弁明

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第278話 『久光の幕政改革』

文久二年四月二十九日(1862/5/27)  発 次郎蔵人 宛 御大老 先日 島津三郎様 兵千ヲ率イテ上洛セリ 幕政ノ改革ヲ求メルモノナリ 次郎はそう幕府に報告しようと考えたが、止めた。よくよく考えたら次郎は幕臣ではない。それに久光は攘夷じ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第258話 『戦後処理その3:日露戦争が起きるのか?』

文久元年四月二十一日(1861/5/30) 箱館在日ロシア領事館「では領事、時間には限りがありますので、さっそく本題に入らせていただきます」 次郎は挨拶もそこそこに、対馬で起きたロシア軍艦領土侵犯事件についての会談を始めた。「まず始めに、こ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第258話 『戦後処理その3:日露戦争が起きるのか?』

文久元年四月二十一日(1861/5/31) 箱館奉行所「では領事、時間には限りがありますので、さっそく本題に入らせていただきます」 次郎は挨拶もそこそこに、対馬で起きたロシア軍艦領土侵犯事件についての会談を始めた。「まず始めに、こちらのサイ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第243話 『条約破棄?』

遡って安政六年八月三日(1859/8/30) 大村 産物方「”Madam”……私は責任者との面談をお願いしたはずですが……」「私が責任者です。本来なら家老である夫が責任者ですが、留守の際に全権を委任されているのは私です。ですから私に話してい...
天下百年の計?

第727話 『毛利輝元、小早川隆景、吉川元春』

天正十四年四月二十四日(1585/5/23) 諫早城 <小佐々純正> ……さて、困った。 困ったというよりも、いま問題は起きていないんだけど、将来的にもしかしたら問題になるかもしれない、という課題で頭を悩ましている。こうなったのは、自分のせ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」 次郎は呼び出され、江戸城御用部屋...
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第165話 『公儀からの質し状と登城命令』

嘉永六年七月三日(1853年8月7日) 大村政庁「また、でございますか」「……まただ。次郎、お主がJantje(オランダ語のヤンチェ……やんちゃの語源とする説あり)をやらかすから、こうなったのだぞ」 純顕すみあきはいたずらっぽい顔をして次郎...
天下百年の計?

第701話 『氏政と。久しぶりに?純久ぶち切れる』

天正十一年十月二十九日 夜 在京大使館(小佐々事務所)<純正>「ささ、まずは一献」  俺は氏政に酒を勧め、叔父さんは氏規や家老の板部岡江雪斎に勧めている。「忝かたじけのうございます。では、ご返杯を」 氏政も上機嫌で、俺に杯を返してくる。氏政...
緊迫の極東と、より東へ

第502話 信長、三度越前を攻める。

天正元年(元亀三年・1572年) 二月月二日  雪解けを待って織田軍が越前へ侵攻した。 織田家の直轄兵力が四万八千、浅井が一万二千、伊勢の兵が一万三千、合計七万三千である。 これでも十分各地に守備兵を残しているのだ。越前では敦賀郡司が前回の...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第424話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男②

元亀元年 十月十四日 発 石宗山陽 宛 総司令部 秘メ 宇喜多ノ 使者 戸川秀安 輝元ニ 会ヱリ 詳細ハ 不明ナレド 浦上ノ 名代ニ アラズ マタ 両川ハ 不在ナリ 一○○七 秘メ 経由 門司信号所 一○一一 午三つ刻(1200)「うむ」 ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第351話 薩州島津家と伊東祐青、御教書の真偽とくすぶる火種

永禄十二年 十月二十二日 都於郡城 伊東家に対する幕府の御教書の真偽を確かめるため、小佐々の使者がその書状を幕府へ持参した。しかし祐青は純正の言葉に従いつつも、もし偽書だった場合の処罰を考えていたのだ。 仮に偽書だったとしても、祐青自身は一...
肥薩戦争と四国戦役

第343話 肥薩戦争⑫無条件降伏か滅亡か 四百年の名門島津家の危機

永禄十二年(1569) 十月十三日 巳の三つ刻(1000) 内城沖 金剛丸 「それで始めましょうか」 外務大臣の利三郎が話を進めようとする。小佐々側は純正と利三郎、鍋島直茂に尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛である。 島津側は義久に義弘、歳久に家久...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第73話 674石から11,536石へ 佐志方杢兵衛

同年 五月 早岐城主の早岐甚助、日宇城主の日宇舎人とねり、井手平城主の岡甚右衛門、広田城主の遠藤千右衛門、鷹の巣城主の堀江大学らが沢森城に来た。 佐世保から宮の村までの諸豪族を連れて、佐志方城主、佐志方杢兵衛が沢森城へ来たのだ。その他、佐世...