平戸藩

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)   大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。  まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていっ...
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第156話 『蒸気機関の改善と消火器』

嘉永六年一月十九日(1853/2/26)   次郎は越後の油田の開発を続けていたが、どうしても運上金がネックであった。  石油の産出98石につき米48石(77両)の比率なのだ。これが本来ならいくらになるかというと、臭水くそうず(石油)1石で...
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第142話 『商船学校と海軍兵学校』(1851/11/28) 

嘉永四年十一月六日(1851/11/28)   大村藩で最初の洋式帆船の船乗りは、深澤家の漁師である。  14年前に捕鯨衆深澤組の復活を条件に、出島のオランダ商館に入り浸り、洋式帆船の造船術や操船術、航海術を時間をかけながら習得した者達だ。...
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第134話 『魚油・干鰯の増産と藩士続々』(1851/4/16)

嘉永四年三月十五日(1851/4/16) 江戸城御用部屋 上の間  江戸城には緊張感が漂っていた。  大村藩主純顕あきと家老の次郎が数名の幕閣と対峙じしている。老中首座である阿部正弘が静かに口を開いた。 「大村丹後守殿、本日はお越しいただき...
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第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「なに? では何を望むのだ?」  正弘が聞く。 「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」  次郎...
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第123話 『吉田松陰と宮部鼎蔵の大村探訪記とスクリューと潤滑油とゴムの話』(1850/4/2) 

嘉永三年二月二十日(1850/4/2)  川棚 「な、なんじゃあこれは」 「石か? 石積みの家に、どこからかわからぬが、がしゃんがしゃんと音が聞こえる」  前日、平戸藩城下で一泊した後、紹介状を携えて二人は南へ向かい、そこで遭遇したのだ。 ...
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第122話 『吉田松陰、平戸から大村へ。鋼板切断機、ロール成形機、溶接機、プレス機、運搬機器の開発』

嘉永三年二月十九日(1850/4/1)  「初めて御意を得ます。長州より参りました、毛利家中、吉田寅次郎と申します」  松陰は長州藩主毛利敬親の命を受け、平戸藩への遊学と、一年間の長崎を含めた西国見聞の旅の最中であった。まず平戸藩主に挨拶を...
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第121話 『セメントの続きと臭水樽揮発問題』(1850/2/19) 

嘉永三年一月八日(1850/2/19) 大村藩政庁 「高炉セメント?」  全員が信之介の方をむいて会議が中断し、その高炉セメントとはなんぞや? という話になってしまい議論が何日も続いている。次郎が予測、というか史実で発生するコレラは1858...
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第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門>  お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこ...
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第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 

嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘>  さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエ...
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第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓  弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 ...
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第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城 「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」  次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。  この頃に...
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第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26)

弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門>  今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。  8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋...
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第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26)

弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城  弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。  受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要で...
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第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村 『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。 「御免候、こちらに深澤太郎殿はおら...
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第20話 『偽物と刺客』(1837/7/5)

天保八年 六月三日(1837/7/5)  肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。  その中でも西側に位置する大村藩は彼杵そのき地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵にしそのぎ半島(西...
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第19話 『大村藩保守派の妬み』

天保八年 五月十五日(1837/6/17) |玖島《くしま》城 次郎左衛門武秋 「これは御家老様」  筆頭家老の大村五郎兵衛昌直は、家禄千四十石九斗二升取りだ。  その後に同じく、両家とよばれる一門の大村彦次郎友彰(八百四十六石九斗六升)が...
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第1話 『転生したら幕末の大村藩下級藩士!大村純顕と純熈に仕えて、西欧列強に対抗する。』(1837/1/6) 

天保七年 十一月三十日(1837/1/6) 肥前大村藩  「あいった! ……いたたたた」  頭がズキズキする。  痛みで目をつむって、頭を押さえる。  二日酔い特有の痛みだ。おかしいな。俺昨日そんなに飲んだかな? いや、最近は宅飲みで、しか...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第10話 674石のしょぼ領主

親父と話をしに行く前に、いろいろと整理しておこう。    状況を分析し、最善の提案をして領内を豊かにしなくてはならないからだ。舐められないためには武力が必要。    しかしそのためには、鉄砲や弾薬、大砲はもちろん、人員も必要だ。戦のための食...
人物紹介

人物紹介③(51話~126話)

( )内は転生時、永禄4年(1561年)時点での数え年齢です。基本的に架空・史実の両方記載しますが、史実の人物の生没年、内容、記載の有無は筆者の任意なのでご了承ください。※は史実人物(本作ストーリー上内容修正あり) 橘屋又三郎(38)※ 堺...