帆船

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第200話 『功山と宇和島藩』

安政三年五月十四日(1856/6/16) 伊予 宇和島城  伊予宇和島藩主伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれ、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに積極的に幕政に参加した事で有名であるが、今世では少し違う。  史実と同じように阿部正弘に幕政の改革...
天下百年の計?

第732話 『吉原県吉原湊』

天正十六年一月十八日(1587/2/25)  地震発生から1年と2か月が経ったが、純正は地震が発生してすぐに決定をした。  向こう10年間を復旧期間とし、全域の復旧ならびに新規の高層建築の建造を禁止したのだ。もちろん、計画していた大阪城も例...
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第198話 『安政二年のオランダ風説書と鹿児島藩、薩摩海軍』

遡ること8か月前の安政二年六月二十五日(1855年8月7日)  安政乙卯おつう賀蘭風説別段風説書  今年はオランダも平和で隣国はじめヨーロッパ諸国と親しく交わり、交易・航海共に活発である。  1854年末から1855年初にかけて暴風雨に見舞...
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第197話 『御公儀と大村家中-佐賀藩の二番手争い-』

安政三年二月一日(1856/3/7)   幕閣との舌戦が終わり、何とか事なきを得た次郎であったが、阿部正弘の体調が気にかかり、医師団の派遣を申し出た。立場は違えど国を思う気持ちと、相通じる部分があると感じたからだ。  もし生きていれば幕末は...
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第191話 『鉄道が欲しい!』

安政二年七月十二日(1855/8/24)   大村藩ではライケンらオランダの教官による授業を受ける前から、洋式木造帆船の建造を行い、その航海技術の習熟を次郎の経験と知識、そして深澤組(捕鯨)の協力で行っていた。  それを海軍の創設と考えると...
天下百年の計?

第726話 『上知か転封か減封か』

天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都 「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」 「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」  肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。  そのため純...
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第182話 『四賢侯、山内容堂と島津斉彬』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11)  京都 「いやほんま、次郎さんの神通力には目を見張るものがありましゃるの。雲龍水に消火器、前もって備えておったからこそ、これだけの災いで済んだのであろうの」  京都の大村藩邸からは一之進肝入りの医...
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第181話 『四賢侯、松平春嶽と伊達宗城』

嘉永七年七月二十九日(1854/8/20)  越前福井城 「左膳よ、左内からの上書じゃ」  越前福井藩主である松平慶永(春嶽)は改革派の家老岡部左膳に対して、帰郷していた橋本左内からの上書を見せた。  福井藩は慶永が藩主となる前は守旧派であ...
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第176話 『幕府海軍と通訳と転炉』

■嘉永七年四月一日(1854/4/27)  次郎はあまり幕府のやることに干渉はしたくなかったが(面倒くさいので)、ことこの条約に関しては、日本の未来を左右する重大事なので、大村で黙っている訳にはいかなかった。  純顕は一回目のペリーとの会談...
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第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日)   現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。  零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)…...
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第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁 「ようやくですな」 「ようやくにござる」  次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。  そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃した...
天下百年の計?

第719話 『汽帆船対戦列艦』

天正十三年八月五日(1584/9/9)  角力灘すもうなだ  夏の暑さがまだ残る日の午前9時、2隻の巨船が波間に浮かんでいた。  肥前国海軍第一艦隊の誇る1,750トン74門戦列艦『八島』と、最新の蒸気機関を搭載した1,800トンの汽帆船『...
天下百年の計?

第718話 『三個師団と三個艦隊。汽帆船の艦隊編成へ』

天正十三年六月二十九日(1584/8/5)   陸軍に関しては北方は小樽に、印阿国はケープタウンとカリカットに駐屯地を設営して地域の防備と運営にあたる事となったのだが、三個師団の増強はそこまで時間はかからなかった。  小樽、ペトロパブロフス...
天下百年の計?

第717話 『肥前国(州)陸海軍と大日本国陸海軍』

天正十三年五月二十二日(1584/6/30) 肥前州庁舎  大日本国陸海軍は、いわゆる肥前州陸海軍である。  各州の州軍はそのまま大名の私兵が運用される事になっているが、装備や規模、練度や士気の面で国軍よりはるかに劣る。州は独立国に等しい権...
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第167話 『外海台場と長崎台場。プチャーチン艦隊と大村艦隊』

嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日)  「長官、長崎の湾内の砲台と、この半島沿岸の大砲は明らかに違います」 「うむ……青銅砲ではないな。あきらかに西洋式の鉄製大砲ではないか。……いったいどうした事だ。日本は旧式の青銅の大砲しか持って...
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第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋 「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」  次郎は呼び出され、江戸城御用...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第11話 『卒善中郎将の掖邪狗(エキヤク・ヒエシエコ)』

2024/6/12(水) 15:00 九州大学 「昨日なんで休講だったのかな? ねえ、誰か先生の連絡先知らないの?」 「知らねー。だってあの先生、嫌いじゃないけど、あんまり人付き合い得意そうじゃないだろ?」 「確かに。明日も休講なのかな?」...
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第154話 『石油精製法その弐』

嘉永五年十月二十九日(1852/12/10)   予想通り、次郎が提案して純顕が長崎奉行を通じて幕府に上書した内容は、おおむね受諾されたが、純顕の関与は却下された。当然といえば当然の結果である。  こちらは意見を聞いただけで、幕政に参画せよ...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第10話 『鉄と帆船』 

正元二年六月二十五日 邪馬壱国 方保田東原宮処かとうだひがしばるのみやこ <修一>  考古学者=歴史学者でもなければ、=歴史オタクでもない。  だから俺も、歴史オタクではない。でも考古学を学ぶにあたり、発掘や調査をするにあたっては、とっかか...
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第152話 『五島沖の事故。嘉永五年との別段和蘭風説書』

嘉永五年七月二十三日(1852/9/6) 五島沖  平戸、壱岐対馬、天草、五島と何度も試験航海を曙丸は繰り返していた。 「主機は順調にございます! スクリューも滞りなく動いておりまする」 「艦橋了解」  機関長からの報告である。  試作のス...
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第151話 『スクリューと九条幸経』

嘉永五年六月七日(1852/7/23) 大村藩 精煉せいれん方 スクリュー研究室   象山が加硫によるゴムの安定化に成功した事と、潤滑油の開発が終了したことで、スクリュー製造の目処がたってきた。研究室内では実験結果を詳細に記録しながら、象山...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第9回 『大官彌勇馬と邪馬壱国の国際情勢』

正元二年六月二十五日 邪馬壱国 方保田東原宮処かとうだひがしばるのみやこ 「申し上げます! 彌勇馬みゆま大官様、お戻りにございます!」  兵士が大きな声で叫び、邪馬壱国大官である彌勇馬将軍の帰国を知らせた。ドタドタドタと宮殿正面の庭を歩いて...
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第149話 『浦賀と朝廷』(1852/4/20)

嘉永五年三月二日(1852/4/20) 浦賀湊みなと  シュッシュッシュッシュッ、ガシャンガシャンガシャンガシャン……。  幕府の命を受けて次郎たちは浦賀湊で停泊し、使者を待っている。湾内には幕府が建造した晨風しんぷう丸をはじめとした小型の...
天下百年の計?

第696話 『冷蔵と冷凍に関する話』(1582/5/18) 

天正十一年四月二十六日(1582/5/18)   ジエチルエーテルの気化による冷却で氷ができることがわかり、冷蔵庫の発明となった。これは手動で喞筒そくとう(ポンプ)を押し、その動力で氷を作って冷却するという物である。  現在の冷蔵庫に比べる...
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第142話 『商船学校と海軍兵学校』(1851/11/28) 

嘉永四年十一月六日(1851/11/28)   大村藩で最初の洋式帆船の船乗りは、深澤家の漁師である。  14年前に捕鯨衆深澤組の復活を条件に、出島のオランダ商館に入り浸り、洋式帆船の造船術や操船術、航海術を時間をかけながら習得した者達だ。...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第141話 『蝦夷地開発の上書と小曽根乾堂』(1851/11/6) 

嘉永四年十月十三日(1851/11/6)  江戸城 「伊勢守殿(阿部正弘)、蝦夷の伊豆守殿(松前崇広)より上書が来たとか。随分と真剣なお顔でござるが、如何いかなる内容だったのでござろうか」  牧野忠雅は、険しい顔をしながら書類を見ている阿部...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第694話 『新政府議員の諫早紀行』(1582/2/21)

天正十一年一月二十九日(1582/2/21) 堺 「純正め、また面妖な船を造りおって」  信長は聞こえない程度の小さな声で呟いた。  多くの商人や労働者で賑わう堺の湊には、見たこともない形をした新造船を見ようという見物人が大勢集っている。 ...
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第135話 『大村修理とジョン万次郎』(1851/5/16)

嘉永四年四月十六日(1851/5/16) 大村城下 <次郎左衛門> 「なんと! ……これは、なんと様変わりしたものよ……」  殿の出府とあわせて江戸を発った弟君の修理様(大村純熈ひろ・当時は利純)は、嫡男の甲吉郎様が家督を継ぐとなってから、...
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第132話 『薩摩からの手紙。ゴムと隼人と産物方』(1851/2/3) 

嘉永四年一月三日(1851/2/3) 師走の候、丹後守殿(大村純顕)におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※下に超訳あり。  未だ見知らず(会った事もない)、また申し入れず(手紙のやり取りもない)候と雖いえども、先般、御家中が一...
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第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「なに? では何を望むのだ?」  正弘が聞く。 「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」  次郎...
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第129話 『江戸城御用部屋、上の間にて』(1850/12/2)

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「大村丹後守純顕あき、命により登城いたしましてございます」 「大村家中、太田和次郎左衛門にございます」  二人は老中首座の阿部正弘より呼び出しをうけ、江戸城にいた。  9月...
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第127話 『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』(1850/9/14)  

嘉永三年八月九日(1850/9/14)    一昨年に建造を開始した大規模造船ドックが完成した。しかし、来年の蒸気機関とそれを用いた工作機械が到着しなければ近代的な造船はできない。あと1年あるが、それまでこのドックは遊ぶ事になる。  造船ド...
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第126話 『鍋島直正の苦悩と島津斉彬の決断。幕府は如何に?オランダ風説書』(1850/8/9)

嘉永三年七月二日(1850/8/9) 江戸城 一右同説ニ而者にては東印度海並に唐国海に英吉利イギリス海軍左之通り相備有之由あいそなえありのよしに候。 (同記事によると、東インドおよび中国近海における英海軍は以下の通り)  十五隻  和蘭オラ...
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第122話 『吉田松陰、平戸から大村へ。鋼板切断機、ロール成形機、溶接機、プレス機、運搬機器の開発』

嘉永三年二月十九日(1850/4/1)  「初めて御意を得ます。長州より参りました、毛利家中、吉田寅次郎と申します」  松陰は長州藩主毛利敬親の命を受け、平戸藩への遊学と、一年間の長崎を含めた西国見聞の旅の最中であった。まず平戸藩主に挨拶を...
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第115話 『蒸気機関鉱山導入と京都へ』(1849/8/2)

嘉永二年六月十四日(1849/8/2) <次郎左衛門>  大島・崎戸・池島の三カ所の炭鉱と、六カ所の鉄鉱石他の鉱山へ蒸気機関の導入が決まった。  排水ポンプや巻上機の動作確認は何度も行っているので、今のところは問題ないだろう。これで石炭の増...
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第114話 『適塾の5人と賀来親子4人、そして前原功山』(1849/7/6) 

嘉永二年五月十七日(1849/7/6) <次郎左衛門>  今日は定例(?)会議だ。議題はいろいろあるんだが……。  適塾から帰ってきた5人は、信之介の面接を受けて各部署に配属されていた。部署といっても明確に決まっているわけでもなく、総括を信...
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第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門>  やっべ……重大な事を思いだした。  あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の...
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第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22)

嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門>  さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。...
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第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 

弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門>  この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。  なるほどな、と。  事の始まりは今...
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第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28)

弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。  願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。  貴...
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第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所 「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」  身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に...
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第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城  幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。  以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オ...
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第73話 『開明塾、初等部、中等部、高等部。五教館中等部、高等部』(1846/3/11)

弘化三年二月十四日(1846/3/11) 京都<次郎左衛門>  孝明天皇が即位した。  結局、20万両は大金だったし、よくよく考えればいくら幕府が関与しない『奥』の収入だとしても、西国の小藩が20万両もの大金を献上金としたなら、大騒ぎになる...
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第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹・天然痘撲滅へ!)』(1845/6/18)

弘化二年五月十四日(1845/6/18) 次郎邸 <次郎左衛門> 「これ、御家老様はお忙しいのだ! お手を煩わせるでない! 申し訳ありませぬ御家老様! なにぶんまだ子供ゆえ、お許しいただきたく存じます」 「ははははは! よいのです俊達先生。...
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第62話 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』(1844/10/30)

天保十五年九月十九日(1844/10/30) 長崎 <次郎左衛門> 水戸の徳川斉昭さんが蟄居ちっきょを命じられたのが3月だった。 実は同じ時期に江戸城で火事が起こっていて、幕府は焼失した城の修繕費用を諸大名から集めようとしたんだけど、失敗し...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第619話 琉球王国、日本(小佐々)に冊封? 明西同盟成立と揺れ動く極東情勢(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城 景轍てつ玄蘇は明・朝鮮・琉球・東南アジア・ポルトガル・スペイン他欧州など国外の渉外を管轄している責任者である。 「玄蘇よ、その琉球がいかがした?」 「は。いよいよもって琉球の明離れが著しく、明...
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第41話 『藩校五教館の改革と私学校設立の願い』(1840/3/15)

天保十一年二月十二日(1840/3/15) <次郎左衛門>  よし、ここまでの事を整理してみよう。石けんや椎茸しいたけの採算なんかは別だ。  ・硝石丘法にて製造開始。3年後を目処に各村の山奥に設置。  ・椎茸は栽培中。原木栽培のため収穫には...
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第40話 『捕鯨砲の開発と洋式捕鯨船の建造に向けて』(1840/2/17)

遡ってビンタの翌日 次郎邸 「いい? 納豆菌は超強力なんだから! 当日食べたら接近禁止だからね!」 「あ、……うん」  次郎はお里の剣幕に驚き、昨日ひっぱたかれたほっぺたをなでる。 「里やん、そんな怒らんでも……」  一之進が横からフォロー...
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第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村 『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。 「御免候、こちらに深澤太郎殿はおら...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

年表

以下、旧暦表示。随時更新します。 天保七年(1836~1837) 十一月 清水亨、太田和次郎左衛門武秋として肥前大村藩へ転生。 十二月 十一代大村藩主、大村純顕に謁見し、藩の財政再建ならびに軍制改革、富国強兵の(裏)家老に任じられる。(裏家...