兵糧

第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第440話 純正から延暦寺への手紙

元亀元年 十二月七日 諫早城  天台座主にして金蓮院准后様(比叡山延暦寺大僧正)  拝啓 寒さを感じる霜月の候、准三后様におかれましては、ご自愛いただきたく存じたてまつり候。  初めての文ならびに突如としての送文と相成りますが、何卒お許し願...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第439話 第2.5次信長包囲網への序曲 山は動くか

元亀元年 十一月  純正が西日本大会議を開いているそのころ……。  ■石山本願寺 「和議に応じぬとはどういうことだ! 信長は本当に長島を滅ぼす気か? あやつは仏罰が怖くないのか?」 「上人様、やはり公方はあてになりませぬ。信長になめられて、...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第436話 純正、孫子の兵法を説く

元亀元年 十一月二十三日 伊予 湯築城  「寒いっ! 無理! 絶対無理! なんだよこれ! 氷点下じゃねえか!」  秀政が聞いたら驚くような言葉だが、温度計自体はずいぶん前に純正のアイデアで作っている。水に食紅で色をつけた温度計だ。  しかし...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第429話 西国騒乱!?史上最悪の兄弟喧嘩。完膚なきまでに叩きのめされる。

元亀元年 十一月十五日 吉田郡山城 「本気で呑むというのか、隆景」  諫早城で純正との会談を終えて戻ってきた隆景は、輝元と元春、ならびに恵瓊ほか数人の重臣にその内容を告げた。  小佐々と四分六(毛利が四:感覚的な表現)の同盟を結ぶことを提案...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第428話 京都大使館にて信長と純正と純久と、そして佐吉

元亀元年 十一月十五日 京都大使館 「そうか、そこまできたか。まったく、あの公方ときたら、こちらが何も言わぬのを良い事に」  と信長。 「どうされるのですか」  短く返事をする純正。 「こうなれば、事と次第によっては所司代を辞任されたほうが...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第425話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男③

元亀元年 十月十四日  小会議室に案内された隆景は、様々な調度品に驚く。  壁には見たこともない絵が掛けられ、テーブルの上には何やら球体の置物がある。そして上座の席の奥には大きな振り子時計があった。 「さ、どうぞお座りくだされ。普通の茶と紅...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第424話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男②

元亀元年 十月十四日  発 石宗山陽 宛 総司令部  秘メ 宇喜多ノ 使者 戸川秀安 輝元ニ 会ヱリ 詳細ハ 不明ナレド 浦上ノ 名代ニ アラズ マタ 両川ハ 不在ナリ 一○○七 秘メ 経由 門司信号所 一○一一 午三つ刻(1200) 「う...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第423話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男

元亀元年 十月十四日  隆景は翌日の八日の朝から安芸倉橋島へ向かい、そこからさらに船に乗った。  忽那の島々をへて伊予鹿島城下へ着いたのは九日の夕刻である。  一泊して湯殿城下を経て、喜多郡の佐多岬半島の佐田浦、三崎浦までは街道がすでに整っ...
新たなる戦乱の幕開け

第418話 謀将宇喜多直家の処世術~生き残りのための3つの方策~

元亀元年 十月三日 岡山城 「なに? 宗景が小佐々の使者と会っておっただと? いつじゃ?」  宇喜多直家は、決裁書類を読んでいた手を止めて聞く。 「は、一昨日、小豆島の小海城山城(おみじょうやまじょう)にて、会談が開かれたもようです」  重...
新たなる戦乱の幕開け

第415話 小海城山城会談~毛利につくか小佐々につくか~

元亀元年 九月二十五日  発 純久 宛 総司令部  秘メ 織田軍 一揆勢ヲ 五ツノ城二 追ヒ詰メリ 砲撃後 敵降伏ヲ 申シ出ルモ許サジ   兵糧攻メノ模様 殲滅モ近シ 浅井軍 丹後ニテ 加佐郡竹野郡ノ国人 刻ヲ同ジクシテ蜂起  一色勢ヲ追イ...
新たなる戦乱の幕開け

第413話 元亀元年の浦上宗景への詰問状

元亀元年 九月十五日 諫早城 「殿、大使館より定時通信にございます」  京都大使館に配属されている情報省の職員(忍び)から定時報告があった。  京都~堺湊、阿波湊~土佐宿毛湊、豊後佐伯湊~肥前諫早城間はすでに街道が整備されており、駅馬車も走...
新たなる戦乱の幕開け

第411話 専守防衛?第二次尼子再興運動と対毛利、そして信長を考える②

元亀元年 九月一日 諫早城   「殿」 「なんだ?」  土居清良が発言した。 「表向きが無理なら、裏からで良いのではないでしょうか」 「どういう事だ?」 「昨年の尼子蜂起軍には、山名の助力がありました。ゆえにこたびも尼子を直接助けるのではな...
新たなる戦乱の幕開け

第409話 歴史の改変は歴史を縮め、信長包囲網を変えた

元亀元年 八月末  史実における信長包囲網は3回に分けて展開されるが、そのうちの第一次が終了した。しかも小佐々純正の存在が、その参加勢力との戦いの推移に大きく影響を及ぼしたのだ。  まず第一に、純正の助言を受けた浅井長政が勢力を拡張し、信長...
新たなる戦乱の幕開け

第404話 正四位下近衛中将源朝臣小佐々平九郎純正となる、のか?

元亀元年 六月十日 諫早城 小佐々純正  いや、近衛中将って、俺は検非違使もやってるんだよ?  え? 兼任? いいよ、別に。肥前から動かないから。どうせまた叔父上から嫌み言われるんでしょ? いやだよ。  そもそも近衛大将とか中将って誰かやっ...
新たなる戦乱の幕開け

第398話 阿波三好家の凋落と義昭との軋轢?そして医学の進歩!

元亀元年(1570) 五月  池田城の城主追放に始まり、阿波三好と三人衆の摂津再上陸で勢いに乗ったかに見えた信長包囲網は、純正の予想通り、二月も経たずに瓦解した。 「純久! 純久はおらぬか!」  室町御所で声をあげて小佐々純久を呼んでいるの...
新たなる戦乱の幕開け

第390話 毛利と織田。鍋島直茂の小佐々百年戦略

永禄十二年 十二月二十八日 諫早城 戦略会議室 「みな、聞いてくれ」  純正は直茂、弥三郎、庄兵衛を呼び、清良を紹介する。 「伊予の西園寺配下だった土居式部少輔だ。今日から同じ釜の飯を食う仲間となった。よろしくな」。  清良が一礼し、皆が拍...
新たなる戦乱の幕開け

第389話 西園寺公広と土居清良

永禄十二年 十二月二十八日 諫早城  十二月十日に宇都宮豊綱の造反並びに職務怠慢が公になり追放された。  その後引き続き長谷口から南の黒瀬城へ向かう街道は封鎖され、南の板島城から北へむかう吉田口、東の三滝城からの土居口も同様に完全に塞がれた...
新たなる戦乱の幕開け

第386話 毛利との密約と宇都宮豊綱

永禄十二年 十二月十日 伊予 喜多郡 大須城 「やあやあ、これはこれは、左衛門督様。このようなところまで、総大将がどうされたのですか」  宇都宮豊綱は伊予の喜多郡を領しており、小佐々配下となったあとは、仕置きにより東部のみを領すことになって...
新たなる戦乱の幕開け

第384話 来島通総兄弟と瀬戸内の緊張

永禄十二年 十二月 五日 来島城 「兄上、もう半年になりますね」 「そうだな、もう半年になる」  伊予来島の村上(来島)通総は九歳である。  二年前に父である村上通康が死に、元服して家督をついだ。兄がいたのだが、母親が主君筋の河野弾正少弼通...
西国の動乱、まだ止まぬ

第378話 長宗我部元親の決断と明智光秀の苦悩、織田信長の構想

永禄十二年 十一月十七日 岡豊城 「どうであった、親貞、親泰」  岡豊城の評定の間で、長宗我部元親は人払いをして三人だけで話す。近習もいない。 「どうもこうもありませぬ。まったく話になりませぬ」。  そう話すのは元親の弟で次兄である吉良親貞...
西国の動乱、まだ止まぬ

第377話 惟忠vs.親泰と親貞、そして光秀vs.純久

永禄十二年 十一月十六日 浦戸城 「これは一体どういう事か?」  謁見の間、というほど大層なつくりではないが、応接の間で声を張り上げているのは吉良親貞と香宗我部親泰である。  浦戸城から安芸城、つまり一揆軍の拠点に兵糧が運び込まれている報せ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第376話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石②

永禄十二年 十一月十六日 諫早城 「そして日の本に戻るが、伊予は、いましばらくかかりそうじゃ。西園寺が、ふふふ、まあ、なんというか、塹壕とはな」 「ざん、ごう……? にございますか?」  龍造寺純家が質問する。純家は一門だから参加しているの...
西国の動乱、まだ止まぬ

第375話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石

永禄十二年 十一月十六日 諫早城  純正は各方面から届けられる書状や通信文書を読みながら、定例会議を開いて今後の対策を考えていた。  空閑三河守、藤原千方(親)、鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛の五人が傍らにいる。そして閣僚の面々。 「...
西国の動乱、まだ止まぬ

第374話 土佐安芸郡一揆⑥黒幕は小佐々弾正大弼純正なのか?

永禄十二年 十一月十五日 阿波 ※勝瑞城 「なに? まだ一揆が収らぬと?」 「はい、安芸城を占拠した一揆勢は安芸郡全体に広がり、安芸国虎の嫡男十太夫が蜂起して、一揆を扇動いたしております」  ※三好長逸と※三好宗渭は正月に御所を襲い義昭を殺...
西国の動乱、まだ止まぬ

第373話 土佐安芸郡一揆⑤陰のフィクサー?小佐々治部少丞純久

永禄十二年 十一月十五日 京都 室町御所 「公方様、小佐々弾正大弼純正が家臣、小佐々治部少丞純久にございます」  純久は京都にあって大使として各国(各勢力)の重要人物と会うことが多いが、義昭は少し面倒くさいので、必要最小限にしていたのだ。 ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第372話 土佐安芸郡一揆④小佐々家の介入は人道支援?

永禄十二年 十一月十五日 土佐 岡豊城  急な報せを受けた香宗我部親泰は、急ぎ京より土佐へ戻り岡豊城で長宗我部元親と会議を行っていた。 「殿、状況はいかがにござるか」 「うむ、攻めかかっておるが、なかなかに手強い。勢いは強まるばかりじゃ。使...
西国の動乱、まだ止まぬ

第367話 土佐安芸郡一揆③独立、なるか?

永禄十二年 十一月十日 土佐 安芸郡 安芸城 「殿、これからどうなさいますか」  家老であった黒岩越前守の息子、黒岩掃部(30)である。 「若と言われ続けてきて、いきなり殿は慣れぬな」 「は、しかし安芸家の復興のためには慣れていただかなくて...
西国の動乱、まだ止まぬ

第364話 土佐安芸郡一揆、安芸千寿丸改め弘恒蜂起する。

平凡なサラリーマン沢森武は気絶し、戦国時代の超弱小地方領主の跡取りとして転生する。平和を望みつつも周囲がそれを許さない。歴史知識と現代経験を活かし、技術革新や産業の革命を起こしながら周囲の脅威に立ち向かう、戦国歴史改変小説。
西国の動乱、まだ止まぬ

第353話 予土戦役、黒瀬城攻防戦①恐るべき元黒瀬七城と新しき防衛戦法

永禄十二年 十月二十三日 伊予南西部 宇和郡   伊予の国人の調略は順調に進んでいたものの、西園寺の攻略が遅々として進んでいなかった。  宗麟の本隊は宿毛城から伊予に入った。  別働隊は鷲が森城より伊予に入っていたのだが、敵の防御が妙だった...
肥薩戦争と四国戦役

第346話 九州平定セン、然レドモ先ハ尚長シ……。

十月十九日 巳二つ刻(0930) 日向国紫波洲崎村(宮崎市折生迫)   三人が全員そろうまで、四日かかった。伊東祐青は自領内での開催もあって、通達が届くのは一番遅かったが、十六日に紫波洲崎城へ挨拶にきていた。  純正は城内に案内され城で過ご...
肥薩戦争と四国戦役

第345話 戦国九州のポツダム宣言とヤルタ会談??

永禄十二年(1569) 十月十九日 巳一つ刻(0900) 日向国紫波州崎村(宮崎市折生迫)   洋室、洋間がある城は、おそらく諫早城だけであろう。もしかすると岐阜城にもあったかもしれないが、知る由もない。種子島城にはもちろん洋室はないが、諫...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第185話 三好義継と松永久秀

同年 五月 信貴山城 松永弾正久秀 「申し上げます。小佐々肥前守と申す者から書状が届いております」  なに? 小佐々? 聞いた事はある。遠く九州の地で勢いがあり、肥前・筑前・筑後、そして北肥後も支配下にいれたという。  朝廷や幕府に献金をし...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第94話 西郷 純堯 深堀純賢 動く

永禄七年 十一月 高城 西郷純堯 (今しかない。仏敵大村純忠を討つのは、今しかない)  高城城主の西郷純堯は思った。妻は有馬義貞の姉で、妹は大村純忠の妻である。親類縁者でも容赦なく敵になる、それが戦国時代だ。  キリシタンの教えにかまけ、自...
5強まであと7,000石(現在36,824石)

第85話 省庁再編と永禄七年度予算会議 

随分遅くなったが、それぞれの役割分担と業務効率を上げる為に、省庁再編を行った。  あわせて永禄七年度の予算会議を実施。  領地も増えたし、再度の見直しが必要だったからね。予算会議は毎年行い、追加・補正予算は都度実施する。  当主   小佐々...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第72話 674石から11,536石へ 針尾三郎左衛門 

月が変わって、  同年 五月 沢森城 沢森政忠  叔父上たちの首は、丁寧に、本当に細心の注意を払って、小佐々城に送った。  本来は俺も一緒に行きたかった。俺は一生分の涙を流した気がした。一生分の叫びをし、慟哭した。  佐世保湾海戦では風が味...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第65話 死闘!葛ノ峠の戦い②

「ええいまだか! まだ宮村城は落ちぬのか?!」  大村純忠は焦っている。  謀反と聞いて急いで討伐にやってきたが、正月の戦も癒えていない。兵糧の準備も完全ではないし、続く戦に兵の士気もあまり高くはない。 「申し訳ありませぬ。小峰城、蓮輪はす...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第42話 永禄四年末評定 十年戦略策定と短期目標

永禄四年十二月 沢森城 沢森政忠  年末を迎えるにあたって、家臣を一堂に集めて評定を行った。今後は定期的に行おう。  当主 沢森政忠  親族衆  筆頭 沢森政種(父)  親族衆 外交方 沢森政直(次男・政忠の叔父)  親族衆 殖産・技術方 ...
歴史改変仕方ない。やること多すぎです。

第21話 推参!深沢勝行。蛎浦の海戦③

未一つ刻(1300) 沢森政忠 「妙だな」  寺島水道をまっすぐに南下して、大島と蛎浦かきのうら島の間にある中戸瀬戸に向けて進路を西にとってしばらくした頃、親父がポツリとつぶやく。 「いかがされましたか?」 「島を見てみろ。蛎浦湊みなとの煙...
年表・統治機構

1566年~1570年(忘備録)

1566年(永禄九年) 1月 小佐々領 人口十二万人 石高 十八万三千七百五十二石 波多家 十四箇条の定めにより保護国化 2月 沢森家 第三子 吉法師誕生 第四子 愛姫誕生 3月 海軍伝習所 第一期生卒業 計百二十八名(松浦郡十六名・彼杵郡...
年表・統治機構

小佐々家統治機構・軍編成概要(忘備録)

以下、特に大学・軍編成は随時更新 ()内の年齢は1561年時点 当主   小佐々弾正大弼純正(沢森政忠)従四位上  正四位下近衛中将(元亀元年六月昇進)  従三位権中納言近衛大将(元亀三年/天正元年一月昇進)  検非違使別当 顧問  沢森政...