武家

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第194話 『堀田正睦老中首座となり、蝦夷地上知再燃す』

安政二年十一月十七日(1855/12/25)  神に祈るしかない、というのはこの事なのだろう。  次郎は消火器や雲龍水の設置によって地震の被害を少なくしようと試みたが、確かに効果がなかったとは言えない。しかし、藤田東湖らの死因は倒壊による圧...
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第191話 『鉄道が欲しい!』

安政二年七月十二日(1855/8/24)   大村藩ではライケンらオランダの教官による授業を受ける前から、洋式木造帆船の建造を行い、その航海技術の習熟を次郎の経験と知識、そして深澤組(捕鯨)の協力で行っていた。  それを海軍の創設と考えると...
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第190話 『飛龍丸献上』

安政二年五月二十九日(1855/7/12)   次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。  ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国...
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第188話 『次郎、ロシアへ』

安政二年二月十八日(1855/4/14) 江戸城 「何故なにゆえにございましょうや」 「控えなされ太田和殿」  次郎は安政東海地震の際の救援活動も人道的に行った。  医療物資の運搬やけが人の治療など諸々である。次郎はそれを誇示するつもりは毛...
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第178話 『下田追加条約とクルティウスとライケン。長崎海軍伝習所について』

嘉永七年五月二十三日(1854年6月18日)  和親条約締結後の五月に、その細則として下田追加条約が締結された。次郎はこれにも同席したが、特に日本側に不利になるような重大な事項はなかった。  ざっくり書くと次の通り。  第一条 下田鎮台支配...
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第172話 『武士と町民、士官と下士官兵。身分と階級』

嘉永六年十二月二十六日(1854年1月24日)  「うーん……」  5分後……。 「むむむむむ……」  次郎は頭を抱えていた。頭では分かってはいたものの、物事には順番と優先順位、それから段階を経て取り組んでいかなければならない事が多々ある。...
天下百年の計?

第717話 『肥前国(州)陸海軍と大日本国陸海軍』

天正十三年五月二十二日(1584/6/30) 肥前州庁舎  大日本国陸海軍は、いわゆる肥前州陸海軍である。  各州の州軍はそのまま大名の私兵が運用される事になっているが、装備や規模、練度や士気の面で国軍よりはるかに劣る。州は独立国に等しい権...
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第156話 『蒸気機関の改善と消火器』

嘉永六年一月十九日(1853/2/26)   次郎は越後の油田の開発を続けていたが、どうしても運上金がネックであった。  石油の産出98石につき米48石(77両)の比率なのだ。これが本来ならいくらになるかというと、臭水くそうず(石油)1石で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第147話 『万次郎の帰国と大阪』(1852/2/29) 

嘉永五年二月十日(1852/2/29) <次郎左衛門>   万次郎さんは年末を待たずに、去年の11月に土佐に帰っていった。  商人同士のやり取りは、乾堂くんと慶ちゃんに任せてはいるんだけど、やっぱり面通しはやったほうがいいらしい。二人ともけ...
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第127話 『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』(1850/9/14)  

嘉永三年八月九日(1850/9/14)    一昨年に建造を開始した大規模造船ドックが完成した。しかし、来年の蒸気機関とそれを用いた工作機械が到着しなければ近代的な造船はできない。あと1年あるが、それまでこのドックは遊ぶ事になる。  造船ド...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形  メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館 「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」  純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして...
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第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門>  お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城 「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」  側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。 「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22)

天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正>  終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがな...
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第96話 『上野俊之丞と宇田川興斎の大村藩舎密探索紀行』(1848/2/29) 

弘化五年一月二十五日(1848/2/29) <次郎左衛門>  最初は大丈夫大丈夫! だと思っていた招聘人材。  緒方洪庵に本を貸し出して村田蔵六に佐久間象山と、だんだんビッグネームが大村にきていることに、怖さを感じながら……頭の中でいくつも...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸 『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』  岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。 「ほほほ。よきかなよきかな...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門>  この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。  幕政に参加したいとの権力欲か? いやい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第86話 『局所麻酔薬コカイン製造現場からはじまる村田蔵六の大村見学記』(1847/11/18)

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 玖島くしま城  本年度収支報告(見込み含む)  ※歳入  石けん・椎茸しいたけ販売利益……140,016両 石炭……33,516両 塩……3,996両 鯨……37,068両 真珠……780両  合...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17)

天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城  6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。  また彼らは、織田領内では小学・中学・高校とい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第59話 『脚気の治療と可愛いハーフのお医者さん(のタマゴ)』(1844/1/31)

天保十四年十二月十二日(1844/1/31) 伊予国宇和郡佐田浦 <尾上一之進> 「まったく、長崎で無駄な時間を食っちまったな」  俺は次郎に言われて長崎から豊後へ向かい、船に乗って伊予にたどり着いた。  なんでかって? 『楠本イネ』ってい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第613話 もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25) 茂木城 『もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし』  そういう空気が一瞬にして漂ったのだろう。    和睦の成立・不成立に関係なく、和議は進行することとなった。 「まず、和議を行う上での最も...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第51話 『開明塾の授業と3度目の参勤交代』(1842/9/15) 

天保十三年八月十一日(1842/9/15) 大村藩 開明塾 「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」  次郎は当然そうだろうと考え...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室  小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。  純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て...
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第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19)

天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場  天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。  もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で...
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第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)   この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。  そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入し...
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第32回 『何がどう転んで御家老様に?』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 太田和村  約四ヶ月の江戸滞在期間中は、渡辺崋山や高野長英にも面会をして、江川英龍と同じような話をした。  しかし時既に遅しで、高野長英はすでに幕政を批判した『|戊戌《ぼじゅつ》夢物語』を出版...
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第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎 「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」  父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第586話 何が軍事行動か?その定義

天正二年 一月十四日(1573/02/16) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  年が明けて天正二年、純正は朝廷への新年の挨拶と義父への挨拶を終え、合議所にいた。藤子と娘の篤は二条晴良宅に預けている。  小佐々織田合議所という仮称だ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第584話 純正の大義名分と信長の大義名分(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城  「さてみんな、集まってもらったのは他でもない。例の如く小佐々家の今後の基本方針と、織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見に対する外交姿勢について論じたいからである」  集まった閣僚の表情は...
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第20話 『偽物と刺客』(1837/7/5)

天保八年 六月三日(1837/7/5)  肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。  その中でも西側に位置する大村藩は彼杵そのき地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵にしそのぎ半島(西...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第18話 『そのころの日本は? 俺が出来る事なんて、たかが知れてる。あれ? お慶さん』(1837/6/1)

天保八年 四月二十八日(1837/6/1) 次郎左衛門  信之助は石けんをいかに簡単に安く大量にできるかを考えている。もちろん品質は変えずに。  お里は和蘭辞書と反射炉製造書を読みながら翻訳中だ。  一之進は領内をまわって食生活と体調の聞き...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第575話 電気という概念と様々な試行錯誤

天正元年(1572)六月一日 『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門政藤』  そう題された論文の中身を読み返し、頭をひねりながら修正を繰り返しているのは、科学技術省大臣で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第10話 『いきなりの佐賀藩越え。試供品と大プレゼン』(1837/2/7)

天保八年 一月三日(1837/2/7) 太田和村 (次郎目線)  材料としては灰と油。  そして油の種類によっては固まらず、軟らかい(液体)ものしか出来ないという事で、海藻の灰もしくは消石灰を加えて固形化する。  海藻は海沿いといえど有限だ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第6話 『まずは五万石を、十万石にしよう。それも手っ取り早く』(1837/1/9)

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け五つ(0805) 玖島城下~雪浦村   信之介と俺は朝餉あさげを食べたあと、船着き場へ向かった。  そこから船に乗り対岸の時津村まで行くのだ。時津村についたら北上し、長浦村から山越えし、外海(西...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第564話 和睦の題目と謙信の最後の秘策

天正元年 四月九日 京都 大使館  発 道雪 宛 権中納言  秘メ 上杉ヨリ 和睦ノ 申出 アリ 然レドモ 戦況 優位ニテ 御裁可 ナラビニ 題目ヲ 知ラサレタシ 秘メ ○四○六 「御屋形様、これは……」 「ふむ、和睦の申出であるな。必ず勝...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

年表

以下、旧暦表示。随時更新します。 天保七年(1836~1837) 十一月 清水亨、太田和次郎左衛門武秋として肥前大村藩へ転生。 十二月 十一代大村藩主、大村純顕に謁見し、藩の財政再建ならびに軍制改革、富国強兵の(裏)家老に任じられる。(裏家...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第524話 武田の鉱山と葡萄と天蚕 ~甲州ワイン誕生なるか?~

天正元年 三月十九日 甲斐国 躑躅ヶ崎館  二日前の三月十七日に、利三郎が勝頼と信玄に謁見して許可を得た小佐々軍の領内通過と、信越国境ならびに飛越国境の駐屯が行われる事となった。  荷留においては、それに加えて上野の武田領(真田領含む)にお...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第522話 第三師団長の憂いと伊集院忠棟、安国寺恵瓊ほか続々

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十八日 阿波 橘浦   十三日に白地城下の駐屯地を出発した小佐々陸軍第三師団が、橘浦に到着したのは十八日の夕刻であった。  小田増光陸軍少将は兵に休息をとらせ、乗艦の段取りをすませて宿舎にいた。  ふと...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第518話 軍神・上杉謙信との対決 島津義弘はじめ島津家はやはり戦闘民族だった?

天正元年 三月十四日 能登国鹿島郡 在能所口湊番所  原田孫七郎は能登在番として、七尾城への兵糧の搬入と、それを隠れ蓑にして鉄砲、武具、弾薬などの搬入も行っていた。  ちなみに滞在と活動資金に関しては、能登を通る小佐々商人から受け取っている...
緊迫の極東と、より東へ

第498話 瑞泉寺証心と勝興寺顕栄、上杉謙信に、悩む。

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十八日 越中 井波城  越中一向一揆の中心となっていた土山御坊(勝興寺)の勝興寺住職である勝興寺顕栄と、瑞泉寺住職の瑞泉寺証心は今後の行動を決めかねていた。  昨年、元亀二年(1571年)の二月から三月...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第479話 曽根九郎左衛門尉虎盛、刮目して小佐々軍を吟味する

元亀二年 九月二十六日 京都 上京 『小佐々家中御用達 旅の宿 酒処飯処 小佐々ノ中屋』  そう書かれ、七つ割平四つ目の家紋が描かれている暖簾をくぐると、客でごったがえしていた。広々とした店内には大きな水槽が二つあり、淡水と海水の魚が泳いで...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第467話 『明の隆慶帝と琉球国王尚元王、変動する国際情勢』

元亀二年 七月十七日 諫早城 「次は司法省ですが、なにかござるか?」  直茂が司法大臣の佐志方杢兵衛に尋ねる。 「は、それでは失礼して。実は小佐々諸法度に関わる事にて、少々問題が出ております」 「ほう、なんだそれは?」  法の整備や施行など...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第443話 通訳を求めて堺へ。紙屋甚六の旅

元亀元年 十二月二十三日 大和国(奈良県) 「やはり遠いですな、大和は。ここからさらに京に堺にとなると、さらに遠い。そしてこのたびのお役目は、難儀な事ですなあ」  そうやって同行者に愚痴をこぼす者がいる。  相模国小田原の紙商人の紙屋甚六で...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第436話 純正、孫子の兵法を説く

元亀元年 十一月二十三日 伊予 湯築城  「寒いっ! 無理! 絶対無理! なんだよこれ! 氷点下じゃねえか!」  秀政が聞いたら驚くような言葉だが、温度計自体はずいぶん前に純正のアイデアで作っている。水に食紅で色をつけた温度計だ。  しかし...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第431話 純正の和睦会議

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 「よもやこの中に、おのが欲のために戦をしかけ、領土を拡げ私利私欲を貪らんとする方はおられぬと存ずるが、いかに?」  会議室全体が静まりかえった。波乱の、幕開けである。  まず、口を開いたのは、驚くこと...
新たなる戦乱の幕開け

第415話 小海城山城会談~毛利につくか小佐々につくか~

元亀元年 九月二十五日  発 純久 宛 総司令部  秘メ 織田軍 一揆勢ヲ 五ツノ城二 追ヒ詰メリ 砲撃後 敵降伏ヲ 申シ出ルモ許サジ   兵糧攻メノ模様 殲滅モ近シ 浅井軍 丹後ニテ 加佐郡竹野郡ノ国人 刻ヲ同ジクシテ蜂起  一色勢ヲ追イ...
新たなる戦乱の幕開け

第408話 織田信忠と留学生の夏休み

元亀元年 七月二日 岐阜城 「まったく戦になりませぬ」  岐阜城の居室で信長と話しているのは、嫡男の勘九郎信忠である。 「ほう、どのように違うのだ」 「は、われらが戦をする際は、まず斥候を出して相手の動きを探ります。籠城するのか野戦なのか、...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第78話 母、沢森 吉野と妻、沢森 舞

沢森城 沢森政忠  結局、平戸松浦は平戸島内の川内村、大野村、平戸村、小引村、田浦村の三千七百八十石を割譲した。  松浦郡の海岸、街道沿いの二十四ヶ村の豪族たちも、あわせて一万一千五百八石。佐世保と同じやり方なので、ほぼ直轄地。  沢森は二...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第57話 キリストVS仏教 白熱?の彼杵問答

永禄五年 九月 沢森城 太田小平太  殿は戦を嫌われております。もちろん、某も嫌いにございます。  他国になめられない様に国力を高め、調略によって情報を集め盟を駆使し、なるべく他国に攻め入らなくても済む様に、とお考えです。  しかし、世はそ...