ポルトガル

八紘共栄圏を目指して

第812話 『純正の後継者問題』

文禄四年三月二十五日(1595/6/11) 諫早城 御年四十五となる関白太政大臣小佐々平九郎純正は、重度の健康オタクである。 目の前に並べられた食事は……。 ・青魚(サンマ、アジ、イワシ、サバなど) ・緑黄色野菜(ほうれん草、にんじん、かぼ...
八紘共栄圏を目指して

第811話 『オランダ-1594-黄金時代の幕開け?』

文禄四年三月二十五日(1595/5/4) ネーデルランド デン・ハーグ「よし、では報告を聞かせてもらおうか」 オランダ総督のマウリッツ・ファン・ナッサウは居並ぶ臣下の報告を宮殿にて聞いていた。呼ばれた人たちと臣下の注目はもちろんマウリッツで...
八紘共栄圏を目指して

第810話 『フランス-1594-』

文禄四年二月十五日(1595/3/25) フランス パリ フォンテンヌブロー宮殿「陛下、司教様のお使いの方がお見えです」「なに? またか? ……通すが良い」「ははっ」 フランス国王アンリ4世は側近からの報告を聞き、うんざりしながら司教の使者...
八紘共栄圏を目指して

第809話 『イングランドとフランスとネーデルランドの使者』

文禄四年一月七日(1595/2/15) 諫早城「さて、本来なら個別に面談するところだが、ポルトガル以外の国とは国交がない。ゆえに同時に挨拶となりました。失礼をご理解いただきたい」 純正は向かって左からイギリス・フランス・オランダの使者の顔を...
八紘共栄圏を目指して

第808話 『イングランドのスペインへの挑戦と東洋への野心』

文禄四年一月七日(1595/2/15) イングランド ロンドン 暖炉の火がパチパチと音を立てて執務室を暖かく照らし、窓の外には、テムズ川の穏やかな流れとロンドン市街の景色が広がっている。  エリザベス1世は羽根ペンを握り、羊皮紙に何かを書き...
八紘共栄圏を目指して

第807話 『斜陽のイスパニアと隆盛のポルトガル』

文禄三年十一月二十七日(1595/1/7) スペイン マドリード王宮 フェリペ2世は重々しい表情で窓辺に立ち、マドリードの王宮から広がる景色を眺めていた。彼の目には、かつての帝国の栄光と現在の苦境が映し出されているようだった。「陛下」 側近...
八紘共栄圏を目指して

第806話 『海軍の拡大とシーレーン』

文禄三年十月十七日(1594/11/28) 諫早城 石炭ストーブで暖を取る面々を前に、コーヒーを飲みつつ談笑し、一息ついたところで直茂が発言した。 「さて方々。こたびは先の陸軍再編の如く、海軍の再編について議を進めたく存ずる。まずはこれまで...
八紘共栄圏を目指して

第793話 『オスマン帝国の受難』

文禄二年四月十一日(1593/5/11)  「馬鹿な! そのような事があってたまるか! 何かの間違いではないのか?」 当時の大宰相であったカニイェリ・シヤヴシュ・パシャが、コンスタンティノープルの宮殿で報告を聞いたのが5年前の1588年の事...
東アジアの風雲

第786話 『大明出師と港湾封鎖、その後』

天正二十一年六月五日(1592/7/23) 鴨緑江において肥前国陸軍による明軍相手の掃討戦が終わり、朝鮮軍への引き継ぎが行われていたころ、海上では港湾封鎖が執拗しつように行われていた。「うむ……これで良し、と」 海軍総司令の深沢義太夫勝行は...
東アジアの風雲

第779話 『決死の行軍と鴨緑江沖海戦』

天正二十一年三月八日(1592/4/19)  義州府 義州府の楊鎬ようこうの本隊のもとに、敗残兵を引き連れた沈有容が到着した。兵数は1万。焦燥しきった沈有容の姿は下流域での敵の攻撃のすさまじさと、被害の大きさを物語っている。「よくぞ戻った」...
東アジアの風雲

第768話 『世界戦略と極東戦略』

天正二十年一月十九日(1591/2/12) 肥前諫早「然て皆の衆。まず考えねばならぬ大陸の件は先日話した通りじゃ。明の弱体化を図りつつ哱拝・ヌルハチ・楊成龍へそれぞれ支援を行い、明を遷都させて南明と成し、大陸を三分して統治させる。よいか」 ...
東アジアの風雲

第762話 『肥前国の海軍再編と大日本国、そして極東情勢』

天正十九年六月十二日(1590/7/13) 諫早「殿下、お帰りなさいませ」 3年前の天正16年(1587)1月に諫早を出発した海外領土の視察であったが、3年半の歳月を経て終了した。長崎の湊みなとには純正一行の到着を待ちわびた閣僚と民衆が詰め...
東アジアの風雲

第758話 『オランダの軍事事情』

天正十九年一月二十八日(1590/3/4) <フレデリック・ヘンドリック> さて、去年からジャガイモの栽培を行っているが、初めてにしては上出来と言っていい収穫だった。現代のジャガイモとは少し違うところもあるけれど、主食になり得ることを確認で...
東アジアの風雲

第757話 『暖炉とストーブ』

天正十八年十二月二十三日(1590/1/28) <フレデリック・ヘンドリック> 寒い! 寒い寒い寒い! オランダの暖房は、ほとんどが暖炉だ。 オランダというよりその当時(今)のヨーロッパの主流が暖炉なのである。1475年にフランスで初めての...
東アジアの風雲

第755話 『肥前銀行と大日本国銀行』

天正十八年十月九日(1589/11/16)  灰色の雲に覆われた空の下、肥前国諫早において大日本国銀行監査総監の近江屋治郎右衛門は、随員20名を従えて肥前銀行本店に到着した。  5層の巨大な蔵造りの建物群は、それ自体が1つの街区を形成してい...
東アジアの風雲

第754話 『大日本国予算審議会』

天正十八年八月三十日(1589/10/9)  「それでは方々、天正十八年度、第一回補正予算会議を開きたいと存じます」 肥前国の財務大臣である太田和屋弥市が立ち上がり、会議の開始を告げた。大日本国の中で肥前国があまりに強力であり、その近代的な...
東アジアの風雲

第753話 『ヤンから聞く世界情勢』

天正十八年七月二十日(1589/8/30)  <フレデリック> クルシウスはライデン大学の教授で、植物学の大家だ。オランダどころかヨーロッパ全体で、植物学についてはかなりの影響力を持った人物である。 こんな事なら最初っからクルシウスに聞きに...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第261話 『オランダ領事ヤン・カレル・デ・ウィットと4か国協議へむけて』

文久元年七月七日(1861/8/12) 江戸 西応寺 駐日オランダ公使館「デ・ウィット領事、……失礼、公使に昇任されたのでしたね」「お久しぶりです次郎殿、お変わりないですか?」 オランダ領事のヤン・カレル・デ・ウィットとは、長崎以外で会うの...
東アジアの風雲

第750話 『フレデリックの立場と仕事』

天正十八年二月二七日(1589/4/12) リスボン 王宮 1か月に及ぶ協議の末、肥前国とポルトガルとの間に条約が結ばれた。 肥前国ポルトガル王国相互防衛条約 肥前国とポルトガル王国は、両国の安全保障を強化し、相互の防衛協力を確立するため、...
東アジアの風雲

第749話 『フレデリック・ヘンドリックと日葡安保条約締結なるか?』

天正十八年一月十四日(1589/2/28) <フレデリック・ヘンドリック> 「フレデリック! よかった、無事だったのだな」 部屋に入ってきた男は、ほっとした表情で近づいてきた。服装や言葉遣いは、まるで中世のヨーロッパの貴族のようだ。オレは困...
東アジアの風雲

第748話 『ポルトガル王都リスボンと新たな転生者』

天正十八年一月十四日(1589/2/28)  元亀二年(1571年)から開発が始められた炸裂弾とその砲は、日夜国友一貫斎を中心として研究開発がなされていたが、すでに18年の歳月が流れていた。 一貫斎は、純正の叔父であり、肥前国の科学技術省大...
大日本国から世界へ

第747話 『モノモタパ王』

天正十七年十月六日(1588/11/24) ケープタウン 純正はインドへ駆逐艦を派遣し、カリカットの総督府からポルトガル領のゴアを経由して、ムガル帝国領内の通過を許可してもらって、オスマン帝国へ使者をだした。 同時にポルトガルへも親書を送り...
大日本国から世界へ

第746話 『ケープタウンとポルトガル。周辺の王国とインドと同じ状況』

天正十七年十月六日(1588/11/24) ケープタウン カリカットからソコトラ沖の海戦を経て、マダガスカルに到着して現地を視察した後、純正の艦隊はケープタウンに到着した。「父上、朝夕は肌寒いですが、日中は過ごし易うございますね」「うむ。今...
大日本国から世界へ

第745話 『オスマントルコ帝国とポルトガル』

天正十七年八月十六日(1588/10/6) アラビア海ソコトラ島沖「各員、警戒を厳となせ」 純正は単艦で(補給艦含まず)航海をしていたが、カリカットの印阿第一艦隊よりケープタウンまで護衛の要望があったので、隷下の一個水雷戦隊(軽巡一、駆逐艦...
大日本国から世界へ

第744話 『アルマダの海戦の敗北とカリカット総督府』

天正十七年六月二十四日(1588/8/16)「な、なんだと? そんなバカな……」 フェリペ2世はアルマダの海戦の敗報を絶望と共に知った。 手から報告書が滑り落ちて床に散らばるが、側近たちは固唾をのんで王の反応を見守っている。やがて彼は深く息...
大日本国から世界へ

第741話 『ルソン総督と北川長介純清』

天正十六年十二月二十九日(1588/1/27)フィリピン「父上、やはりルソンまで来ると暑うございますね。台湾も暖こうございましたが、さらに南だとこうも暑いものでしょうか」「ふふ、平十郎よ、そなたは肥前国から出るのは初めてではなかろう? 海軍...
天下百年の計?

第738話 『李氏朝鮮第14代国王宣祖への謁見』

天正十六年十月一日(1587/11/1)九州地方 対馬県 厳原港「これはこれは関白殿下、斯様かように何もないところにお越し頂き、この義調よししげ、光栄の至りにございます」 厳原の港でそう答えるのは、対馬宗家17代当主であった宗義調である。 ...
天下百年の計?

第730話 『肥前国内行政機構再編制』

天正十四年七月十六日(1585/8/11) 諫早城 純正は毛利家への仕置きと併せて、肥前国内の行政機構と、大日本国内での小佐々領内の呼称について改称・改編を行った。 まず、小佐々家の統治下にある全ての所領を肥前州とした。海外領土も全てである...
天下百年の計?

第723話 『肥前国(州)の貿易状況』

天正十三年十二月十五日(1585/1/15) 諫早城 大日本国と肥前国(州)とでは、経済規模がまるで違う。  厳密に言えば肥前国は小佐々州として大日本国の構成州となっている訳であるから、その肥前国の貿易収益の何パーセントかが大日本国の貿易収...
天下百年の計?

第722話 『フェリペ二世の焦りと欧州情勢』

天正十三年十一月十四日(1584/12/15) スペイン マドリード王宮 スペイン王フェリペ二世は苛立ちの極致であった。 6年前、1578年6月にヌエバエスパーニャ副王の艦隊が壊滅して以降、副王の更迭ならびに内政の拡充を行ってきた。海軍の再...
天下百年の計?

第721話 『ヌエバエスパーニャ出兵論と新しい薬の話』

天正十三年十月十二日(1584/11/14) 海軍省内「イスパニアの勢を、ふつと(完全に)消し去るべきではございませぬか?」 こういう議論が海軍内の若手将校の間で公然とされるようになったのは、第二次対イスパニア戦争勝利後の事である。一度なら...
天下百年の計?

第720話 『セバスティアン一世の治世と駐ポルトガル肥前国(大日本国)大使館』

天正十三年九月九日(1584/10/12) リスボン王宮  「宰相よ、今、肥前国との貿易収支はどうなっている?」 宰相は書類に目を落とし、慎重に答える。「陛下、現状ではかろうじて収支が0の状態です」「……そうか。かろうじて、か。一時は肥前国...
天下百年の計?

第719話 『汽帆船対戦列艦』

天正十三年八月五日(1584/9/9)  角力灘すもうなだ 夏の暑さがまだ残る日の午前9時、2隻の巨船が波間に浮かんでいた。 肥前国海軍第一艦隊の誇る1,750トン74門戦列艦『八島』と、最新の蒸気機関を搭載した1,800トンの汽帆船『多聞...
天下百年の計?

第717話 『肥前国(州)陸海軍と大日本国陸海軍』

天正十三年五月二十二日(1584/6/30) 肥前州庁舎 大日本国陸海軍は、いわゆる肥前州陸海軍である。 各州の州軍はそのまま大名の私兵が運用される事になっているが、装備や規模、練度や士気の面で国軍よりはるかに劣る。州は独立国に等しい権限を...
天下百年の計?

第714話 『大日本国政府非加盟国の食糧事情』

天正十三年一月二十七日(1584/3/9) 岐阜城「殿、筑前守様(羽柴秀吉)、お越しにございます」「通せ」 岐阜城の謁見の間において秀吉を出迎えた信忠は、諫早で学んでいた頃の面影を残しつつも、為政者としての威厳が備わりつつあった。  信忠は...
天下百年の計?

第713話 『第一回国際天文学会が開催される』

天正十二年十二月十五日(1584/1/27) 諫早城天文台 特設会場「さて皆様、ここに、第一回国際天文学会が開ける事にこの上ない喜びを感じます。今回は皆様と新たな論文の発表とあわせて大いに意見を交わし、さらなる天文学の発展につなげましょう」...
天下百年の計?

第712話 『大日本国銀行』

天正十二年十一月二日(1583/12/15) 肥前国庁舎 最上義光に送った質問状については、予想通りの回答がきた。要するに単なる軍事訓練であり、他領への侵攻の意図はまったくない、という事である。 真偽のほどは別として、純正は念のため、義氏に...
天下百年の計?

第710話 『琉球国の処遇と港湾インフラ』

天正十二年八月三日(1583/9/18) 新政府庁舎「さて方々、此度こたびの言問に入る前に、此この間あった琉球国との仕儀に付いてお知らせを致したく存ずる」 純正は先日行われた琉球国との交渉の顚末てんまつを報告した。事後報告ではあるが、情報の...
天下百年の計?

第709話 『瓶詰めの開発と琉球州顛末。琉球国か琉球州か』  

天正十二年六月十六日(1583/8/3) 諫早城 「ところで忠右衛門。その後缶詰はどうなっている?」 純正は唐突に忠右衛門に尋ねた。 忠右衛門は14年前に真空ポンプを使って実験をして以来、純正から缶詰の開発を依頼されていたのだ。 しかし実際...
年表・統治機構

新政府統治機構

小佐々家……肥前州(以下内訳) ■中国地方……長門県(以下県)・周防・安芸・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・但馬・美作・播磨・備前・備中・備後。 中国総督府・安芸吉田郡山(総督:毛利輝元)。 ■四国地方……讃岐県(以下県)・阿波・土佐・伊予・...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』

天正十年十二月十二日(1582/1/6) 織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。 これは何も信忠に限った事ではない。 小...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第688話 『貨幣政策と度量衡、明の陰り』(1581/4/14) 

天正十年三月十一日(1581/4/14) 南近江 暫定新政府庁舎 庁舎の会議室は和室ではなく洋室である。 上座に純正が座り、官位の順に並んでいる。窓から差し込む光が重厚な木製のテーブルを照らし、各大名が座る中、財務大臣の太田屋弥市が立ち上が...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」 純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の影響...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形 メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 見...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」 純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして、行...
小佐々家の状況

天正八年五月十一日(1579/6/5) 小佐々家の状況

-小佐々家の状況- 戦略会議室  ・明国とは現状維持を図り、女真族との友好路線を継続。東南アジアにおいては再度のスペインの侵攻に備える。国内では既存地域の殖産興業と北方資源開拓。  ・奥州諸大名の大同盟参加と、北条への上洛要請。 財務省  ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館「構いなし、か」 純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。 要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味方もな...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)  越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。 が、今世は違った。 純正が信長と同じ立場で東に武田と上杉...