俸禄

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第244話 『莫大な艦隊維持費と二個艦隊計画に樺太派兵増強』

安政七年一月二十日(1860/2/11)   次郎は川路聖謨としあきらと協議の上、ロシア側に慰謝料を払って貰う事と、今後の事件再発防止のために新たな条約を締結する事でゴシケーヴィチとの間で合意した。  慰謝料は1人あたり500両で30名分の...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 

嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門>  さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ?  本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。「御免候!」 「はいよ。どなたかな?」 「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門>  2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。  もうどこにも耀蔵...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第518話 軍神・上杉謙信との対決 島津義弘はじめ島津家はやはり戦闘民族だった?

天正元年 三月十四日 能登国鹿島郡 在能所口湊番所  原田孫七郎は能登在番として、七尾城への兵糧の搬入と、それを隠れ蓑にして鉄砲、武具、弾薬などの搬入も行っていた。  ちなみに滞在と活動資金に関しては、能登を通る小佐々商人から受け取っている...
緊迫の極東と、より東へ

第490話 台湾総督若林中務少輔鎮興、明国使節と相対す。

元亀二年 十一月二十六日  結局、石山本願寺は武器弾薬を破棄し、起請文を書いて信長に一万四千貫を支払うことで和睦を結んだ。  聖職者が起請文などおかしな話ではあるが、武装解除と起請文は信長の譲れない条件だったのだ。  起請文はいわゆる約束事...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第447話 西国の火種と東美濃の争乱。そして山家三方衆

元亀二年 二月二十五日  三ヶ月前の元亀元年十一月、新しい西国の枠組みが決まった。  一万石から三万石の国人の多くが純正の提案を受け入れ、知行地を大幅に減らし、俸祿にて仕えることを選んだのだ。  しかし、領民やその下の家臣たちも、たかだか三...
新たなる戦乱の幕開け

第415話 小海城山城会談~毛利につくか小佐々につくか~

元亀元年 九月二十五日  発 純久 宛 総司令部  秘メ 織田軍 一揆勢ヲ 五ツノ城二 追ヒ詰メリ 砲撃後 敵降伏ヲ 申シ出ルモ許サジ   兵糧攻メノ模様 殲滅モ近シ 浅井軍 丹後ニテ 加佐郡竹野郡ノ国人 刻ヲ同ジクシテ蜂起  一色勢ヲ追イ...
新たなる戦乱の幕開け

第400話 三好家長老、三好長逸の決断と分裂

元亀元年 五月十八日  ※三好三人衆への純正の降伏勧告は議論を呼んだ。本来、和議というのはお互いに交渉し、条件の折り合いをつけて戦闘行為を終了させる事である。  しかし純正のこれは和議ではなく、あきらかに無条件降伏に近いものであった。  一...
新たなる戦乱の幕開け

第389話 西園寺公広と土居清良

永禄十二年 十二月二十八日 諫早城  十二月十日に宇都宮豊綱の造反並びに職務怠慢が公になり追放された。  その後引き続き長谷口から南の黒瀬城へ向かう街道は封鎖され、南の板島城から北へむかう吉田口、東の三滝城からの土居口も同様に完全に塞がれた...
西国の動乱、まだ止まぬ

第383話 鎮西平定ナレドモ四国ハ西園寺ガ残リケリ

永禄十二年 十二月二日 丑一つ刻(0100)諫早城  隣国に攻められたり飢饉の発生や疫病など、一刻をあらそう場合は、深夜であれ純正の元には緊急通信が入ってくる。迅速な対応が求められるからだ。  発 石宗衆 宛 総司 秘メ ※島津義虎謀反 東...
西国の動乱、まだ止まぬ

第382話 永禄十二年 十二月一日 庄内の乱、東郷の乱。

永禄十二年 十二月一日 巳の一つ刻(0900)薩摩  薩州島津家当主、※島津義虎が動いた。  南下して、二十年も抗争を続けてきた東郷氏の旧領を攻めたのだ。  東郷氏は渋谷一族の分家で、祁答院氏や入来院氏とともに島津家と戦ってきたが、すでにす...
西国の動乱、まだ止まぬ

第372話 土佐安芸郡一揆④小佐々家の介入は人道支援?

永禄十二年 十一月十五日 土佐 岡豊城  急な報せを受けた香宗我部親泰は、急ぎ京より土佐へ戻り岡豊城で長宗我部元親と会議を行っていた。 「殿、状況はいかがにござるか」 「うむ、攻めかかっておるが、なかなかに手強い。勢いは強まるばかりじゃ。使...
西国の動乱、まだ止まぬ

第368話 仕組まれた反乱、南九州にて

永禄十二年十一月二十日 諫早城 会議室  小佐々純正は政務の合間を縫って、子どもたちと遊んでいた。  子供だと思っていた弟の千寿丸は元服し、結婚して海軍兵学校へ入学している。甥っ子の幸若丸でさえ十一である。そろそろ元服を考えなくてはいけない...
西国の動乱、まだ止まぬ

第365話 土佐安芸郡一揆、安芸千寿丸改め弘恒蜂起する。②

永禄十二年 十一月七日 京都 在京小佐々大使館  親泰、我が家中の重き臣として、深き憂いの報せを伝えん。  去る十月三十一日、安芸郡伊尾木村にて一揆起こりて勢い強く、江川村、土居村へと広がりつつあり。  さらには、我が軍がかつて討ち取った安...
西国の動乱、まだ止まぬ

第362話 vs.スペイン②サラゴサ条約とポルトガルとの連合

永禄十二年 十一月一日 諫早城  純正の誤算が二つあった。それはスペイン軍の兵力の過小評価と、友好条約を結んだ勢力が、各地域の主力の王ではなかった事だ。  スペイン軍の兵力は三百、多くても五百程度だと予想していた。  多くても五百なら、三千...
西国の動乱、まだ止まぬ

第360話 予土戦役、黒瀬城攻防戦③裏切りが裏切りを呼ぶ?宗麟の予感は当たるのか

永禄十二年 十月二十五日 伊予 長浜村(愛媛県大洲市長浜町)  宗麟たちは占領した板島城(愛媛県宇和島市和霊町)より河後森城(北宇和郡松野町富岡)へ抜けた。  その後北上して三滝城(西予市城川町窪野)、さらに北上して宇都宮領の伊予曽根城(喜...
肥薩戦争と四国戦役

第346話 九州平定セン、然レドモ先ハ尚長シ……。

十月十九日 巳二つ刻(0930) 日向国紫波洲崎村(宮崎市折生迫)   三人が全員そろうまで、四日かかった。伊東祐青は自領内での開催もあって、通達が届くのは一番遅かったが、十六日に紫波洲崎城へ挨拶にきていた。  純正は城内に案内され城で過ご...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第156話 対信長外交団①

永禄十年 十一月 小佐々城 小佐々弾正大弼純正  この辺で、そろそろ信長に対して接点をつくっておかないといけない、と考えた。大友とは接点があるようだし、不利な条件でいろいろ介入・仲裁されても面倒だしな。  と、その前に!! なんでこんな大事...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第74話 平戸松浦氏の処遇 運命の岐路

同年 五月 沢森城 沢森政忠  さて最後は、これが一番の難事で、やり方によっては肥前の情勢を一変させる。我らが生きるも死ぬも、これにかかっていると言っても過言ではない。  ……。  主だった者を城に呼んで評定を開いた。  まずは俺の隣に親父...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第73話 674石から11,536石へ 佐志方杢兵衛

同年 五月  早岐城主の早岐甚助、日宇城主の日宇舎人とねり、井手平城主の岡甚右衛門、広田城主の遠藤千右衛門、鷹の巣城主の堀江大学らが沢森城に来た。  佐世保から宮の村までの諸豪族を連れて、佐志方城主、佐志方杢兵衛が沢森城へ来たのだ。その他、...