転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第184話 『大村藩か、幕府か。オランダか、米英仏か』 嘉永七年十月十一日(1854/11/30) 長崎 オランダ商館「商館長、今後はどうするのですか?」 スンビン号で日本にやってきたファビウス中佐は、クルティウス商館長に尋ねた。「どう、とは? 通商に関して言えば、大村藩は大得意様であるし、幕府... 2024.07.31 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第183話 『ヘルハルドゥス・ファビウスとSoembing号、そして長崎海軍伝習(所)』 嘉永七年八月二十日(1854/10/11) 長崎 「なんと、これほど日本人の技量が育っているとは……これでは小官が教える事などほとんど無いではありませんか」 幕府はオランダからの働きかけもあり、海軍創設へと動き出した訳であるが、その第一歩が... 2024.07.30 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
天下百年の計? 第726話 『上知か転封か減封か』 天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」 肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。 そのため純久は以... 2024.07.29 天下百年の計?
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第182話 『四賢侯、山内容堂と島津斉彬』 嘉永七年八月二十日(1854/10/11) 京都「いやほんま、次郎さんの神通力には目を見張るものがありましゃるの。雲龍水に消火器、前もって備えておったからこそ、これだけの災いで済んだのであろうの」 京都の大村藩邸からは一之進肝入りの医師団... 2024.07.29 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第181話 『四賢侯、松平春嶽と伊達宗城』 嘉永七年七月二十九日(1854/8/20) 越前福井城「左膳よ、左内からの上書じゃ」 越前福井藩主である松平慶永(春嶽)は改革派の家老岡部左膳に対して、帰郷していた橋本左内からの上書を見せた。 福井藩は慶永が藩主となる前は守旧派である松平... 2024.07.28 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第179話 『攘夷論者徳川斉昭』 嘉永七年六月十一日(1854/7/5) <次郎左衛門> なんとか和親条約は落ち着いたけど、幕末日本史はこっからなんだよね、本番。幕府の中身はちょっとわからんけど、朝廷も今のところは開国肯定佐幕派だし、西国諸藩もおとなしいもんだ。 俺の仕事は... 2024.07.26 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第177話 『ベッセマー法と風の便り』 嘉永七年四月二十七日(1854/5/23) 大村藩 精煉せいれん方 ※大村藩内、特に科学者同士の会話には現代用語(専門用語)が頻繁に使われます。「全く新しい炉をつくらなければならない」 信之介の言葉に、場がしいん、と静まりかえった。室内に漂... 2024.07.24 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第176話 『幕府海軍と通訳と転炉』 ■嘉永七年四月一日(1854/4/27) 次郎はあまり幕府のやることに干渉はしたくなかったが(面倒くさいので)、ことこの条約に関しては、日本の未来を左右する重大事なので、大村で黙っている訳にはいかなかった。 純顕は一回目のペリーとの会談のみ... 2024.07.23 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』 嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日) 現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。 零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)……至... 2024.07.20 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第172話 『武士と町民、士官と下士官兵。身分と階級』 嘉永六年十二月二十六日(1854年1月24日) 「うーん……」 5分後……。「むむむむむ……」 次郎は頭を抱えていた。頭では分かってはいたものの、物事には順番と優先順位、それから段階を経て取り組んでいかなければならない事が多々ある。 藩内の... 2024.07.19 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』 嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁「ようやくですな」「ようやくにござる」 次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。 そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃したのだ。ペ... 2024.07.18 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第167話 『外海台場と長崎台場。プチャーチン艦隊と大村艦隊』 嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日) 「長官、長崎の湾内の砲台と、この半島沿岸の大砲は明らかに違います」「うむ……青銅砲ではないな。あきらかに西洋式の鉄製大砲ではないか。……いったいどうした事だ。日本は旧式の青銅の大砲しか持っていな... 2024.07.14 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』 嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」 次郎は呼び出され、江戸城御用部屋... 2024.07.13 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第162話 『サスケハナ艦上にて対峙する』 嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖「提督、奴らはどうするでしょうか」 ブキャナンがペリーに尋ねると、ペリーは葉巻をふかしながら静かに言う。「ふむ。琉球の件があるので慎重に行動しなければならないが、臆することはない。奴らにはこ... 2024.07.09 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第161話 『13日早まったペリー来航』 嘉永六年四月二十四日(1853年5月31日) 奄美大島「重畳ちょうじょう重畳。予想通りだ。さすが薩摩隼人、よくやってくれた。これでペリーも強硬な態度は出来ないだろう。琉球でこうなのだから、わが国に対しては対応を和らげてくるはずだ」 就役した... 2024.07.08 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第160話 『威嚇と応戦-ペリー来航前哨戦』 嘉永六年四月十九日(1853/5/26) 琉球 ブキャナンは、周囲を見渡しながら状況を確認しようと必死になった。ペリーも同様に冷静さを失わず、素早く判断を下す。「状況は? 負傷者はいるのか?」 ペリーはブキャナンに命じて被害状況を確認し、同... 2024.07.07 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第158話 『大村純顕の帰国と上海のペリー』 嘉永六年四月七日(1853/5/14) 京都 鷹司邸「幸経様、その後のご容態については逐一報せを受けておりますが、お変わりありませぬか?」 そう言って笑顔で接しているのは、医学方総奉行の一之進である。「うむ。お陰で気分もよく、日中に目まい... 2024.07.05 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第157話 『缶詰のその後と技術の波及。』 遡ること嘉永五年九月二十一日(1852/11/2) 精煉方 研究所 早朝の研究所の静けさを破るように、新しい機械が運び込まれた。 佐久間象山はその前に立ち、設計図を片手に満足げに微笑んでいた。その『打抜蓋底』製造機は、打抜き機で作られた円形... 2024.07.04 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第156話 『蒸気機関の改善と消火器』 嘉永六年一月十九日(1853/2/26) 次郎は越後の油田の開発を続けていたが、どうしても運上金がネックであった。 石油の産出98石につき米48石(77両)の比率なのだ。これが本来ならいくらになるかというと、臭水くそうず(石油)1石で3.... 2024.07.03 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第154話 『石油精製法その弐』 嘉永五年十月二十九日(1852/12/10) 予想通り、次郎が提案して純顕が長崎奉行を通じて幕府に上書した内容は、おおむね受諾されたが、純顕の関与は却下された。当然といえば当然の結果である。 こちらは意見を聞いただけで、幕政に参画せよとい... 2024.06.30 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第143話 『横瀬参号船渠と七ツ釜四号船渠並びに幕臣報告書』(1851/12/20) 嘉永四年十一月二十八日(1851/12/20) 次郎は2号ドックが8月に完成した後、新たに予算を計上した。 ・横瀬村(横瀬浦)に3号ドック(長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)、七ツ釜村に4号ドック(長さ158.4m幅37... 2024.06.16 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第140話 『ゴムの安定供給とスクリュー、金属加工、後装砲の研究』(1851/10/13) 嘉永四年九月十九日(1851/10/13) 大村藩 精煉れん方 象山研究室 佐久間象山はノートを片手に、各実験結果を詳細に記録していた。 ブルークは温度計と時計を手にしながら、加熱のタイミングを厳密に管理している。杉亨こう二は実験装置の調整... 2024.06.13 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第139話 『蒸気缶と工作機械。台場造成と海軍伝習所』(1851/9/19) 嘉永四年八月二十四日(1851/9/19) この月の17日に、上野俊之丞が亡くなった。陽気で明るく、ムードメーカー的な存在で、年齢を感じさせない気さくな性格は、誰からも好かれていたのだ。 葬儀はしめやかに行われた。上野彦馬は14歳。五教館... 2024.06.12 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第138話 『造船計画』(1851/7/30) 嘉永四年七月三日(1851/7/30) <次郎左衛門> 「ああそれから、掘削の人夫は松代の領内の者を使っても良いが、蒸留は絶対に土地の者を雇ってはならぬぞ。絶対にじゃ。越後と出羽の油田も買いあされ」 俺は考えられうる油田を全部買いあさる作戦... 2024.06.11 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第136話 『ジャスポー銃の完成と金属薬莢への道』(1851/6/15) 嘉永四年五月十六日(1851/6/15) 大村城下 <次郎左衛門> 万次郎さんには安心してもらいたいので、土佐の幡多郡中ノ浜村にいる家族に手紙を書いた。それから、万次郎さんは日本語の読み書きが出来なかったから、代筆で手紙を何枚も書いてあげた... 2024.06.09 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第134話 『魚油・干鰯の増産と藩士続々』(1851/4/16) 嘉永四年三月十五日(1851/4/16) 江戸城御用部屋 上の間 江戸城には緊張感が漂っていた。 大村藩主純顕あきと家老の次郎が数名の幕閣と対峙じしている。老中首座である阿部正弘が静かに口を開いた。「大村丹後守殿、本日はお越しいただき感謝い... 2024.06.07 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第133話 『継電器と隼人と幕府と佐賀』(1851/3/5) 嘉永四年二月三日(1851/3/5) 精|煉《れん》方 理化学・工学研究室 一昨年の三月に電信機の公開実験に成功し、新たに送信距離の限界という課題に直面したブルークと宇田川興斎は、その距離を延ばすための試行錯誤を繰り返していた。「先生、3... 2024.06.06 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3) 天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば... 2024.06.04 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29) 天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば... 2024.06.04 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第127話 『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』(1850/9/14) 嘉永三年八月九日(1850/9/14) 一昨年に建造を開始した大規模造船ドックが完成した。しかし、来年の蒸気機関とそれを用いた工作機械が到着しなければ近代的な造船はできない。あと1年あるが、それまでこのドックは遊ぶ事になる。 造船ドック... 2024.05.31 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第125話 『冷蔵庫の改良とダゲレオタイプかカロタイプか』(1850/6/22) 嘉永三年五月十三日(1850/6/22) 佐賀城「なに? そんな馬鹿な? そのような物、見た事も聞いた事もないぞ! ……いや、待て。待て、待て……」 佐賀藩主、鍋島直正は考えている。 佐賀藩が今製造して改良中の反射炉を、大村藩ではすでに仕上... 2024.05.29 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第123話 『吉田松陰と宮部鼎蔵の大村探訪記とスクリューと潤滑油とゴムの話』(1850/4/2) 嘉永三年二月二十日(1850/4/2) 川棚「な、なんじゃあこれは」「石か? 石積みの家に、どこからかわからぬが、がしゃんがしゃんと音が聞こえる」 前日、平戸藩城下で一泊した後、紹介状を携えて二人は南へ向かい、そこで遭遇したのだ。 城下町... 2024.05.27 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25) 嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門> お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこと... 2024.05.23 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘> さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエゲ... 2024.05.22 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第667話 『磯根崎沖海戦』(1579/4/30) 天正八年四月五日(1579/4/30) 未一つ刻(1300) 上総竹岡湊沖~磯根崎沖「艦橋-見張り」「はい艦橋」「右六十度、距離三○(3km・海軍ではメートル法基準)、小舟多数。南に向かっている」 見張りの報告を受けた艦長をはじめとした参謀... 2024.05.18 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城 「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」「なにい! ? 数は?」「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に遣いを... 2024.05.17 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22) 嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門> さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。 ... 2024.05.16 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第111話 『目付の報告と缶詰製造。製造以前の問題とその改良』(1849/4/26) 嘉永二年四月四日(1849/4/26) 江戸城「なに? 禁は犯して居おらぬと?」 若年寄の遠藤但馬守胤統たねのりの報告を受け、阿部正弘は安心したような驚いたような表情をした。「は、目付からの知らせによると、測った長さも五百石に満たず、これで... 2024.05.15 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』 嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門>「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」 俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考えて... 2024.05.12 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第106話 『鍋島直正の憂鬱』(1849/1/9) 嘉永元年十二月十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> 石油の運上金の相場がわかった。 石油96石(17,280ℓ・9千600升)で米48石(4,800升)分。今(嘉永元年)の米の相場だと、1石で銀89匁8分だから48石で4千310匁4分... 2024.05.10 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第657話 『落胆あれば喜びあり』(1578/9/13) 天正七年八月十二日(1578/9/13) 諫早城「御屋形様! 急ぎお知らせしたき儀がございます!」 忠右衛門が興奮した面持ちで純正に目通りを願ってきた。傍らには一貫斎と源五郎政秀もいる。「おお叔父上、いかがなされた。一貫斎に源五郎まで」 純... 2024.05.08 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第102話 『次郎の苦悩と久重の苦労。ハルデスの不安』(1848/9/29) 嘉永元年九月三日(1848/9/29) <次郎左衛門> 結局のところ造船所は、規模を変えずに佐賀の三重津海軍所方式でやることとなった。費用はポルトランドセメントと石材の諸々の費用を引いて、8万2千115両885文で見積もられた。半分だ! あ... 2024.05.06 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門> この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。 なるほどな、と。 事の始まりは今年の4... 2024.05.04 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第653話 『レイテ沖海戦~伍~起死回生と窮途末路』(1578/6/23)12:00 天正七年五月十八日(1578/6/23)12:00 接敵地点より南へ20km カバリアン湾沖東22km地点 「提督! 前方に艦影あり! 敵艦と思われます! 多数!」 ゴイチ艦隊旗艦の見張りが大声で報告する。「ちくしょう。もう来やがったか」 ... 2024.05.04 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28) 弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。 願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。 貴... 2024.05.03 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第652話 『レイテ沖海戦~四~千変万化。機を見るに敏であれ』(1578/6/23) 09:00 天正七年五月十八日(1578/6/23) 09:00 カバリアン湾沖東18km「司令官! 敵、カバリアン湾ではなくなおも北上、アナハワン沖へ北上しております!」 「なに! ? ばかな! 敵の本隊はカバリアン湾におるのではないのか? なぜ北上... 2024.05.03 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓 弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 当地... 2024.05.02 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第96話 『上野俊之丞と宇田川興斎の大村藩舎密探索紀行』(1848/2/29) 弘化五年一月二十五日(1848/2/29) <次郎左衛門> 最初は大丈夫大丈夫! だと思っていた招聘人材。 緒方洪庵に本を貸し出して村田蔵六に佐久間象山と、だんだんビッグネームが大村にきていることに、怖さを感じながら……頭の中でいくつものI... 2024.04.30 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第649話 『レイテ沖海戦~壱~情報の取捨選択と生かし方が命運を分ける』 天正七年五月九日 マクタン島 マゼラン湾 第一連合艦隊旗艦 穂高「御屋形様! 偵察小隊が戻ってきました!」「よし、聞こう」 純正は全艦隊司令官と信長を含めた全幕僚の作戦会議を招集した。「敵の戦力はおおよそですが、1,000トン級が3隻で砲は... 2024.04.30 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
Uncategorized 第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20) 弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門> 佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ!「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」 ……。「また、... 2024.04.29 Uncategorized