先見

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第185話 『次郎の思惑、クルティウスの思惑』

安政年十二月一日(1855/1/18)  嘉永七年の十一月二十七日に、安政への改元が行われた。  増え続ける外国船来航と、内裏の火災、そして安政地震の始まりである伊賀地震など、凶事が続いたことが理由である。幕府はアメリカと通商は結ばなかった...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日)   現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。  零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)…...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第170話 『江戸表にてプチャーチンと幕閣』

嘉永六年十月二十六日(1853年11月26日) 佐賀城 「よし、それで大村家中とはつつがなく、渡りをつけた(交渉した)のだな?」 「はは。大村家中は既に時津から伊木力村までは完工しております。我が家中としましては、伊木力から喜々津を経て、三...
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第135話 『大村修理とジョン万次郎』(1851/5/16)

嘉永四年四月十六日(1851/5/16) 大村城下 <次郎左衛門> 「なんと! ……これは、なんと様変わりしたものよ……」  殿の出府とあわせて江戸を発った弟君の修理様(大村純熈ひろ・当時は利純)は、嫡男の甲吉郎様が家督を継ぐとなってから、...
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第61話 『徳川斉昭の謹慎とおイネ道中に適塾留学生』(1844/6/21) 

天保十五年五月六日(1844/6/21)   一之進がおイネを探して二宮敬作と出会い、なりゆきで診療所の手伝いをしていたころ、フランス船アルクメール号が那覇に入港し、通商を求めていた。  モリソン号事件に続きイギリス船サマラン号、そしてフラ...
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第26話 『佐賀藩、大村藩に遣いを送り、探りを入れる』(1837/11/12)

天保八年十月十五日(1837/11/12) 佐賀城  次郎左衛門が藩主大村純顕あきにゲベール銃の複製を申請し、硝石と火薬の藩内での大規模な製造を進言している頃、肥前一の大藩である佐賀藩、佐賀城で会見が行われていた。  会見、といっても仰仰し...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第18話 『そのころの日本は? 俺が出来る事なんて、たかが知れてる。あれ? お慶さん』(1837/6/1)

天保八年 四月二十八日(1837/6/1) 次郎左衛門  信之助は石けんをいかに簡単に安く大量にできるかを考えている。もちろん品質は変えずに。  お里は和蘭辞書と反射炉製造書を読みながら翻訳中だ。  一之進は領内をまわって食生活と体調の聞き...
緊迫の極東と、より東へ

第502話 信長、三度越前を攻める。

天正元年(元亀三年・1572年) 二月月二日   雪解けを待って織田軍が越前へ侵攻した。  織田家の直轄兵力が四万八千、浅井が一万二千、伊勢の兵が一万三千、合計七万三千である。  これでも十分各地に守備兵を残しているのだ。越前では敦賀郡司が...
緊迫の極東と、より東へ

第497話 和睦交渉のゆくえと幸若丸の元服

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十一日  「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」  家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。  織田・徳川と武田の和睦...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第445話 元亀二年と遠洋航海、バンテン王国より東へ。

元亀二年 元旦 諫早城  元旦の年賀の挨拶には、年々増加の一途をたどる来賓の数に対応するため建てられた、巨大な迎賓館が使用された。100人や200人ではない。  純正はまず、午前中を空け、家族や親族との対面に時間を割いた。父親はいつまでたっ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第380話 遠い西の彼方へ。長宗我部元親の驚嘆の九州肥前紀行②

永禄十二年 十一月二十日 午一つ刻(1100) 府内 「これをこうやって送るのです」  そう言って宗悦は代金と書面を係に渡す。係は料金を確認して書面を伝達役に渡し、伝達役は何やら小屋を出て近くの見張り台まで走る。  見張り台の上では係は旗を...