史実

北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第656話 『対スペイン戦の反省と軍事改革と再編成』(1578/8/12) 

天正七年七月九日(1578/8/12)  純正はマニラにて戦勝の祝賀会を行った。 本土に戻ってからもっと盛大な祝賀会があるだろうが、全員を連れて帰るわけにはいかない。そこでマニラに残る艦隊と陸軍のために開いたのだ。捕虜も同じである。 捕虜収...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28)

嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門>「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」 お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたりの時...
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第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20)

弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門> 佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ!「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」 ……。「また、...
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第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21)

弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方 火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。 高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー銃に...
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第89話 『佐賀藩主鍋島直正、伊東玄朴をして、和蘭より取り寄せたる種痘を藩内に広めけり』(1847/12/9)

遡って弘化四年六月二十八日(1847/8/8) 佐賀城 二日前の六月二十六日にオランダ船が長崎に来航し、聞役よりすぐに佐賀へ通達され、玄朴は長崎へ向かい種痘を受け取って佐賀へ戻ったのである。 史実ではこの年に依頼し、来年の嘉永元年に種痘を実...
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第88話 『信之介、ボルタ電池にダニエル電池……炭素アーク灯への道』(1847/11/21) 

弘化四年十月十四日(1847/11/21) 玖島くしま城 <次郎左衛門> さて困った。予想通り蔵六が留学したいと願いでてきた。 いや、留学自体はいいんだ。 誰もが知る維新の十傑で優秀な人材は、何人いてもいい。  大村益次郎は史実では長州陸軍...
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第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下「こ、これは……あれは何ですか?」 すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。「ああ、ガス灯ですね。まだ...
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第85話 『ドライゼ銃完成せり。大砲の鋳造幾分か定まれども完全に非ず。儀右衛門、蒸気機関の製造に本格着手せり』(1847/11/5) 

弘化四年九月二十八日(1847/11/5)  玖島くしま城下 <次郎左衛門> 「なあ次郎、思うっちゃけどさ……」「何なん?」 信之介の問いに俺は答える。「今、いろんな人の来よるやろ、大村に」「うん」「いや、そいは良かっちゃ(それは良い)けど...
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第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」 木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですから、威...
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第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城 幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。 以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オラン...
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第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」 次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。 この頃になると...
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第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門> 2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。 もうどこにも耀蔵はい...
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第72話 『改元と朝廷工作』(1846/2/21)

弘化三年一月二十六日(1846/2/21)<次郎左衛門> 仁孝天皇が崩御された。 次は即位と改元だ……と思っていたのだが(本当に思っていた)、そうではない。現代の日本では一世一元の制といって、天皇の即位によって改元し、一代につき一元である。...
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第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26)

弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城 弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。 受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要である...
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第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城「そうか。織田からはそのような要望が」 純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」「まずないでしょう」 そういうのは直茂だ。...
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第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島...
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第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹・天然痘撲滅へ!)』(1845/6/18)

弘化二年五月十四日(1845/6/18) 次郎邸 <次郎左衛門>「これ、御家老様はお忙しいのだ! お手を煩わせるでない! 申し訳ありませぬ御家老様! なにぶんまだ子供ゆえ、お許しいただきたく存じます」「ははははは! よいのです俊達先生。子ど...
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第66話 『一度目の試射』(1845/5/23)

弘化二年四月十八日(1845/5/23) 玖島くしま城下 <次郎左衛門>「お前様、もう、よいのではありませんか……。わたくしはもう、構いませんよ」「え? 何が?」どうしたんだ? 静。怒っているようには……見えないけど……んん?「何が、ではあ...
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第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 

天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。小佐々甚吾純吉である。本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時に行わ...
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第64話 『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』(1845/3/29)

弘化二年二月二十二日(1845/3/29) 江戸城 史実どおり、水野忠邦はさしたる成果を上げることなく老中を辞任した。 やった事といえば、鳥居耀蔵を失脚させた事くらいだ。  土井|利位《としつら》は自ら老中を辞任している。ともかく、一連の関...
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第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4)

天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島城下「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言...
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第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17)

天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城 6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。 また彼らは、織田領内では小学・中学・高校という教...
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第62話 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』(1844/10/30)

天保十五年九月十九日(1844/10/30) 長崎 <次郎左衛門>水戸の徳川斉昭さんが蟄居ちっきょを命じられたのが3月だった。実は同じ時期に江戸城で火事が起こっていて、幕府は焼失した城の修繕費用を諸大名から集めようとしたんだけど、失敗した。...
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第621話 『珈琲豆の収穫とオーストラリアの発見』(1575/6/10) 

天正四年五月二日(1575/6/10)3年前の天正元年正月に出港した南方探険艦隊が、帰港した。前回の航海ではバンテン(バタヴィア)・小スンダ列島・ティモール・パプアニューギニアまで航海したのだが、今回はさらに南方、東方へと向かったようだ。「...
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第620話 『朝鮮貿易拡大と女真族への援助』(1575/4/21)

天正四年三月十一日(1575/4/21)  対馬の宗氏を介した李氏朝鮮との貿易も、ここにきて様子が変わってきていた。ずいぶん前に対馬の宗氏と五島の宇久氏は純正に服属し、その交易権を委譲していたのだ。 当初より純正は積極的に明を除く諸外国と交...
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第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29)

天保十五年三月十二日(1844/4/29) 玖島くしま城下 <次郎左衛門> 俺は大砲と同時進行で、小銃の開発製造を進めていた。2年前の天保十二年に管打ち式のゲベール銃が完成した後、すぐにミニエー銃の開発に移っていたのだ。 しかし、原理はわか...
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第615話 関東騒乱終結。北条の勢力拡大と、宇都宮と佐竹の弱体化(1574/10/27)

天正三年十月十三日(1574/10/27) 交渉3日目 茂木城「陸奥守殿、そう譲れぬ譲れぬの一点張りでは、決まるものも決まりませぬ。ここは関東の雄、大国としての徳と民への慈愛をもって、為すべき事を為すほうが良いかと存ずるが、いかに」(……肥...
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第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。   俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ...
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第613話 もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25) 茂木城『もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし』 そういう空気が一瞬にして漂ったのだろう。   和睦の成立・不成立に関係なく、和議は進行することとなった。「まず、和議を行う上での最も重し題目...
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第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31)

天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門> 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。『根回し』だ。 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐの...
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第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室 小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。 純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て討死...
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第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19)

天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場 天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。 もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で江戸...
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第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』(1840/10/5)

天保十一年九月十日(1840/10/5) ~前略~ 唐国に而しかしてエゲレス人に無理非道之事共有之候所のことともにありのそうろうところよりエゲレス国より唐国へ師を出し、エゲレス国は勿論、カアプデホプ(アフリカ州之内)及び印度エゲレス国之領地...
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第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4) そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。 結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されていた...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26)

天保十一年五月二十七日(1840/6/26) オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。   当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。 商館長が作成したもの...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21) 純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。   三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。 京都の独立旅団...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

天正三年四月二十一日(1574/5/11) 太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。 これは可、これは非という形の説明に終始したのだ。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)  この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。 そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入してい...
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第35話 『耐火レンガと佐賀藩・唐津百姓一揆』(1839/09/26)

天保十年八月十九日(1839/09/26) 波佐見 奥村|嘉十《かじゅう》は近隣の炭焼き職人の中でも、良質の炭をつくるという職人を集めて話をしていた。「今日集まってもらったのは、御家老様からの命により、木炭に代わる石炭の純なるものを造るため...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城 二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。 蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。 まずは大首長チパパタインの勢力圏...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第32回 『何がどう転んで御家老様に?』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 太田和村 約四ヶ月の江戸滞在期間中は、渡辺崋山や高野長英にも面会をして、江川英龍と同じような話をした。 しかし時既に遅しで、高野長英はすでに幕政を批判した『|戊戌《ぼじゅつ》夢物語』を出版して...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第592話 一挺のフリントロック銃が欧州を変える

1573年4月3日 ネーデルランド ダダン、ダダン、ダダンダダンダダン。ダダン、ダダン、ダダンダダンダダン。(スネアドラムの音) ga vooruit(前へすすめ!) 一列目の横隊の兵は銃を両手で持ち、銃口を前に向けて進み、二列目以降は左肩...
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第31話 『江川英龍の知己を得、鳥居耀蔵を排除しよう』

天正九年十一月十七日(1839/1/2)  ……と次郎左衛門は言ったものの、排除など簡単にできるはずがない。 鳥居耀蔵は今はまだその職にいない。 水野忠邦が重用した幕閣だからだ。そうなると、現実的にできることは、揚げ足を取られないような言動...
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第26話 『佐賀藩、大村藩に遣いを送り、探りを入れる』(1837/11/12)

天保八年十月十五日(1837/11/12) 佐賀城 次郎左衛門が藩主大村純顕あきにゲベール銃の複製を申請し、硝石と火薬の藩内での大規模な製造を進言している頃、肥前一の大藩である佐賀藩、佐賀城で会見が行われていた。 会見、といっても仰仰しいも...
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第23話 『モリソン号警告についての幕府の見解と、聞役としての動き』(1837/9/14)

天保八年八月十五日(1837/9/14) 玖島くしま城 <次郎左衛門>「次郎左衛門よ、もう傷の具合は良いのか」「はは、おかげ様をもちまして、完治いたしましてございます」 俺は右肩をグルグル回してみせる。殿はニコニコ笑っているが、鷲之わしの助...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第576話 オラニエ公、イスパニアの敗報を知る。

天正元年(1572)六月十六日 史実でいうところの元亀三年六月十六日、ユリウス暦1572年7月10日。(現在の西暦=グレゴリオ暦は1582年に変更されます) オランダ、ネーデルランドと呼ばれる地域で、いわゆるオランダ独立戦争の真っ最中であっ...
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第12話 『城内の石けん反対派と純顕の改革』(1837/4/3)

天保八年 二月二十八日(1837/4/3) |玖島《くしま》城「鷲わし之助、少し前より気になっていたのだが……」「なんでございましょう?」 玖島城内で、藩主を除いた会議が行われていた時の会話である。「お主、近ごろ、なにやら良い香りがするが、...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第573話 しばらくは内政に関わろう。技術開発の進捗状況。

天正元年(1572) 五月十五日 諫早城 ・反射炉 ・大砲 ・ライフル ・後装式 ・パーカッションロック……。 ・蒸気機関に蒸気船……。 純正は、ぱっと考えて出てくるものを羅列したが、そのほとんどが兵器に関わるものだった。 上杉との戦争も終...
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第10話 『いきなりの佐賀藩越え。試供品と大プレゼン』(1837/2/7)

天保八年 一月三日(1837/2/7) 太田和村 (次郎目線) 材料としては灰と油。 そして油の種類によっては固まらず、軟らかい(液体)ものしか出来ないという事で、海藻の灰もしくは消石灰を加えて固形化する。 海藻は海沿いといえど有限だ。 大...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第566話 中止できず。人道支援と織田の評定。

天正元年(1572) 四月十四日 越後沖 霧島丸「小佐々海軍、第四艦隊司令長官、佐々清左衛門にござる」「上杉家家老、直江大和守にござる」 テーブルに向かい合って相対する二人に、珈琲が運ばれてきた。戦場で敵方の使者が来たというのに、余裕の態度...