仰せ

第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第456話 不完全な信長包囲網

元亀二年 四月二十五日 因幡 鹿野城 発 純久 宛 近衛中将 秘メ 二俣城 危うし 天方城ヲハジメ 北遠江ノ 諸城 コトゴトク 落チリケリ サラニ 北条ノ 援軍アリテ 徳川 後詰メ ナラズ 一言坂ニテ 敗レリ 秘メ 三河の北東部と遠江の北部...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第455話 悪人?吉川駿河守元春

元亀二年 四月二十一日 伯耆国 岩倉城吉川元春の軍勢が岩倉城を包囲した翌日、美作の小田草城へ向かっていた南条元続は急報を受けた。急ぎ陣払いをして岩倉城の救援に向かったのだが、すでに城は落とされた後であった。吉川軍の裏切りという事態と明らかな...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第453話 駿河守の策略と忠義の試金石:吉川駿河守と鍋島加賀守の運命

元亀二年 四月八日 吉田郡山城「駿河守殿、それは一体どういう事かな? 直茂、よいな?」「は、ははあ」 さすがの鍋島直茂も、歯切れが悪い。純正の恩情で不問にされた事であるが、元春が言った事が本当ならば、自分も罪を負わなければならないからだ。「...
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第452話 小早川隆景の苦悩と衝撃の告白

元亀二年 四月八日 吉田郡山城「なるほど。では左衛門佐殿は、兄弟ゆえ、兄である駿河守殿が謀反を起こすはずはない。兄はそのような男ではない、と?」 小早川隆景はまっすぐ純正の顔を見ている。輝元も口には出さないが目で語っている。「しかしのう、左...
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第435話 尼子家の苦悩と復興

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800) ■別所家中「叔父上、やはり中将様はひとかどの人物ですね。くぐってきた修羅場もそうであるし、話も飽きぬ。なにより、戦を好まぬ姿は好きです」 別所長治は叔父で一門、家老の別所重宗に対...
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第434話 中将殿と西国の群雄

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800) 50人ほど入る規模の会場には、大名家・国人家ごとに席が設けられていた。 上座には横長に3つの机が並べられている。真ん中のひときわ大きい机には純正が座り、宗麟、通宣、存保が右手に座...
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第427話 純正上洛ス 将軍義昭二問フ

元亀元年 十一月一日 京都 室町御所 発 純久 宛 近衛中将 秘メ 公方様ヘ 宇喜多ノ 使者 謁見セリ 御教書ヲ 当家 ナラビニ 毛利 山陽 山陰 各大名ニ 送ルトノ 風聞アリ 内容ハ 播磨、美作、備前ノ 輩ハ 毛利ノ家人 タルベシ トノ事...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第426話 純正と秀安 裏の裏の裏の話

元亀元年 十月二十日 諫早城 小早川隆景との会談を終えた数日後、純正は朝食を食べ終わって、コーヒーを飲んで新聞『肥前新聞』を読んでいた。 第一回の遣欧使節が帰国したとき、グーテンベルクの活版印刷機を輸入していたのだ。 その後印刷機の仕組みを...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第425話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男③

元亀元年 十月十四日 小会議室に案内された隆景は、様々な調度品に驚く。 壁には見たこともない絵が掛けられ、テーブルの上には何やら球体の置物がある。そして上座の席の奥には大きな振り子時計があった。「さ、どうぞお座りくだされ。普通の茶と紅茶、こ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第424話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男②

元亀元年 十月十四日 発 石宗山陽 宛 総司令部 秘メ 宇喜多ノ 使者 戸川秀安 輝元ニ 会ヱリ 詳細ハ 不明ナレド 浦上ノ 名代ニ アラズ マタ 両川ハ 不在ナリ 一○○七 秘メ 経由 門司信号所 一○一一 午三つ刻(1200)「うむ」 ...
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第423話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男

元亀元年 十月十四日 隆景は翌日の八日の朝から安芸倉橋島へ向かい、そこからさらに船に乗った。 忽那の島々をへて伊予鹿島城下へ着いたのは九日の夕刻である。 一泊して湯殿城下を経て、喜多郡の佐多岬半島の佐田浦、三崎浦までは街道がすでに整っており...
新たなる戦乱の幕開け

第391話 永禄十三年の謹賀新年 衝撃の事実と信長と長政、そして三好だよ。

永禄十三年(元亀元年・1570年) 正月 十五日 京都 肥前諫早での配下諸大名(?)の年賀の挨拶を受けた後、純正は戦会のメンバーとともに京都に来ていた。 元旦に純久が名代として御所と室町御所に年賀の挨拶にはいっていたが、改めて純正も参内し挨...
新たなる戦乱の幕開け

第389話 西園寺公広と土居清良

永禄十二年 十二月二十八日 諫早城 十二月十日に宇都宮豊綱の造反並びに職務怠慢が公になり追放された。 その後引き続き長谷口から南の黒瀬城へ向かう街道は封鎖され、南の板島城から北へむかう吉田口、東の三滝城からの土居口も同様に完全に塞がれたのだ...
新たなる戦乱の幕開け

第388話 群雄たちと小佐々純久

永禄十二年 とある日 在京小佐々大使館「大使、また来てます」 大使館の洋間、昼休みに佐吉と将棋を指している純久のもとに、一人の訪問者があった。最近、遠方からのお客様が増えましたね、と佐吉が言う。 純久はそれどころではない。36対6で圧倒的に...
西国の動乱、まだ止まぬ

第382話 永禄十二年 十二月一日 庄内の乱、東郷の乱。

永禄十二年 十二月一日 巳の一つ刻(0900)薩摩 薩州島津家当主、※島津義虎が動いた。 南下して、二十年も抗争を続けてきた東郷氏の旧領を攻めたのだ。 東郷氏は渋谷一族の分家で、祁答院氏や入来院氏とともに島津家と戦ってきたが、すでにすべて島...
西国の動乱、まだ止まぬ

第373話 土佐安芸郡一揆⑤陰のフィクサー?小佐々治部少丞純久

永禄十二年 十一月十五日 京都 室町御所「公方様、小佐々弾正大弼純正が家臣、小佐々治部少丞純久にございます」 純久は京都にあって大使として各国(各勢力)の重要人物と会うことが多いが、義昭は少し面倒くさいので、必要最小限にしていたのだ。 しか...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第159話 対信長外交団②

永禄十年 十一月 堺湊 鍋島直茂 堺湊についた。少しだけ、寒い。コタツが恋しくなる季節です。コタツは小佐々の名物ではないか。 なぜ商品化して売っていないのだろう? 冬場だけだからか? もっと北にいけばもっと売れる。間違いない……。 京の都に...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第158話 宗義調と吉岡長増

同年十一月 対馬 金石城 吉岡長増「お初に御意をえまする。吉岡左衛門大夫長増にございます」。 目の前には対馬と壱岐七万石を治める宗讃岐守義調様がいる。今回は小佐々との関係を探り、離間の計が能うかどうか見極めにきたのだ。「面をあげよ。吉岡殿。...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第97話 『波多、龍造寺ぜめ』

同年 十一月 岸岳城 「いまこそ龍造寺を攻めるときにござる!」 そう声をあげ家臣の論調をまとめようとしているのは、先代の後室、真芳の方の怒りを被って主流派から遠のいていた、有浦大和守高である。「今、龍造寺は須古城攻めに手一杯のはず。神代や筑...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第93話 露見! 隠し金山

永禄七年 十月 龍造寺の須古城侵攻の数日前 小佐々城 <純正>「弾正大弼だいひつ殿、これは一体いかなる事ですかな?」 使者の一瀬栄正ひでまさが言う。「どうもこうも、ごらんのとおりにございます」 大串の隠し金山が大村純忠にみつかった。 もとも...
5強まであと7,000石(現在36,824石)

第83話 宮の村返せだって? あんたバカぁ?↑ 

永禄六年(1563) 七月 大村館 小佐々弾正「おお! よくぞ来た平九郎! 小佐々の家督をついだそうだな」 俺が来たのが嬉しいのか、それともなにか魂胆があるのかわからない。主殿に案内された俺は、喜々とした純忠の態度に驚いた。 日の出の勢い(...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第72話 674石から11,536石へ 針尾三郎左衛門 

月が変わって、 同年 五月 沢森城 沢森政忠 叔父上たちの首は、丁寧に、本当に細心の注意を払って、小佐々城に送った。 本来は俺も一緒に行きたかった。俺は一生分の涙を流した気がした。一生分の叫びをし、慟哭した。 佐世保湾海戦では風が味方した。...