退却

技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第673話 『信長との対談。御館の乱の形勢逆転』(1579/9/18) 

天正八年八月二十八日(1579/9/18) 岐阜城 「これはこれは、久しいですな内府殿」 「堅苦しい話はやめましょう中将殿。人払いを願えますか」  純正は岐阜城で信長と会見した。すぐに信長は近習に伝え、人払いをする。「久しいな。こうして直に...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第653話 『レイテ沖海戦~伍~起死回生と窮途末路』(1578/6/23)12:00

天正七年五月十八日(1578/6/23)12:00 接敵地点より南へ20km カバリアン湾沖東22km地点  「提督! 前方に艦影あり! 敵艦と思われます! 多数!」  ゴイチ艦隊旗艦の見張りが大声で報告する。 「ちくしょう。もう来やがった...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第652話 『レイテ沖海戦~四~千変万化。機を見るに敏であれ』(1578/6/23) 09:00 

天正七年五月十八日(1578/6/23) 09:00 カバリアン湾沖東18km 「司令官! 敵、カバリアン湾ではなくなおも北上、アナハワン沖へ北上しております!」  「なに! ? ばかな! 敵の本隊はカバリアン湾におるのではないのか? なぜ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第650話 『レイテ沖海戦~弐~作戦決定セリ、小佐々艦隊出撃ス』

天正七年五月九日 マクタン島 マゼラン湾 第一連合艦隊旗艦 穂高 「さて、まず一つ目だが、皆の意見を聞かせてもらいたい。包囲攻撃作戦の利点と欠点を洗い出していこう」  純正は全員を見渡して、発言した。  艦隊総司令の勝行が率先して意見を述べ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第648話 『嵐の前の静けさ……レイテ沖海戦プロローグ』

天正七年五月五日 マクタン島 マゼラン湾 砲撃直後  砲撃の轟音ごうおんが響く中、偵察艦は全速力で退却を開始した。水しぶきを上げながら、急いで安全な距離を保つことを目指す。小佐々艦隊の圧倒的な火力に直面し、フアン艦隊の偵察艦内では怒号が飛び...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第647話 『長蛇の列とタブゴンの戦い』

天正七年五月三日 レイテ島南部 タブゴン  パパン! パパパパーン……。  タブゴン湾を見渡せる150mほどの丘の上から、散発的に銃撃が小佐々軍の偵察分隊に加えられている。しかし、幸いな事に距離は500mを超えているようだ。当たらない。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第644話 『決戦!イスパニア艦隊』

天正七年四月二十三日 マクタン島~セブ島タリサイ  陸軍はマニラに守備兵として3千を残して、第4師団の1万2千がセブ島のサン・ペドロ要塞の南西8kmにある、タリサイの地に陣地を築いている。  地域の中央には南北にマナンガ川が流れており、狭い...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

天正三年四月二十一日(1574/5/11)  太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。  これは可、これは非という形の説明に終始したの...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第560話 城生城の落城と鎌田政年の討死。両軍、和議となるか?

天正元年 四月五日 酉四つ刻(1830) 越中 戸波村~鷲塚村 島津軍  巳の四つ刻(1030)から始まった島津軍と上杉軍の戦闘は、巧みに離合集散を繰り返して互角のまま推移していたが、もう間もなく日没になろうかという頃、唐突に終わりを告げた...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第545話 悲報、伊東軍の苦戦と岩成友通の戦死。

天正元年 四月二日 巳みの三つ刻(1000) 庄川西岸(能町村) 島津本陣  伊東軍が上杉軍右翼三千と戦闘を開始して半刻(1時間)が経過していた。 「や! これは……まずい。急ぎ伝令を!」  庄川の西岸にある島津本陣から対岸の伊東軍の先陣が...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第539話 接舷乗艦と火矢攻撃、第四艦隊壊滅??

天正元年 四月一日 午一つ刻(1100) 立花道雪 陣中 「殿、杉浦壱岐守様がお見えです」 「何? 壱岐守殿が?」  九州の武士である道雪にとって、杉浦玄任(1517~)は見知らぬ人物である。道雪以外の、一番近い摂津三好衆にとっても知ってい...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第520話 対上杉謙信 純正の調略と荷留・津留の経済封鎖

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十六日 京都 大使館   純正は謙信が話し合いに応じ、戦う事なく拮抗状態が維持できればと考えていたが、やはりそれは出来なかった。  第二師団には尾張より木曽川を上って飛騨に入り、越中との国境である塩屋城...
緊迫の極東と、より東へ

第488話 耐火レンガと反射炉への道

元亀二年 十一月十五日  信長は勅書に基づき、延暦寺や本願寺、伊賀衆や雑賀、松永弾正、そして朝倉義景に対して事実上の降伏勧告とも言える和議の申し出を行った。  条件は次の通り。  ・延暦寺は武装解除して賠償金二千貫。そもそも何の理由があって...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第475話 義昭、流浪将軍となる

元亀二年 九月二日 京都 室町御所  信長が義昭に提示した条件は二つであった。  人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。  なにせ和睦という体の降伏なのである。 ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第472話 降伏と和議と異見十七箇条

元亀二年 八月十一日 逢坂の関 「申し上げます! 敵方よりの使者、来ましてございます」 「通せ」  暫定京都師団長の神代貴茂少将と将棋を指していた純久は、淡々と近習に伝える。使者がうんぬんというよりは、貴茂の手をどう崩すかが気がかりのようだ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第469話 武田軍撤退ス……信玄ノ容体ヤ如何二?

元亀二年 七月二十日 京都大使館    発 外務省三河 宛 治部少丞  秘メ 武田軍 退却セリ 巷説デハ 浜松城 要害ナレバ 陥落セシムルニ 一月ハ 要ス ソノ間 越後ニ 動キアラバ   信濃ナラビニ 上野ノ 守リ 危ウシト 流布サレリ 然...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第446話 信長の越前攻め

元亀二年 二月八日 岐阜城 「時は来た。いざ越前へ攻め入るぞ」。  満を持した信長の号令の下、一次侵攻の時と同じように、浅井長政の一万とあわせて、合計六万の軍勢が越前に攻め入ったのだ。  浅井長政軍を主力とした一万五千の兵が敦賀口から金ヶ崎...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第436話 純正、孫子の兵法を説く

元亀元年 十一月二十三日 伊予 湯築城  「寒いっ! 無理! 絶対無理! なんだよこれ! 氷点下じゃねえか!」  秀政が聞いたら驚くような言葉だが、温度計自体はずいぶん前に純正のアイデアで作っている。水に食紅で色をつけた温度計だ。  しかし...
西国の動乱、まだ止まぬ

第383話 鎮西平定ナレドモ四国ハ西園寺ガ残リケリ

永禄十二年 十二月二日 丑一つ刻(0100)諫早城  隣国に攻められたり飢饉の発生や疫病など、一刻をあらそう場合は、深夜であれ純正の元には緊急通信が入ってくる。迅速な対応が求められるからだ。  発 石宗衆 宛 総司 秘メ ※島津義虎謀反 東...
肥薩戦争と四国戦役

第345話 戦国九州のポツダム宣言とヤルタ会談??

永禄十二年(1569) 十月十九日 巳一つ刻(0900) 日向国紫波州崎村(宮崎市折生迫)   洋室、洋間がある城は、おそらく諫早城だけであろう。もしかすると岐阜城にもあったかもしれないが、知る由もない。種子島城にはもちろん洋室はないが、諫...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第74話 平戸松浦氏の処遇 運命の岐路

同年 五月 沢森城 沢森政忠  さて最後は、これが一番の難事で、やり方によっては肥前の情勢を一変させる。我らが生きるも死ぬも、これにかかっていると言っても過言ではない。  ……。  主だった者を城に呼んで評定を開いた。  まずは俺の隣に親父...
年表・統治機構

1571年~1575年(忘備録)

元亀二年(1571年) 1月 籠手田艦隊 バンテン国王謁見 2月 信長越前攻め 3月 信玄西上作戦実行 海軍兵学校・陸軍士官学校第六期生卒業 純アルメイダ大学第四期生卒業 4月 山陰山陽にて反乱 マニラにてスペイン艦隊ならびに上陸軍との戦い...