ポルトガル

大日本国から世界へ

第744話 『アルマダの海戦の敗北とカリカット総督府』

天正十七年六月二十四日(1588/8/16)「な、なんだと? そんなバカな……」 フェリペ2世はアルマダの海戦の敗報を絶望と共に知った。 手から報告書が滑り落ちて床に散らばるが、側近たちは固唾をのんで王の反応を見守っている。やがて彼は深く息...
大日本国から世界へ

第741話 『ルソン総督と北川長介純清』

天正十六年十二月二十九日(1588/1/27)フィリピン「父上、やはりルソンまで来ると暑うございますね。台湾も暖こうございましたが、さらに南だとこうも暑いものでしょうか」「ふふ、平十郎よ、そなたは肥前国から出るのは初めてではなかろう? 海軍...
天下百年の計?

第738話 『李氏朝鮮第14代国王宣祖への謁見』

天正十六年十月一日(1587/11/1)九州地方 対馬県 厳原港「これはこれは関白殿下、斯様かように何もないところにお越し頂き、この義調よししげ、光栄の至りにございます」 厳原の港でそう答えるのは、対馬宗家17代当主であった宗義調である。 ...
天下百年の計?

第730話 『肥前国内行政機構再編制』

天正十四年七月十六日(1585/8/11) 諫早城 純正は毛利家への仕置きと併せて、肥前国内の行政機構と、大日本国内での小佐々領内の呼称について改称・改編を行った。 まず、小佐々家の統治下にある全ての所領を肥前州とした。海外領土も全てである...
天下百年の計?

第723話 『肥前国(州)の貿易状況』

天正十三年十二月十五日(1585/1/15) 諫早城 大日本国と肥前国(州)とでは、経済規模がまるで違う。  厳密に言えば肥前国は小佐々州として大日本国の構成州となっている訳であるから、その肥前国の貿易収益の何パーセントかが大日本国の貿易収...
天下百年の計?

第722話 『フェリペ二世の焦りと欧州情勢』

天正十三年十一月十四日(1584/12/15) スペイン マドリード王宮 スペイン王フェリペ二世は苛立ちの極致であった。 6年前、1578年6月にヌエバエスパーニャ副王の艦隊が壊滅して以降、副王の更迭ならびに内政の拡充を行ってきた。海軍の再...
天下百年の計?

第721話 『ヌエバエスパーニャ出兵論と新しい薬の話』

天正十三年十月十二日(1584/11/14) 海軍省内「イスパニアの勢を、ふつと(完全に)消し去るべきではございませぬか?」 こういう議論が海軍内の若手将校の間で公然とされるようになったのは、第二次対イスパニア戦争勝利後の事である。一度なら...
天下百年の計?

第720話 『セバスティアン一世の治世と駐ポルトガル肥前国(大日本国)大使館』

天正十三年九月九日(1584/10/12) リスボン王宮  「宰相よ、今、肥前国との貿易収支はどうなっている?」 宰相は書類に目を落とし、慎重に答える。「陛下、現状ではかろうじて収支が0の状態です」「……そうか。かろうじて、か。一時は肥前国...
天下百年の計?

第719話 『汽帆船対戦列艦』

天正十三年八月五日(1584/9/9)  角力灘すもうなだ 夏の暑さがまだ残る日の午前9時、2隻の巨船が波間に浮かんでいた。 肥前国海軍第一艦隊の誇る1,750トン74門戦列艦『八島』と、最新の蒸気機関を搭載した1,800トンの汽帆船『多聞...
天下百年の計?

第717話 『肥前国(州)陸海軍と大日本国陸海軍』

天正十三年五月二十二日(1584/6/30) 肥前州庁舎 大日本国陸海軍は、いわゆる肥前州陸海軍である。 各州の州軍はそのまま大名の私兵が運用される事になっているが、装備や規模、練度や士気の面で国軍よりはるかに劣る。州は独立国に等しい権限を...
天下百年の計?

第714話 『大日本国政府非加盟国の食糧事情』

天正十三年一月二十七日(1584/3/9) 岐阜城「殿、筑前守様(羽柴秀吉)、お越しにございます」「通せ」 岐阜城の謁見の間において秀吉を出迎えた信忠は、諫早で学んでいた頃の面影を残しつつも、為政者としての威厳が備わりつつあった。  信忠は...
天下百年の計?

第713話 『第一回国際天文学会が開催される』

天正十二年十二月十五日(1584/1/27) 諫早城天文台 特設会場「さて皆様、ここに、第一回国際天文学会が開ける事にこの上ない喜びを感じます。今回は皆様と新たな論文の発表とあわせて大いに意見を交わし、さらなる天文学の発展につなげましょう」...
天下百年の計?

第712話 『大日本国銀行』

天正十二年十一月二日(1583/12/15) 肥前国庁舎 最上義光に送った質問状については、予想通りの回答がきた。要するに単なる軍事訓練であり、他領への侵攻の意図はまったくない、という事である。 真偽のほどは別として、純正は念のため、義氏に...
天下百年の計?

第710話 『琉球国の処遇と港湾インフラ』

天正十二年八月三日(1583/9/18) 新政府庁舎「さて方々、此度こたびの言問に入る前に、此この間あった琉球国との仕儀に付いてお知らせを致したく存ずる」 純正は先日行われた琉球国との交渉の顚末てんまつを報告した。事後報告ではあるが、情報の...
天下百年の計?

第709話 『瓶詰めの開発と琉球州顛末。琉球国か琉球州か』  

天正十二年六月十六日(1583/8/3) 諫早城 「ところで忠右衛門。その後缶詰はどうなっている?」 純正は唐突に忠右衛門に尋ねた。 忠右衛門は14年前に真空ポンプを使って実験をして以来、純正から缶詰の開発を依頼されていたのだ。 しかし実際...
年表・統治機構

新政府統治機構

小佐々家……肥前州(以下内訳) ■中国地方……長門県(以下県)・周防・安芸・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・但馬・美作・播磨・備前・備中・備後。 中国総督府・安芸吉田郡山(総督:毛利輝元)。 ■四国地方……讃岐県(以下県)・阿波・土佐・伊予・...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』

天正十年十二月十二日(1582/1/6) 織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。 これは何も信忠に限った事ではない。 小...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第688話 『貨幣政策と度量衡、明の陰り』(1581/4/14) 

天正十年三月十一日(1581/4/14) 南近江 暫定新政府庁舎 庁舎の会議室は和室ではなく洋室である。 上座に純正が座り、官位の順に並んでいる。窓から差し込む光が重厚な木製のテーブルを照らし、各大名が座る中、財務大臣の太田屋弥市が立ち上が...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」 純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の影響...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形 メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 見...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」 純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして、行...
小佐々家の状況

天正八年五月十一日(1579/6/5) 小佐々家の状況

-小佐々家の状況- 戦略会議室  ・明国とは現状維持を図り、女真族との友好路線を継続。東南アジアにおいては再度のスペインの侵攻に備える。国内では既存地域の殖産興業と北方資源開拓。  ・奥州諸大名の大同盟参加と、北条への上洛要請。 財務省  ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館「構いなし、か」 純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。 要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味方もな...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)  越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。 が、今世は違った。 純正が信長と同じ立場で東に武田と上杉...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城 小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。「こりゃあ大したもんだ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第667話 『磯根崎沖海戦』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 未一つ刻(1300) 上総竹岡湊沖~磯根崎沖「艦橋-見張り」「はい艦橋」「右六十度、距離三○(3km・海軍ではメートル法基準)、小舟多数。南に向かっている」 見張りの報告を受けた艦長をはじめとした参謀...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城 「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」「なにい! ? 数は?」「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に遣いを...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日 義弘の四十九日の法要が終わった。 元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養子と...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第660話 『明国と北条』(1578/12/2) 

遡って天正七年八月十七日(1578/9/18) 「申し上げます! 呂宋にて、シーバンニャ(西班牙・Hispania・イスパニア)艦隊壊滅! 小佐々に敗れたそうでございます!」 紫禁城にて首輔である張居正は忙しく業務をこなしていた。 税制改革...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7)

天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮 王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千々...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」 城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化された砲...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第642話 『マニラでの織田海軍と南の戦局、明の動き』(1578/5/5)

天正七年三月二十九日(1578/5/5) マニラ「損害が順天丸だけでようございましたな」「うむ。お主の日々の鍛錬によって、よく船が動いたおかげじゃろうて」「ありがたきお言葉にございます」 マニラに帰港した織田艦隊は、艦艇の補修を行いつつ乗員...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第641話 『開戦! パナイ島の戦い』(1578/4/26) 

天正七年三月二十日(1578/4/26) パナイ島 パナイ川河口 パナイ川はパナイ島の北東部にあり、入江に注ぎ込む河口は二つに分かれているために、封鎖がしにくいと言う理由で、ポルトガルから逃れるためのスペイン軍の拠点とされてきた。 マニラ侵...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第640話 『虚々実々、南海の大戦まで半年か?』(1578/4/18) 

天正七年三月十二日(1578/4/18) マニラ 小佐々軍駐屯地「なに? 知らぬだと? ふ、ふふふふふ。喰えぬ男のようだな、玄蘇げんそよ」「は。なにぶん知らぬ存ぜぬの一点張りでして。されど、やつらは時間稼ぎをするつもりのようです」 景轍玄蘇...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」 木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですから、威...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第635話 『織田海軍と第四艦隊、信忠と澄隆の乗艦』(1577/11/24)

天正六年十月十五日(1577/11/24) 伊勢国大湊「おい、あれが小佐々の船かよ……」「あの大砲の数はなんだ。織田の倍はあるじゃないか」「何隻だ? 何隻いるんだ?」「十隻はいるぞ。何日留まるのだ? 酒屋に旅籠が繁盛するぞ!」 佐々清左衛門...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」 会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様 秘メ 明国 張居正 ト イスパニア 使者 ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第630話 『蒸気機関の課題はわかった。次は雷管だ』(1577/6/7) 

天正六年五月二十一日(1577/6/7) 諫早城 <純正>「では蒸気機関は、高炉ともうひとつの炉の動力源として使うように」 俺は忠右衛門と政秀にそう命じた。「松庵、鉄には硬い鉄と柔らかい鉄、硬いが脆い鉄など、様々な種類があるのではないか?」...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 

天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。小佐々甚吾純吉である。本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時に行わ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第620話 『朝鮮貿易拡大と女真族への援助』(1575/4/21)

天正四年三月十一日(1575/4/21)  対馬の宗氏を介した李氏朝鮮との貿易も、ここにきて様子が変わってきていた。ずいぶん前に対馬の宗氏と五島の宇久氏は純正に服属し、その交易権を委譲していたのだ。 当初より純正は積極的に明を除く諸外国と交...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第619話 琉球王国、日本(小佐々)に冊封? 明西同盟成立と揺れ動く極東情勢(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城景轍てつ玄蘇は明・朝鮮・琉球・東南アジア・ポルトガル・スペイン他欧州など国外の渉外を管轄している責任者である。「玄蘇よ、その琉球がいかがした?」「は。いよいよもって琉球の明離れが著しく、明の冊封...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第618話 対イスパニア戦、再び?(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城『フィリピン全土占領の大儀とそれに付随する戦略会議』が純正の主導で開催された。 開催というより議題に上った案件で、最重要課題の一つだったために、特別に時間を割いたのだ。「フィリピン全土を占領した...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第617話 対イスパニア戦略(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城「さてみんな、国内においてはおおよそ平和になった。奥州では大道寺家が同盟に加わり、北条の動きも抑えた。他の大名は参加の答えは来ていないが、敵対もせぬであろう。佐竹と宇都宮は知っての通りだ」 純正...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第615話 関東騒乱終結。北条の勢力拡大と、宇都宮と佐竹の弱体化(1574/10/27)

天正三年十月十三日(1574/10/27) 交渉3日目 茂木城「陸奥守殿、そう譲れぬ譲れぬの一点張りでは、決まるものも決まりませぬ。ここは関東の雄、大国としての徳と民への慈愛をもって、為すべき事を為すほうが良いかと存ずるが、いかに」(……肥...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19)

天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場 天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。 もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で江戸...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』(1840/10/5)

天保十一年九月十日(1840/10/5) ~前略~ 唐国に而しかしてエゲレス人に無理非道之事共有之候所のことともにありのそうろうところよりエゲレス国より唐国へ師を出し、エゲレス国は勿論、カアプデホプ(アフリカ州之内)及び印度エゲレス国之領地...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4) そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。 結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されていた...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26)

天保十一年五月二十七日(1840/6/26) オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。   当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。 商館長が作成したもの...