助力

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第218話 『将軍後継争いの激化と井伊直弼』

安政五年二月七日(1858/3/21) 江戸城 「いらぬいらぬいらぬ。然様さような事、いちいち朝廷に勅を仰いでなんの為の公儀にござろうか、すべて公儀が決め、のちに知らせればよろしいのです。そもそもその知らせる事すらせずともよい。天子様より政...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第198話 『安政二年のオランダ風説書と鹿児島藩、薩摩海軍』

遡ること8か月前の安政二年六月二十五日(1855年8月7日)  安政乙卯おつう賀蘭風説別段風説書  今年はオランダも平和で隣国はじめヨーロッパ諸国と親しく交わり、交易・航海共に活発である。  1854年末から1855年初にかけて暴風雨に見舞...
天下百年の計?

第724話 『会合衆の世界進出と九州五傑』

天正十四年一月十五日(1585/2/14) 堺 「そう、それが最も難し事なのだ」  会合衆の議論は連日続き、白熱していった。  千宗易(利休)の提案に多くの者が興味を示す一方で、実現に向けての課題も浮き彫りになっていた。  山上宗二は腕を組...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第169話 『次郎を呼べよ』

嘉永六年九月二十四日(1853年10月26日)  「それで讃岐様、琉球はいかなる仕儀に御座いましょうや」 「うむ、なんとか大村家中の御助力のお陰で面目を保つ事ができた。然れど以後如何いかが致すかは、よくよく考えねばならぬ」  讃岐とは島津家...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第690話 『公方と朝廷と北条』(1581/6/17) 

天正十年五月十六日(1581/6/17) 小田原御所  小田原御所とは、逃亡してきた義昭のために氏政が建てた仮初めの御所である。史実でも小弓公方だ古河公方だと、よくわからない関東公方がいたが、義昭は名実ともに小田原公方となってしまったのだ。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第135話 『大村修理とジョン万次郎』(1851/5/16)

嘉永四年四月十六日(1851/5/16) 大村城下 <次郎左衛門> 「なんと! ……これは、なんと様変わりしたものよ……」  殿の出府とあわせて江戸を発った弟君の修理様(大村純熈ひろ・当時は利純)は、嫡男の甲吉郎様が家督を継ぐとなってから、...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第681話 『大日本政府樹立に向けての第二回会議』(1580/10/23)  

天正九年九月十五日(1580/10/23)  大同盟合議所 「内府殿。つかぬ事をお伺いするが、蝦夷地の蠣崎ならびに奥州の大浦と安東、常陸の佐竹に下野の宇都宮が、小佐々の御家中に服属を申し出て、それをお認めになったというのは誠にござろうか」 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第117話 『ゴムの実験と真田幸貫』(1849/9/28)

嘉永二年八月十二日(1849/9/28) <お里>  6万斤は……人吉球磨茶、知覧茶、霧島茶、日向茶……九州全域で、なんとか、なんとかなった。良かった~!  残りの2万千600斤は少し待って貰ってかき集める。  そのぎ茶の増産。440haま...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館 「構いなし、か」  純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。  要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)   越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。  が、今世は違った。  純正が信長と同じ立場で東に武田...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日  義弘の四十九日の法要が終わった。  元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城 「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」 「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城 「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」  次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。  この頃に...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第632話 『開戦か交渉か』織田と同盟国と北条と(1577/8/16)

天正六年|閏《うるう》七月二十五日(1577/8/16) 諫早城 <純正>  転生して15年。ようやくなんとか平和になってきたと思ったのに、上杉に北条、そしてまたスペインって。なんでみんな、戦争しに出るかなあ。  攻められないようにするため...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城 「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」  会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様  秘メ 明国 張居正 ト イスパニア ...
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第64話 『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』(1845/3/29)

弘化二年二月二十二日(1845/3/29) 江戸城  史実どおり、水野忠邦はさしたる成果を上げることなく老中を辞任した。  やった事といえば、鳥居耀蔵を失脚させた事くらいだ。  土井|利位《としつら》は自ら老中を辞任している。ともかく、一連...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第617話 対イスパニア戦略(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城 「さてみんな、国内においてはおおよそ平和になった。奥州では大道寺家が同盟に加わり、北条の動きも抑えた。他の大名は参加の答えは来ていないが、敵対もせぬであろう。佐竹と宇都宮は知っての通りだ」  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所 「皆様、よろしいでしょうか?」  発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。  大同盟合議所では、加盟している大名...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第586話 何が軍事行動か?その定義

天正二年 一月十四日(1573/02/16) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  年が明けて天正二年、純正は朝廷への新年の挨拶と義父への挨拶を終え、合議所にいた。藤子と娘の篤は二条晴良宅に預けている。  小佐々織田合議所という仮称だ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第581話 織田信長&徳川家康&浅井長政の野望

天正元年(1572)九月十一日 岐阜城 「さて、小佐々が謙信と軍いくさをしておる間、荷留と津留のみであるが、われらも助力いたした。その間、伊賀と紀伊において進展はあったか?」 「は、伊賀においては最低限の権益を与えることで服属をさせました。...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第573話 しばらくは内政に関わろう。技術開発の進捗状況。

天正元年(1572) 五月十五日 諫早城  ・反射炉  ・大砲  ・ライフル  ・後装式  ・パーカッションロック……。  ・蒸気機関に蒸気船……。  純正は、ぱっと考えて出てくるものを羅列したが、そのほとんどが兵器に関わるものだった。  ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第561話 和睦交渉を左右する所口湊の海戦と七尾城の戦い

天正元年 四月六日 巳の一つ刻(0900) 「なんぞ(何だ)あれは? 如何いか様にも(どうみても)兵船ではないか! 然しかも、上杉の兵船、船手衆ではないか!」  来島通総と得居通幸が、七尾湾に停泊する三百艘の上杉水軍の軍船を発見したのだ。 ...
緊迫の極東と、より東へ

第504話 加越同盟と越前の未来

天正元年(元亀三年・1572年) 二月六日 「敵大軍なれども われに地の利あり 心配に及ばず 一乗谷で 督戦 あれ」  一乗谷にあって全体を指揮していた義景のもとに、巳の一つ刻(09:00)に戦端が開かれたとの一報が入ったのは申一つ刻(12...
緊迫の極東と、より東へ

第503話 みせかけの和議と越後の龍を封ずる方法

天正元年(元亀三年・1572年) 二月三日   発 甲斐守(日高喜) 宛 権中納言(純正) 複 治部大丞(純久)   秘メ 越中 一向宗 利得ノ権 放チ(手放シ)難シニテ 和睦ハ 難シト 思ヘドモ 上杉トノ 戦 望マザル 模様ニテ 和睦ノ調...
緊迫の極東と、より東へ

第502話 信長、三度越前を攻める。

天正元年(元亀三年・1572年) 二月月二日   雪解けを待って織田軍が越前へ侵攻した。  織田家の直轄兵力が四万八千、浅井が一万二千、伊勢の兵が一万三千、合計七万三千である。  これでも十分各地に守備兵を残しているのだ。越前では敦賀郡司が...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第485話 武田勝頼の両目、真田昌幸と曽根虎盛

遡って元亀二年 九月十二日 甲斐 躑躅ヶ崎館 「誠に! 誠に御屋形様は、生きておられるのですか?」  勝頼は武田の重臣である馬場美濃守信房に訊いた。 「誠だ」 「では何故、それがしには身罷られたなどど、嘘をおっしゃったのですか」 「お主、御...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第469話 武田軍撤退ス……信玄ノ容体ヤ如何二?

元亀二年 七月二十日 京都大使館    発 外務省三河 宛 治部少丞  秘メ 武田軍 退却セリ 巷説デハ 浜松城 要害ナレバ 陥落セシムルニ 一月ハ 要ス ソノ間 越後ニ 動キアラバ   信濃ナラビニ 上野ノ 守リ 危ウシト 流布サレリ 然...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第448話 信玄、動く。

元亀二年 三月四日 諫早城  発 純久 宛 近衛中将  秘メ ◯二二六 信玄 甲府ヲ 発テリ 東美濃ヨリ 三河 ナラビニ 駿河ヨリ 遠江ヘ 二手ニ ワカレ 進ム模樣 コノ報セ 弾正忠様ニモ 送リケリ 秘メ ◯三◯一  京都大使館の純正から、...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第435話 尼子家の苦悩と復興

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800)  ■別所家中 「叔父上、やはり中将様はひとかどの人物ですね。くぐってきた修羅場もそうであるし、話も飽きぬ。なにより、戦を好まぬ姿は好きです」  別所長治は叔父で一門、家老の別所重...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第424話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男②

元亀元年 十月十四日  発 石宗山陽 宛 総司令部  秘メ 宇喜多ノ 使者 戸川秀安 輝元ニ 会ヱリ 詳細ハ 不明ナレド 浦上ノ 名代ニ アラズ マタ 両川ハ 不在ナリ 一○○七 秘メ 経由 門司信号所 一○一一 午三つ刻(1200) 「う...
新たなる戦乱の幕開け

第411話 専守防衛?第二次尼子再興運動と対毛利、そして信長を考える②

元亀元年 九月一日 諫早城   「殿」 「なんだ?」  土居清良が発言した。 「表向きが無理なら、裏からで良いのではないでしょうか」 「どういう事だ?」 「昨年の尼子蜂起軍には、山名の助力がありました。ゆえにこたびも尼子を直接助けるのではな...
新たなる戦乱の幕開け

第404話 正四位下近衛中将源朝臣小佐々平九郎純正となる、のか?

元亀元年 六月十日 諫早城 小佐々純正  いや、近衛中将って、俺は検非違使もやってるんだよ?  え? 兼任? いいよ、別に。肥前から動かないから。どうせまた叔父上から嫌み言われるんでしょ? いやだよ。  そもそも近衛大将とか中将って誰かやっ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第381話 偽書

永禄十二年 十一月二十五日 諫早城  長宗我部元親には香我美郡八千石、長岡郡六千石、吾川郡一万石の、計二万四千石を安堵した。浦戸は租借から割譲へ変わったものの、領内の発展に使う資金は無利子である。  また、船舶や人の出入りも簡素化し、浦戸で...
西国の動乱、まだ止まぬ

第375話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石

永禄十二年 十一月十六日 諫早城  純正は各方面から届けられる書状や通信文書を読みながら、定例会議を開いて今後の対策を考えていた。  空閑三河守、藤原千方(親)、鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛の五人が傍らにいる。そして閣僚の面々。 「...
西国の動乱、まだ止まぬ

第354話 予土戦役、黒瀬城攻防戦②毛利元就が生きていたならば

永禄十二年 十月二十三日 安芸 吉田郡山城 「なに! それは誠なのか? 誠に負けたのか?」  世鬼衆の報告を受け、毛利輝元はじめ小早川隆景や吉川元春は驚きを隠せない。しかしその驚きは、負けたという事にではない、こんなにも早く決着がついた、と...
肥薩戦争と四国戦役

第345話 戦国九州のポツダム宣言とヤルタ会談??

永禄十二年(1569) 十月十九日 巳一つ刻(0900) 日向国紫波州崎村(宮崎市折生迫)   洋室、洋間がある城は、おそらく諫早城だけであろう。もしかすると岐阜城にもあったかもしれないが、知る由もない。種子島城にはもちろん洋室はないが、諫...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第185話 三好義継と松永久秀

同年 五月 信貴山城 松永弾正久秀 「申し上げます。小佐々肥前守と申す者から書状が届いております」  なに? 小佐々? 聞いた事はある。遠く九州の地で勢いがあり、肥前・筑前・筑後、そして北肥後も支配下にいれたという。  朝廷や幕府に献金をし...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第92話 龍第造寺、須古城を攻める。

永禄七年 十月 佐賀龍造寺城 「出陣じゃ。須古城を落とす」 少弐氏滅亡後の事後処理をすばやく終わらせ、稲の刈り取りを待っての出陣である。鍋島直茂はじめ副島左近充、広橋信了のぶひろ、納富のうとみ信景などあわせ、六千名である。 「わはははは! ...
5強まであと7,000石(現在36,824石)

第88話 宇久純定という男

永禄七年 二月 五島江川城 宇久純定  五島は宇久純定(39)が統治していた。親平戸松浦勢力である。  いや、だったが正解だ。  純定の祖父が家臣の謀反で死に、父が逃亡先の平戸で育って、隆信の父興信の代に援助を受けて取り返したのだ。  しか...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第48話 永禄五年 大友義鎮、動く

同年 四月 沢森城 沢森政忠 「大友義鎮は少弐家を再興すべく、少弐政興を擁立いたしました」  やっぱりかあ!   千方の報告に、文字通りの感情が湧き上がった。これからいよいよきな臭くなるぞ。一歩間違えば家が潰れる。  最悪、相神浦や大村が潰...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第36話 針尾伊賀守の苛立ち

同年 七月  驚いた。まさか本当に、こんなに早く利益を出すとは。  最高級の椿油を五島から仕入れて作ったので、原価が十倍に跳ね上がった。しかし、売価も跳ね上がったので、利益も当然あがる。 (椿、栽培しよう♪多分ほぼ全国域で育つから問題ないは...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第29話 利三郎と忠右衛門

永禄四年(1561年) 五月 岳の城 沢森利三郎政直  どたどたどたどたどた!    忠右衛門と二人で主殿に向かう。なんでまた、いきなりなんだ? 「殿!」 「殿!」  主殿の下座には先日家督を相続したばかりのわが殿、平九郎様がいらっしゃった...
年表・統治機構

1571年~1575年(忘備録)

元亀二年(1571年) 1月 籠手田艦隊 バンテン国王謁見 2月 信長越前攻め 3月 信玄西上作戦実行 海軍兵学校・陸軍士官学校第六期生卒業 純アルメイダ大学第四期生卒業 4月 山陰山陽にて反乱 マニラにてスペイン艦隊ならびに上陸軍との戦い...