合議

天下百年の計?

第705話 『越後と残りの奥州』(小佐々家中会議)

天正十二年閏うるう一月十一日(1583/3/5) 肥前国庁舎   本当に小佐々が全部の金を出すのでいいのか?  何か良い方法はないのか?  純正は戦略会議室のメンバーを集めての会議の中で、想定問答を行った。  来るべき新政府の会議における、...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室  純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。  停止...
天下百年の計?

第702話 『公方の京都帰還と北条の減封、佐竹と宇都宮』

天正十一年十二月二日(1582/12/26)  小田原御所 「嫌じゃ嫌じゃ! 何ゆえ余が官を辞して上洛し、信長と純正に頭を垂れねばならぬのだ!」  新政府からの通達を聞いた義昭は、書状を破り捨て、激昂げきこうしている。  新政府の情報を探り...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第693話 『天然痘ワクチンと北条氏規』(1582/1/29)

天正十一年一月六日(1582/1/29) 純アルメイダ大学内研究室  大学の研究室では様々な分野に分かれて研究がなされている。  医学の分野に限って言えば、新薬の開発やワクチンなどだ。純アルメイダ大学の第一期卒業生である楢林朔玄さくげんは、...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第691話 『ヌルハチ』(1581/12/12)

天正十年十一月十七日(1581/12/12) 「そうか、ヌルハチが一統したか」 「は、今は足場固めをしているようですが、直に他の女直へも勢力を拡げようとするでしょう」 「うむ。張居正はいかがだ? 持ち直しそうか?」 「それは未だわかりません...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第687話 『大阪城その後。東玄甫の健康診断と検疫システムの拡充』(1581/3/11) 

天正十年二月七日(1581/3/11) <純正>  困った……。重要な事。重大な事を思い出した。大阪城だ新政府だと言っていたが、4年後に近畿地方で大地震が発生するんだ。世に言う天正大地震。マグニチュード8以上の超大型地震。  地震が起きれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第685話 『大日本政府、初年度予算(負担金)と電池』(1581/1/4)

天正九年十一月二十九日(1581/1/4) 肥前国 純アルメイダ大学 医学部研究室  東玄甫は解剖台の上のカエルに向かって立っていた。手に持っているメスの1本は切断用、もう1本は固定用だ。カエルの足を慎重に切り開き、筋肉を露出させる。  人...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「なに? では何を望むのだ?」  正弘が聞く。 「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」  次郎...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第683話 『柳とキナと百三十万二千九百貫』(1580/10/23)

天正九年九月十五日(1580/10/23) 「松庵先生、また一緒に研究を進めましょう」  東玄甫は診療所の裏庭で宇田川松庵に声をかけた。宇田川松庵は雷酸水銀を発見した化学者で、科学技術省の職員である。庭には何度も使用された柳の木がそびえてい...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所 「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」  純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第681話 『大日本政府樹立に向けての第二回会議』(1580/10/23)  

天正九年九月十五日(1580/10/23)  大同盟合議所 「内府殿。つかぬ事をお伺いするが、蝦夷地の蠣崎ならびに奥州の大浦と安東、常陸の佐竹に下野の宇都宮が、小佐々の御家中に服属を申し出て、それをお認めになったというのは誠にござろうか」 ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館 「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」  純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第676話 『中央政府構想の波紋』(1580/4/3)

天正九年三月十九日(1580/4/3) 南近江 大同盟合議所  「徳川殿。武田殿。此度こたびの所領の件については、大同盟加盟の際の約定の通り、これで仕舞いという事でよろしいな」 「異論ございませぬ」 「異論、……ございませぬ」  家康は満面...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19)

天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」  不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。 「あはは。さっき。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)   越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。  が、今世は違った。  純正が信長と同じ立場で東に武田...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城  「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」 「なにい! ? 数は?」 「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12) 『日ノ本大同盟』  純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。  経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第632話 『開戦か交渉か』織田と同盟国と北条と(1577/8/16)

天正六年|閏《うるう》七月二十五日(1577/8/16) 諫早城 <純正>  転生して15年。ようやくなんとか平和になってきたと思ったのに、上杉に北条、そしてまたスペインって。なんでみんな、戦争しに出るかなあ。  攻められないようにするため...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第72話 『改元と朝廷工作』(1846/2/21)

弘化三年一月二十六日(1846/2/21)<次郎左衛門>  仁孝天皇が崩御された。  次は即位と改元だ……と思っていたのだが(本当に思っていた)、そうではない。現代の日本では一世一元の制といって、天皇の即位によって改元し、一代につき一元であ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城 「そうか。織田からはそのような要望が」  純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。 「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」 「まずないでしょう」  そういうの...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第611話 小田原評定ならぬ小田原決定(1574/9/29) 

天正三年九月十五日(1574/9/29) 小田原城 小田原城は、戦国時代最大級の全長9kmにおよぶ総構えが有名だが、この時にはまだ完成していない。 秀吉が行った天正十八年(1590)の小田原侵攻に備えるために構築されたのだ。 上杉謙信の小田...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第609話 加賀と越中西部の自治について言問を行う(1574/9/17)

天正三年九月三日(1574/9/17)  5月に行われた合議において、越中の旧本願寺勢力の所領である礪波となみ郡については、当初畠山義慶よしのりの管轄下に置くのが良いのではないかとされたが、義慶は辞退した。  家臣からは要望があったようだが...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所 「皆様、よろしいでしょうか?」  発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。  大同盟合議所では、加盟している大名...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4)  そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。  結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されて...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21)  純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。    三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。  京都の独...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所 織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。 3年前の元...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて

天正二年九月十日(1573/10/5) 安芸日野山城 吉川元春居城 「殿、武田大膳大夫様が郎党、曽根九朗右衛門尉様がお見えにございます」 「うむ、通すが良い」  日野山城は中世山城でありながら、堀切や竪堀といった一般的な防御施設が見あたらな...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村 『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。 「御免候、こちらに深澤太郎殿はおら...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策

天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館  信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。 「はじめて御意を得ます。織田兵部卿...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村 「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」 「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあい...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第591話 北方探険艦隊の帰還と暗躍・北条氏政(1573/3/31)

天正二年二月十八日(1573/3/31) 肥前 諫早 「よう戻ってきたな三郎右衛門に清右衛門。大義であった」  北方探険艦隊司令の伊能三郎右衛門忠孝と副将の間宮清右衛門森蔵である。  2人は探検艦隊を率いて北海道を西岸から北上し、樺太を発見...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第590話 信長の悪あがきと純正の妥協

天正二年 一月十七日(1573/02/19) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所 「拒否権の儀、ならびにその他の題目についてもおおよそ得心しておる。然れど一つだけ、一つだけ発議いたしたい」 「なんでござろう」  信長は拒否権にしばりをつけら...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第589話 終戦決定と責任。そして大国の拒否権発動。

天正二年 一月十七日(1573/02/19) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所 『日ノ本大同盟』の憲章、そして細部規約の制定と同意のための会談も大詰めである。  ・終戦の可否とその時期の決定基準  ・大同盟軍内での各国(甲)の作戦行動によ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第588話 報復行動の可否と恩賞の基準

天正二年 一月十六日(1573/02/18) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所 「では敵から討ち入られた時は如何いかが致すのでしょうか」  徳川家の青山忠成が発言し、石川数正もそれを後押しする。  これは何も軍事行動だけとは限らない。  ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第587話 織田信長と武田勝頼の密談会盟。軍事行動合議制の可否

天正二年 一月十四日(1573/02/16) 夜 近江国蒲生郡 武佐宿村 織田宿舎 「殿、いかがなさるおつもりですか?」 「左様、このままでは織田は完全に小佐々の下風に立ち、顔色をうかがわねばならなくなりますぞ」  光秀の言葉に秀吉が同調す...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第586話 何が軍事行動か?その定義

天正二年 一月十四日(1573/02/16) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  年が明けて天正二年、純正は朝廷への新年の挨拶と義父への挨拶を終え、合議所にいた。藤子と娘の篤は二条晴良宅に預けている。  小佐々織田合議所という仮称だ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第585話 合議制による銭の力で日ノ本一統。(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城  「すなわち知行ではなく、銭にて報いると?」 「その通り」 「然されど、銭の配分なり、いずれの大名に如何いかに銭をまわすかなど、後々差し障りがございませぬか?」 「無用じゃ」  純正には...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第584話 純正の大義名分と信長の大義名分(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城  「さてみんな、集まってもらったのは他でもない。例の如く小佐々家の今後の基本方針と、織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見に対する外交姿勢について論じたいからである」  集まった閣僚の表情は...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第16話 『モリソン号事件を警告しよう』(1837/5/5)

天保八年 四月一日(1837/5/5)  次郎(太田和次郎左衛門)は、長崎から帰ってきてから考え事をしていた。  この時代に転生してから常に考えていたことだが、目的を達成するためには、技術革新だけでは駄目だという事である。  先進技術を持つ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第534話 謙信との決戦近し! 越中国人の混沌と畠山義慶の参戦

天正元年 三月三十日 能登 所口湊 「ご一同、それがしも合力いたしたく罷まかり越しました。何卒末席に加えてくだされ」  畠山義慶である。家臣団と合議の上、自らの手勢のみであれば、という条件つきで出陣となったのである。 「畠山修理大夫義慶よし...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第516話 上杉謙信・越後の龍を阻む者達 純正、近江にて織田信長と会談す

天正元年(1572年) 三月十二日 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  近江国蒲生郡武佐宿村(滋賀県近江八幡市武佐町)に、小佐々家と織田家の会議を行う施設が建てられている。  基本というか、岐阜城であったり小佐々の大使館では、いろい...
緊迫の極東と、より東へ

第512話 能登にて七人衆との会談と、岐阜での一節

天正元年(元亀三年・1572年) 三月五日 能登国 |鳳至《ふげし》郡 天堂城  純正一行は天堂城下で昨日歓待を受け、翌日登城して改めて挨拶を受けた。 「畠山修理大夫義慶よしのりにございます。権中納言様におかれましては、ことさら西国より能登...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第482話 甲斐武田家、ハードランディング?

元亀二年 十月五日 京都 大使館  先日の純久の申し出どおりに関白二条晴良邸に伺うことになり、三人は午前中から手土産を選んでいた。 「関白様は甘味がお好きなので、いくつか中ノ屋の茶菓子店より持ってこさせました。一人一つずつ、進呈なさればよろ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第447話 西国の火種と東美濃の争乱。そして山家三方衆

元亀二年 二月二十五日  三ヶ月前の元亀元年十一月、新しい西国の枠組みが決まった。  一万石から三万石の国人の多くが純正の提案を受け入れ、知行地を大幅に減らし、俸祿にて仕えることを選んだのだ。  しかし、領民やその下の家臣たちも、たかだか三...
新たなる戦乱の幕開け

第391話 永禄十三年の謹賀新年 衝撃の事実と信長と長政、そして三好だよ。

永禄十三年(元亀元年・1570年) 正月 十五日 京都  肥前諫早での配下諸大名(?)の年賀の挨拶を受けた後、純正は戦会のメンバーとともに京都に来ていた。  元旦に純久が名代として御所と室町御所に年賀の挨拶にはいっていたが、改めて純正も参内...
西国の動乱、まだ止まぬ

第369話 長政の野望 with ◯◯ 北近江よりの立志伝

永禄十二年 十一月 近江 小谷城 「継潤、その後公方様はどうなのだ?」  浅井長政は信長の妹を嫁にし、同盟者となっていたが、自身の存在感の低下に危機感を抱いていた。  事実、美濃を攻略するまでは共闘相手として、上洛する際は障害となる六角と共...
西国の動乱、まだ止まぬ

第368話 仕組まれた反乱、南九州にて

永禄十二年十一月二十日 諫早城 会議室  小佐々純正は政務の合間を縫って、子どもたちと遊んでいた。  子供だと思っていた弟の千寿丸は元服し、結婚して海軍兵学校へ入学している。甥っ子の幸若丸でさえ十一である。そろそろ元服を考えなくてはいけない...