大村

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第203話 『通商条約の前に和親条約の改正』

安政三年八月十七日(1856/9/15)    イギリス・アメリカ・フランス・オランダの4か国艦隊が、各国の領事予定者を乗せて下田に着いた頃、中国では太平天国の乱が継続中であった。  イギリスは太平天国の首都(建都された南京・天京)を公使で...
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第202話 『四ヶ国連合艦隊来航す』

安政三年七月十七日(1856/8/17) 大村藩庁   次郎はあまりの暑さに冷蔵庫の氷を舐め、特製のゴム袋に氷を入れて頭を冷やしてふうふう言っていた。  扇風機もなければエアコンもない。技術を軍事と産業に全フリしてるから、生活環境改善系の機...
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第201話 『山内容堂と大村藩海軍増強計画』

安政三年六月十六日(1856/7/17)   金属薬莢やっきょうの製造にあたり、その他の金属加工製品と同じく、それを加工する加工機械は、研究開発ならびに輸入が並行して行われていた。圧延機やプレス機の精度向上と大量生産である。 『全ては模倣か...
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第200話 『功山と宇和島藩』

安政三年五月十四日(1856/6/16) 伊予 宇和島城  伊予宇和島藩主伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれ、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに積極的に幕政に参加した事で有名であるが、今世では少し違う。  史実と同じように阿部正弘に幕政の改革...
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第199話 『吉田寅次郎、高杉晋作とともに帰郷する』

安政三年四月十一日(1856/5/14) 長州藩 萩城下 「ごほっごほっごほっ……」 「先生、あまり無理をなさらずに、ご静養くださいませ」 「……九右衛門よ。わしはもう……長くはない、後は頼むぞ」  藩主毛利敬親とともに天保の改革で長州藩の...
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第198話 『安政二年のオランダ風説書と鹿児島藩、薩摩海軍』

遡ること8か月前の安政二年六月二十五日(1855年8月7日)  安政乙卯おつう賀蘭風説別段風説書  今年はオランダも平和で隣国はじめヨーロッパ諸国と親しく交わり、交易・航海共に活発である。  1854年末から1855年初にかけて暴風雨に見舞...
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第197話 『御公儀と大村家中-佐賀藩の二番手争い-』

安政三年二月一日(1856/3/7)   幕閣との舌戦が終わり、何とか事なきを得た次郎であったが、阿部正弘の体調が気にかかり、医師団の派遣を申し出た。立場は違えど国を思う気持ちと、相通じる部分があると感じたからだ。  もし生きていれば幕末は...
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第196話 『一触即発、大村藩改易か?』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1) 江戸城 老中御用部屋 「本音が、でたな」  堀田正篤まさひろの言葉に次郎は心の中で深呼吸をする。表情を崩さぬよう注意しながら視線を合わせると、正篤は手にしていた扇子を膝の上に置き、じっと次郎を観察...
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第195話 『対談、老中首座堀田正篤』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1)~の数日前 <次郎左衛門> 「あーもう面倒臭えなあ、あそこ息が詰まるんだよ。魑魅魍魎ちみもうりょうが跋扈ばっこするっていうの?」 「なに21世紀の人間が非科学的な事を言ってんだよ」 「いや、いま令和...
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第194話 『堀田正睦老中首座となり、蝦夷地上知再燃す』

安政二年十一月十七日(1855/12/25)  神に祈るしかない、というのはこの事なのだろう。  次郎は消火器や雲龍水の設置によって地震の被害を少なくしようと試みたが、確かに効果がなかったとは言えない。しかし、藤田東湖らの死因は倒壊による圧...
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第193話 『技術革新と安政の大地震』

安政二年十月八日(1855/11/17)  反射炉に変わる転炉の開発を行うヒントとして、酸素を吹き込む事により脱炭を行い、また不純物を取り除く方法を信之介から与えられた精煉せいれん方は、もう一つのヒントをもらっていた。  ベッセマー転炉では...
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第192話 『第12代アメリカ東インド艦隊司令長官ジェームス・アームストロング』

安政二年八月二十四日(1855/10/4)   ようやく涼しくなってきた十月(旧暦八月)の四日、大村藩庁海防掛に驚くべき電信が入った。 発 瀬戸台場 宛 海防掛  我 異国船 発見セリ 指示ヲ願フ 大村藩領内の瀬戸村の台場からの電信である。...
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第191話 『鉄道が欲しい!』

安政二年七月十二日(1855/8/24)   大村藩ではライケンらオランダの教官による授業を受ける前から、洋式木造帆船の建造を行い、その航海技術の習熟を次郎の経験と知識、そして深澤組(捕鯨)の協力で行っていた。  それを海軍の創設と考えると...
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第190話 『飛龍丸献上』

安政二年五月二十九日(1855/7/12)   次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。  ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国...
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第189話 『1,500トン級軍艦を買うか造るか』

安政二年四月十四日(1855/5/29)  「寒い! さむいさむいさむい! 無理! むりむりむり!」  次郎は誰もいないところでそう叫び、人がいるところでは心の中で叫びながらプチャーチン一行を大泊まで送り、それから樺太のロシア人開拓港への移...
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第188話 『次郎、ロシアへ』

安政二年二月十八日(1855/4/14) 江戸城 「何故なにゆえにございましょうや」 「控えなされ太田和殿」  次郎は安政東海地震の際の救援活動も人道的に行った。  医療物資の運搬やけが人の治療など諸々である。次郎はそれを誇示するつもりは毛...
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第187話 『安政二年の正月』

安政二年一月二日(1855/2/18)  日本は去年、まずアメリカと三月三日に和親条約を締結した。  次いでイギリスとは八月二十三日に結び、オランダとは十一月二十三日に締結。ロシアとは元号が替わって安政元年となる十二月二十一日に締結した。 ...
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第185話 『次郎の思惑、クルティウスの思惑』

安政年十二月一日(1855/1/18)  嘉永七年の十一月二十七日に、安政への改元が行われた。  増え続ける外国船来航と、内裏の火災、そして安政地震の始まりである伊賀地震など、凶事が続いたことが理由である。幕府はアメリカと通商は結ばなかった...
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第184話 『大村藩か、幕府か。オランダか、米英仏か』

嘉永七年十月十一日(1854/11/30) 長崎 オランダ商館 「商館長、今後はどうするのですか?」  スンビン号で日本にやってきたファビウス中佐は、クルティウス商館長に尋ねた。 「どう、とは? 通商に関して言えば、大村藩は大得意様であるし...
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第183話 『ヘルハルドゥス・ファビウスとSoembing号、そして長崎海軍伝習(所)』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11) 長崎  「なんと、これほど日本人の技量が育っているとは……これでは小官が教える事などほとんど無いではありませんか」  幕府はオランダからの働きかけもあり、海軍創設へと動き出した訳であるが、その第一...
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第182話 『四賢侯、山内容堂と島津斉彬』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11)  京都 「いやほんま、次郎さんの神通力には目を見張るものがありましゃるの。雲龍水に消火器、前もって備えておったからこそ、これだけの災いで済んだのであろうの」  京都の大村藩邸からは一之進肝入りの医...
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第181話 『四賢侯、松平春嶽と伊達宗城』

嘉永七年七月二十九日(1854/8/20)  越前福井城 「左膳よ、左内からの上書じゃ」  越前福井藩主である松平慶永(春嶽)は改革派の家老岡部左膳に対して、帰郷していた橋本左内からの上書を見せた。  福井藩は慶永が藩主となる前は守旧派であ...
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第180話 『幕府対松前・大村藩。松前征伐とかならんよね?』

嘉永七年七月五日(1854/7/29) <次郎左衛門>  さて、幕府はどうでるかな?  江戸時代の奉行は寺社奉行・勘定奉行・町奉行の三つに分かれていて、そのうち領内の都市部(町方)の行政・司法を担当する役職が町奉行。  幕府以外にも各藩に寺...
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第179話 『攘夷論者徳川斉昭』

嘉永七年六月十一日(1854/7/5) <次郎左衛門>  なんとか和親条約は落ち着いたけど、幕末日本史はこっからなんだよね、本番。幕府の中身はちょっとわからんけど、朝廷も今のところは開国肯定佐幕派だし、西国諸藩もおとなしいもんだ。  俺の仕...
天下百年の計?

第724話 『会合衆の世界進出と九州五傑』

天正十四年一月十五日(1585/2/14) 堺 「そう、それが最も難し事なのだ」  会合衆の議論は連日続き、白熱していった。  千宗易(利休)の提案に多くの者が興味を示す一方で、実現に向けての課題も浮き彫りになっていた。  山上宗二は腕を組...
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第178話 『下田追加条約とクルティウスとライケン。長崎海軍伝習所について』

嘉永七年五月二十三日(1854年6月18日)  和親条約締結後の五月に、その細則として下田追加条約が締結された。次郎はこれにも同席したが、特に日本側に不利になるような重大な事項はなかった。  ざっくり書くと次の通り。  第一条 下田鎮台支配...
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第177話 『ベッセマー法と風の便り』

嘉永七年四月二十七日(1854/5/23) 大村藩 精煉せいれん方  ※大村藩内、特に科学者同士の会話には現代用語(専門用語)が頻繁に使われます。 「全く新しい炉をつくらなければならない」  信之介の言葉に、場がしいん、と静まりかえった。室...
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第176話 『幕府海軍と通訳と転炉』

■嘉永七年四月一日(1854/4/27)  次郎はあまり幕府のやることに干渉はしたくなかったが(面倒くさいので)、ことこの条約に関しては、日本の未来を左右する重大事なので、大村で黙っている訳にはいかなかった。  純顕は一回目のペリーとの会談...
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第175話 『坂本龍馬との出会いと日米条約再交渉』

嘉永七年二月十日(1854年3月8日) 横浜 「突然お伺いしたにも拘かかわらず、お目通り叶い、恐悦至極にございます。まずはその儀、伏して感謝申し上げまする」 「う、うむ。苦しゅうない」 (やっべ! 思わず声が出てしまった。知るはずのない若者...
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第174話 『黒船再来と坂本龍馬』

嘉永七年二月六日(1854年3月4日)  「Admiral Perry, what in the world are you doing here?(ペリー提督、あなたは一体、ここで何をしているのですか?)」  憮然ぶぜんとした表情で、笑顔...
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第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日)   現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。  零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)…...
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第172話 『武士と町民、士官と下士官兵。身分と階級』

嘉永六年十二月二十六日(1854年1月24日)  「うーん……」  5分後……。 「むむむむむ……」  次郎は頭を抱えていた。頭では分かってはいたものの、物事には順番と優先順位、それから段階を経て取り組んでいかなければならない事が多々ある。...
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第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁 「ようやくですな」 「ようやくにござる」  次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。  そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃した...
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第170話 『江戸表にてプチャーチンと幕閣』

嘉永六年十月二十六日(1853年11月26日) 佐賀城 「よし、それで大村家中とはつつがなく、渡りをつけた(交渉した)のだな?」 「はは。大村家中は既に時津から伊木力村までは完工しております。我が家中としましては、伊木力から喜々津を経て、三...
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第169話 『次郎を呼べよ』

嘉永六年九月二十四日(1853年10月26日)  「それで讃岐様、琉球はいかなる仕儀に御座いましょうや」 「うむ、なんとか大村家中の御助力のお陰で面目を保つ事ができた。然れど以後如何いかが致すかは、よくよく考えねばならぬ」  讃岐とは島津家...
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第168話 『洋上での対プチャーチン。交渉せずとも進言す』

嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日) 肥前 外海沖  「Я встречаюсь с вами впервые. Меня зовут Ота Ва Дзиродзаэмон, я главный помощник клана Ом...
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第167話 『外海台場と長崎台場。プチャーチン艦隊と大村艦隊』

嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日)  「長官、長崎の湾内の砲台と、この半島沿岸の大砲は明らかに違います」 「うむ……青銅砲ではないな。あきらかに西洋式の鉄製大砲ではないか。……いったいどうした事だ。日本は旧式の青銅の大砲しか持って...
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第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋 「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」  次郎は呼び出され、江戸城御用...
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第165話 『公儀からの質し状と登城命令』

嘉永六年七月三日(1853年8月7日) 大村政庁 「また、でございますか」 「……まただ。次郎、お主がJantje(オランダ語のヤンチェ……やんちゃの語源とする説あり)をやらかすから、こうなったのだぞ」  純顕すみあきはいたずらっぽい顔をし...
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第164話 『幕閣と親書の受領。至善丸へのスクリュー艤装』

嘉永六年五月二十三日(1853年6月29日) 江戸城 「なんじゃと! ?」  近習から書状を受け取り、読み上げた老中首座の阿部正弘は驚きの声を上げた。ペリー来航の知らせから城内は緊迫しており、そんな中で、幕閣を驚愕きょうがくさせる出来事があ...
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第163話 『次郎vs.ペリー 日本の事情とアメリカの事情』

嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖 サスケハナ号艦上 「これは心強い。よろしくお願いいたす」  栄左衛門はそう言って、純顕と次郎の一行とともに改めてペリーに向き直る。日本側は純顕、次郎、香山栄左衛門の三名で、アメリカ側はペリ...
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第162話 『サスケハナ艦上にて対峙する』

嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖 「提督、奴らはどうするでしょうか」  ブキャナンがペリーに尋ねると、ペリーは葉巻をふかしながら静かに言う。 「ふむ。琉球の件があるので慎重に行動しなければならないが、臆することはない。奴ら...
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第161話 『13日早まったペリー来航』

嘉永六年四月二十四日(1853年5月31日) 奄美大島 「重畳ちょうじょう重畳。予想通りだ。さすが薩摩隼人、よくやってくれた。これでペリーも強硬な態度は出来ないだろう。琉球でこうなのだから、わが国に対しては対応を和らげてくるはずだ」  就役...
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第158話 『大村純顕の帰国と上海のペリー』

嘉永六年四月七日(1853/5/14)  京都 鷹司邸 「幸経様、その後のご容態については逐一報せを受けておりますが、お変わりありませぬか?」  そう言って笑顔で接しているのは、医学方総奉行の一之進である。 「うむ。お陰で気分もよく、日中に...
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第157話 『缶詰のその後と技術の波及。』

遡ること嘉永五年九月二十一日(1852/11/2) 精煉方 研究所  早朝の研究所の静けさを破るように、新しい機械が運び込まれた。  佐久間象山はその前に立ち、設計図を片手に満足げに微笑んでいた。その『打抜蓋底』製造機は、打抜き機で作られた...
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第156話 『蒸気機関の改善と消火器』

嘉永六年一月十九日(1853/2/26)   次郎は越後の油田の開発を続けていたが、どうしても運上金がネックであった。  石油の産出98石につき米48石(77両)の比率なのだ。これが本来ならいくらになるかというと、臭水くそうず(石油)1石で...
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第155話 『アーク灯・ガス灯・ランプの棲み分けと石油コンビナート』

嘉永五年十二月十日(1853/1/19)   精煉せいれん方の電力開発方は、信之介が残した初期のダイナモ(発電機)の改良を続けていた。  アーク灯の点灯には成功したものの、膨大な電力が継続的に必要なために電池では限界があり、安定した電力の供...
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第154話 『石油精製法その弐』

嘉永五年十月二十九日(1852/12/10)   予想通り、次郎が提案して純顕が長崎奉行を通じて幕府に上書した内容は、おおむね受諾されたが、純顕の関与は却下された。当然といえば当然の結果である。  こちらは意見を聞いただけで、幕政に参画せよ...
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第153話 『公儀からの質問状』

嘉永五年八月十八日(1852/10/30) 大村藩庁 「然さて次郎よ、この、ごほっ……長崎奉行の志摩守(牧義則)殿からの書状じゃが、どうにも公儀から問いただすようにとのお達しのようじゃ」 「殿、大事ございませぬか? 誰かおらぬか! 俊達先生...
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第152話 『五島沖の事故。嘉永五年との別段和蘭風説書』

嘉永五年七月二十三日(1852/9/6) 五島沖  平戸、壱岐対馬、天草、五島と何度も試験航海を曙丸は繰り返していた。 「主機は順調にございます! スクリューも滞りなく動いておりまする」 「艦橋了解」  機関長からの報告である。  試作のス...