当主

対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第544話 緊急事態に立花道雪の決断と秘密兵器

天正元年 四月二日 巳みの二つ刻(0930) 庄川西岸(出来田村) 立花道雪移動中「申し上げます! 敵別働隊が放生津城に入っております!」 道雪を驚愕きょうがくさせる報告がはいったのだ。「何? 数は?」「は、およそ二千の上杉兵! さらに寺西...
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第543話 三好長治の試練と上杉方・放生津城の異変

天正元年 四月二日 巳みの一つ刻(0900) 庄川西岸(枇杷首びわくび村) 三好長治陣「申し上げます! 最左翼の島津軍、川を渡りて敵と一戦を交える構えにございます!」「なに! ? 我らも負けてはおられぬ! 直ちに徒渉としょう(徒歩での渡河)...
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第542話 庄川決戦:島津義弘の挑戦

天正元年 四月二日 辰三つ刻(0800) 庄川西岸(能町村) 島津義弘陣「申し上げます! 敵、南一里半(約5.8km)の大門新村に陣を構えてございます!」「何? 南だと? やつら、我らを思い消ちたるや(無視しているのか)! ?」 物見の報告...
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第535話 決戦前夜 上杉軍28,000(?)vs.立花道雪軍50,000

天正元年 四月一日 越中 増山城 巳の一つ刻(0900)「おや? 孫三郎殿、いささか勢ぜいが少ないのではないか?」 越中における上杉勢の最前線である神保氏の居城増山城で、到着早々謙信は、神保の現当主である長住に尋ねる。「面目次第もございませ...
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第531話 風神・雷神。畠山義慶の苦悩と決断

天正元年(1572) 三月二十八日 京都 大使館 先日十三日の御申出、石山の御坊の御意趣(石山本願寺の意向)にも沿うものにて、お受け致したく存じ候。 以後は幾久しく誼よしみを通わし、盛んに商いを行いたく存じ候。 さて、権中納言様(純正)にお...
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第526話 天下人三好長慶の孫と因縁の土佐三軍

天正元年 三月二十一日 滋賀国 三好一族は没落の一途をたどっていた。 かつての天下人であった三好長慶がなくなり、上洛した信長によって都を追われ、再起を図った『和泉家原城の乱』(史実で言う本國寺の変・第279話参照)でも純正に惨敗を喫した。 ...
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第525話 越中をめぐる三つ巴、あるいは四?五?の戦い

天正元年(元亀三年・1572) 三月二十日  純正が発議した警察機構の発足については、同時にその教育機関についても言及された。 警保学校や消防学校、海上検非学校が設置され、将来的に幹部を育成するための大学校も検討されたのだ。 また、情報省関...
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第524話 武田の鉱山と葡萄と天蚕 ~甲州ワイン誕生なるか?~

天正元年 三月十九日 甲斐国 躑躅ヶ崎館 二日前の三月十七日に、利三郎が勝頼と信玄に謁見して許可を得た小佐々軍の領内通過と、信越国境ならびに飛越国境の駐屯が行われる事となった。 荷留においては、それに加えて上野の武田領(真田領含む)において...
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第521話 上杉謙信と武田信玄 戦国のカリスマと純正の外交戦略

天正元年 三月十七日 越中射水いみず郡 守山城(富山県高岡市東海老坂)「申し上げます。小佐々権中納言様が郎等ろうどう(家臣)、日高甲斐守と仰せの方がお見えです」「なんと? 今一度申せ」「は、権中納言様が郎等、日高甲斐守様、お見えにございます...
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第517話 遊佐続光の苦悩 親上杉派の危機と上杉謙信の脅威

天正元年(1572年) 三月十三日 能登国 所口湊「一体何なのだ、この米の量は尋常ではないぞ」 遊佐続光つぐみつ(親上杉)は大量の兵糧が運び込まれているのを聞いて、慌てて所口湊へ向かい様子を見に来ていたのだ。 交易船もさることながら、能登国...
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第515話 越中守護の書 上杉謙信と畠山氏の対立

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十一日 台湾 基隆キールンの湊 籠手田安経 琉球へ寄港してすぐに南下する予定が、明への対応協議のために滞在することになり遅くなってしまった。 わが艦隊(元練習艦隊)は海軍内での組織編制で、南方探険艦隊と...
緊迫の極東と、より東へ

第511話 能登の輪島湊から天堂城へ 能登畠山氏第十代畠山義慶と会う

天正元年(元亀三年・1572年) 三月四日 能登国 鳳至ふげし郡 輪島湊 二月の二十五日に敦賀を出たのだが、風が悪かった。 途中の甲楽城かぶらき浦、新保浦、鮎川浦、三国浦……風待ちをしながら一週間かかってようやく輪島湊に到着した。「ぶねん、...
緊迫の極東と、より東へ

第510話 肥前より能登へ、敦賀にて純正、長政と初対面す。

天正元年(1572) 二月二十四日 越前国 敦賀郡 敦賀「何? 権中納言様が敦賀にお越しになっていると?」 長政は仰天した。 越前の統治においては前波吉継をはじめとした朝倉旧臣が行ってはいたが、三国浦をあらたな領地とした長政は、小谷城に帰る...
緊迫の極東と、より東へ

第508話 肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き

天正元年(1572) 二月二十二日 筑前遠賀郡 岡湊 山鹿城 小佐々純正 小佐々領内では、特に海岸沿いの街道には信号所や伝馬宿を設置させている。 街道のコンクリート舗装は全部は終わっていないけど、信号所・伝馬宿・舗装の順に整備を続けているの...
緊迫の極東と、より東へ

第503話 みせかけの和議と越後の龍を封ずる方法

天正元年(元亀三年・1572年) 二月三日  発 甲斐守(日高喜) 宛 権中納言(純正) 複 治部大丞(純久)  秘メ 越中 一向宗 利得ノ権 放チ(手放シ)難シニテ 和睦ハ 難シト 思ヘドモ 上杉トノ 戦 望マザル 模様ニテ 和睦ノ調停 ...
緊迫の極東と、より東へ

第502話 信長、三度越前を攻める。

天正元年(元亀三年・1572年) 二月月二日  雪解けを待って織田軍が越前へ侵攻した。 織田家の直轄兵力が四万八千、浅井が一万二千、伊勢の兵が一万三千、合計七万三千である。 これでも十分各地に守備兵を残しているのだ。越前では敦賀郡司が前回の...
緊迫の極東と、より東へ

第500話 上杉不識庵謙信という男の本性

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十八日 越後 春日山城「……。せっかくおいでになったのだ。通すが良い」 上杉謙信と須田満親の前に、小佐々の狐、利三郎が相まみえる。「はじめてご尊顔を拝しまする、小佐々権中納言様が家臣、太田和治部少輔と申...
緊迫の極東と、より東へ

第497話 和睦交渉のゆくえと幸若丸の元服

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十一日 「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」 家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。 織田・徳川と武田の和睦交渉は...
緊迫の極東と、より東へ

第492話 明への外交対策……別に、いらんよな?

元亀二年 十二月十二日 諫早城「御屋形様、台湾総督の若林中務少輔様より使者がお越しになっています」「総督の? わかった、通すが良い」 純正は以前台湾問題を閣議で話し合った事を思い出した。 永禄十一年の事件の際、台湾出兵と再度の入植のために明...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第485話 武田勝頼の両目、真田昌幸と曽根虎盛

遡って元亀二年 九月十二日 甲斐 躑躅ヶ崎館「誠に! 誠に御屋形様は、生きておられるのですか?」 勝頼は武田の重臣である馬場美濃守信房に訊いた。「誠だ」「では何故、それがしには身罷られたなどど、嘘をおっしゃったのですか」「お主、御屋形様がご...
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第482話 甲斐武田家、ハードランディング?

元亀二年 十月五日 京都 大使館 先日の純久の申し出どおりに関白二条晴良邸に伺うことになり、三人は午前中から手土産を選んでいた。「関白様は甘味がお好きなので、いくつか中ノ屋の茶菓子店より持ってこさせました。一人一つずつ、進呈なさればよろしい...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第476話 甲斐武田家第十七代当主、諏訪四郎勝頼改め武田勝頼

元亀二年 九月十日 躑躅ヶ崎館(さて、どうするか……) 勝頼は、夜も更けた躑躅ヶ崎館の居室にて、二人の家臣を前に考えている。 信玄の死後家督をついだものの、あくまで名代。 対外的には信玄は隠居して勝頼が家督を相続、そして息子の信勝が十六歳に...
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第475話 義昭、流浪将軍となる

元亀二年 九月二日 京都 室町御所 信長が義昭に提示した条件は二つであった。 人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。 なにせ和睦という体の降伏なのである。 そして...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第470話 虚々実々、信長と純正と信玄と

元亀二年 八月十日 三河「申し上げます!」 武田軍の撤退の報を受け、逃散していた兵をまとめていた信長のもとに急報が入った。「何事か!」 信長に急を報せるのは、織田家の忍者集団『饗談きょうだん』の頭領である、岩村長門守重休しげやす(273話)...
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第457話 二俣城の陥落と三方ヶ原の戦い

元亀二年 五月九日 武田高信への仕置を終えた後、純正は鳥取城へ向かう途中で山名豊国への謁見を許し、但馬へ入った。塩冶高清が治める桐山城、芦屋城、長高連が治める林甫城がある。「初めてご尊顔を拝し奉りまする、長越前守高連にございます。近衛中将様...
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第455話 悪人?吉川駿河守元春

元亀二年 四月二十一日 伯耆国 岩倉城 吉川元春の軍勢が岩倉城を包囲した翌日、美作の小田草城へ向かっていた南条元続は急報を受けた。急ぎ陣払いをして岩倉城の救援に向かったのだが、すでに城は落とされた後であった。 吉川軍の裏切りという事態と明ら...
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第454話 伯耆国岩倉城と備前国天神山城の行方

元亀二年 四月十七日 伯耆国 岩倉城「おお、見よ! 駿河守様が後詰めとしてこられたぞ!」 城主の小鴨元清は、丸に三つ引両の吉川の旗印に小躍りして喜んだ。河村郡と久米郡、八橋郡の大部分を治める、国人領主の南条元継の弟である。 今回の一斉挙兵に...
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第453話 駿河守の策略と忠義の試金石:吉川駿河守と鍋島加賀守の運命

元亀二年 四月八日 吉田郡山城「駿河守殿、それは一体どういう事かな? 直茂、よいな?」「は、ははあ」 さすがの鍋島直茂も、歯切れが悪い。純正の恩情で不問にされた事であるが、元春が言った事が本当ならば、自分も罪を負わなければならないからだ。「...
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第452話 小早川隆景の苦悩と衝撃の告白

元亀二年 四月八日 吉田郡山城「なるほど。では左衛門佐殿は、兄弟ゆえ、兄である駿河守殿が謀反を起こすはずはない。兄はそのような男ではない、と?」 小早川隆景はまっすぐ純正の顔を見ている。輝元も口には出さないが目で語っている。「しかしのう、左...
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第450話 雑賀党と太田党、そして西国では嵐の前の静けさ

元亀二年 三月二十一日 京都大使館「さて、まったく変なやつだと昔から思っていたが、その変わったやつが、ここまで家中を大きくしたのだからな。こたびの差配も、考えたら的を得ている」 小佐々治部少丞純久は、純正の書状をみながら、つぶやく。 信玄の...
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第449話 御教書発給と将軍義昭の御内書疑惑

元亀二年 三月十一日 諫早城 発 純久 宛 近衛中将 秘メ ◯三◯三 信玄 兵越峠ヨリ 遠江 入レリ 山県 秋山 奧三河 侵攻セリ 徳川 浜松ニテ 籠城 織田ノ 援軍 待テリ 秘メ ◯三◯六「直茂よ、弾正忠殿はいま、どのあたりであろうか? ...
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第443話 通訳を求めて堺へ。紙屋甚六の旅

元亀元年 十二月二十三日 大和国(奈良県)「やはり遠いですな、大和は。ここからさらに京に堺にとなると、さらに遠い。そしてこのたびのお役目は、難儀な事ですなあ」 そうやって同行者に愚痴をこぼす者がいる。 相模国小田原の紙商人の紙屋甚六である。...
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第439話 第2.5次信長包囲網への序曲 山は動くか

元亀元年 十一月 純正が西日本大会議を開いているそのころ……。 ■石山本願寺「和議に応じぬとはどういうことだ! 信長は本当に長島を滅ぼす気か? あやつは仏罰が怖くないのか?」「上人様、やはり公方はあてになりませぬ。信長になめられて、言う事を...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第437話 新しい西国秩序

元亀元年 十一月二十三日 伊予 湯築城 戦をなくす為に話し合いの場を設けたのに、これでは話がまとまらない。 元春の気持ちも理解できるが、大言壮語すぎたのだ。このまま、無条件では元春も引っ込みがつかないであろう。「では能義郡、四万五千六百四十...
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第433話 変革の時

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 元親は純正の発言の意図が理解できない。「それは一体、どう言うことなのでしょうか?」「言葉通りの意味である。宇喜多殿とは使者を通じて、服属したいとの旨を承っており、了承したのだ。その際、この毛利家との四...
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第431話 純正の和睦会議

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城「よもやこの中に、おのが欲のために戦をしかけ、領土を拡げ私利私欲を貪らんとする方はおられぬと存ずるが、いかに?」 会議室全体が静まりかえった。波乱の、幕開けである。 まず、口を開いたのは、驚くことに宇喜...
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第426話 純正と秀安 裏の裏の裏の話

元亀元年 十月二十日 諫早城 小早川隆景との会談を終えた数日後、純正は朝食を食べ終わって、コーヒーを飲んで新聞『肥前新聞』を読んでいた。 第一回の遣欧使節が帰国したとき、グーテンベルクの活版印刷機を輸入していたのだ。 その後印刷機の仕組みを...
新たなる戦乱の幕開け

第422話 歴史の変化が人の死を早め、それがまた歴史を変える

元亀元年 十月十日 京都 室町御所「公方様、備前の宇喜多の遣いと申す者が、お目通りを願っております」「宇喜多……? 浦上ではなく、宇喜多だと?」 義昭は献上品の刀剣の品定めをしている最中に、政所執事である摂津広門から声をかけられ不機嫌である...
新たなる戦乱の幕開け

第420話 毛利輝元と安国寺恵瓊、相対するは戸川平右衛門尉秀安なり

元亀元年 十月七日 吉田郡山城「殿、宇喜多家臣、戸川秀安と申す者がお目通りを願っております」 毛利家当主である毛利輝元は、外交僧で顧問の安国寺恵瓊と談笑していた。 このとき両川である小早川隆景は領国である新高山城(にいたかやまじょう)にあり...
新たなる戦乱の幕開け

第413話 元亀元年の浦上宗景への詰問状

元亀元年 九月十五日 諫早城「殿、大使館より定時通信にございます」 京都大使館に配属されている情報省の職員(忍び)から定時報告があった。 京都~堺湊、阿波湊~土佐宿毛湊、豊後佐伯湊~肥前諫早城間はすでに街道が整備されており、駅馬車も走ってい...
新たなる戦乱の幕開け

第403話 第一次信長包囲網の終焉と新たなる鳴動

元亀元年 六月六日  大安である六日を選んで、織田家と包囲網陣営の和議が結ばれた。 信長にしてみれば和泉は戻ってきたものの、摂津の領地は奪われたままで、決して良い条件ではなかった。 山城、河内、紀伊の状況は変わらず、良い面と言えば、大和の筒...
新たなる戦乱の幕開け

第402話 若江三好家と摂津三好家と阿波三好家

元亀元年 五月二十二日 摂津 ※野田城「なんですと? 気でもふれたのですか大叔父上?」 そう声をあげるのは阿波三好家当主であり、日本の副王と呼ばれた三好長慶の弟、三好実休の息子である※三好(彦次郎)長治である。「気などふれておらぬ※彦次郎(...
新たなる戦乱の幕開け

第400話 三好家長老、三好長逸の決断と分裂

元亀元年 五月十八日 ※三好三人衆への純正の降伏勧告は議論を呼んだ。本来、和議というのはお互いに交渉し、条件の折り合いをつけて戦闘行為を終了させる事である。 しかし純正のこれは和議ではなく、あきらかに無条件降伏に近いものであった。 一切の主...
新たなる戦乱の幕開け

第389話 西園寺公広と土居清良

永禄十二年 十二月二十八日 諫早城 十二月十日に宇都宮豊綱の造反並びに職務怠慢が公になり追放された。 その後引き続き長谷口から南の黒瀬城へ向かう街道は封鎖され、南の板島城から北へむかう吉田口、東の三滝城からの土居口も同様に完全に塞がれたのだ...
新たなる戦乱の幕開け

第384話 来島通総兄弟と瀬戸内の緊張

永禄十二年 十二月 五日 来島城「兄上、もう半年になりますね」「そうだな、もう半年になる」 伊予来島の村上(来島)通総は九歳である。 二年前に父である村上通康が死に、元服して家督をついだ。兄がいたのだが、母親が主君筋の河野弾正少弼通直(36...
西国の動乱、まだ止まぬ

第383話 鎮西平定ナレドモ四国ハ西園寺ガ残リケリ

永禄十二年 十二月二日 丑一つ刻(0100)諫早城 隣国に攻められたり飢饉の発生や疫病など、一刻をあらそう場合は、深夜であれ純正の元には緊急通信が入ってくる。迅速な対応が求められるからだ。 発 石宗衆 宛 総司 秘メ ※島津義虎謀反 東郷ヘ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第382話 永禄十二年 十二月一日 庄内の乱、東郷の乱。

永禄十二年 十二月一日 巳の一つ刻(0900)薩摩 薩州島津家当主、※島津義虎が動いた。 南下して、二十年も抗争を続けてきた東郷氏の旧領を攻めたのだ。 東郷氏は渋谷一族の分家で、祁答院氏や入来院氏とともに島津家と戦ってきたが、すでにすべて島...
西国の動乱、まだ止まぬ

第375話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石

永禄十二年 十一月十六日 諫早城 純正は各方面から届けられる書状や通信文書を読みながら、定例会議を開いて今後の対策を考えていた。 空閑三河守、藤原千方(親)、鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛の五人が傍らにいる。そして閣僚の面々。「千方よ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第368話 仕組まれた反乱、南九州にて

永禄十二年十一月二十日 諫早城 会議室 小佐々純正は政務の合間を縫って、子どもたちと遊んでいた。 子供だと思っていた弟の千寿丸は元服し、結婚して海軍兵学校へ入学している。甥っ子の幸若丸でさえ十一である。そろそろ元服を考えなくてはいけない。 ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第367話 土佐安芸郡一揆③独立、なるか?

永禄十二年 十一月十日 土佐 安芸郡 安芸城「殿、これからどうなさいますか」 家老であった黒岩越前守の息子、黒岩掃部(30)である。「若と言われ続けてきて、いきなり殿は慣れぬな」「は、しかし安芸家の復興のためには慣れていただかなくてはなりま...