一門

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第184話 『大村藩か、幕府か。オランダか、米英仏か』

嘉永七年十月十一日(1854/11/30) 長崎 オランダ商館 「商館長、今後はどうするのですか?」  スンビン号で日本にやってきたファビウス中佐は、クルティウス商館長に尋ねた。 「どう、とは? 通商に関して言えば、大村藩は大得意様であるし...
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第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日)   現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。  零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)…...
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第169話 『次郎を呼べよ』

嘉永六年九月二十四日(1853年10月26日)  「それで讃岐様、琉球はいかなる仕儀に御座いましょうや」 「うむ、なんとか大村家中の御助力のお陰で面目を保つ事ができた。然れど以後如何いかが致すかは、よくよく考えねばならぬ」  讃岐とは島津家...
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第149話 『浦賀と朝廷』(1852/4/20)

嘉永五年三月二日(1852/4/20) 浦賀湊みなと  シュッシュッシュッシュッ、ガシャンガシャンガシャンガシャン……。  幕府の命を受けて次郎たちは浦賀湊で停泊し、使者を待っている。湾内には幕府が建造した晨風しんぷう丸をはじめとした小型の...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第695話 『花の大諫早』(1582/2/26)

天正十一年二月四日(1582/2/26) 豊後府内  翌日、一行は駅馬車に乗り、陸路で諫早に向かう事となった。 「真まことや(そう言えば)、お主が岐阜に来ることはあっても、わしが赴く事はなかったの。これが初めてではないか?」 「然様さように...
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第128話 『江戸参府の儀と製茶』(1850/11/2)

遡って嘉永三年三月一日(1850/4/12) 大村政庁 「さて、此度こたび皆を呼んだのは、来る九月の江戸参府の儀にて、大いに諮らねばならぬ題目があっての事じゃ。次郎左衛門、よいか」  いつも柔和な純顕あきには珍しく、少し険しい顔をしている。...
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第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城 「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」  次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。  この頃に...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第611話 小田原評定ならぬ小田原決定(1574/9/29) 

天正三年九月十五日(1574/9/29) 小田原城 小田原城は、戦国時代最大級の全長9kmにおよぶ総構えが有名だが、この時にはまだ完成していない。 秀吉が行った天正十八年(1590)の小田原侵攻に備えるために構築されたのだ。 上杉謙信の小田...
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第48話 『耐火レンガの確保と高炉ならびに反射炉の試作炉製造へ』

天保十三年一月十五日(1842/2/24) |玖島《くしま》城 「おお次郎か。こたびはいかがした?」  第11代大村藩主、大村純顕は相変わらずにこやかな顔で挨拶をする。 「は。こたびは鉄を産する高炉と、その鉄をより強きものにする反射炉の建造...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所 「皆様、よろしいでしょうか?」  発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。  大同盟合議所では、加盟している大名...
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第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19)

天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場  天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。  もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21)  純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。    三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。  京都の独...
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第27話 『高島秋帆の一番弟子、平山醇左衛門との出会い』(1838/1/10)

天保八年十二月十五日(1838/1/10)玖島くしま城 「佐賀武雄鍋島家が郎党、平山醇左衛門じょうざえもんと申します。このたびは謁見の栄誉を賜り恐悦至極に存じます」  長身である。  とは言ってもこの時代で考えればというくらいで、165cm...
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第22話 『石けん販売の今後と領内でしばしの休養』(1837/8/2)

天保八年七月二日(1837/8/2) 太田和村 <次郎左衛門>  腕は、ほぼ完治した。  包帯も外して風呂にもそのまま入れる。触ると少し痛いが、腕をグルグル回しても違和感はない。  一之進からは煎じ薬だけは絶対に忘れるなと口をすっぱくして言...
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第20話 『偽物と刺客』(1837/7/5)

天保八年 六月三日(1837/7/5)  肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。  その中でも西側に位置する大村藩は彼杵そのき地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵にしそのぎ半島(西...
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第19話 『大村藩保守派の妬み』

天保八年 五月十五日(1837/6/17) |玖島《くしま》城 次郎左衛門武秋 「これは御家老様」  筆頭家老の大村五郎兵衛昌直は、家禄千四十石九斗二升取りだ。  その後に同じく、両家とよばれる一門の大村彦次郎友彰(八百四十六石九斗六升)が...
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第12話 『城内の石けん反対派と純顕の改革』(1837/4/3)

天保八年 二月二十八日(1837/4/3) |玖島《くしま》城 「鷲わし之助、少し前より気になっていたのだが……」 「なんでございましょう?」  玖島城内で、藩主を除いた会議が行われていた時の会話である。 「お主、近ごろ、なにやら良い香りが...
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第11話 『まずは太田和村だけでの先行製造と、リスク分散で他の産業も考える』(1837/3/16)

天保八年 二月十日(1837/3/16) 太田和村 次郎  灰の原価計算をするのを忘れていたけど、木炭から灰汁を作るとしても@0.7文だったので一文と計算した。  灰の原価、油の原価、そして製造の人件費を入れて@30文だ。  問題は海藻と貝...
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第9話 『+五万石達成!なのか?まずは藩主様から始めよう』(1837/1/21)

天保七年 十二月十五日(1837/1/21) 太田和村 (次郎目線)  製造実験は3人に任せて販売計画を練って、十日が過ぎた。  今月は登城はない。来月の正月の挨拶とあわせて登城し、翌二月から十五日の登城になる。  灰汁の原価計算をして、多...
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第5話 『そもそも弱小五万石の大村藩が、隣の佐賀藩三十五万石に勝てるのか?』(1837/1/9) 

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け六つ半(0710) 玖島城下 旅籠  酒は飲んだが、なぜか早起きできる日があるのは前世とかわらない。  酒の相性が良かったのかつまみが良かったのか、頭痛はない。不思議だ。ともあれ空が明るくなる前...
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第4話 『転生早々いきなりの無茶振りと、大村藩影のフィクサー誕生』(1837/1/8) 

天保七年 十二月二日(1837/1/8) 明け八つ(1336) 玖島城 「さて次郎よ、人払いしたのは他でもない。そなたに頼みがあっての事なのじゃ」  俺はもの凄く嫌な予感がしたが、まずは聞いてみる事にした。 「ははっ。それがしに能う事なれば...
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第3話 『胡蝶の夢と従五位下大村丹後守純顕』(1837/1/8) 

天保七年 十二月二日(1837/1/8) 暮れ七つ(0405) 肥前大村藩 玖島城下 「ぎゃああ! ぐああ! ぐはあ! はあ、はあ……」  玖島城下の旅籠で、信之介と一部屋ずつ借りて泊まった俺は、隣室から聞こえてきた断末魔のような叫び声で、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第2話 『玖島城へ向かう途上にて、心強い味方に出会う』(1837/1/7) 

天保七年 十二月一日(1837/1/7) 明け六つ(0615) 肥前大村藩 彼杵そのぎ郡 太田和氏館  こーこーコケコッコー。  鶏の鳴き声とあまりの寒さに起こされ、何度も二度寝をしようと試みたが、日の出とともに、完全に目が覚めた。  周囲...
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人物紹介

※()内の年齢は1837/1/6時点の年齢(数え)です。 ※随時更新します。 ※印の人物は実在の人物ですが、作中では史実とは違う行動思想かもしれません。  太田和次郎左衛門武秋(15)1822生まれ。 本作品の主人公。前世名は清水亨(50)...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第548話 織田と一揆と、隠尾城と千代ヶ様城

天正元年 四月二日 未二つ刻(1330) 庄川西岸(二塚村) 道雪本陣 曇りときどき雨 「申し上げます! 一条隊が布陣を終え、龍造寺隊は千代ヶ様ためし城に掛かりけり(攻撃した)候!」  道雪の本陣とわかれ南へ向かった二隊も、一条隊は布陣し、...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第546話 道雪と謙信。四月の庄川決戦~中盤戦へ

天正元年 四月二日 午二つ刻(1130) 庄川西岸(二塚村) 道雪本陣  戦闘開始から一刻(2時間)が経過し、放生津ほうじょうつ城からの伏兵と、それを防ぐために渡河した肝付・島津軍は乱戦となっていた。  伊東軍の先陣を包囲殲滅せんめつしよう...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第524話 武田の鉱山と葡萄と天蚕 ~甲州ワイン誕生なるか?~

天正元年 三月十九日 甲斐国 躑躅ヶ崎館  二日前の三月十七日に、利三郎が勝頼と信玄に謁見して許可を得た小佐々軍の領内通過と、信越国境ならびに飛越国境の駐屯が行われる事となった。  荷留においては、それに加えて上野の武田領(真田領含む)にお...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第522話 第三師団長の憂いと伊集院忠棟、安国寺恵瓊ほか続々

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十八日 阿波 橘浦   十三日に白地城下の駐屯地を出発した小佐々陸軍第三師団が、橘浦に到着したのは十八日の夕刻であった。  小田増光陸軍少将は兵に休息をとらせ、乗艦の段取りをすませて宿舎にいた。  ふと...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第520話 対上杉謙信 純正の調略と荷留・津留の経済封鎖

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十六日 京都 大使館   純正は謙信が話し合いに応じ、戦う事なく拮抗状態が維持できればと考えていたが、やはりそれは出来なかった。  第二師団には尾張より木曽川を上って飛騨に入り、越中との国境である塩屋城...
緊迫の極東と、より東へ

第502話 信長、三度越前を攻める。

天正元年(元亀三年・1572年) 二月月二日   雪解けを待って織田軍が越前へ侵攻した。  織田家の直轄兵力が四万八千、浅井が一万二千、伊勢の兵が一万三千、合計七万三千である。  これでも十分各地に守備兵を残しているのだ。越前では敦賀郡司が...
緊迫の極東と、より東へ

第497話 和睦交渉のゆくえと幸若丸の元服

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十一日  「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」  家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。  織田・徳川と武田の和睦...
緊迫の極東と、より東へ

第496話 孤立無援に四面楚歌 徳川家康vs.曽根虎盛

元亀三年改め天正元年(1572年) 正月九日 岐阜城  信長としては反織田の包囲網が崩れたとは言え油断できない状況であり、雪解けを待って朝倉攻めをする為には、武田との和睦は喫緊の課題であった。  そのため純久の仲介で光秀を調整役として、虎盛...
緊迫の極東と、より東へ

第495話 元亀から天正へ 純正と信長、連盟での奏上と勅書

元亀三年改め天正元年(1572年) 正月  かねてからの懸案事項であった元号であるが、純正と信長の連名により昨年奏上され、天正と改められた。  本来、天正への改元は元亀四年、つまり来年に行われるはず(史実)であったが、前倒しである。  歴史...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第482話 甲斐武田家、ハードランディング?

元亀二年 十月五日 京都 大使館  先日の純久の申し出どおりに関白二条晴良邸に伺うことになり、三人は午前中から手土産を選んでいた。 「関白様は甘味がお好きなので、いくつか中ノ屋の茶菓子店より持ってこさせました。一人一つずつ、進呈なさればよろ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第476話 甲斐武田家第十七代当主、諏訪四郎勝頼改め武田勝頼

元亀二年 九月十日 躑躅ヶ崎館 (さて、どうするか……)  勝頼は、夜も更けた躑躅ヶ崎館の居室にて、二人の家臣を前に考えている。  信玄の死後家督をついだものの、あくまで名代。  対外的には信玄は隠居して勝頼が家督を相続、そして息子の信勝が...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第467話 『明の隆慶帝と琉球国王尚元王、変動する国際情勢』

元亀二年 七月十七日 諫早城 「次は司法省ですが、なにかござるか?」  直茂が司法大臣の佐志方杢兵衛に尋ねる。 「は、それでは失礼して。実は小佐々諸法度に関わる事にて、少々問題が出ております」 「ほう、なんだそれは?」  法の整備や施行など...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第437話 新しい西国秩序

元亀元年 十一月二十三日 伊予 湯築城  戦をなくす為に話し合いの場を設けたのに、これでは話がまとまらない。  元春の気持ちも理解できるが、大言壮語すぎたのだ。このまま、無条件では元春も引っ込みがつかないであろう。 「では能義郡、四万五千六...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第435話 尼子家の苦悩と復興

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800)  ■別所家中 「叔父上、やはり中将様はひとかどの人物ですね。くぐってきた修羅場もそうであるし、話も飽きぬ。なにより、戦を好まぬ姿は好きです」  別所長治は叔父で一門、家老の別所重...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第434話 中将殿と西国の群雄

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800)  50人ほど入る規模の会場には、大名家・国人家ごとに席が設けられていた。  上座には横長に3つの机が並べられている。真ん中のひときわ大きい机には純正が座り、宗麟、通宣、存保が右手...
新たなる戦乱の幕開け

第402話 若江三好家と摂津三好家と阿波三好家

元亀元年 五月二十二日 摂津 ※野田城 「なんですと? 気でもふれたのですか大叔父上?」  そう声をあげるのは阿波三好家当主であり、日本の副王と呼ばれた三好長慶の弟、三好実休の息子である※三好(彦次郎)長治である。 「気などふれておらぬ※彦...
西国の動乱、まだ止まぬ

第383話 鎮西平定ナレドモ四国ハ西園寺ガ残リケリ

永禄十二年 十二月二日 丑一つ刻(0100)諫早城  隣国に攻められたり飢饉の発生や疫病など、一刻をあらそう場合は、深夜であれ純正の元には緊急通信が入ってくる。迅速な対応が求められるからだ。  発 石宗衆 宛 総司 秘メ ※島津義虎謀反 東...
西国の動乱、まだ止まぬ

第376話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石②

永禄十二年 十一月十六日 諫早城 「そして日の本に戻るが、伊予は、いましばらくかかりそうじゃ。西園寺が、ふふふ、まあ、なんというか、塹壕とはな」 「ざん、ごう……? にございますか?」  龍造寺純家が質問する。純家は一門だから参加しているの...
西国の動乱、まだ止まぬ

第364話 土佐安芸郡一揆、安芸千寿丸改め弘恒蜂起する。

平凡なサラリーマン沢森武は気絶し、戦国時代の超弱小地方領主の跡取りとして転生する。平和を望みつつも周囲がそれを許さない。歴史知識と現代経験を活かし、技術革新や産業の革命を起こしながら周囲の脅威に立ち向かう、戦国歴史改変小説。
西国の動乱、まだ止まぬ

第359話 内城での会議 義虎と国人四人 反乱すべきかせざるべきか

永禄十二年 十月二十五日 薩摩(鹿児島) 内城 巳一つ刻(0900)  上座には宗家当主の島津義久が座り、向かって右手に次兄の義弘、三男の歳久が座っている。左側は家久である。薩州島津家は一門衆であるので上座に近い方に島津義虎が座っている。 ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第355話 徳川六角浅井朝倉。手紙が起こすバタフライ・エフェクト

永禄十二年 十月二十三日 三河 岡崎城 「忠次よ、小佐々との件どうなっておる」 「は、弾正忠(織田)様のお許しも得たゆえ、正式に小佐々家との通商を開始する運びとなりました。ただいま商人を通じた取引の協議が行われております」  うむ、と家康は...
対島津戦略と台湾領有へ

第289話 従四位上検非違使別当叙任と将軍義昭と信長②

永禄十二年 四月 京都 信長の滞陣先 妙覚寺 「久しいな弾正大弼殿、いや、様の方がいいかな。息災であったか。ああそうだ、どうだ、五人は? 三月のはじめには着いておるだろう?」  相変わらずだなこの人は、と思いつつ純正は答えた。 「ありがとう...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第168話 宗麟の逆鱗。筑後戦役か?

永禄十一年 正月 臼杵城 大友宗麟  例年のごとく年賀の饗宴を催していたのだが、異変に気づいた。  毎年正月には九州各地から大名たちがわが城を訪れ、年賀のあいさつをしてきた。  従属している大名はもちろん、日向や肥後からもやってきていたのだ...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第80話 沢森政忠、五代目弾正大弼純正に、相成る。

親父と一緒に小佐々城にいった。馬で一刻(2時間)もかからない。  小佐々城は城の辻と呼ばれる小高い山の上に築かれている。  城の本丸からはゲキト岳を源流として梨の木から北の七ツ釜港に流れこむ多比良川と、それに沿って瀬戸村までつながる道を望む...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第52話 脅威の、驚異の、二万四千貫文。

堺から鉄砲鍛冶職人と、薩摩から造船職人を招致して、軍船、鉄砲、大砲の国産化を試みている。鉄砲は有馬より早く、そして有馬の追随を許さない様な品質と、生産量を築きあげよう。  その視察も含めて、今日は忠右衛門管轄下の技術街に来ている。面高郷全域...