兵糧

東と西の転生者

第761話 『北方三国同盟と明の滅亡への序曲』

天正十九年五月十一日(1590/6/12) 紫禁城 「兵はいる。だが動かすことは難しいだろう」  内閣大学士の申時行は誰に告げるわけでもなく、静かに、淡々と述べた。 「100万の兵を抱え、各地の衛所にも精鋭がいる。しかし……」 「軍餉ぐんし...
東と西の転生者

第760話 『乱、その後』

天正十九年四月八日(1590/5/11) へトゥアラ 「申し上げます! 明国、寧夏鎮ねいかちんの副総兵、哱拝ぼはい殿の使者がお越しになっております」 「なに? 明の? ……よし、通すがよい」  建州女真の首都であるへトゥアラの政庁で政務をと...
東と西の転生者

第752話 『飢饉のその後とジャガイモ畑』

天正十八年五月二十六日(1589/7/8) 仙台城 「では、早速本題に入りま しょう」  と小佐々治三郎純久が切り出した。 「只今ただいまの奥州の事の様ことのさまについて、伊達殿から説いていただきましょう」  政宗は深刻な表情で答える。 「...
大日本国から世界へ

第745話 『オスマントルコ帝国とポルトガル』

天正十七年八月十六日(1588/10/6) アラビア海ソコトラ島沖 「各員、警戒を厳となせ」  純正は単艦で(補給艦含まず)航海をしていたが、カリカットの印阿第一艦隊よりケープタウンまで護衛の要望があったので、隷下の一個水雷戦隊(軽巡一、駆...
大日本国から世界へ

第742話 『籠手田安経と三度、イスパニアの影』

天正十七年二月二十七日(1588/3/28)  純正が向かう東南アジア総督府はカリマンタン島のクチンにあり、ブルネイ県・スラウェシ県・インドネシア県・ニューギニア県・オーストラリア県の広大な領域を統括する総督府である。  陸地面積だけでルソ...
天下百年の計?

第718話 『三個師団と三個艦隊。汽帆船の艦隊編成へ』

天正十三年六月二十九日(1584/8/5)   陸軍に関しては北方は小樽に、印阿国はケープタウンとカリカットに駐屯地を設営して地域の防備と運営にあたる事となったのだが、三個師団の増強はそこまで時間はかからなかった。  小樽、ペトロパブロフス...
天下百年の計?

第714話 『大日本国政府非加盟国の食糧事情』

天正十三年一月二十七日(1584/3/9) 岐阜城 「殿、筑前守様(羽柴秀吉)、お越しにございます」 「通せ」  岐阜城の謁見の間において秀吉を出迎えた信忠は、諫早で学んでいた頃の面影を残しつつも、為政者としての威厳が備わりつつあった。  ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)   徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。  景勝・景虎両陣営の和睦を...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第671話 『上洛要請のその後と景勝vs.景虎始まる』(1579/6/15)

天正八年五月二十一日(1579/6/15)  小田原城 「……! おのれ純正め! このわしに上洛せよだと? なにゆえわしが、成り上がり者の純正に頭を垂れに京まで出向かねばならぬのだ」  純正からの手紙を読んだ氏政は怒り心頭である。  上杉家...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第661話 『腕木通信と通信距離の延長、鉄道馬車から鉄道へ』(1578/12/15)

天正七年十一月十七日(1578/12/15) 諫早城  純正は内政の拡充の一環として技術革新を推進していたが、科学技術省主導の最新技術ではなく、今できる新しい技術はないかと考えていた。  長年純正の頭を悩ませていた通信距離の延長、通信時間の...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞 「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」  城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化され...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門>  この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。  幕政に参加したいとの権力欲か? いやい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第637話 『通商破壊か、要塞各個撃破か、サン・ペドロ要塞壊滅か』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) マニラ 小佐々軍駐屯地  「……さて、こたびの作戦目標であるが、皆も知ってのとおり、明とイスパニアの同盟が明確になった以上、機先を制してこのアジアからイスパニア勢力を駆逐する事にある」  海図を前に、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城 「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」 「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城 「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」  会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様  秘メ 明国 張居正 ト イスパニア ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第607話 連合艦隊司令長官 深沢勝行(1574/8/18)

天正三年八月二日(1574/8/18)小佐々城 新たに編成された第四、第五艦隊の陣容は以下のとおりである。 ■第4艦隊(呉) 連合艦隊司令長官 深沢勝行大将 第4艦隊司令長官 佐々清左衛門加雲中将 第41戦列戦隊(41bd) 74門戦列艦 ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所 「皆様、よろしいでしょうか?」  発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。  大同盟合議所では、加盟している大名...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』(1840/10/5)

天保十一年九月十日(1840/10/5)  ~前略~  唐国に而しかしてエゲレス人に無理非道之事共有之候所のことともにありのそうろうところよりエゲレス国より唐国へ師を出し、エゲレス国は勿論、カアプデホプ(アフリカ州之内)及び印度エゲレス国之...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21)  純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。    三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。  京都の独...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第601話 本願寺、割れる? 大激論の末に

天正三年二月十三日(1574/3/6) 近江 比叡山延暦寺  越前の朝倉義景を滅ぼす前、元亀二年十一月に、信長は勅書に基づいて畿内の反織田勢力に和睦の条件を通達していた。  信長も各勢力が素直に応じるとは思ってはいなかったが、朝倉攻めのため...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第588話 報復行動の可否と恩賞の基準

天正二年 一月十六日(1573/02/18) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所 「では敵から討ち入られた時は如何いかが致すのでしょうか」  徳川家の青山忠成が発言し、石川数正もそれを後押しする。  これは何も軍事行動だけとは限らない。  ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第585話 合議制による銭の力で日ノ本一統。(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城  「すなわち知行ではなく、銭にて報いると?」 「その通り」 「然されど、銭の配分なり、いずれの大名に如何いかに銭をまわすかなど、後々差し障りがございませぬか?」 「無用じゃ」  純正には...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第579話 純正の同盟国の事情。畠山義慶と佐渡の儀。

天正元年(1572)八月十五日 能登 七尾城   発 修理大夫 宛 権中納言  秘メ……○▽■ぐしゃぐしゃぽい……。    平九郎、元気ですか?   いや、最初は例の通信文で書こうとしたんだけど、あれ、いくら暗号っつったってダダ漏れでしょ?...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第566話 中止できず。人道支援と織田の評定。

天正元年(1572) 四月十四日 越後沖 霧島丸 「小佐々海軍、第四艦隊司令長官、佐々清左衛門にござる」 「上杉家家老、直江大和守にござる」  テーブルに向かい合って相対する二人に、珈琲が運ばれてきた。戦場で敵方の使者が来たというのに、余裕...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第564話 和睦の題目と謙信の最後の秘策

天正元年 四月九日 京都 大使館  発 道雪 宛 権中納言  秘メ 上杉ヨリ 和睦ノ 申出 アリ 然レドモ 戦況 優位ニテ 御裁可 ナラビニ 題目ヲ 知ラサレタシ 秘メ ○四○六 「御屋形様、これは……」 「ふむ、和睦の申出であるな。必ず勝...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第563話 狭まる謙信包囲網 継戦か、和睦か?

天正元年 四月九日 京都 大使館  ここ数日、京都の大使館にいる純正のもとには、驚くべき報告が多数届いていた。  ・一日に第四艦隊が敗北。  ・七尾城の政変と小佐々水軍と上杉水軍との偶発的海戦。  ・上杉方である城生城の陥落と第二師団三千の...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第562話 勝てるのに、和睦する理由があるのか?

天正元年 四月六日 午三つ刻(1200) 越中 道雪本陣 「申し上げます! 上杉家家老、須田相模守殿がお見えです」 「うむ、通すが良い」   小佐々軍総大将立花道雪、副将高橋紹運の他、島津・三好・一条・長宗我部・龍造寺の主立った将が居並ぶ中...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第561話 和睦交渉を左右する所口湊の海戦と七尾城の戦い

天正元年 四月六日 巳の一つ刻(0900) 「なんぞ(何だ)あれは? 如何いか様にも(どうみても)兵船ではないか! 然しかも、上杉の兵船、船手衆ではないか!」  来島通総と得居通幸が、七尾湾に停泊する三百艘の上杉水軍の軍船を発見したのだ。 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第560話 城生城の落城と鎌田政年の討死。両軍、和議となるか?

天正元年 四月五日 酉四つ刻(1830) 越中 戸波村~鷲塚村 島津軍  巳の四つ刻(1030)から始まった島津軍と上杉軍の戦闘は、巧みに離合集散を繰り返して互角のまま推移していたが、もう間もなく日没になろうかという頃、唐突に終わりを告げた...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第559話 立花道雪の包囲vs.上杉謙信の包囲

天正元年 四月五日 午三つ刻(1200) 能登 輪島沖 「兄上、然れど昨日の三国湊は妙でしたね。煙が上がってました。君子危うきに近寄らずで、通り越して塩屋湊に寄りましたが、なにかあったんでしょうか」 「助兵衛(来島通総)よ、いや殿。いい加減...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第558話 激突! 島津vs.上杉と七尾城の陥落

天正元年 四月五日 午三つ刻(1200) 越中 水戸田村 道雪本陣 「申し上げます! 敵勢六千! 島津勢に掛かりけり候(攻撃しました)!」 「何? 案に違えて(予想外に)早いの。敵将は誰じゃ?」 「は……それが、謙信自らかと思われます!」 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第557話 島津軍の混乱 毘沙門天・上杉謙信は何処?

天正元年 四月五日 辰四つ刻(0830)能登 鹿島郡  「なんと……誠であったか……」 「はは、所口湊には数多の兵船があり、城下は無論の事、湊も上杉の兵で溢れておりました」  畠山義慶よしなりは阿尾城を襲った敵に備えるため、道雪本隊から離れ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第553話 享年六十四歳

天正元年 四月四日 午一つ刻(1100) 能登 七尾城 「待たれよ。降るとして、殿(畠山義慶)は小佐々に与するとして越中へ向かったのだぞ。謙信も殿が小佐々に与しているなど、とうに知っておるであろう。如何様にして取り繕うのじゃ?」  温井景隆...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第551話 信長の計略と上杉包囲網なるか?

天正元年 四月四日 京都 大使館  発 在能番所(能登所口湊) 宛 権中納言  秘メ 立花殿 出立 畠山殿 合力 越中へ 向カフ 秘メ ○三三○  秘メ 第四艦隊 出港後 帰港セズ ナホ 天気晴朗ナリ 秘メ ○三三一  発 越前堀江館 宛 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第549話 謙信を囲む

天正元年 四月三日 卯の一つ刻(0500) 庄川東岸(大門新村) 上杉軍本陣 小雨 「申し上げます! 一里(3.927km)南に敵多数! 川を渡ってございます!」 「何い! ? 馬鹿な! 夜のうちに渡ったと申すか?」  昨日、日没後から降り...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第531話 風神・雷神。畠山義慶の苦悩と決断

天正元年(1572) 三月二十八日 京都 大使館  先日十三日の御申出、石山の御坊の御意趣(石山本願寺の意向)にも沿うものにて、お受け致したく存じ候。  以後は幾久しく誼よしみを通わし、盛んに商いを行いたく存じ候。  さて、権中納言様(純正...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第525話 越中をめぐる三つ巴、あるいは四?五?の戦い

天正元年(元亀三年・1572) 三月二十日   純正が発議した警察機構の発足については、同時にその教育機関についても言及された。  警保学校や消防学校、海上検非学校が設置され、将来的に幹部を育成するための大学校も検討されたのだ。  また、情...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第523話 『酒と醤油の値段が違う! とある第二師団所属兵の憂鬱』

天正元年 三月十八日 伊勢国桑名郡 住吉浦(桑名) 陸軍第二師団が到着したのは、美濃・尾張・伊勢の三国にまたがる木曽三川が合流し、伊勢湾に流れ込む地点にある、水運で栄える桑名である。 十五日に門司を出発して三日後であった。 ここで一泊し、明...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第519話 天下統一?の秘密兵器と通信改善

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十五日 京都 大使館  「おおお! よし! 良うし! GOOD! YES! Hooray!」  純正はひとつの通信書面をみて、両手の拳を握りしめて、驚きと喜びを表した。 「? 御屋形様、今、なんと?」 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第518話 軍神・上杉謙信との対決 島津義弘はじめ島津家はやはり戦闘民族だった?

天正元年 三月十四日 能登国鹿島郡 在能所口湊番所  原田孫七郎は能登在番として、七尾城への兵糧の搬入と、それを隠れ蓑にして鉄砲、武具、弾薬などの搬入も行っていた。  ちなみに滞在と活動資金に関しては、能登を通る小佐々商人から受け取っている...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第517話 遊佐続光の苦悩 親上杉派の危機と上杉謙信の脅威

天正元年(1572年) 三月十三日 能登国 所口湊 「一体何なのだ、この米の量は尋常ではないぞ」  遊佐続光つぐみつ(親上杉)は大量の兵糧が運び込まれているのを聞いて、慌てて所口湊へ向かい様子を見に来ていたのだ。  交易船もさることながら、...
緊迫の極東と、より東へ

第504話 加越同盟と越前の未来

天正元年(元亀三年・1572年) 二月六日 「敵大軍なれども われに地の利あり 心配に及ばず 一乗谷で 督戦 あれ」  一乗谷にあって全体を指揮していた義景のもとに、巳の一つ刻(09:00)に戦端が開かれたとの一報が入ったのは申一つ刻(12...
緊迫の極東と、より東へ

第503話 みせかけの和議と越後の龍を封ずる方法

天正元年(元亀三年・1572年) 二月三日   発 甲斐守(日高喜) 宛 権中納言(純正) 複 治部大丞(純久)   秘メ 越中 一向宗 利得ノ権 放チ(手放シ)難シニテ 和睦ハ 難シト 思ヘドモ 上杉トノ 戦 望マザル 模様ニテ 和睦ノ調...
緊迫の極東と、より東へ

第502話 信長、三度越前を攻める。

天正元年(元亀三年・1572年) 二月月二日   雪解けを待って織田軍が越前へ侵攻した。  織田家の直轄兵力が四万八千、浅井が一万二千、伊勢の兵が一万三千、合計七万三千である。  これでも十分各地に守備兵を残しているのだ。越前では敦賀郡司が...
緊迫の極東と、より東へ

第499話 越中と越後の情勢 上杉謙信に挑む

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十八日 越中 井波城 「然ればおいらか(率直)に申し上げまする。越後の事にて、申し上げたき儀がござりてまかり越しました」  日高甲斐守喜このむの言葉に瑞泉寺証心と勝興寺顕栄は顔を見合わせる。 「越後の儀...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第475話 義昭、流浪将軍となる

元亀二年 九月二日 京都 室町御所  信長が義昭に提示した条件は二つであった。  人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。  なにせ和睦という体の降伏なのである。 ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第474話 異見十七か条と義昭の決断

元亀二年 八月二十二日 鯰江城下  純久は信長の陣中に一泊し、手渡された草案を熟読し、考えた。  異見十七か条と名づけられたその条文は、いかに義昭が無能であるか、将軍としての品位に欠けるかと、散々にこき下ろしたものであった。  信長に義昭と...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第461話 野田城の戦い

元亀二年 六月二十八日  武田軍は徳川軍を三方ヶ原で破った後、野田城を包囲した。  家康は浜松城から動く事ができず、織田軍も山県・馬場・山家三方衆の連合軍に翻弄され、三方ヶ原の敗戦による兵の逃散を抑えるのがやっとであった。  野田城は河岸段...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第460話 海軍再建計画と山陰山陽大街道計画

元亀二年 五月二十四日 姫路城  純正は五月十二日には塩置城に入り、赤松義祐と三木道有の仕置をした。  すでに毛利・小早川・三村の連合軍は、播磨北部の国人を制圧して城下に集まっており、宇喜多・陸軍連合軍も沿岸の城を制圧して集結していた。 「...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第441話 天下分け目の策謀

元亀元年 十二月八日  信長は純正と会談した後、十二月に入って再び伊勢長島へ入った。  一向一揆が鎮圧されたのは、そのすぐ後である。  文字通りの殲滅戦であり、兵糧攻めのあと最後の長島城に一揆衆をあつめ、降伏後、根切りにしたのである。  戦...