様。元服して平九郎様ではありま...
年表・統治機構

1566年~1570年(忘備録)

1566年(永禄九年) 1月 小佐々領 人口十二万人 石高 十八万三千七百五十二石 波多家 十四箇条の定めにより保護国化 2月 沢森家 第三子 吉法師誕生 第四子 愛姫誕生 3月 海軍伝習所 第一期生卒業 計百二十八名(松浦郡十六名・彼杵郡...