国力

天下百年の計?

第738話 『李氏朝鮮第14代国王宣祖への謁見』

天正十六年十月一日(1587/10/1)九州地方 対馬県 厳原港 「これはこれは関白殿下、斯様かように何もないところにお越し頂き、この義調よししげ、光栄の至りにございます」  厳原の港でそう答えるのは、対馬宗家17代当主であった宗義調である...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第191話 『鉄道が欲しい!』

安政二年七月十二日(1855/8/24)   大村藩ではライケンらオランダの教官による授業を受ける前から、洋式木造帆船の建造を行い、その航海技術の習熟を次郎の経験と知識、そして深澤組(捕鯨)の協力で行っていた。  それを海軍の創設と考えると...
天下百年の計?

第726話 『上知か転封か減封か』

天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都 「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」 「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」  肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。  そのため純...
天下百年の計?

第725話 『奥羽越三州同盟』

天正十四年二月二十四日(1585/3/25) 出羽国 置賜郡 米沢城  場内は殺伐とした雰囲気でありながらも、一つの目的を持って|怱々《そうそう》たる面々が集まっている。  南部大膳大夫だいぜんのだいぶ信直、斯波民部大輔みんぶのたいふ詮直あ...
天下百年の計?

第716話 『朝鮮出兵の話』

天正十三年四月十三日(1584/5/22)  「なに? 右議政は小佐々との通商をさらに進めるに留まらず、同盟を結べと申すのか?」  李氏朝鮮王朝第14代国王の宣祖は、右議政の柳成龍に向かって驚きの声を上げる。史実では1590年に右議政となっ...
天下百年の計?

第714話 『大日本国政府非加盟国の食糧事情』

天正十三年一月二十七日(1584/3/9) 岐阜城 「殿、筑前守様(羽柴秀吉)、お越しにございます」 「通せ」  岐阜城の謁見の間において秀吉を出迎えた信忠は、諫早で学んでいた頃の面影を残しつつも、為政者としての威厳が備わりつつあった。  ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第163話 『次郎vs.ペリー 日本の事情とアメリカの事情』

嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖 サスケハナ号艦上 「これは心強い。よろしくお願いいたす」  栄左衛門はそう言って、純顕と次郎の一行とともに改めてペリーに向き直る。日本側は純顕、次郎、香山栄左衛門の三名で、アメリカ側はペリ...
天下百年の計?

第710話 『琉球国の処遇と港湾インフラ』

天正十二年八月三日(1583/9/18) 新政府庁舎 「さて方々、此度こたびの言問に入る前に、此この間あった琉球国との仕儀に付いてお知らせを致したく存ずる」  純正は先日行われた琉球国との交渉の顚末てんまつを報告した。事後報告ではあるが、情...
天下百年の計?

第707話 『財政と琉球領土編入問題』

天正十二年三月五日(1583/4/26) 肥前国庁舎  「そ、それは、あまりにも無体ではありませぬか? 我らから四割もお取りになるとは」  一人ではない。全員がそう言って場が騒然となった。信長は黙って目をつむり、聞いている。 「では一つだけ...
天下百年の計?

第705話 『越後と残りの奥州』(小佐々家中会議)

天正十二年閏うるう一月十一日(1583/3/5) 肥前国庁舎   本当に小佐々が全部の金を出すのでいいのか?  何か良い方法はないのか?  純正は戦略会議室のメンバーを集めての会議の中で、想定問答を行った。  来るべき新政府の会議における、...
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第704話 『純正の三職推任と第一次港湾整備計画。もう色々と面倒臭いから、全部うちからの借款にして先行投資しまくろうか』

天正十二年一月十九日(1583/2/11) 肥前国庁舎 <純正>  前々から、えーっと天正元年(1572年・作中では改元が1年早い)からずーっと言われてきた事。やっと受ける事にした。面倒くさい事この上ないが、実質新政府のトップなんだから、期...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室  純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。  停止...
天下百年の計?

第697話 『本能寺の変』(1582/6/21)

天正十一年六月二日(1582/6/21) 京都大使館   織田信長をはじめとした旧来の新政府の面々に加え、北条からの使者を諫早に迎える事が出来たのは大きかった。氏規も江雪斎も小佐々の国力と軍事力に度肝を抜かれ、すっかり新政府の一員としての考...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』

天正十年十二月十二日(1582/1/6)  織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。  これは何も信忠に限った事ではない。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第690話 『公方と朝廷と北条』(1581/6/17) 

天正十年五月十六日(1581/6/17) 小田原御所  小田原御所とは、逃亡してきた義昭のために氏政が建てた仮初めの御所である。史実でも小弓公方だ古河公方だと、よくわからない関東公方がいたが、義昭は名実ともに小田原公方となってしまったのだ。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所 「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」  純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第675話 『北条の返事と大同盟政府へ。ガス灯、点る』(1580/2/29) 

天正九年二月十五日(1580/2/29) 京都 大使館  「北条より文が届いたが、まさに予想通りだな」  純久が言う。最近は純正が京都に詰めているので、業務は可能な限り補佐の親長や佐吉に任せている。石田一家は能力が高い。父親の正継は京都にお...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)   徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。  景勝・景虎両陣営の和睦を...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19)

天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」  不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。 「あはは。さっき。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館 「構いなし、か」  純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。  要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門>  やっべ……重大な事を思いだした。  あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12) 『日ノ本大同盟』  純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。  経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7)

天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮  王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城 「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」  次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。  この頃に...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第633話 『開戦か交渉か』主戦論と非戦論(1577/8/17)

天正六年閏うるう七月二十六日(1577/8/17) 諫早城 <純正>「さて、織田がどう出てくるかわからぬが、出てくれば前線に、出てこなくても北条の備えは第四ないし第五の一個艦隊で当たれば問題なかろう。陸路で来ることは考えられぬ」  陸路には...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第632話 『開戦か交渉か』織田と同盟国と北条と(1577/8/16)

天正六年|閏《うるう》七月二十五日(1577/8/16) 諫早城 <純正>  転生して15年。ようやくなんとか平和になってきたと思ったのに、上杉に北条、そしてまたスペインって。なんでみんな、戦争しに出るかなあ。  攻められないようにするため...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城 「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」  会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様  秘メ 明国 張居正 ト イスパニア ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9) 永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。 その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第55話 『斉昭の説得と幕閣の懐柔』(1842/12/12) 

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸 「なに? 勝てぬと申すか?」  斉昭は目をぎょろりと見開き、次郎を見据えた。次郎は内心では心臓が張り裂けそうだったが、ギリギリで抑えた。 「……勝てぬ、とは申しませぬが、難かた...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第609話 加賀と越中西部の自治について言問を行う(1574/9/17)

天正三年九月三日(1574/9/17)  5月に行われた合議において、越中の旧本願寺勢力の所領である礪波となみ郡については、当初畠山義慶よしのりの管轄下に置くのが良いのではないかとされたが、義慶は辞退した。  家臣からは要望があったようだが...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26)

天保十一年五月二十七日(1840/6/26)  オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。    当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。  商館長が作成し...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて

天正二年九月十日(1573/10/5) 安芸日野山城 吉川元春居城 「殿、武田大膳大夫様が郎党、曽根九朗右衛門尉様がお見えにございます」 「うむ、通すが良い」  日野山城は中世山城でありながら、堀切や竪堀といった一般的な防御施設が見あたらな...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第586話 何が軍事行動か?その定義

天正二年 一月十四日(1573/02/16) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  年が明けて天正二年、純正は朝廷への新年の挨拶と義父への挨拶を終え、合議所にいた。藤子と娘の篤は二条晴良宅に預けている。  小佐々織田合議所という仮称だ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第573話 しばらくは内政に関わろう。技術開発の進捗状況。

天正元年(1572) 五月十五日 諫早城  ・反射炉  ・大砲  ・ライフル  ・後装式  ・パーカッションロック……。  ・蒸気機関に蒸気船……。  純正は、ぱっと考えて出てくるものを羅列したが、そのほとんどが兵器に関わるものだった。  ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第551話 信長の計略と上杉包囲網なるか?

天正元年 四月四日 京都 大使館  発 在能番所(能登所口湊) 宛 権中納言  秘メ 立花殿 出立 畠山殿 合力 越中へ 向カフ 秘メ ○三三○  秘メ 第四艦隊 出港後 帰港セズ ナホ 天気晴朗ナリ 秘メ ○三三一  発 越前堀江館 宛 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第526話 天下人三好長慶の孫と因縁の土佐三軍

天正元年 三月二十一日 滋賀国  三好一族は没落の一途をたどっていた。  かつての天下人であった三好長慶がなくなり、上洛した信長によって都を追われ、再起を図った『和泉家原城の乱』(史実で言う本國寺の変・第279話参照)でも純正に惨敗を喫した...
緊迫の極東と、より東へ

第510話 肥前より能登へ、敦賀にて純正、長政と初対面す。

天正元年(1572) 二月二十四日 越前国 敦賀郡 敦賀 「何? 権中納言様が敦賀にお越しになっていると?」  長政は仰天した。  越前の統治においては前波吉継をはじめとした朝倉旧臣が行ってはいたが、三国浦をあらたな領地とした長政は、小谷城...
緊迫の極東と、より東へ

第506話 武田勝頼へのKDA(小佐々家開発援助)と有用微生物群(EM)

天正元年(元亀三年・1572年) 二月二十日   甲斐国と言えば黒川金山、黒川金山と言えば戦国の武田家を支えた甲州金を産出した金山として有名である。  信玄の代に最盛期を迎えた黒川金山であるが、勝頼の代にはその産出量も減り、衰退しつつあった...
緊迫の極東と、より東へ

第501話 悲報?朗報?リスボン王宮にて隣国の不幸を聞くセバスティアン一世

天正元年(元亀三年・1572年) 二月一日 ポルトガル リスボン王宮 「陛下、東インド艦隊のフランシスコ・デ・アルメイダ提督より報告文が届いております」  セバスティアン1世は、昨年の三月にも小佐々領の状況を聞いていた。そのアルメイダからの...
緊迫の極東と、より東へ

第494話 ヌルハチと越後の龍 上杉不識庵謙信という男

とは言ったものの、超大国・明なんだよな。  放置したとして、万が一の事が起こりえない、とも断言できないところが苦しいところだ。永楽帝の死後の洪熙帝と宣徳帝の時代に、明の国力は充実した。  その後、安定と衰退とを繰り返し、先代皇帝の嘉靖帝の代...
緊迫の極東と、より東へ

第492話 明への外交対策……別に、いらんよな?

元亀二年 十二月十二日 諫早城 「御屋形様、台湾総督の若林中務少輔様より使者がお越しになっています」 「総督の? わかった、通すが良い」  純正は以前台湾問題を閣議で話し合った事を思い出した。  永禄十一年の事件の際、台湾出兵と再度の入植の...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第482話 甲斐武田家、ハードランディング?

元亀二年 十月五日 京都 大使館  先日の純久の申し出どおりに関白二条晴良邸に伺うことになり、三人は午前中から手土産を選んでいた。 「関白様は甘味がお好きなので、いくつか中ノ屋の茶菓子店より持ってこさせました。一人一つずつ、進呈なさればよろ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第476話 甲斐武田家第十七代当主、諏訪四郎勝頼改め武田勝頼

元亀二年 九月十日 躑躅ヶ崎館 (さて、どうするか……)  勝頼は、夜も更けた躑躅ヶ崎館の居室にて、二人の家臣を前に考えている。  信玄の死後家督をついだものの、あくまで名代。  対外的には信玄は隠居して勝頼が家督を相続、そして息子の信勝が...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第467話 『明の隆慶帝と琉球国王尚元王、変動する国際情勢』

元亀二年 七月十七日 諫早城 「次は司法省ですが、なにかござるか?」  直茂が司法大臣の佐志方杢兵衛に尋ねる。 「は、それでは失礼して。実は小佐々諸法度に関わる事にて、少々問題が出ております」 「ほう、なんだそれは?」  法の整備や施行など...
新たなる戦乱の幕開け

第422話 歴史の変化が人の死を早め、それがまた歴史を変える

元亀元年 十月十日 京都 室町御所 「公方様、備前の宇喜多の遣いと申す者が、お目通りを願っております」 「宇喜多……? 浦上ではなく、宇喜多だと?」  義昭は献上品の刀剣の品定めをしている最中に、政所執事である摂津広門から声をかけられ不機嫌...
新たなる戦乱の幕開け

第420話 毛利輝元と安国寺恵瓊、相対するは戸川平右衛門尉秀安なり

元亀元年 十月七日 吉田郡山城 「殿、宇喜多家臣、戸川秀安と申す者がお目通りを願っております」  毛利家当主である毛利輝元は、外交僧で顧問の安国寺恵瓊と談笑していた。  このとき両川である小早川隆景は領国である新高山城(にいたかやまじょう)...
西国の動乱、まだ止まぬ

第371話 帝への上奏、肉食文化への願いに儲け話と省庁部分改編

永禄十二年 十一月 諫早城  純正は戦に明け暮れ、というよりも南九州と四国、そして南方と広がり続ける戦線でも生活を豊かにする事を忘れない。  領民の食生活を豊かにすることが、国力アップにつながるとも考えた。  それから飲食店ビジネスの利益の...
西国の動乱、まだ止まぬ

第354話 予土戦役、黒瀬城攻防戦②毛利元就が生きていたならば

永禄十二年 十月二十三日 安芸 吉田郡山城 「なに! それは誠なのか? 誠に負けたのか?」  世鬼衆の報告を受け、毛利輝元はじめ小早川隆景や吉川元春は驚きを隠せない。しかしその驚きは、負けたという事にではない、こんなにも早く決着がついた、と...
肥薩戦争と四国戦役

第345話 戦国九州のポツダム宣言とヤルタ会談??

永禄十二年(1569) 十月十九日 巳一つ刻(0900) 日向国紫波州崎村(宮崎市折生迫)   洋室、洋間がある城は、おそらく諫早城だけであろう。もしかすると岐阜城にもあったかもしれないが、知る由もない。種子島城にはもちろん洋室はないが、諫...
対島津戦略と台湾領有へ

第289話 従四位上検非違使別当叙任と将軍義昭と信長②

永禄十二年 四月 京都 信長の滞陣先 妙覚寺 「久しいな弾正大弼殿、いや、様の方がいいかな。息災であったか。ああそうだ、どうだ、五人は? 三月のはじめには着いておるだろう?」  相変わらずだなこの人は、と思いつつ純正は答えた。 「ありがとう...