商人

技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第686話 『おーやじ、なんばしょっとね?』(1581/2/7)

天正十年一月四日(1581/2/7) 肥前飯盛城 <純正> 昨年末、松浦の爺様が亡くなった。享年八十八。 史実より3年長く生きたけど、人間五十年の二人分の大往生だ。史実にいない俺が統一を推し進めたものだから、喪主は平戸松浦からの養子ではなく...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第132話 『薩摩からの手紙。ゴムと隼人と産物方』(1851/2/3) 

嘉永四年一月三日(1851/2/3) 師走の候、丹後守殿(大村純顕)におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※下に超訳あり。 未だ見知らず(会った事もない)、また申し入れず(手紙のやり取りもない)候と雖いえども、先般、御家中が一力...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」 純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の影響...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第679話 『北条と奥州』(1580/8/7) 

天正九年六月二十七日(1580/8/7) 「内大臣である」 純正の前に三人の使者が、時を同じくして訪れていた。もちろんまったくの同時ではない。 渡島国おしまのくに(北海道・渡島半島)の蠣崎かきざき若狭守季広すえひろ、陸奥西部の大浦(津軽)右...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館「構いなし、か」 純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。 要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味方もな...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第116話 『あわや大惨事! それからお茶の追加注文と武田斐三郎』(1849/8/2)

嘉永二年七月二日(1849/8/2) 五教館大学 石油精製研究室(まったく、いつもながらざっくりとしたお人だ……) 例によってオランダ人医師・化学者のヤン・カレル・ファン・デン・ブルークは、信之介から渡されたメモを見ながら、何度も読み返して...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門> やっべ……重大な事を思いだした。 あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の爆上...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22)

嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門> さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。 ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」 側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長かった...
Uncategorized

第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12)『日ノ本大同盟』 純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。 経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、軍事行...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第661話 『腕木通信と通信距離の延長、鉄道馬車から鉄道へ』(1578/12/15)

天正七年十一月十七日(1578/12/15) 諫早城 純正は内政の拡充の一環として技術革新を推進していたが、科学技術省主導の最新技術ではなく、今できる新しい技術はないかと考えていた。  長年純正の頭を悩ませていた通信距離の延長、通信時間の短...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第106話 『鍋島直正の憂鬱』(1849/1/9)

嘉永元年十二月十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> 石油の運上金の相場がわかった。 石油96石(17,280ℓ・9千600升)で米48石(4,800升)分。今(嘉永元年)の米の相場だと、1石で銀89匁8分だから48石で4千310匁4分...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7)

天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮 王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千々...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第105回 『蝦夷地の石炭と越後、松代、相良の油田。買い占めへの道』(1848/11/27)

嘉永元年十一月二日(1848/11/27) <次郎左衛門> 適塾の5人が戻ってきた。 洪庵先生の体調は問題ないようだけど、毎月の食事と運動の記録は送って貰っている。そしてその5人は、帰郷の喜びを味わわせる暇もなく、信之介のところに問答無用で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第104話 『高島秋帆、毅然とした態度で幕閣と相見え、後進に道を託す』(1848/10/22)

嘉永元年九月二十六日(1848/10/22) 江戸城 高島秋帆は幕閣からの求めにより江戸に参府し、登城していた。いつの世にも、権力者と言うものは下の者から見ると勝手なものだ。まるで何事もなかったかのように振る舞っている。「高島秋帆、命により...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」 城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化された砲...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」 木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですから、威...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」 身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に置い...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第630話 『蒸気機関の課題はわかった。次は雷管だ』(1577/6/7) 

天正六年五月二十一日(1577/6/7) 諫早城 <純正>「では蒸気機関は、高炉ともうひとつの炉の動力源として使うように」 俺は忠右衛門と政秀にそう命じた。「松庵、鉄には硬い鉄と柔らかい鉄、硬いが脆い鉄など、様々な種類があるのではないか?」...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第73話 『開明塾、初等部、中等部、高等部。五教館中等部、高等部』(1846/3/11)

弘化三年二月十四日(1846/3/11) 京都<次郎左衛門> 孝明天皇が即位した。 結局、20万両は大金だったし、よくよく考えればいくら幕府が関与しない『奥』の収入だとしても、西国の小藩が20万両もの大金を献上金としたなら、大騒ぎになるはず...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第628話 『明とスペインの共同戦略。小佐々戦、開戦までのリミット』(1577/2/21)

天正六年二月四日(1577/2/21) マカオ(澳門)「首輔様、イスパニアの使者がお目通りを願っております」「うむ」 紫禁城にて張居正と面会し、万暦帝との謁見を済ませたフィリピン総督の使者は、定期的に明を訪れていた。今回はマカオに視察にきて...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城「そうか。織田からはそのような要望が」 純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」「まずないでしょう」 そういうのは直茂だ。...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第626話 『北緯42度条約と日ノ本大同盟会議』(1576/9/26) 

天正五年九月一日(1576/9/26) 小佐々海軍 探険艦隊 旗艦艦上 「小佐々家北方探検艦隊司令官、伊能三郎右衛門にござる」「同じく副将、間宮清右衛門にございます」「北条水軍大将、梶原備前守にござる」「同じく、副将の清水太郎左衛門にござい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第625話 『北緯41度53分38秒東経143度15分45秒にて北条海軍と北方探検艦隊の邂逅』(1576/9/26)

天正五年九月一日(1576/9/26) 3年前の天正二年二月に樺太島を発見した第2回北方探険隊は、北海道北端から沿岸を南下、東進して歯舞群島、色丹・国後・択捉へと北上した。 その後さらに千島列島を北上し、カムチャッカを発見したのだが、当初は...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹・天然痘撲滅へ!)』(1845/6/18)

弘化二年五月十四日(1845/6/18) 次郎邸 <次郎左衛門>「これ、御家老様はお忙しいのだ! お手を煩わせるでない! 申し訳ありませぬ御家老様! なにぶんまだ子供ゆえ、お許しいただきたく存じます」「ははははは! よいのです俊達先生。子ど...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9)永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。小佐...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第621話 『珈琲豆の収穫とオーストラリアの発見』(1575/6/10) 

天正四年五月二日(1575/6/10)3年前の天正元年正月に出港した南方探険艦隊が、帰港した。前回の航海ではバンテン(バタヴィア)・小スンダ列島・ティモール・パプアニューギニアまで航海したのだが、今回はさらに南方、東方へと向かったようだ。「...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第620話 『朝鮮貿易拡大と女真族への援助』(1575/4/21)

天正四年三月十一日(1575/4/21)  対馬の宗氏を介した李氏朝鮮との貿易も、ここにきて様子が変わってきていた。ずいぶん前に対馬の宗氏と五島の宇久氏は純正に服属し、その交易権を委譲していたのだ。 当初より純正は積極的に明を除く諸外国と交...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第619話 琉球王国、日本(小佐々)に冊封? 明西同盟成立と揺れ動く極東情勢(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城景轍てつ玄蘇は明・朝鮮・琉球・東南アジア・ポルトガル・スペイン他欧州など国外の渉外を管轄している責任者である。「玄蘇よ、その琉球がいかがした?」「は。いよいよもって琉球の明離れが著しく、明の冊封...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第58話 『精錬方より火術方分離、専門分野に特化する』(1843/11/4)

天保十四年閏うるう九月十三日(1843/11/4) <次郎左衛門>前から考えていて、実行に移した事がある。信之介の負担を軽くすることだ。現代でも言える事だけど、なんでも自分でやろうとするとパンクする。部下に任せて指導管理する方が労力も少なく...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第617話 対イスパニア戦略(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城「さてみんな、国内においてはおおよそ平和になった。奥州では大道寺家が同盟に加わり、北条の動きも抑えた。他の大名は参加の答えは来ていないが、敵対もせぬであろう。佐竹と宇都宮は知っての通りだ」 純正...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。   俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4) そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。 結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されていた...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26)

天保十一年五月二十七日(1840/6/26) オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。   当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。 商館長が作成したもの...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第40話 『捕鯨砲の開発と洋式捕鯨船の建造に向けて』(1840/2/17)

遡ってビンタの翌日 次郎邸「いい? 納豆菌は超強力なんだから! 当日食べたら接近禁止だからね!」「あ、……うん」 次郎はお里の剣幕に驚き、昨日ひっぱたかれたほっぺたをなでる。「里やん、そんな怒らんでも……」 一之進が横からフォローする。「あ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03)

天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城「その後、唐津の件はいかがあいなった?」「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和ながよし)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余りを...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第32回 『何がどう転んで御家老様に?』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 太田和村 約四ヶ月の江戸滞在期間中は、渡辺崋山や高野長英にも面会をして、江川英龍と同じような話をした。 しかし時既に遅しで、高野長英はすでに幕政を批判した『|戊戌《ぼじゅつ》夢物語』を出版して...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」 父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未練が...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第589話 終戦決定と責任。そして大国の拒否権発動。

天正二年 一月十七日(1573/02/19) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所『日ノ本大同盟』の憲章、そして細部規約の制定と同意のための会談も大詰めである。 ・終戦の可否とその時期の決定基準 ・大同盟軍内での各国(甲)の作戦行動による各国...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第26話 『佐賀藩、大村藩に遣いを送り、探りを入れる』(1837/11/12)

天保八年十月十五日(1837/11/12) 佐賀城 次郎左衛門が藩主大村純顕あきにゲベール銃の複製を申請し、硝石と火薬の藩内での大規模な製造を進言している頃、肥前一の大藩である佐賀藩、佐賀城で会見が行われていた。 会見、といっても仰仰しいも...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第21話 『黒幕と顛末』(1837/7/6)

天保八年 六月四日(1837/7/6) 雪浦村 冨永屋敷 <次郎左衛門>「あ痛……」 痛みと共に目が覚めた。「おお! 目が覚めたぞ!」 一之進が俺の顔を見て安堵の声を上げる。それを聞いて、交代で仮眠をとっていた信之介にお里が駆け寄ってきた。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第18話 『そのころの日本は? 俺が出来る事なんて、たかが知れてる。あれ? お慶さん』(1837/6/1)

天保八年 四月二十八日(1837/6/1) 次郎左衛門 信之助は石けんをいかに簡単に安く大量にできるかを考えている。もちろん品質は変えずに。 お里は和蘭辞書と反射炉製造書を読みながら翻訳中だ。 一之進は領内をまわって食生活と体調の聞き取り調...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第578話 松前異変

天正元年(1572)八月二日 京都 越後屋近江屋敷 組屋源四郎は気が気ではない。 屋敷の中で待たされてはいたものの、立ち上がっては座り、立ち上がっては座りで、室内をウロウロしている。 やがてゆっくりとした足音が聞こえると、障子があいた。「組...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第15話 『西洋学の大家、高島秋帆との出会い』

天保八年 三月二十六日(1837/4/30) 長崎会所(貿易所)調役(監査役)詰所 太田和次郎「御免候! 御免候!」先触れを派遣していたので留守はないはずだ。昨日長崎について、1日だが旅の汚れを落とし、正装して訪問した。詰所は華美でもなく貧...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第13話 『二十四歳、肥前佐賀藩、十代藩主鍋島直正という男』(1837/4/19)

天保八年 三月十五日(1837/4/19) 玖島くしま城 太田和次郎「よう参った。次郎よ」「ははっ。本日はお日柄も良く、藩主様におかれましては……」「よいよい、わしらだけの時はそう畏まるでない。叔父上方や、渋江や針尾がおったら別だがの……ど...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第12話 『城内の石けん反対派と純顕の改革』(1837/4/3)

天保八年 二月二十八日(1837/4/3) |玖島《くしま》城「鷲わし之助、少し前より気になっていたのだが……」「なんでございましょう?」 玖島城内で、藩主を除いた会議が行われていた時の会話である。「お主、近ごろ、なにやら良い香りがするが、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第11話 『まずは太田和村だけでの先行製造と、リスク分散で他の産業も考える』(1837/3/16)

天保八年 二月十日(1837/3/16) 太田和村 次郎 灰の原価計算をするのを忘れていたけど、木炭から灰汁を作るとしても@0.7文だったので一文と計算した。 灰の原価、油の原価、そして製造の人件費を入れて@30文だ。 問題は海藻と貝殻の枯...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第568話 フェリペ二世の世界戦略と庄川の戦いの結末へ

天正元年(1572) 四月十四日 イスパニア マドリード王宮 「それが……明のさらに東、ジパングの艦隊にございます」「……使者よ、余は真実を申せと言ったのだ。……嘘やデタラメを申せと言うたのではないぞ!」 フェリペ二世は傍らにあったオブジェ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第6話 『まずは五万石を、十万石にしよう。それも手っ取り早く』(1837/1/9)

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け五つ(0805) 玖島城下~雪浦村信之介と俺は朝餉あさげを食べたあと、船着き場へ向かった。そこから船に乗り対岸の時津村まで行くのだ。時津村についたら北上し、長浦村から山越えし、外海(西彼杵半島の...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第5話 『そもそも弱小五万石の大村藩が、隣の佐賀藩三十五万石に勝てるのか?』(1837/1/9) 

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け六つ半(0710) 玖島城下 旅籠 酒は飲んだが、なぜか早起きできる日があるのは前世とかわらない。 酒の相性が良かったのかつまみが良かったのか、頭痛はない。不思議だ。ともあれ空が明るくなる前に目...