松島

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城  幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。  以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26)

弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門>  今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。  8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門>  2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。  もうどこにも耀蔵...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 

天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城 寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。 小佐々甚吾純吉である。 本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室  小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。  純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第6話 『まずは五万石を、十万石にしよう。それも手っ取り早く』(1837/1/9)

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け五つ(0805) 玖島城下~雪浦村   信之介と俺は朝餉あさげを食べたあと、船着き場へ向かった。  そこから船に乗り対岸の時津村まで行くのだ。時津村についたら北上し、長浦村から山越えし、外海(西...
緊迫の極東と、より東へ

第497話 和睦交渉のゆくえと幸若丸の元服

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十一日  「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」  家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。  織田・徳川と武田の和睦...
西国の動乱、まだ止まぬ

第368話 仕組まれた反乱、南九州にて

永禄十二年十一月二十日 諫早城 会議室  小佐々純正は政務の合間を縫って、子どもたちと遊んでいた。  子供だと思っていた弟の千寿丸は元服し、結婚して海軍兵学校へ入学している。甥っ子の幸若丸でさえ十一である。そろそろ元服を考えなくてはいけない...
歴史改変仕方ない。やること多すぎです。

第18話 蛎浦に敵あり! 五島の権益を守れ

四月九日 午四つ時(1230) 小佐々城 小佐々弾正純勝 「申しあげます!」 「何事だ!」  伝令の全身から絞り出すような大声に、息子の純俊といっしょに将棋をしていたわしは我に返る。 「蛎浦かきのうら、敵襲にございます! お館様より小佐々様...
年表・統治機構

1571年~1575年(忘備録)

元亀二年(1571年) 1月 籠手田艦隊 バンテン国王謁見 2月 信長越前攻め 3月 信玄西上作戦実行 海軍兵学校・陸軍士官学校第六期生卒業 純アルメイダ大学第四期生卒業 4月 山陰山陽にて反乱 マニラにてスペイン艦隊ならびに上陸軍との戦い...