外様

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第281話 『文久の改革と土佐尊皇党』

文久二年七月三日(1862/7/29)江戸城  島津久光はその条件をのんで勅を実行させるほかなかった。  安藤信正の発言は正論であり、それを退ける正当な理由がなかったのだ。信正の人事権や大老の序列と役割、大老院と老中院の設置など、役職に外様...
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第251話 『公武合体と幼い少女』

万延元年十月十八日(1860/11/30)  「次郎を呼んでたもれ」  そう言われて参内し、和宮と会うこととなった次郎であったが、降嫁を認めて公武合体を進めるよう映ったであろう事は間違いない。個人的にはあまり乗り気がしない事であった。  し...
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第245話 『驚天動地』

安政七年二月十一日(1860/3/3) 江戸城 評定部屋 「何? 警護の数を増やせじゃと?」 「は、然様にございます。折から樺太でのロシアによる襲撃が起こっており、箝口令かんこうれいの甲斐かいなく市井に話が出回っているようでございます。然れ...
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第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)   大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。  まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていっ...
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第233話 『日米通商条約附録と横須賀造船所』

安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸城 御用部屋 「掃部頭かもんのかみ様、小栗又一、お召しにより罷り越しましてございます」 「うむ、よくぞ参った」  井伊直弼がオールコックの提案にどう答えるか迷っている中呼び出したのは、史実では大村益...
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第232話 『密会』

安政六年五月六日(1859/6/6) 江戸城 御用部屋 「なに? 英国人だと?」  日英和親条約を含め、イギリス以外にもフランス・ロシア・オランダと結んでいた条約は、協議を必要とするものの、最恵国待遇に準ずる内容であった。  従って日米通商...
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第202話 『四ヶ国連合艦隊来航す』

安政三年七月十七日(1856/8/17) 大村藩庁   次郎はあまりの暑さに冷蔵庫の氷を舐め、特製のゴム袋に氷を入れて頭を冷やしてふうふう言っていた。  扇風機もなければエアコンもない。技術を軍事と産業に全フリしてるから、生活環境改善系の機...
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第201話 『山内容堂と大村藩海軍増強計画』

安政三年六月十六日(1856/7/17)   金属薬莢やっきょうの製造にあたり、その他の金属加工製品と同じく、それを加工する加工機械は、研究開発ならびに輸入が並行して行われていた。圧延機やプレス機の精度向上と大量生産である。 『全ては模倣か...
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第196話 『一触即発、大村藩改易か?』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1) 江戸城 老中御用部屋 「本音が、でたな」  堀田正篤まさひろの言葉に次郎は心の中で深呼吸をする。表情を崩さぬよう注意しながら視線を合わせると、正篤は手にしていた扇子を膝の上に置き、じっと次郎を観察...
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第194話 『堀田正睦老中首座となり、蝦夷地上知再燃す』

安政二年十一月十七日(1855/12/25)  神に祈るしかない、というのはこの事なのだろう。  次郎は消火器や雲龍水の設置によって地震の被害を少なくしようと試みたが、確かに効果がなかったとは言えない。しかし、藤田東湖らの死因は倒壊による圧...
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第190話 『飛龍丸献上』

安政二年五月二十九日(1855/7/12)   次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。  ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国...
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第183話 『ヘルハルドゥス・ファビウスとSoembing号、そして長崎海軍伝習(所)』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11) 長崎  「なんと、これほど日本人の技量が育っているとは……これでは小官が教える事などほとんど無いではありませんか」  幕府はオランダからの働きかけもあり、海軍創設へと動き出した訳であるが、その第一...
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第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁 「ようやくですな」 「ようやくにござる」  次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。  そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃した...
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第153話 『公儀からの質問状』

嘉永五年八月十八日(1852/10/30) 大村藩庁 「然さて次郎よ、この、ごほっ……長崎奉行の志摩守(牧義則)殿からの書状じゃが、どうにも公儀から問いただすようにとのお達しのようじゃ」 「殿、大事ございませぬか? 誰かおらぬか! 俊達先生...
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第152話 『五島沖の事故。嘉永五年との別段和蘭風説書』

嘉永五年七月二十三日(1852/9/6) 五島沖  平戸、壱岐対馬、天草、五島と何度も試験航海を曙丸は繰り返していた。 「主機は順調にございます! スクリューも滞りなく動いておりまする」 「艦橋了解」  機関長からの報告である。  試作のス...
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第143話 『横瀬参号船渠と七ツ釜四号船渠並びに幕臣報告書』(1851/12/20) 

嘉永四年十一月二十八日(1851/12/20)   次郎は2号ドックが8月に完成した後、新たに予算を計上した。  ・横瀬村(横瀬浦)に3号ドック(長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)、七ツ釜村に4号ドック(長さ158.4m幅...
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第137話 『松代藩と松前藩。ソルベイ法とアンモニア』(1851/7/3) 

嘉永四年六月十五日(1851/7/3)  松代城  松代藩領内の浅川油田では調査の結果、油井として産出が認められたのは十八カ所で、産出量の見込みは一つの油井で1日平均1石7斗3升との事であった。精製すれば約三分の一が灯油となる。  そのまま...
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第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城 「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」  次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。  この頃に...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21)  純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。    三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。  京都の独...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策

天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館  信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。 「はじめて御意を得ます。織田兵部卿...
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第29話 『幕府最後の巡見使。ゲベール銃の完成とパーカッションロック式』

天保九年四月十四日(1838/5/7) 玖島くしま城 「巡見使の検分はつつがなく終わったか?」  巡見使とは、江戸幕府が諸国の監視と情勢調査のために派遣した使節の事だが、天領および旗本知行所を監察する御料巡見使と、諸藩の大名を監察する諸国巡...
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第22話 『石けん販売の今後と領内でしばしの休養』(1837/8/2)

天保八年七月二日(1837/8/2) 太田和村 <次郎左衛門>  腕は、ほぼ完治した。  包帯も外して風呂にもそのまま入れる。触ると少し痛いが、腕をグルグル回しても違和感はない。  一之進からは煎じ薬だけは絶対に忘れるなと口をすっぱくして言...
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第2話 『玖島城へ向かう途上にて、心強い味方に出会う』(1837/1/7) 

天保七年 十二月一日(1837/1/7) 明け六つ(0615) 肥前大村藩 彼杵そのぎ郡 太田和氏館  こーこーコケコッコー。  鶏の鳴き声とあまりの寒さに起こされ、何度も二度寝をしようと試みたが、日の出とともに、完全に目が覚めた。  周囲...
緊迫の極東と、より東へ

第495話 元亀から天正へ 純正と信長、連盟での奏上と勅書

元亀三年改め天正元年(1572年) 正月  かねてからの懸案事項であった元号であるが、純正と信長の連名により昨年奏上され、天正と改められた。  本来、天正への改元は元亀四年、つまり来年に行われるはず(史実)であったが、前倒しである。  歴史...
西国の動乱、まだ止まぬ

第375話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石

永禄十二年 十一月十六日 諫早城  純正は各方面から届けられる書状や通信文書を読みながら、定例会議を開いて今後の対策を考えていた。  空閑三河守、藤原千方(親)、鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛の五人が傍らにいる。そして閣僚の面々。 「...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第74話 平戸松浦氏の処遇 運命の岐路

同年 五月 沢森城 沢森政忠  さて最後は、これが一番の難事で、やり方によっては肥前の情勢を一変させる。我らが生きるも死ぬも、これにかかっていると言っても過言ではない。  ……。  主だった者を城に呼んで評定を開いた。  まずは俺の隣に親父...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第42話 永禄四年末評定 十年戦略策定と短期目標

永禄四年十二月 沢森城 沢森政忠  年末を迎えるにあたって、家臣を一堂に集めて評定を行った。今後は定期的に行おう。  当主 沢森政忠  親族衆  筆頭 沢森政種(父)  親族衆 外交方 沢森政直(次男・政忠の叔父)  親族衆 殖産・技術方 ...